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狭間で俺が出会ったのは、妖精だった  作者: 紫羅乃もか
第1章 新たなる世界の始まり
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眠れない夜

 ネイトエールで迎える初めての夜は、とても長く感じた。


 ここ数日間は当たり前のように隣にスミレがいて、気づけば夜が明けていることが多かった。けれど、今日からは違う。スミレと一緒に寝るなど本来ありえないことであり、自分の部屋を与えられた以上、蓮は一人で眠らなくてはならなかった。


 とはいえ元々、人間界にいた時から一人で寝ていたのだが──なぜだか落ち着かず、ソワソワして眠ることができない。


 ああ、なんなんだよ、これ。


 何度も布団に入って目を閉じたが、興奮状態の脳が鎮まることはなかった。壁一枚挟んだ隣にスミレの部屋があるというだけで、心がざわついていた。もちろん、子どもでもない自分が「眠れないから」という理由で彼女の部屋に押し掛けるわけにはいかない。蓮は必死に頭の中の想像を振り払った。


 ──だめだ。今、何時だ?


 カーテンの隙間から見える外の景色はまだ真っ暗だ。こちらの世界に来てからというもの、時計を見ることもなく、時間の感覚が完全に狂っていた。人間界で言えば、深夜二時過ぎといったところだろうか。


 眠くもないのに、酸素が足りないような気がして、小さなあくびをした。


「……ちょっとだけ、歩いてくるか」


 そんな独り言をこぼしながら、蓮は布団を抜け出し、静かに部屋を出た。


 城内の廊下は昼とはまったく違う顔をしていた。光も音もなく、しんと静まり返っている。誰にも会わないつもりだったが、曲がり角の先でひときわ存在感のある背中が見えた。


「……ホクトさん?」


「蓮、眠れなかったか?」


 ホクトは鋭い目つきでこちらを振り返ったが、その声色は柔らかく、どこか心配しているようにも感じられた。その小さな優しさに、蓮の胸がほんの少しだけ温かくなる。


「すみません、まだ慣れないことだらけで緊張していて……」


「そうか。まだネイトエールに来て初日だ。体が強ばるのも、無理はない」


 ホクトはわずかに表情を緩めた。その顔を見て、蓮もようやく肩の力を抜くことができた。


「──あの、聞いてもいいですか」


「ん?」


「架空界には……俺と同じように狭間を通って来た人間が、他にもいたりするんですか?」


 ホクトはしばし黙ったまま空を仰ぎ、ゆっくりと答えを探すように口を開く。


「まだ不確定要素が多くて言えることは少ない。だが──お前みたいな人間が、こうして架空界に来たのは、これが初めてではない」


 蓮はその言葉に、思わず息をのんだ。


 ホクトの赤い瞳が、一瞬だけ遠くを見つめるように揺れる。光の宿らないその瞳の奥には、蓮には知り得ない“過去”が封じられているように見えた。


 それはまるで、何かを深く背負っている人間だけが持つ陰りだった。


「……じゃあ、俺が元の世界に帰れる可能性も……?」


「あるかどうかは、まだ分からん。ただ──」


 ホクトはポケットから小さな金属の方位磁針を取り出し、蓮に差し出した。


「これを持っていろ」


「これは?」


「何かあったときのためだ。それが、お前に最初に求める“協力”だ。簡単なことだろう?」


 ホクトはニヤリと笑った。その笑みにどこか企みめいた雰囲気を感じて、蓮は少し戸惑った。


「……分かりました。これが何を意味するのかは分からないけど、持っておきます」


 蓮は方位磁針を握りしめ、ズボンのポケットにしまった。その小さな金属の冷たい感触が、妙に重く感じられた。


「それでいい。それと、今日聞いたことは他の奴らには話すな。分かったな?」


「はい」と頷こうとしたその時だった。


 ホクトがポケットから一本のタバコを取り出し、火をつけた。


 夜の静寂の中に、カチッというライターの音がやけに大きく響く。


「……どうだ? 一本、付き合え」


 ホクトが差し出してきたその煙草を、蓮は戸惑いながら見つめた。


 未成年であること、吸ったことがないこと。頭の中には“NO”がいくつも浮かぶのに、どうしてか断れなかった。


「……あの、俺まだ高三の未成年で……」


「こっちの世界じゃ関係ない。ほら、受け取れ」


 ホクトは半ば強引にタバコを蓮の手に持たせると、自分のライターで火をつけてくれた。


「吸ってみろ。それが“二つ目”の協力だ」


 タバコを持つ手が震えた。

 初めての体験に、不安と罪悪感、そして少しの興奮が入り混じっていた。優等生ぶっていた自分が、いま不良の真似事をしている気がして、どうしようもなく心臓がうるさかった。


「……っ」


 おそるおそる吸い込む。

 その瞬間、喉から肺にかけて焼けつくような苦しさが走った。


「っゴホッ、ゲホッ、ぐ、苦……!」


「初めはそんなもんだ」


 ホクトの落ち着いた声とは裏腹に、蓮はむせ返りながら涙目になった。


「さ、最悪です……これ」


 蓮はしばらく空咳をして、ようやく呼吸を整えると、うっすら笑った。


「……ホクトさんって、優しいのか怖いのか分かんないですね」


「どっちでもない。ただの厄介者さ」


 ホクトは灰皿にタバコを押し付け、もう一度夜空を仰いだ。


 蓮も同じように空を見上げる。星が瞬いている。

 この世界の星は、どこか懐かしくもあり、知らないもののようにも見えた。


「……架空界に来てから、わけが分からないことだらけだけど──少しだけ、面白いかもしれない」


 ホクトはその言葉に、目を細める。

 静かな夜に、煙と星の匂いだけが残った。

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― 新着の感想 ―
ひょっとして、スミレと寝るときは精霊的な力で安眠効果があったんですかね? 方位磁針が今後にどう関わるのかも楽しみです。 あと、タバコのデビューはそんなもんですよねぇ〜w
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