表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】狭間で俺が出会ったのは、妖精だった  作者: 紫羅乃もか
第6章 機械仕掛けの記憶と罪
105/129

歪み

 ──同時刻

 馬車の内側は、もう一つの世界のように静かだった。

 窓の外では風が音を立てていたが、中には別の空気が漂っている。


 ミネルはまだ本調子ではないらしく、目を閉じて座席に身を預けている。

 美穂が時折様子を見ながら、そっと冷えた額を拭っていた。


「……セラティス、か」


 沈黙を破ったのはローレだった。

 彼は肘を窓枠につきながら、気だるげに外を見ていた。


「まさか伝承の都に向かうことになるなんてな。昔聞いた時は、酔っぱらいの与太話かと思ってた」


「……お前が酔っぱらいじゃなかった日なんてあったのか?」


 ホクトが静かに突っ込む。

 ローレは口元をニッとゆがめる。


「俺だって一応は騎士団員様だったんだぜ? このくらいの皮肉、笑って流してくれよ」


「笑う気力があると思うか?……今回の旅が、どれだけ危ういか」


 ホクトの声音には、僅かに苛立ちがにじんでいた。

 だがその裏にあるのは、焦りと責任だった。


「……歪みが広がってる。空間そのものが不安定になってきてるのは、俺にも分かる。

 もしかすると、セラティスに辿り着けたとしても──帰ってこれないかもしれん」


 その言葉に、美穂が小さく息を呑んだ。


「だったら、なおさら急がなきゃ。ラミアの記憶が鍵になるなら、ミネルを守ることが最優先よ」


 ホクトは、ミネルに視線を落とす。

 彼女の顔色はまだ優れず、寝息は浅い。


「……何か、夢を見ているような顔だな」


「夢、ね」


 ローレがぽつりと呟く。


「この世界自体が、誰かの夢の続きだったら……皮肉だな」


「ローレ、あなたって本当に時々、詩人みたいなこと言うのね」


 美穂があきれたように言うと、ローレは肩をすくめた。


「惚れてもいいぞ?」


「ないわ」


 即答。


 ホクトが喉を鳴らして笑うと、車内の空気が少しだけ和らいだ。


「……とにかく、余計なこと考える前に、まずはラゼーラまで無事にたどり着くことだな」


「ええ、わかっているわ。日が暮れる前に着きたいところね」


 水色の髪の隙間から、美穂の緊張を帯びた横顔がちらりと覗いた。


「おいおい、暗い夜道を馬車で駆け抜けるのが心配か?」


 ローレの軽口に、美穂がピシャリと返す。


「──ふざけないで。あなたにも《《見えている》》でしょう、馬車が進めば進むほど、乱れていく空気と景色が」


 その言葉に、ローレの表情がわずかに引き締まる。

 耳のあたりに生えた黒い羽が、ピクリと反応する。


 警戒するように、彼は窓の外へと視線を向けた。


「おいおい……マジかよ……」


 森の輪郭が、少しずつ滲んでいた。

 風の流れが逆行し、木々の影が妙に遅れてついてくる。遠くで鳥の鳴き声が響いた気がしたが、それが“今”の音かどうか、判別できなかった。


 馬車の車輪が進むたびに、風景の一部が“前にも見たような”感覚を伴って繰り返される。

 まるで記憶の中を走っているかのように。あるいは、過去と現在が重なっているような、奇妙な既視感。


「……時間が、少し戻ってないか?」


 ローレが小さく呟いた。


「それだけじゃない。匂いも、色も……混ざってる。記憶と現実の境目が崩れ始めてる」


 美穂の声は震えてはいなかったが、その目には確かな緊張が宿っていた。


「狭間の歪みが、時間と記憶を侵してきてるってことか」


 ホクトが低く唸るように言った。


「……こっちの馬車だけじゃないわ。あの子たちの方にも、影響は及んでるはずよ。ミネルの状態が、それを物語ってる」


 その言葉に、誰も反論できなかった。

 ミネルはうわごとのように、かすかに言葉を紡いでいる。

 耳を澄ませると、か細い声が届いた。


「……あや…………と……っ……る、な…………」


 誰に向けた言葉なのか、何を意味するのかも分からない。

 けれどその一言に、馬車の空気がさらに冷たくなる。


 馬車の下──蓮たちの乗った馬車の地面が、かすかに“波打った”。


「……!」


 理屈では説明のつかない感覚が、身体を貫いた。


 まるで時間の狭間に引き込まれたような錯覚。


 次の瞬間──


 蓮の視界に、鮮烈な“映像”が浮かび上がる。

 水底の静けさと澄んだ蒼。

 その中に浮かぶ、まるで夢のように美しい都市の姿。


 はっきりしないけれど、確かな存在感が、蓮の本能に訴えかけた。


「蓮……?」


 隣でスミレが、静かに呼びかける。

 蓮はしばらく言葉を紡げず、ただその映像を追った。


「……見えた。これが……セラティスかもしれない」


 確信ではない。だが、確かに“呼ばれている”感覚があった。

 セラティスは、確実に近づいている。

 あるいは、知らず知らずのうちに、自分たちのほうから向かっているのかもしれない。


 蓮が言葉を口にした、その直後だった。


 ギッ──、


 乾いた音とともに、馬車が急に軋んだ。何かが車輪を噛み、止めたかのように、その場で動かなくなる。


「……え?」


 思わず漏れた蓮の声に、タオが立ち上がる。


「おい、どうした!?」


 揺れの止まった車内には、異様なほどの静寂が流れていた。先ほどまで聞こえていた車輪の音も、馬の蹄のリズムも、すべてが唐突に消え失せていた。


 タオが後方の小窓から外を覗く。


「……馬が動かねえ。ってか、何かにビビってる」


「まさか、また“歪み”の影響……?」


 スミレがそう言った瞬間、馬の一頭がヒヒン! と高く嘶いたかと思うと、馬車がほんのわずかに傾いだ。何かに引っ張られたような感覚。けれど、それが“どこへ”なのか、誰にも分からなかった。


「降りてみよう。様子を見る」


 蓮が決意を込めて言い、馬車の扉を開けた。


 乾いた風が一気に吹き込む。


 けれど──


 そこに、もう一台の馬車の姿はなかった。


「……は?」


 タオが呆然としたように立ち尽くす。


 ほんの数分前まで、確かにすぐ後ろを走っていたはずの、ホクトたちの馬車。


 その姿が、どこにもない。


「うそだろ……?」


 スミレが顔をこわばらせ、周囲に視線を走らせる。森の奥に続く道は、さっきまでと何ひとつ変わらない。変わらないはずなのに、“何か”が、確かに失われている。


「ちょっと待って。どういうこと……? 消えた? この数分で……」


 リリスが蒼白な顔で呟く。


 蓮は黙って空を見上げた。


 青空はそのままだ。風の音も、光も、確かに“現実”に存在しているはずだった。


 けれど、それがどこか……“誰かの記憶の中”のようにも思えてならなかった。

更新頻度変更のお知らせ

なろうで毎日更新してきた『狭間で俺が出会ったのは、妖精だった』が、もうすぐ最終章に入ります。


それに伴い、更新頻度を調整いたします。


今後の更新は「毎週日曜18時」

※次回からこのスケジュールです!


最後まで皆様と走り切りたいです。よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ