少年たちの思い出 前編
「遅い」
ネイトエール城の正門。タオの言葉がまるで唾を飛ばすみたいに吐き捨てられた。
タオと一緒に任務を遂行しろ──蓮がホクトからそんな命令を受けたのは、ついこの間の訓練所で稽古をしてもらった時のことだった。団長命令で断ることができなかった蓮は、渋々タオに頭を下げて初任務に取り組むこととなったのだ。
「すみません、城内が広すぎて、正門までの道に迷っちゃって」
そんな蓮のことを鋭い瞳で睨みつけるタオは、手に持っている黒いコートを蓮に投げつけた。そのコートはタオが着ているものと同じだった。
「行くぞ」
タオは冷たくそう言うと、城に背を向けてスタスタと歩いていく。蓮は急いでコートを羽織ると、タオを追いかける。
「なあ、一体どこに向かうの?」
蓮の問いに、タオは無愛想に答えた。
「マアト村だ。あとは分かるだろう。つべこべ言わずに着いてこい」
***
──アスト街道。
王都ネイトエールから北に進むこと数時間。
マアト村までを繋ぐアスト街道を、蓮とタオはひたすら歩き続けていた。
「タオ。マアト村まであとどれくらいだ?」
歩いても歩いても、ずっと同じ景色の平原が広がっていた。
前を見ればタオの背中が、そして左右を見れば丘や岩山があった。さらに遠くを見れば、森林や山まで見えている。視界が広がっていて景色はいいものの、あまりに変わらないその道に先が思いやられる。
「夕暮れ時には間に合うだろう」
タオはそんなことを平然とした様子で言う。
「ゆ、夕暮れ時!? それってほぼ半日かかるってこと!?」
蓮は驚きのあまり足を止める。しかし、タオはそんな蓮に目もくれず歩き続ける。
「おいおい、待てよ! ちょっと休憩しない!?」
蓮はそう叫ぶが、タオはまるで蓮を置いてくと言いたげにどんどん進んでいく。
「ほんっと、もうちょっと歩み寄ろうとしてくれ!」
蓮は慌てて小走りすると、タオに追いつく。
タオの歩く速度は、蓮にとってかなり速かった。例えるなら、犬と狼が一緒に歩いている感じだろうか。
ふと、先日スミレと樹木林から見た景色を思い出す。あの時見た景色から勝手に、ネイトエールとマアト村の距離は近いものだと思っていた。まさか、こんなに距離があったとは。
「ちょっとタオ。なんか喋ってくれよ」
蓮が歩きながら汗を拭っていると、突然、何の前触れもなくタオが言った。
「蓮、お前はシェリーのことをどう思ってる?」
タオの表情は見えない。
「え、どうって……」
蓮の思考が一瞬だけ停止した。しかし、またすぐに動き出す。
彼女のことをどう思っているのか。その答えは、恋愛感情そのものでしかなかった。けれど、それを認めてしまえば、もう手遅れな気がした。自分が壊れてしまうような気さえした。蓮は、その思いを抑え込もうと必死だった。
蓮が何も言わずにじっとしていると、しびれを切らしたタオは後ろを振り向き、強い口調で言った。
「中途半端な気持ちで彼女と関わるのはやめろ。彼女は──シェリーは、今のお前と関わると不幸になる」
「っ……どういう意味?」
「そのままの意味だ。蓮、お前は彼女のことを知らなすぎる」
タオのその言葉に、蓮は初めて苛立ちを感じて衝動的に言葉をぶつけた。
「確かに俺はスミレのことを何も知らない。けど、知ろうとしてる! スミレのことを、俺は全部知りたいって思ってる!」
「お前、それがどういう意味か分かってんのか?」
タオの瞳孔が開く。今すぐにでも蓮に襲いかかってきそうな眼差しだった。
「お前も知ってるだろ、あいつは幼少期の記憶をなくしてる。シェリーの失った記憶がどんなもんか、俺には分からねえ。けどよ」
タオはぎゅっと手に力をいれて言葉を続けた。
「記憶を失うくらいだ。それくらい、苦しくて辛くて忘れたい出来事だったのかもしれねえ。お前がやろうとしていることは、いずれ彼女を苦しめることになる。お前、どうしてそれが分からない?」
タオは怒りに任せてそう言ったあと、小さく舌打ちをした。
蓮は何も言い返す言葉が見当たらない。
蓮が知っているのはシェリーではなく、スミレという一人の女だった。いや、もしかするとスミレのことさえも理解できていないのかもしれない。スミレ=シェリーが何者なのか、本当はそれを聞く勇気もなければ、知る勇気もないのかもしれない。
それでも、それでも俺は───。
「タオ、俺は───」
蓮の言葉を塞ぐように、同時にタオが喋った。
「喋るな、刺客がいる」
タオは耳をピクリと動かすと、辺りを警戒するように鼻を匂わせた。蓮はそのピリピリとした空気の中、剣の柄を握りしめた。
バサッと木の葉が揺れた。丘の上の木々の隙間から、一人の人影が踊り上がった──兎だ。それも、その兎を蓮は知っていた。なんせ白兎で、彼ほど魅力的な兎なんて、ここらでは一人しかいないのだから──。
「ティナ!? どうしてここに?」
突如目の前に現れたティナの姿に目を奪われる。ああ、吸い込まれてしまいそうだ。
蓮はその美しい姿に心が乱れ、瞬間的に言葉を失った。しかしそのとき、タオの大きな声が響いた。
「蓮、頭を下げろ!」
タオは蓮を地面に押し倒す。その刹那、蓮の頭上に素早い剣の一閃が飛んできた。少しでも遅ければ、蓮の頭は切り落とされていただろう。
蓮は咄嗟に顔を上げた。自分たちを攻撃してきた相手をこの目で捉えるために。見上げた先で、蓮は絶望を覚えた。
「どういう……ことだよ」
信じたくない。信じられない光景だった。
そこには、見慣れた顔のティナがこちらに剣を向けて立っていたのだ。
蓮たちに剣を振るったのは、紛れもなくティナ本人だった。
緊迫した空気の中、ティナが蓮たちを見下ろして言った。
「久しぶりですね、シャク──いや、今はタオと呼ぶべきですか?」
ティナは一歩、二歩とタオに近づいた。
タオは姿勢を低くして戦闘体勢になると、蓮に言った。
「いいか、蓮。こいつはお前が知っているティナじゃない」
二人を弄ぶように、ティナは話を聞いてウンウンと頷く。そして辺りをキョロキョロと見渡し、口を開いた。
「あれー? せっかく挨拶をしに来たのに、リリスは一緒じゃないんですね? まあいいです。ねえタオ、久しぶりに僕と遊びましょう」
その言葉が空気をさらに張り詰めさせた。ティナの笑顔は、どこか冷徹で、まるで自分たちの反応を楽しんでいるかのようだった。
「とにかく、話はあとだ! 蓮、逃げろ!」
タオは体を変異させて四つん這いになると、低い唸り声をあげながらティナに向かって襲いかかった。ティナはそれを踊るように交わしていき、次々と剣を振るった。
突然始まった狼と兎の戦闘。ティナは蓮に見向きもしなかった。どうやらティナの狙いはタオのようだ。
「グルルル……!」
タオが唸る。とそこに全身真っ黒な化け物が枝葉を鳴らして路上へ舞い降りた。サタンだ。カラスのような黒い翼を生やしたサタンは、タオの前に立ちはだかると耳が潰れるほどの大きな奇声を発した。
その直後、サタンの声がタオの頭上を流れた。サタンは大きな翼を羽ばたかせ、タオの上から襲いかかってきたのだ。
「くそっ……!」
タオは咄嗟にその攻撃を避ける──が、正面からティナが襲いかかる。挟み撃ちである。
「タオ!」
蓮は隙をついてサタンに向かって剣を突き刺した。黒い羽がヒラヒラと散る。剣はサタンの翼を貫通した。
「サタン、お前の相手は俺だ!」
サタンは蓮の方をみてにやりと笑うと、鋭い爪を指先から出して蓮に襲いかかった。
「っ……!」
蓮は瞬時に剣を抜き取ると、それをサタンの心臓に目掛けて刺す。
───グチュリ。
内臓の潰れた音がした。
蓮の顔は真っ青になり、体をガタガタと震わせる。自分の振った剣が、サタンの体を貫通したのだ。
本来なら、これで相手は死ぬはずだ。しかし、男は人間ではない。架空ノ者であり、そのうえ得体の知れない化け物サタンなのだ。腹を刺されたところで、そう簡単に死んだりしないのだ。
サタンは口から大量の血を吐くと、瞳をカッと開き、再び奇声を発した。そして胃に突き刺さる剣を勢いよく抜き取ると、その剣を蓮に向かって振り上げた───。
「蓮……! 逃げろっ……!」
タオの声が聞こえてきた。しかし、刃先はもう蓮の目の前まで来ている。今の彼に迫られてる選択は、敵に向かって剣を振るうか、逃げるかの二択であった。けれど、蓮は腰が抜けて立ち上がることができない。
───あ、俺死ぬのか。
蓮はシャットダウンするように目をつぶった───その時、スパッと敵の首が斬られる。
「ふざけんな! 死ぬ気か」
蓮の目の前には、首を切断されたサタンの死体があった。まだ少し腕が動いており、その動きはまるで死にかけのカエルのようだった。そしてその死体の横に、真っ赤な鮮血がついた剣が転がっていた。タオが咄嗟に剣を放り投げたのだ。
完全変異したタオは、狼の姿で息を荒くしながら蓮に言った。
「逃げもせず戦いもしないのなら、今すぐにネイトから脱退しろ!」
タオが一瞬蓮の方を向いた、その隙をティナは見逃さなかった。ティナが振るった剣が、タオの腹を貫通する。タオはその場で蹲った。
「タオ……!」
蓮はタオに駆け寄る。
狼と兎の戦い、勝ったのは兎であった。
勝利を手にした兎は、剣から漂う血の匂いを楽しむようにふっと息を吹きかけた。そして口元に笑みを浮かべると言った。
「タオ、一緒に遊べて楽しかったです。また、会いましょう」
「ま、待て……!」
タオは声をあげるが、ティナはそんなタオに目をくれることもなく森の中を消え去った。
「クソっ!」
タオは横たわったまま悔しそうに歯を食いしばる。腹から流れる鮮血が、まるで水溜まりのように滴り集まる。
「大変だ! 早く止血しないと──」
蓮はタオに触れようとしたが、タオは体を大きく揺らして抵抗した。
「触るな! お前みたいな人間に助けを求めた覚えはない」
タオはそう言って蓮の腕を振り払った。その直後、タオは呼吸をさらに荒くさせた。
「タオ、悪かった。俺は逃げることも、戦うこともできない弱い人間だった。勇気なんてこれっぽっちも出なかった。でも、だからこそ、助けになりたいんだ。俺にチャンスを、もう一度ください」
止血の仕方はこの前スミレがやっていたのを覚えていた。実践したことはなかったが、今はとにかくやるしかなかった。
蓮はタオの体を押さえつけると、剣で傷ついた皮膚に手を当てた。そしてグッと力を入れると、圧迫した。
「うぐぅ……!」
痛みを訴えるようにタオは悲鳴をあげると、蓮の腕に爪を立てた。それでも、蓮は止血をやめなかった。
「タオ、頼む! 生きてくれ、まだ、死なないで!」
タオは呼吸を整えながら蓮の方を見て言った。
「もう、いい。大袈裟だ。そう簡単には死なない」
タオはそう言うと、ゆっくり目を閉じる。まるで死に際の動物みたいだ。
「まって、タオ! 目を開けて!」
蓮が慌ててそう言うと、タオは蓮の腕に自分の爪を突き刺した。それもかなり深く。蓮は思わず悲鳴をあげると、止血している手を止めた。
タオはギロっと目を開けて蓮の方を睨むと、絞り出すようにして言った。
「死なないと言ってるだろ! お前の止血は痛すぎるんだ! 変異が治まるまで放っておいてくれ!」
蓮は全身の力が抜けてその場で座り込むと、「すみません」とだけ言った。タオはそんな蓮の言葉を聞き、再び目を閉じる。蓮はただ静かにその場でその様子を眺めることしかできなかった。
また15時に会いましょう!




