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狭間で俺が出会ったのは、妖精だった  作者: 紫羅乃もか
序章 妖精に導かれて
1/112

狭間の中で出会ったのは、 前編

 運命はひとつ、静かに崩れた。


 焦げた大地の上、風がない。

 炎の匂いが鼻を刺し、あたりは静寂に包まれている。


「お願い……戻って……」

 かすれた声が震える。

 少女は、焼け焦げた草の間から必死に立ち上がろうとしていた。

 その瞳には、途切れ途切れに涙が溢れている。


 遠くに立つ少年は、背中に異形の影を背負っていた。

 漆黒の翼が闇に溶け込み、彼の姿を覆い隠す。

 その姿は、もう人の形をしていない。


 少女は息を切らし、地面に手をついた。

 それでも前へ進もうとするその手は、彼に届くことを願っていた。


「ねえ……お願いだから……」

 叫びは、風に消される。

 それでも彼女は何度も名前を呼び、叫び続ける。


 だが、少年の瞳は遠くを見ていて、彼女を見つめてはいなかった。

 その目は、何かを拒絶し、痛みと怒りに揺れていた。


 燃え盛る火の粉が舞う中、彼の背後に不気味な黒い影が蠢く。

 少女はそれに気づき、身体を震わせた。


「やめて……お願い、やめて……」

 彼女の声は涙で掠れ、嗚咽混じりに変わっていく。


 異形の影は、その黒い翼を広げ、絶望を撒き散らした。

 だが、少女は怯まなかった。


「私たち、約束したよね……ずっと一緒だって……」

 声は届かないかもしれない。

 でも、彼女は信じている。

 彼の中の何かを、まだ捨てきれていない光を。


 黒い羽根が宙を舞い、世界が歪む。

 何かが壊れ、何かが生まれる音だけが、虚空に響いた。


 少女はそっと、祈るように目を閉じた。

「どうか、もう一度……」


 ――ここで物語は「今」へと戻る。




 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


挿絵(By みてみん)


  その日、「日常」は静かに幕を下ろした──すべては、冬の一月のぬるい風から始まった。

 ドッドッドッ……廊下に響く忙しない足音。続いて、扉が勢いよく開く音がした。


「蓮、仕事行ってくるからね」


 スーツ姿の未彩は息子の蓮の部屋へ入り、明るく声をかけた。


「ん……」


 眠そうに不機嫌そうな返事を返した蓮は、すぐに布団を頭までかぶってしまう。

 未彩は気にすることなく、大きな声で続ける。


「お昼は適当に済ませてね。それじゃ、行ってきます!」


 そう言うと未彩は軽く手を振り、部屋を出て行った。

 外から車のエンジン音が聞こえ、未彩が出勤したことを知らせる。


「ふぁ〜」


 大きな欠伸とともに、蓮はゆっくりと瞼を開けた。

──1月5日。

 カレンダーを破り、日付は5から6へと変わる。

 高校最後の冬休みも残りわずか。あと三日。

 今日の過ごし方をぼんやり考えながら、重い身体を起こす。ベッドから降りてカーテンを引くと、窓からは柔らかな陽光が部屋を包んでいた。

 庭に目をやると、昨晩降った雪は一片も残っていない。

 小さくため息をつき、机の上に置かれたリモコンに手を伸ばした。電源を入れると、テレビからアナウンサーの声が流れ始める。

「今日は洗濯日和です。昨日に比べて暖かくなるでしょう」

 寒そうに身を縮め、蓮は近くのクローゼットを開けて靴下を取り出し、素早く履いた。続けてハンガーから、少し膨らみのある黒のダウンジャケットを取り出し、羽織る。

 テレビを消し、階段を降りると玄関には使い古した靴が一足、静かに置かれていた。


「ふぁぁ」


 二度目の欠伸が響く。

 蓮は靴に足を入れ、扉を開けた。


「行ってきます」


 冷たく小さな風が頬を撫で、近所の犬が吠えた。すぐ近くの公園からは子どもたちの楽しげな声、遠くからは自転車のベルがチリンチリンと鳴る。


「よっ、蓮、おはよ!」


「おっはよーう、蓮!」


 幼なじみの快人が自転車に乗ってやってきた。その後ろには、いつも通りはな美が乗っている。


「はな美、また快人の後ろに乗ってるのかよ。そろそろ自分で漕げよ」


「え〜、じゃあ蓮が乗せてくれる?」


 風に揺れるはな美の髪は一つにまとめられ、陽の光を浴びてツヤツヤと輝いていた。


「いや、それは勘弁だわ。快人、今日もはな美を頼む」


「はっはーん、了解! それじゃあ行こうぜ!」


 快人はキャップを深くかぶり直し、勢いよくペダルを漕ぎ出す。


「おい、ちょっと待てよ!」


 蓮は慌てて屋根下に停めていた自転車にまたがり、ペダルを漕いで快人の後を追った。

 チラチラと後ろを振り返るはな美は、舌を出して蓮を煽ったり、ニコニコと手を振ったりしている。

 通り過ぎる近所のスーパーや公園、本屋には目もくれず、三人はただ一目散にペダルをこいだ。

 途中、いつも見かける猫のクロスケや新聞を読むおじいちゃん、タバコを吸う兄さんとすれ違ったが、蓮は気にも留めなかった。



 二十分ほど走り、町の端に差し掛かる。目的地が近づくのを感じ、風が心地よく頬を撫でる。その風は、まるで彼を歓迎しているかのようだった。

 蓮は少しペダルを緩め、周囲の風景に目を向ける。ゆったりと流れる時間に包まれながら、確実に目的地へ辿り着いた。


「よっしゃー着いたぞ、蓮!」


 快人が自転車を止めると、蓮も隣に停めて大きく息を吸い込み、ゆっくり寝転んだ。目を閉じると、森の静けさがいっそう深く感じられた。


「蓮は本当にこの森が好きだな。お前が教えてくれなかったら、ずっと知らないままだったよ」


 隣で寝転ぶ快人が笑った。

 ここは蓮が数年前に見つけた、名前のない静かな森だった。

 もともと人付き合いが苦手で、一人の時間を大切にしていた蓮は、よくこの森で昼寝をしていた。

 しかし幼馴染の二人に知られるのは一瞬で、今では三人だけの秘密の場所になっていた。


「それにしても本当に綺麗だよね。冬なのに、どうしてここの草花は枯れないんだろう」


 はな美も二人に続き、その場で寝転んだ。草花に覆われた芝生からは心地よい香りが漂い、木々の隙間から差し込む陽の光が三人を暖かく包んでいる。

 風に揺れる葉の音、草が重なり合うカサカサとした音、遠くでせせらぐ川の流れ──。

 なぜだろう、この場所は蓮にとって何より落ち着く場所だった。初めて見つけた日から、ずっと。

 耳を澄ますと、鳥の鳴き声や小動物が木を歩く音──いつもと変わらない森の気配。

 だが、どこか違った。

 森の奥から、耳の奥をくすぐるような、妙なざわめきが聞こえる。

 そして気づくと、どこからともなく響いてくる女性の──歌声──?

 まるで幻聴のように美しいその声に、蓮はじっと耳を傾け、意識を奪われていた。


「ああ、心地いい……まるで──空の上にいるみたいだ」


 小鳥の群れが青空を舞い、こっちにおいでと誘うように広い空を羽ばたく。

 ああ、俺も今すぐそっちへ行きたい──そう思い腕を伸ばした瞬間、群れの中の一羽が急に落ちていく──。


「待って、落ちたらダメだ!」


 蓮は引き戻されるように目を見開いた。鼓動が早まり、冷や汗が額を伝う。


「今、聞こえなかったか?」


「え? 聞こえたって、何が?」


 快人とはな美は首をかしげるが、蓮には確かにその歌声が聞こえていた。透き通り、まるでこの世のものとは思えない美しい声だ。

 今も耳の中で鮮明に響いている。


「あっちからだ! ごめん、快人、はな美。俺、行かなきゃ!」


 心臓の鼓動が何かを告げている。

 その一歩が、すべてを変えることになるとは、まだ知らずに──。

書籍化を目標に魂を込めて頑張ります!

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― 新着の感想 ―
壮大な異世界ファンタジーの幕開けに、とてもわくわくしました! 現実から幻想へと自然に引き込まれる描写が本当に見事です。 蓮とスミレ、そして仲間たちの行く末がとても気になります。 美しくも切ない“守る”…
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