酒場
城下町に出ると、いくつかの店に明かりが灯り、賑やかな声が外に漏れているのが聞こえた。そこには、夜の街の独特の温かみが広がっており、三人は足早にその街へと足を踏み入れていった。
通りの角を曲がると、ひときわ明るい酒場の看板が目に入った。木製の扉の上には、手書きで書かれた店の名前の文字が浮かび上がっており、そこからは笑い声や乾杯の音が漏れ聞こえていた。
三人はその酒場に向かって歩き、扉の前に立つ。
扉を開けると、温かな灯りと心地よい喧騒が一気に広がった。店内には木のテーブルが並び、賑やかな笑い声や乾杯の音が交じり合っている。酒場ならではの雰囲気が漂っており、蓮は少し胸を躍らせた。普段から落ち着いた場所にいることが多かったため、こうした賑やかな場所は少し新鮮だった。
スミレは軽く一息ついてから、近くにいる店員に手を挙げて、テーブル席を案内してもらった。スミレの落ち着いた態度に、店員はすぐに案内し、三人は窓際の席に着いた。窓からは、夜空に瞬く星々が見え、静かな夜風が店内に入り込んでいた。
「ここなら少し落ち着けるわね」
スミレが席に座りながら言うと、蓮と美穂も同じように席に腰を下ろす。
美穂は窓の外をぼんやりと見つめ、少し疲れたような表情を浮かべていた。それでも、周囲の温かな雰囲気に包まれ、少しだけリラックスしたようだ。
「とりあえず、料理を頼まなきゃね」
スミレは店員を呼んで、メニューを指さしながら注文を始めた。蓮と美穂もそれぞれ好みの料理を選び、続いて酒を頼んだ。スミレはいつものように、少しだけ上品にワインを頼み、蓮はまだ未成年だということもあり、シードルを選んだ。美穂も、アルコールを頼みながら、少しだけためらった様子を見せたが、結局はスミレと同じくワインを頼んだ。
「美穂もお酒飲めるんだね」
蓮が軽く微笑んで言うと、美穂は少し顔を赤らめながら、視線を外して言った。
「ちょっとだけ、気分転換にね」
その言葉に蓮は少し驚きながらも、美穂が何かしらの理由を抱えていることを感じ取った。しかし、それ以上は深く尋ねることなく、軽く頷いて話題を変えた。
「それじゃあ、料理が来るまで何か話そうか」
蓮はそう言って、スミレと美穂の方を見た。どこかぎこちない空気がまだ残っていたが、蓮は無理にその空気を変えようとはせず、自然に会話を始めた。
「なあ、スミレ。あのバッジって、他にはどんな場面で役立つの?」
蓮の質問にスミレは少し考え込むように首をかしげたが、すぐに答えた。
「騎士団員のバッジを持てるのは、団員の中でも特に認められた人だけなの。要人や重要な人物と会うときにも、威厳を保つために必要だったりするわ」
スミレの説明に蓮は興味深く頷きながら、改めてそのバッジの重要性を感じた。自分にはまだそのようなものがないことを少し気にしながらも、今は自分ができることを一生懸命やるしかないと心に誓った。
「それにしても、スミレってすごく騎士団のことに詳しいんだね」
蓮が驚きながら言うと、スミレは少し照れくさそうに笑った。
「まあ、長いこと付き合ってきたからね。いろんなことを知ってるわ。大丈夫、蓮もすぐに詳しくなるんだから」
その言葉には、少し励ましの気持ちが込められていて、蓮は気持ちが少し軽くなったような気がした。これから自分も、少しずつ経験を積み、少しでもスミレのように頼れる存在になりたいと思った。
そのとき、美穂が静かに口を開いた。
「私も、そのバッジちょっと持ってみたい気がする」
美穂は微笑んで言ったが、その笑顔にはどこか物憂げな雰囲気が漂っていた。蓮はそれに気づかないふりをして、軽く笑いながら答えた。
「そうだね、きっと便利だよ。でも、まだしばらくは俺には縁がないかな」
その後、三人は少しだけ笑い合いながら、雑談を続けた。話題は次第に、各々の出身地や旅の思い出に移り、しばらくは和やかな雰囲気が続いた。
そして、料理が運ばれてきた。店員が大きなトレイに盛りつけた料理を持ってきて、テーブルに並べると、その香りに思わず三人は息をのんだ。焼きたての肉の香ばしい匂い、煮込まれた野菜の甘い香り、そしてスパイスの効いたソースが食欲をそそる。
「わあ、すごくおいしそう!」
蓮は思わず声を上げ、美穂も少し目を輝かせた。スミレは満足げに微笑みながら、手を合わせて言った。
「いただきます」
三人は一斉に料理に手をつけ、しばらくの間、食事を楽しみながら無言で味わった。それぞれの料理が思いのほか美味しく、会話は途切れがちになったが、その静かなひとときが心地よかった。食卓の上に並んだ色とりどりの料理、芳醇な香りが漂い、どれも新鮮で豊かな味わいだった。
蓮はフォークを手にしながら、ふと窓の外の景色に目をやった。酒場の外では夜の風がそよぎ、賑やかな声が漏れ聞こえてくるが、その音もまた、まるで遠くから響くようで、ここでは穏やかな時が流れているようだった。
やがて、スミレが口を開く。
「お腹も満たされてきたことだし、本題に入るわね。蓮、任務の途中で一体何があったの?」
その問いは、スミレが蓮に対してずっと抱えていた不安を表すように、真剣そのものであった。
「実は──」
言葉が途切れると、蓮は少し沈黙し、その出来事を一つ一つ思い返す。マアト村で起きた一連の出来事、その重さが未だに心にのしかかっていた。
蓮は思い切って口を開くと、スミレに全てを話した。
スミレは時折驚き、眉をひそめる。それでも目を逸らさず、しっかりと蓮の話に耳を傾けていた。静かに食事を続けながらも、その表情には真剣さと心配の色が見え隠れする。
「そうだったのね、おかしいと思ったの。蓮が帰ってきたと思ったら、タオとティナが一緒じゃないんだもの。まさかこんなことになっているなんて──」
スミレは目を伏せ、少し息を呑む。蓮でさえそのことを考え続けているのだから、スミレにとってはなおさらだろう。その深い思いが、テーブル越しに蓮に伝わってきた。彼女の心中は、蓮の数倍も苦しく感じられた。
「それで? ホクト様はなんですって?」
スミレが問いかけると、蓮は一瞬言葉に詰まりながらも続けた。
「助けたいことを伝えたら、勝手にしろ……って言われちゃって。なんだか地雷を踏んじゃったみたい」
蓮のその言葉に、スミレはピンと来た様子で蓮をじっと見つめた。
「勝手にしろ──って、確かにホクト様はそう言ったのね?」
蓮が不思議そうに頷くと、スミレの顔に思いもしないほどの明るさが差し込んだ。彼女は真剣に、そして確信を持って言った。
「それなら大チャンスよ。勝手にやる許可を貰えたんですもの。ホクト様はきっと、私たちを試しているんだわ」
その言葉に、蓮は驚きつつも、スミレらしい前向きな考え方に思わず感心した。少し笑みがこぼれ、心が少し軽くなるのを感じた。
「俺は情報集めと協力者を探しに一度ネイトエールに戻ってきたんだ。タオは今でもマアト村でティナたちが来るのを待ってるはず」
スミレは深く頷きながらも、少し考えるように目を伏せた。
「そう、急がないといけないわね。まずは情報集めからだけど──」
その時、突然、黙っていた美穂が口を開いた。
「情報屋ウィル……」
美穂の声はいつもよりも少し低く、重く響いた。何か思い出すように、深刻な表情で続けた。
「デールが言ってた。ネイトエールに、有名な情報屋がいるって。確か、その名前がウィルだった」
スミレはその言葉に、驚きと共に嬉しそうに顔を上げた。
「さすが美穂ちゃん! それじゃあ、そのウィルっていう情報屋のところへ話を聞きに行きましょう。ティナたちの情報を知っているかもしれないわ」
その明るい声に、美穂は微かに体を震わせ、やや気まずそうに言った。
「でも、ウィル、どこにいるか分からない」
スミレが一瞬、困った顔をしてから言った。
「そうね……それなら、どうしようかしら?」
蓮も悩みながらも、思わず心の声が漏れた。
「うーん、どこにいるか分からないんじゃ、会いに行けないよなあ」
その時、隣のテーブルから声が聞こえた。グループの一人の男が、酔っているのか顔が赤くなりながら、話に割り込んできた。
「ウィルなら知ってるぜ!」
男はにやっと笑いながら、続けた。
「噂じゃ、ネイトエールの月の下で姿を見せるとか。まあ、よく分かんねえけど、月にでも走って向かえば会えるんじゃねえの」
男はガハハ! と大声で笑い、その後、しゃっくりが漏れた。スミレは軽蔑するような表情で彼を見つめていたが、すぐに目を細め、何かを考えているようだった。
美穂はじっと黙って、目を見開きながら何かを思いついたようだ。
「月に──走る。やってみても、いいかもしれない」
美穂のその提案に、蓮は驚き、思わず声を上げた。
「本気で言っているの? 月に走るってどうやって?」
美穂の眼差しには迷いがない。その瞳の奥には確固たる決意が宿っていた。彼女はゆっくりと立ち上がり、無言で一歩踏み出すと、静かに言った。
「いいから行こう」
蓮とスミレは、心のどこかに疑問を抱きながらも、美穂の言葉を信じて店を後にするのだった。




