剣術
蓮がティナに連れられて訓練をすることになったのは、朝食を食べ終わってから間もない時だった。
「ネイトエールに来てすぐなのにすみません。昨日、ホクト様から蓮の面倒を見るよう頼まれたんです。ほら、ホクト様は席を外されてるでしょう? その間の教育係が僕ってことです」
石造りの床と天井に囲まれた訓練所。広い空間に足音が響き、まるで圧迫されるような空気の中で、ティナの声が続けて響く。
「ホクト様から出された蓮への課題の一つ目、騎士団員として剣術を学べ……」
ティナはそう言うと、腰にかけた鞘から剣を抜いた。その手の動きに蓮は思わず目を奪われる。金属が光り、何もかもが真剣そのものであることを感じさせた。
「蓮は人間ですから、魔術や能力をお持ちではないでしょう? ですから、まずは自分の身を守るために剣の扱い方に慣れてもらいます」
「えっと、これって……」
蓮は剣を見て少し動揺した。人間界では実戦用の剣を扱うことなどなかったし、剣を間近で見るのも初めてだった。思わず手が震える。
「怖いですか? 大丈夫です、ちゃんと使い方を教えますから」
ティナは蓮を安心させるようにそう言うと、剣の柄を差し出す。その目は穏やかで、蓮にとっては少しホッとする瞬間でもあった。だが、心のどこかでその剣が持つ意味を理解することが怖かった。
テンポよく進んでいくこの状況に、蓮は追いつくことができず頭を抱えた。
「ち、ちょっと待ってください! 訓練? 剣!? あの、俺、まだやるなんて一言も!」
蓮のその言葉を聞いて、ティナの目付きが一瞬変わったような気がした。ティナは少し首を傾げてから、耳を垂らすと、分かりやすく悩んだ素振りを見せる。
「困りましたね、これじゃあ僕がホクト様に怒られてしまいます。最悪、ネイトを追い出されるかも……」
ティナはチラチラ蓮の方を見ながら話を続ける。その目は真剣で、どこか焦っている様子が見て取れた。
「追い出されるのが僕だけだといいですが、もしかするとその被害は蓮やシェリーにまで及ぶかもしれません……ああ、困ったなあ」
ティナのきゅるきゅるとした目が蓮の目を離さない。蓮はその目を見つめると、心の中で抗う力が弱まっていくのを感じた。
この目は、ダメだ。
「わ、わかった! やります! やってみます!」
蓮は仕方なく手汗で滲んだ片手をティナの前に出す。ティナはにっこりと笑って、その手のひらに剣を置いた。
「では、持ち方を教えますね。まずは利き手で柄を握って、重心を腰に……そうそう。剣は腕の力だけで振るものじゃないんです」
「えっと……。柄って、ここでいいのかな?」
初めて持つ剣に少し緊張しながら、実際に手に持つ。思っていた以上に重たく、冷たい金属が手のひらにしっかりと伝わり、命の重みを感じる。どこかおろそかにできない感覚が、心の奥底で強く響いた。
それにしても、姿勢はどう取ればいいのか、攻撃の間合いはどのくらいなのか。戸惑っていると、ティナがクスっと笑った。
「すみません、口で説明しても難しいですよね。僕がお手本を見せますから、蓮はそれを真似してみてください」
ティナはそう言うと、腰のもう一本の剣を抜き、蓮に見せながら構えを取る。その動きは滑らかで、まるで体の一部のように剣が手に馴染んでいた。
「右手はこのように握ります」
「へぇ、なるほど」
蓮はティナの真似をして、剣を握る。重さを感じながらも、なんとか構えを取った。
「そう、お上手です。次に、左手で柄の下の部分を添えて、体全体でバランスを取るように意識してみてください」
「こんな感じ?」
蓮は言われた通り、左手で支えるように剣を握り直した。剣の持ち方が少しずつ自分のものになっていく感覚がする。
「はい、そうです。それが基本の構えになります。少し待っていてくださいね」
ティナはその場を離れ、木の板でできた人形型の的を用意し始めた。首と頭、そして胸元が赤く塗られており、それを見て、蓮の心臓が少し早く打ち始めた。緊張がさらに高まる。
「では、早速やってみましょうか。まずは胸元に向かって一太刀、斬りかかってみてください」
蓮はティナに言われるまま、剣を的に向けて構えた。震える手をしっかりと握り直し、思い切って振り下ろす────。
「っ……!」
────風を切る音が鳴った。だが、蓮の剣は的の肩をかすっただけだった。
「そんな、胸を狙ったはずなのに!」
ゲームの中での戦いとは違い、実際に剣を振るうのはこうも難しいのだ。心の中で、「どうして上手くいかないんだろう」という焦りが湧いてきた。
「最初はそんなものですよ。少しずつ慣れていってください」
「わかった……」
ティナは優しく言ったが、その言葉の重みが蓮には深く響いた。
「剣を構える時に視線と動きが一致しなければ、その瞬間に命を落とすことになります。自分の直感を信じて、一瞬にして重心と意識を合わせるんです」
ティナはそう言って剣を構える───。
「こんなふうに───っ」
────金属の衝突音が二度響いた。次の瞬間、的の赤い部分が斬り裂かれ、倒れた。ティナはにっこりと笑っていた。蓮はただ口を開けてその光景を見つめるしかできなかった。それはあまりにも一瞬の出来事であり、蓮はその速さにただ驚くばかりだった。
「こう見えて僕、剣は得意なんです。普段は短剣派ですけどね。兎の瞬発力のおかげですかね?」
ティナの頭から生える長い耳が、嬉しそうに揺れた。蓮はその光景を見て、少しだけほっとした。
「俺にも、こんな速さで斬れるようになるのでしょうか」
「できます。蓮ならきっと」
───と突然、ティナの耳がピクリと上に上がる。彼の視線が鋭くなり、表情が引き締まる。
「すみません、どうやら時間のようです」
「え……? 時間って、なんの?」
「今タオから連絡があったのですが、サタンの撃退に参戦することになりました。できれば争いなどしたくはないんですけどね」
ティナは困ったように笑う。
「え、連絡って? いつどうやってしたの?」
蓮の頭に、沢山のクエスチョンマークが浮かんだ。
ティナは一度「うーん」と悩んだ後、思い付いたように一言、
「テレパシーみたいなものです」
と肩をすくめた。蓮はすぐに納得できなかったが、ティナの言葉を聞いて、少し考え込んだ。ここは架空界であり、ティナも架空の存在である。おそらく、魔法か何かを使ってタオとテレパシーを送りあったに違いないと蓮は思った。
「それじゃあ、蓮も訓練頑張ってくださいね。シェリーを惚れさせるためにも」
「なっ……別にそんなこと一言もっ……!」
ティナは蓮に聞く耳をもたず、そそくさと部屋を出ていってしまった。彼の耳がぴんと立っているのが、蓮にはなんだか意地悪に見えた。
「なんなんだよ……もう……」
蓮は口を尖らせながら、再び剣を構えた──直感を、信じて。
目を閉じ、心を落ち着ける。今度こそうまくいくはずだ。自分の力で的を斬り、まっすぐ中心に当てる。その瞬間を想像しながら、蓮はゆっくりと息を吸って吐いた。そして、再び剣を振る──。
ザシュッ!
鋭い音と共に剣が空を切る。しかし、蓮の体は反動に負けてバランスを崩し、そのまま尻もちをついてしまった。
「うわっ……!」
慌てて手をついて体を支えると、剣の刃は的を大きく外れ、床をわずかに削っていた。
「ちょっと……どうなってるんだよ、俺……」
蓮はしばらく動けずに、手のひらで顔を覆った。こんなに簡単にできると思った自分が恥ずかしくて、どうしようもなく情けない気持ちが胸に広がる。
それでも、何かを掴むために、もう一度剣を握り直すのだった。




