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狭間で俺が出会ったのは、妖精だった  作者: 紫羅乃もか
第7章 竜の背に託す未来
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揺光の庭

 霧が淡く揺れ、まるで夜がそっと明けているように感じる。

 蓮とスミレは肩を寄せ合い、ラゼーラの静かな花畑を歩いた。


「……なんだか、朝なのか夜なのか、よくわからないな」


 蓮が笑いながら呟くと、スミレも微笑む。


「そうね……でも、こうして歩いていられるだけで、幸せ」


 小さな手が自然と蓮の腕に触れ、二人の距離はすっと縮まる。


 花の香りが風に乗って漂い、柔らかな光が花びらを照らす。

 葉の間から差す光にスミレの髪が揺れ、淡い影を蓮の胸に落とす。

 二人は言葉少なに笑い合い、時折小さな会話を交わしながら歩き続ける。


「ねえ、蓮……ここ、ずっと歩いていられたらいいのに」

「そうだな。時間が止まってくれたら、って思う」


 くすぐるような声に、二人は肩を寄せ、ふっと顔を近づける。

 その距離感は、言葉ではなく、互いの存在を確かめ合う時間だった。


 歩きながら、二人は自然に屋敷へ向かう。

 静かな道を抜けると、霧が少しずつ薄くなり、ラゼーラの屋敷が見えてきた。

 古くて温かみのある建物の前に立つと、蓮はそっとスミレの手を握る。


「戻ったな」

「ええ……みんな、待ってるかしら」


 屋敷の扉を開けると、そこには仲間たちが揃っていた。

 広間に足を踏み入れると、空気が少し変わったことに気づく。

 長い間意識を失っていたリリスが、ようやく瞳を開けているのだ。


「……リリス……?」

 蓮は息をのむ。


 リリスの隣に立つタオは、無言でその姿を見つめ、わずかに目を潤ませている。安堵と戸惑いが入り混じり、彼女を前にしてどう振る舞えばいいのか迷っているようだった。


 リリスはゆっくりと上体を起こし、周囲を見回す。


「……ここは……?」


 声はまだ弱々しいが、確かに彼女自身のものだ。


 タオはひと呼吸おいてから、そっと手を差し伸べる。


「リリス……無事でよかった」


 その声に、リリスは小さく微笑み、タオの手を握った。

 その瞬間、長い間離れていた二人の距離が、少しだけ縮まったように感じられた。


 美穂は自然とリリスの傍に寄り、そっと手を添える。


「目覚めたのね。大丈夫、ゆっくりでいいわ」


 ミネルはその横でじっと立っている。無言だが、その存在感だけで空間に静かな緊張と落ち着きをもたらしていた。


 蓮はスミレの手をぎゅっと握り返す。


「みんな……揃ったな」


 一瞬の静寂のあと、屋敷の中にほんの少しの笑い声や、ささやき声が戻る。

 タオはリリスの傍で小さく微笑み、蓮はスミレと視線を交わす。

 これから先、セラティスへ向かうための覚悟を胸に、彼らはもう一度それぞれの気持ちを確かめるように、互いの存在を感じていた。


 広間に集まった一同は、しばし言葉を交わし合った後、それぞれの思いを胸に散っていった。

 ラゼーラの一日は、霧の色が変わるだけで、夜も昼も曖昧に溶け合っている。

 けれどその不確かさが、かえって彼らにとって「最後の一日」を濃く刻ませた。



「……こんなふうに過ごせるの、もう最後かもしれないわね」


スミレはその蓮を見てそう言うと、優しく微笑んだ。


「だからこそ、覚えておきたい」


 蓮は彼女の横顔を見つめ、そう答える。


 一方、タオはリリスの隣に座り、久しく言葉を交わすことなくただ寄り添っていた。

 沈黙が痛々しいほどに重かったが、やがてリリスが小さく囁いた。


「……タオがいてくれて、よかった」


 その言葉に、タオは堪えきれず視線を逸らし、それでも彼女の手を握りしめた。

 失ったものの大きさと、再び得たものの確かさが、互いの間に複雑な温度をつくり出していた。


 すると、広間の片隅に置かれていた器に、いつの間にか白い湯気が立ち上っていた。

 ラゼーラの霧が溶けて生まれる水が、自然と温もりを帯びたのだ。


 美穂はそれを見て静かに器を手に取り、皆に注いで回る。


「ほら、身体を冷やしちゃだめだよ」


 気遣うように差し出すその姿に、場の空気は少し和らいだ。


「……母さんみたいだな」


 蓮が小声で呟くと、美穂は少しだけ睨んでみせたが、すぐに照れたように笑った。


 ミネルは一人、窓辺に腰かけ、無言で剣を研いでいた。

 その背中には誰も声をかけなかったが、誰もが彼女の存在が場を支えていると知っていた。

 霧に差す光が刃に反射し、一瞬、幻のような光景を広間に散らした。


 ——時間はゆっくりと、けれど確実に進んでいく。

 霧の色が淡い青から深い紫へと変わり、空気が次第に張り詰めていくのを誰もが感じていた。


「星霧の夜は……もうすぐだな」


 蓮が呟くと、全員がわずかに視線を交わし、胸の奥で覚悟を固めた。


 その夜が、彼らを分かつことになると知りながら——。



 静寂を破ったのは、柔らかな鈴の音だった。

 音もなく扉が開き、霧の向こうからイゼナが姿を現す。


「……皆、揃っているようだね」


 白い衣をまとい、光を纏ったような足取りで彼女は広間へ入ってきた。


 蓮が立ち上がり、問いかける。


「イゼナ……星霧の夜まで、まだ少しあるよな?」


 イゼナは微笑み、ゆるやかに首を振った。


「ああ。だけれど、その時を待つだけでは、お前さんたちの心はまだ整わない」


 彼女は一同を見渡し、その視線にはどこか厳しさと優しさが同居していた。


「連れて行きたい場所がある。そこは、このラゼーラの奥……“揺光の庭”。過去の残響が漂う場所だ。旅立つ前に、そこを訪れるべきだと感じる」


 美穂が小さく首を傾げた。


「過去の……残響?」


「形にはならない。ただ、心の奥に沈んだものが、霧に映るだけの場所。

 人はそこで最後に見送り、次へと歩を進める」


 言葉の意味をすぐに理解できた者はいなかった。

 けれど、誰もが胸の奥に「思い残したもの」を抱えていることを知っていた。


 リリスが静かに目を伏せる。タオはそんな彼女の肩に手を置き、無言でうなずいた。

 ミネルは研いでいた剣を鞘に収め、窓の外を一度見つめてから席を立つ。

 美穂はそっと両手を組み、覚悟を決めるように息を整えた。


 蓮はスミレと視線を交わし、微笑み合った。

 その目の奥に、不安と決意とが揺れていた。


「……わかった。案内してくれ」


 イゼナは頷き、ゆるやかに広間の奥へ歩き出す。

 その背を追って一行が足を踏み出すと、屋敷の壁も床も音もなく霧に溶けていく。

 代わりに広がったのは、見渡す限りの白い靄と淡い光に包まれた庭——。


 そこは「揺光の庭」。

 花とも草ともつかぬ光の粒が大地に散らばり、揺れるたびに淡い残響のような映像が浮かんでは消えていった。

 笑い声、涙声、戦いの残響、抱擁の記憶——

 誰のものとも知れぬ過去の影が、霧に揺れながら彼らを迎えた。


 蓮の声が消えるのと同時に、庭の中心に柔らかな光が立ち上がった。

 そこに立っていたのは、イゼナだった。


「——過去はここに置いていきなさい。

 振り返れば霧に呑まれる。

 けれど、前へ進むなら……道は必ず現れる」


 その声は、霧そのものに響くように広がり、一行の胸に刻まれる。


 蓮が言葉を返そうとしたとき、イゼナの輪郭は揺らぎ始めた。

 微笑んでいるようにも、泣いているようにも見える表情を残し、彼女は音もなく霧に溶けていく。


「イゼナ……!」

 スミレが呼びかけたが、その声は虚空に消えた。


 直後、庭全体がざわめくように揺れた。

 空から降る霧が星の光を帯び、ひとつの流れとなって地面を走り出す。


 光の帯はやがて道となり、どこまでも続く細い橋のように伸びていく。

 その先には、見知らぬ空の果て。


「——星霧の夜」

 誰かが呟いた。


 道は、彼らを次なる地へと誘っていた。


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