君の真相 ――失君求僕――
目次
1,正の在り処
2,解が居場所
1,正の在り処
冬。放課後の図書室。
数日前から浦川にせがまれてある事件についての調査をしてた。過去の未解決事件。と言っても、ただの探偵ごっこでしかないけど。なによりここに犯人がいるわけでもないんだから。
それでも懲りずに浦川はその事件について深掘りして、それに僕は付き合ってた。
事件の内容はある小さな村で起きた大量殺人。浦川曰く、犯人がわかっていなければ村の人々が全滅したそんな事件らしい。しかも全滅したのはそのとき村にいた人全員。村の誰かが犯人なんてことはありえない。
それに村で火事があったとか。焼け焦げた遺体には刺し傷。当事者がいなければ事件は難題化する。
図書室で見つけ出した当時の記事とにらめっこしてる浦川の表情はやけに真剣。
もともと、こんな昔の事件を深掘りするなんてこと今までになかったのに、なんでいきなり。いつもはテレビで流れたニュースについてとかなのに。
「……なにかわかった?」
「…………」
真剣だ。
浦川の肩に手を置いたらハッとして顔を上げた。
「数日前からそれに付きっきりだよね。その事件、なにか思い入れでもあるの?」
「……いやぁまあね。探偵業を営むとしたら、これくらいの事件はひょいと解決しないと」
警察ですらお手上げな未解決事件を僕ら一般人が解けるようなものじゃないと思うけどね。
浦川に言われるがままに書き上げた僕のメモ。
『紅咲村大量殺人 未解決事件
日付―― 1987年12月7日
現場―― 紅咲村
内容―― 紅咲村で大量殺人。騒動と同時に出火か、焼け残った遺体に刺し傷。
→刺し傷から殺人事件。同時に放火と考える。
・紅咲村は山の中に存在する。柵で囲われている。当日山に入った人影はなし(防犯カメラから)→外部の犯行の可能性は低い。
・遺体の損壊から発見するまで数日経っている。
・警察は何度も調査したが、犯人に行き着くような証拠はなし。心霊スポットの場になりつつある。
◎村の住人リストを調査する→人間関係を詳しく』
一番下の「◎」を浦川が調べてるけど、なかなか情報は出てこない。まあ昔のもので現場がそのまま残ってるっていうことでもない。未解決事件を解決済事件にさせられたのなら表彰されるよきっと。……いや知らないけど。
そもそもなんで浦川はこの未解決事件似興味持ったんだっけな。
確か浦川が最近面白そうな事件ないって言って、過去の事件に面白そうなものがないかって探しだしたんだよな。この時点でもうおかしいけど。事件を面白いって思う時点で。
それであれでもないこれでもないって探してるうちにあの「紅咲村大量殺人未解決事件」が出てきた。でもなんでこれに目をつけたんだろ。未解決事件は有名なのとかあるし、探してる間にもいくらかあった。実際こんなに多くの未解決事件があって、「警察は馬鹿が多い」とかぼやいてたし。
真剣な顔のままの浦川に目を向ける。
「……なんで浦川はそれに目をつけたの?」
「…………」
「浦川」
ちょっと集中しすぎじゃない? またポンと肩を叩く。
「あ、あぁ……どうしたんだい?」
「なんでそれに目をつけたの? 他に浦川が好きそうな事件はあったと思うけど」
「それを探るのが助手というものだろう?」
はいはい。
なんで浦川はそれに目をつけたか、か。これは未解決事件、大量殺人、放火がカギになってる事件。浦川はもっとこう、犯人が異質なものに目が行く傾向があるはず。例えば家族を殺したとかのね。
けどこれはそれとは違う。未解決事件ってところを見たら確かに異質かもしれないけど、他の未解決事件には目もくれてなかった。
この事件のなにが特別なんだ?
そういえば、浦川がピックアップした事件のコピーがあるんだった。これは面白そうな事件だ、コピーを取っておいてくれたまえ、なんて言って。それは浦川の手元にある。声をかけて少し借りた。耳には届いてなかっただろうけど。
ピックアップされてる事件は計三つ。
連続放火未解決事件、放火殺人事件、連続無差別通り魔殺人事件。放火が多い。でも通り魔もあるし、放火だけを絞ってたわけじゃない?
詳細も少しだけ綺麗な字でメモされてる。けど要点が書かれてるだけ。
連続放火未解決事件は、名の通りある町で放火が相次いだ。現場の状況から犯人は同一の人物だってことはわかってるらしい。けど未解決。これは数年前の僕らが生まれたあとくらいの年。
放火殺人事件は、あるビルの一室で、殺人と放火があった。もちろん発見された順番は火事のあと殺人、放火だと発覚、なんだろうけど。犯人は捕まってて、動機は日頃から弱みを握られていた、殺したことの隠蔽として放火した、と。年は……書いてない。浦川にしては珍しい。
連続無差別通り魔殺人事件は、ある町で長期にわたって殺人事件が起きてたらしい。しかもそのどれもが通り魔的犯行で、無差別に。通り魔だっていうのは被害者に毎度火をつけられてたことから同一の犯行だと。それに火をつけられた被害者は死亡した場合が多く、犯人を捕まえるのに時間がかかったと。年は……ずいぶんと昔。浦川が今調査してる事件と同じくらいの年。
世の中にはむごいことをする奴もいるんだな……。
浦川はこの三つをピックアップしてたけど、特にこれといった共通点はない。どれも未解決事件じゃないし、どれも連続殺人じゃない。無差別でもないし。
……けど、どれも火が使われてる。連続放火、放火殺人。通り魔は名前にはないけど、犯行の手口に被害者に火をつけてる。
そして今浦川が調べてるその村の大量殺人事件も。
「…………」
浦川は火が使われた事件を調査してる? でもなんのために?
浦川の横顔を盗み見てもわからない。ほんと、そんな似合わない顔してなにを必死に求めてるんだか。
「火事といえばさ、あったよね昔に。なんだっけな、数年前のさ」
そう僕が呟いても浦川は振り向く素振りは見せない。
「海で起きた火事。海でって言うよりは船かな」
どうせ言っても浦川は聞いてないんだろって思って横を見たら、こっちを凝視してた。
「……なに」
「……知ってるのその……火事」
素の声だ、今まで以上に。
思えば浦川は炎に興味があるのか知らないけど、そんな反応を見せてた。夏祭りのときの放火だってそう。あの時はみとれてたとか言ってたけど、炎を恨むような顔してた。
「……今浦川が調べてる事件は放火のある事件。他の浦川がピックアップしたこの三つも放火だとかが関わってる。なに? 放火でも企んでるわけ?」
「…………」
冗談のつもりで言ったのに、浦川はずっと真剣な表情のまま変えない。
「え、ほんとに企んでるの」
「……船の……客船の火事のことについて、詳しく聞かせて……くれないかい? 興味が……あってさ」
素と演技が混じった声。どっちかにしてくれないかな。
「いいよ。そのことはよく憶えてるから。
確か六年前とかだったかな。ある客船で火事が起きたんだよね。時間は……夕方くらい。火事のせいで客船に穴が空いて、避難しないといけなかったんだよね」
「……詳しいね」
「まあ、その時そこにいたからね」
言葉を言ったあと、浦川の顔がパッと上がって僕を睨んで肩を掴む。その行動に覚えはなくて僕は目を丸くする。
「な、なに?」
「…………」
落ち着いた……? 手はどけられた。けどまだ僕になにか言いたそうなまま。
少しの間浦川が動かないでいるのを心配して見てたら僕に背を向けた。
「やっぱりだった」
そう呟いて図書室を出ていった。なにがやっぱり?
鞄は置いてるから戻ってくるんだろうけど……。浦川にただ付き合ってるから、浦川がいないと暇を潰せないんだけどな……。
浦川が戻ってくるまで浦川が見てた新聞のコピーを見てた。紅咲村の大量殺人事件。やっぱりここでも火のことが書かれてる。なんで浦川はここまで火に関連する事件を調べてるんだろ。
新聞のコピーをぼーっと見てたら図書室の扉の奥が騒がしくなる。室内にいた人もそれが気になってか扉に目を向ける。僕も見てた。
そして扉が開かれる。開かれた先にいたのは、目の色を変えた浦川だった。よく見たら手にキラリと銀色に光るものがある。
「……包丁……?」
それを持った浦川は、誰かに抑えられながらも無理やりに歩き出す。僕と浦川はずっと目が合い続けてる。
そして目の前でキラリと光るものが振り上げられたときに理解する。
「えっ、僕?」
幸いにも振り上げられた包丁は避けられて、浦川がコピーしてた新聞記事に刺さった。
「な、なにしてるの急に」
あまりの異常さに僕も声を荒げる。同時に、浦川の顔には涙が滝みたいに流れてた。
「……浦川……?」
「お前が殺した、ぼくの両親を殺した!」
「は、はぁ?」
なにを言いだすの? なにかに取り憑かれてる? こんな浦川見たことない。
刺さった包丁を抜こうとする腕を掴んで落ち着くよう促す。でも泣き叫んで収まる気配がしない。
「落ち着けって!」
どうしようも歯止めが効かないから、暴れ続ける浦川を押して床に背をつけさせた。痛かったのかハッとして泣き止む。また暴れださないためにも胴に跨った。
「なに? なんで急にこんなことするわけ?」
「…………」
今度は喋らなくなるし……。
にしても、あの包丁どこから持ち出したんだ? 目を向けると柄に『家庭科室4』って書いてた。
こんな騒動があったって先生にバレたら退学処分になるんじゃ……。先生がいないかあたりを見渡してたら、
「……あ」
浦川を抑えようとしてた人間が先生だった。
ひとまず落ち着いた浦川は保健室に連れられて、僕は離れた指導室へ。なんで僕が指導室に……。普通逆じゃない? ……でもあの時見た浦川が通常じゃなかったっていうことは否めないか。確実に精神のどこかをやってた。
先生からはなにがあったのか聞かれて、僕はありのままを答えた。特にやましいことなんてなかったから。浦川が事件のことを調べ出して、それに僕は付き合ってただけ。
それで先生は納得したのか、浦川にも聞くから呼んできてほしいって言われて保健室に向かう。
どうしたんだろ浦川。
保健室の扉を開けたら一つカーテンが閉められてた。そのカーテンの中を覗いたら浦川がベッドに腰掛けてうずくまってた。本当に初めて見る、こんな浦川。
「先生が呼んでる。指導室」
僕が声を出したらカッと僕を睨む。刃物が近くにないかだけ確認した。
「……僕は浦川に殺される筋合いはないと思うけど」
「……お前が両親を殺した」
さっきと同じこと言ってる。僕が浦川の両親を殺した? なに言ってるんだ。浦川の親にすら会ったことないのに。
僕を殺すような目つきのまま横を通って部屋から出ていった。……本当にいつもの浦川じゃない。別人みたいだ。
浦川が帰ってくるのを図書室で待ってた。鞄を置きっぱなしだったから。
でもいくら待っても浦川は帰ってこない。それに室内での視線が痛い……。さ、探してこようかな。
浦川が見てた新聞のコピーを一度見て図書室を出た。
そもそもの話だけど、なんで浦川はあんなになったんだ? ああなる前は客船の火事のことについて話してた。けど浦川を刺激するようなこと言ったかな。 ていうか、ただ話しただけなのになんで急に「両親を殺した」とか言われないといけないんだ。
……思えば最近浦川の様子おかしかった気がする。現にいつもしない過去の事件のことについて調べだしたし。浦川のこと知ってる人に聞き込みしてみようかな。まだ学校にいればいいけど。
「あぁ、浦川だっけ? 来たわよさっき。なんにも言わずにだんまりと包丁持っていって、人殺しそうな目でね」
伊沢は笑いながら言う。殺されかけた人間が目の前にいるんだけどな。
「前にあったときとはちょっと違ったよね。どこか悲しそうな目をしてた」
奥薗は伊沢と違って心配そうに言う。
場所を変えて浦川の教室。ちょうど部活終わりの人が着替えてた。男子だったから構わず入って最近の浦川について聞く。
といっても浦川は教室ではそんなに和を組むようなタイプじゃないから、あんまり情報はなかった。
「浦川って普段なにしてるの」
「えぇ? 勉強じゃね? 授業中も真面目にノート取ってるし。休憩時間もノートになんか書いてるしな」
真面目にノートを取って、休憩時間にもなにか書いてる……?
「浦川の机ってどこ?」
「そこ」
あ、ここ? ちょうど立ってた場所が浦川の席だった。
机の状態は至って普通。机の中も整理整頓されてる。副教科の教科書が多いな。ノートは……あった。一冊だけあった。けど大学ノートじゃない。自由帳みたいな線のないノート。
なにか書いてないか、ノートをペラペラ見てたらあった。
『受験に合格 ◯
同じクラスになる ◯
対象について知る ◯
情報を聞き出す 実行中
真相について話す
殺す』
なにこの最後の『殺す』って。
「なに書いてた?」
セーターから頭を出した話してた男子に中身を見られそうになってパッと閉じる。誰かに見せちゃいけないような気がした。
「と、特になにも書いてなかった。落書きだった」
「へぇ? あいつが」
半年以上は浦川といるけど、浦川が抱えてたものがあった? それを僕は気づけなかった?
思えばずっと、ずっと、会ったときからずっと、浦川は僕と話すとき演技じみた言い草をしてた。いつまでも、ずっと。ときどき素を出すけど、ずっとそうだった。
「…………」
僕は浦川のなにも知らないんだ。
他にページにもなにか書いてるだろうけど、今はこの人たちがいる。少しの間借りよう。浦川を知れるかもしれない。
「他になにか知ってることある?」
「ほかぁ? んー」
「あ、そういえばたまたま近くにいたとき独り言かなんか言ってた。『このままじゃ駄目だ』って。そのあとは聞こえなかったけど」
このままじゃ駄目だ? このまま……って?
教室を出て他になにか情報が得られないか、浦川のこと知ってそうなクラスの担任に聞きに行こうと職員室に向かってたら、
「あ、日向」
後ろから呼ばれて振り返ると、図書室で浦川を抑えてた先生がいた。
「なんですか?」
「浦川ちゃんと呼んだんだよな?」
え? 確かに浦川を呼んだら出ていったけど……?
「いないんですか?」
「どうもなぁ。放送で呼び出そうかと思ってたところ。ちょっと呼び出すわ」
僕の横を通って行ってしまった。浦川いないんだ。どこ行ったんだ?
職員室に着いたら、浦川のクラスの担任を呼んだ。
「最近の浦川について? そうだなぁ。けどいつもと変わらなかったと思うけどなぁ?」
「いつもはどんな感じなんですか」
「いつもは一人が目立って、誰かと群れない優等生って感じ。無口でなに考えてるかさっぱり」
無口でなに考えてるかわかんない、か。
「テストの点数はどうですか?」
「テストはほどほどかなぁ。平均くらい。最近酷く落ちたとかもない」
普段と変わりないか……。
「あぁでも、なにかに焦ってる感じはあったなぁ。ほんの少しだけど。休憩時間にずっとノートにペンを走らせてる。ちょうどその持ってるノートにな」
脇に挟んでた浦川のノートを指差した。やっぱりこれか。これがカギになってきそう。
普段立ち入り禁止の屋上、に入る前の階段に座り込んでノートを見る。ここになにが書かれてるか。ページを開けようとしたとき、目の前が真っ暗になった。
「な、なに!」
そして首筋に細く冷たいものが当たる。それと同時に目の前を暗くしてたブレザーがずり落ちた。名札には「浦川」って書いてる。
「…………」
耳元から呼吸音が聞こえる。口を塞がれて、首筋に当たるのはおそらく包丁。
「……さっきからなにが目的?」
「なにか言い残したことある?」
「…………」
今までの浦川とは違う。絶対におかしい。
なんでこんなのになったんだ。考えろ……。
「こ……このノート見られて、そんなに怖い?」
手に持ってたノートを上げた。それになんの反応も見せない。けど、包丁の刃が首に少し食い込む。
「このノートになに書いてるか、全部見たから」
見てない。一ページしか見てない。けど、
「全部嘘だったんでしょ。僕と関わってきたこと全部。僕はそれにまんまとハマった。なにか違う?」
わからない。全部憶測。でも僕は、探偵の、浦川の助手なんだ。
答えを示すかのように包丁の刃が首元から離れた。僕はさっと浦川から離れて浦川を見る。こういうとき、背を見せちゃ駄目って教えたの浦川なんだから。
いつもは演技をかけたみたいな顔してる。けど今は、誰かを殺しそうな目をしてる。相手は僕だと言うように一秒たりとも逸らさずに。
「……全部見たなら隠す必要もない。ぼくは君を、日向陽一を殺す」
そう腕を振り上げる。
「ま、まま待って待って!」
とっさに盾にした浦川のノート。それが刃を防いでくれた。
「た……探偵がそんなことしていいと思ってるわけ? 浦川っていう犯罪者が一人増えるよ。それに謎を解明せずに終わらせるのが探偵? そんな探偵情けないと思うけどなぁ」
胸の奥でドクドクと鳴らしながらどう行動を起こすか待っていたら、浦川は包丁を抜いた。その弾みにノートも落ちて、浦川が拾い上げる。
「……探偵なんて、ただのままごとにすぎない。日向陽一に近づくために演技をしていた戯言。君はそんなことにも気づかなかった?」
「……全部は残念ながらね。けど浦川が素じゃないのはわかってたし、いきなり過去の事件を調べだしたこともおかしいって思ってたよ。浦川にしてはちょっと古臭い」
「そ。
仕方がない。君のためにも、全てをここで解き明かそうじゃないか。探偵気取りは謎を解かないといけないからね」
浦川は僕に包丁を向けて語りだす。
「単刀直入に言うと、ぼくは君、日向陽一を殺すために君に近づいた。近づいた理由はわかってると思うけど、ぼくの両親を殺したから」
「待って、その両親を殺したってなに? 僕知らない」
「……いまさらやってないってフリをするわけ? 君はぼくの両親を殺した。海に落として」
海……?
「……引っかかるところばかりだけど、とりあえず続きを聞いていい?」
「引っかかるところなんてないと思うけれど。海に落としてぼくの両親を殺した君をずっと探していた。そしてこの高校に進学する情報を手に入れて、ぼくもここへ進学した。残念ながら君と同じクラスにはなれなかったけどね。
同じ高校へ進学できたけど、万が一に両親を殺したのが君じゃない別人だったときのために、君がボロを出すまで待っていた。ずっと。ずっと。けれど君は一向にボロは出さなかった。秋のあの客船の写真を見るまでは。
あの写真は両親とぼくが乗った客船と同じ船型だった。ぼくが撮った写真と見比べてわかった。けれど、もしかしたら同じ客船に乗っただけで、日にちが違ったらいけない。探偵というものに冤罪は許されないんだろう?
だからもう少し確かな情報が得られるのを待っていた。けど君はなかなかボロを出さない。どうやってボロを出させようか、過去の事件を使ってできないかずっと考えていた。けれどどう切り出そうにも不自然になってしまうことがわかって、ずっと切り出せなかった。
そしたらどうだ、わざわざ君の口から言ったんだ。確かな証拠を。同じ船に乗っていた証拠を。殺した奴が目の前にいるのに、殺さないわけがない。探偵を気取っていた身としては感情的になってしまって不甲斐ないけれど、復讐を今果たせると思ったらいてもたってもいられなくて……。
さあどう? これが全部。言い残したこと、もう一度聞いたほうがいい? いや、言い残したところで誰かに伝えることなんてしない。消えろ」
浦川がこっちに飛びかかってくるのが見えた。けど、浦川の手はどこか震えていて、
「ねえ」
動かなくても刺さらなかった。
「さっき浦川は言った。『探偵ごっこにすぎない』って。けどそれって本当かな。僕を殺すために近づく必要があったとしても、探偵ごっこ、つまり探偵を気取らなくてもよかったんじゃない? だから浦川は本当に気取っていた。もしくは、探偵のような存在になる必要があった」
「…………」
「浦川が探偵を気取った理由。それはその浦川が言う客船での事故……浦川は事件って言ってるけど。その事故を解決させたかった。犯人を捕らえて殺したかった。だから探偵になる必要があった。
けれど、浦川はいち高校生にすぎない。高校生探偵なんて物語みたいな主人公じゃない。浦川にはその事故を解決させる力がなかった。浦川は探偵として未熟だった」
「……黙れ」
「そうして犯人探しができなくなった浦川は、確実に関わりのあった僕を犯人と仕立て上げて、復讐を果たそうとした。……なにか違う?」
「君に暴かれる前に殺せたらどれほどよかっただろうね」
そう壁に刺さった包丁を抜いて、
「さすがぼくが選んだ助手だ。けれど一つ当てれていないことがある」
気づいたら浦川の目から涙が流れてる。
浦川の手に持っていた包丁は軽い音を立てて落ち、浦川は崩れる。
「ぼくは……君と日々を過ごしているうちに、君を殺したくなくなった」
「…………」
「初めてぼくに優しくしてくれた君を……殺したくない……」
浦川の目からは次々に大きな雫が頬を伝って、頬を濡らす。
「……それが本音っていうことは声でわかる。けれど、浦川は一つ間違っている」
「……君を殺そうとしたこと」
「ううん、違う。部分的には合ってるけど違う。浦川は犯人を見つけ出せなかったから僕を狙った。そうでしょ? そもそもそこが違うんだ。見つけ出せなかったのなら見つけ出せなかったなりの理由があるはずなんだ。けれど浦川はそれを諦めた。原因を恨むより、要因を恨むのは少しおかしな話だと思わない?」
そんなことわかってると言いたげに、顔を逸らされる。
「そしてそれを解決させるのが探偵じゃない?」
「…………」
「なにより、僕はこれからも浦川を友だちだと、唯一信頼できる友だちだと思っていたいし」
事件をまとめる前に包丁を返しに行こうとするけど、僕が反省文書かされるよって言って止めた。律儀に包丁返しに行くなんて、浦川らしくないのもあった。
床に無造作に置きっぱなしの包丁をよそに、過去のその客船で起きた事件について、僕と浦川の記憶を照らし合わせながら思い起こした。
「起きたのは六年前の冬」
「十二月十五日。夕方頃」
「よく憶えてるね」
「当たり前。むしろ見飽きたくらい」
ノートに書き込む。
「火事が起きた。出火原因はわかってない。場所もわかってない。乗客はそこまで多くはなかった。客船は火が出て穴が空いて沈んだ。もちろんその時に乗客は緊急用ゴムボートに乗り込んだけど浦川の両親は間に合わなかった」
「違う。……間に合っていた。けれど、ぼくがその時迷子になって、ぼくを探しに出ようとしていたんだ。それを君が止めに入っているうちにバランスを崩して母が転落。父も助けに行こうと泳げないくせに自分から落ちて……」
そうだったんだ。でも思えば、そんな記憶があった気がする。なんで今まで忘れてたんだろ。
ノートに当時の経緯を書いたら、顔を上げる。
「まとめるに、これは直接的な殺人ではないね。だから事故」
「……そうだろうね、きっと。ぼくはずっと君を殺人者扱いしてたから、事件だと思ってた。けど話をまとめたら……それは確実に事故だ」
わかりやすく落ち込む浦川。さっきからそうだけど、本当にこれが素の浦川なんだな。泣きもするし、落ち込みもする。初めて浦川が人間に見えた。
「でもさ、事故だとしても、出火した原因によっては殺人未遂とかにはなるんじゃない?」
「……君は客船に放火したとでも言うの? なんのために? 死んだのは両親だけだ。両親に恨みを買った奴がいたって言うの?」
「わからないけど、それを知れたら少しでも浦川の心は癒えない? それとも僕とか、誰かを殺さないと気が済まない?」
「……わからない。けど、もしその出火に関与した人がいるなら、ぼくの両親は死んだって……伝えたい」
「……うん、伝えよ」
浦川の顔を見たらまた涙を流してる。今まで涙なんて一滴も見せなかったくせに。
いくら僕だって、泣いてる人が隣にいるのを見て何とも思わないわけじゃない。僕はそっと浦川の頭を両腕で包んだ。
「もういいよ、日向くん」
そう言われたら浦川から離れる。目を腫らしてる。浦川もやっぱり泣いてしまうんだな。
けど、こう見えて今浦川が教員の前に顔を出したら話を聞きたいとか言って、足止めを食らう。むしろ警察のお世話になるかもしれない。だから僕が浦川の分の鞄も持って戻った。僕もあんまり堂々と出せない身であるのは確かだけど。
「ありがとう」
浦川が鞄を持ったら「さて」と思わず口から出る。
「これからどうする? 出火の原因を探すとしてももう六年前。その船は沈没して引き揚げられてたとしても証拠なんて僕らが見れるわけない」
「……どうするもないとぼくは思っていたけど。図書館で当時の新聞記事とか、警察署でそのことも取り扱ってるに決まってる」
浦川の声にいつもの張りがない。相当なんだろうな、今回のことは。今までの犯人探しだとか、放火犯とか、サバイバルだとか、そんなのんきなものじゃない。
「そうだね。なら早速行こ。職員室の前は通れないから、回っていこ」
先生の目はもちろん、他の生徒の目にも触れないように、それこそ殺人を犯したみたいにコソコソしながら校門を出た。
ここの近くに図書館はない。電車を使う必要が出てくる。
「駅ってどっち?」
「駅はあっち。駅使ったことないの」
「……まあね。嫌な話、遠くに行くときはずっと親の車で移動だったからね」
もう、ずっと徒歩か自転車しか使わなくなったけど。駅の使い方がわからないから、遠くに行くときはタクシーを使ってたし。
駅に着いたらまず切符を買うことはわかってたけど、切符の買い方がわからない……。どうするんだろこれ。
幸い、後ろに人は待たせてない。
「買えた?」
隣で切符を買い終わった浦川が覗きに来る。
「買えてない」
「買い方わかんないんだね」
「買ったことないんだもん」
「これだから金持ちのボンボンは」
そう言っていろいろタッチして切符とお釣りが出てくる。
それを改札に通して浦川の隣を歩いた。浦川は電車とか使い慣れてるんだ。
「そういえばさっき『金持ちのボンボン』って言ってたけど、あれってなに? ずっと前から気になってたけど」
「実際そうだろう?」
「正確には『そうだった』だけどね」
少し待ったら電車が来た。こういうとき浦川は「今君を後ろから押したらどうなるだろうね」って言うことを想像したくらいに、僕は浦川のことを知ってる。
けど実際浦川は言わなかった。浦川はもう演技をしていない。これが本当の浦川なんだ。
「僕ずっと待ってたんだから」
「……なにを? 電車を?」
「さあね」
そう、ずっと。浦川が素のまま接してくれることを。
浦川を置いて先に電車に乗り込んだ。
図書館に着いたら早速当時の記事を探す。
と言ってもないものを永遠と探すなんて効率の悪いことはしない。受付にいるスタッフに新聞を置いているか、はたまた当時の新聞があるか聞く。
「すみません」
「はい、どうされましたか?」
「ここって新聞は置いてますか?」
「はい、ございます。どの新聞をお探しですか?」
「えっと、六年前の」
「冬に起きた客船の火事」
浦川が横から口を挟む。
「……っと、その記事が載ってる新聞はありますか?」
「少々お待ちください」
スタッフは、横にあったパソコンに向き直って、カタカタとキーボードを押す。
「あるかな」
「なければ他の図書館を調べるまで。君がそう……真相を明らかにするように仕向けたんだ。いまさら引き下がるなんてことしない。できない」
「……そうだね」
スタッフがこっちに向き直ったら顔を合わせる。
「お探しのものが見つかりました。合計で四件ございます。どの記事をお持ちしましょうか?」
「……全部っていいですか」
少し時間がかかると、座って待ってろと言われて素直に座って待つ。
「なにか手がかりになるようなものがあればいいけど。なかったら次、どこの図書館に行く? 近くにあるの?」
「次行くとしたら目星はついている。ここからだと……少し北に行く必要があったかな。ここでは見れない景色を見れる場所にある」
「お待たせしました」
新聞を受け取ったら席を移動して広げる。
「ねえ、手がかりは君が探してくれない? ……どうにも、当時のことを思いだして吐き気がする。要点くらいは書くから」
「……うん。任せてよ」
一枚目 十二月十六日 朝刊
・火事が起きた
・船は沈没
二枚目 十二月十六日 朝刊
・火事によって沈没
・死亡者 二人
三枚目 十二月十六日 夕刊
・乗客 約六百人、怪我 三二人
・火事
・廃船になった
浦川が書いた、綺麗な字。今のところ、ろくな手がかりは得られてない。
「これが最後の一枚」
あんまり期待を乗せずに新聞を手に取って広げて、さほど大きくない枠組みにある見出し「客船 火事か」を見つける。
二〇一五年十二月十五日夕方頃、乗客数五八三人の中型客船で出火、出火場所から水が浸入し沈没した。警察によると、この出火で負傷者が三二人、二人が死亡したという。
浦川がノートに僕が言った情報を書き込んでいく。
『四枚目 十二月二十日 夕刊
・乗客数 五八三人
・負傷者 三二人
・死亡者 二人』
これだけ発行された日付が遅かったから、なにか有益な情報を得られると思ったんだけど、期待しないほうがよかったな。
それにどの記事も他殺だとかは書かれてなかった。だから浦川の両親は誰かに恨みを買われて殺されたわけじゃない。
なにか情報を求めていたけれど、なにも得られなかった。けど、同時に確信できた情報がある。
「無差別殺人だとかではないのなら、火は誰かの意図によってつけられたものじゃない。つまりなにかが作用して、誰も知らないところで勝手についた。僕はそう思うんだ」
「…………」
どうしたら浦川の元気を取り戻せるかな。今からでも包丁を僕の胸に刺したら笑顔になるかな。
「……当時の記事だけじゃ情報不足だ。ぼくに一つ考えがある。けれど、君はきっと嫌がる」
「え?」
浦川が提案するくらいにはいい考えなんだろうけど、僕が嫌がる?
「言ってみてよ」
「どんな事件でも事故でも、当事者がいたほうが有益な証言になる」
「そうだね。でもそんな当事者、僕ら以外に頼りになる知人なんていないと思うけど」
「……そう考えるほどには君は嫌がる」
べつに嫌がってそう言ったわけじゃないんだけどね。
「ずいぶんと回りくどくない? 早く言ってよ」
「……君の両親」
「…………」
僕の、両親……?
「君の両親は、まぎれもない当事者だ。しかもぼくらみたいに役に立たない子供じゃなくて、当時も大人。それ以上の手がかりは得られないと思う」
つまり、僕の両親、父さんの居場所はわからないから、母親に当時のことについて聞く必要があるって、いうこと……?
「……む、無理だよ。僕の口なんて聞きやしない。顔も合わせてくれないよ」
「わかってる。秋に君の母親を目にした時、君の反応を見てわかりきっている。だから……この件には手を引こうと思う」
「え、なんで?」
「この件に犯人なんていない。今調べているのが、なぜ火がついたのか。それを調べてる。しかも誰かが故意に火をつけたわけじゃない。探しても時間の無駄」
「でも」
「君も傷つかないし、僕もそれでいい」
傷つく……。僕が?
――金がないならさっさと飢え死にでもすれば――
――ほんとさっさと家から出ていってくれないかなぁ――
――まずい飯なんて作ってないでさっさと出ていって? 目障りなんだけど――
――……はっ、自業自得じゃないの――
「いまさら……傷つく場所なんてもうないよ」
図書館の前の植木に浦川は座り込んでる。僕は心臓が落ち着かなくて立ってる。
震える手でスマホを握る。画面に映るのは通話アプリ。『母さん』宛。
「……日向くん、無理はしなくていいんだよ」
「無理なんか……してないよ」
覗き込んでくる浦川の顔を合わせないように逸らす。
僕は向き合わないと、浦川が報われない。浦川は僕を殺そうと高校の場所選びまで犠牲にして、あの事故に決着をつけたいんだ。
ふぅ……と息を吐いて、通話ボタンを押す。
胸の中で大きく鼓動を打つ音が聞こえる。もし電話に出たなら、数カ月ぶりに声を交わす。
「…………」
……出ない。
「…………」
まだ……。
「…………」
「日向くん」
いきなり呼ばれてスマホを落とした。びっくりした……。
スマホを拾い上げて浦川を見る。
「ずっと体が震えている。もういいよ。君の体の負担が大きい」
「でっ、でも僕は」
『なんの用』
「あっ……」
スマホ画面を見ると時間が表示されて、五、六、と増えていく。
「日向くん」
そう呼ぶ浦川から逃げるように離れて、口を開けた。
「そ……その、六年前に……船乗ったの……憶えてる……?」
『船? クルーズのこと? それがなに? 暇じゃないんだけど。あの人のこと思いだすし』
「ごめん。……そのクルーズで出火したのは憶えてる?」
『あぁ、あったねそんなこと。それがなに?』
「……ぼ、僕の友だちがそれについて調べてて……当時の状況とか憶えてたりしないかな……って」
返事が来ない。……怖い。
「日向くん」
肩を叩かれてハッとする。
「そこまでしなくていいよ」
まだ言ってる。僕は大丈夫なのに。反論しようと口を開けたら、
『やっぱり男ってろくに育たない。そんなの調べたがるなんて。それに付き合ってる陽一も同じよ』
耳に当ててたスマホからそんな声が聞こえる。
「なっ……」
浦川がろくに育ってない? 両親の仇を討とうとしてる浦川が。それくらい家族を大切にしてる浦川が……? そんなことない。ちっともそんなことない。
「……僕を悪く言うならいくらでも言ったらいいよ。でも浦川のこと悪く言うなら許さない。……浦川はお前なんかよりも家族を大切に思ってるんだ。自分の子供を放置するようなお前よりも」
『……そんな言い方して、教育費払わなくていいんだね』
「汚れた札束なんか要らない。払いたくなかったら払わなければいいじゃん。嫌いなんでしょ僕のこと。さっさと追い出せばいい。
けど……浦川のために、教えて……ください。なにか知ってる情報があれば」
目元に手が伸びてきてなぞる。浦川にそうされるまで泣いてることに気づかなかった。気づいたら泣き叫びたくなった。でも、痛む喉に力を入れて、
「……お願いします」
胃が痛くなってきた。ううん、もとから痛かった。電話をかける前からずっと。けど痛みが酷くなってきてしゃがんで抱え込む。
少しの静寂があったあと、
『……テーブルの上に出しとく』
そのあと通話が切れた。
耳元から離したスマホを、傷つくこともお構いなしに地面に投げつける。
地面に手を付いたら、シミのできた地面が見える。そのシミはいくらでも増える。
怒り、苦しみ、痛み、それがごちゃ混ぜになったよくわからない感情で涙を流して、それは止まらない。気持ち悪くて気づいたら吐いていた。
それでも浦川は傍を離れなかった。
母親が家を出るのは夜になってから。七時くらい。けど、汚れた服のまま外で暇を潰すわけもなくて、浦川が服を買ってきてくれた。
その服にトイレで着替えて、汚れた服は買ってきた袋の中に。
「……ごめん」
ポツリと口から出た。
「なにに謝られてるのか理解できないよ」
目が腫れてうまく目を開けられない。
公園のベンチで風にさらされながら浦川が言う。買ってきてくれたココアには口を付けず、まだ痛む胸を無視し続ける。
「君がそうなることを見越していたからぼくは止めたかったんだ」
「なんで……なんで僕がこうなるってわかったの。こんなに親と仲が悪いって思ったこともなかったでしょ」
「そこはね。けど君が君の親と言葉を交わすことで君の心が傷つくことくらいわかった。それは君が言った『傷つく場所なんてもうない』っていう言葉よりもはるか上回るほどってことも」
手のひらが熱い。けどそんなことも忘れるくらいの力を入れる。
「わがまま……かな」
「なにが?」
「傷を癒してほしいって、言うのは」
また涙を流しそうになる。それを袖で拭う。
「傷が癒えるのならいくらでもするよ」
そう言って背中に手を回される。
「陽一くんは、よく頑張った」
浦川が頭を胸に引き寄せるから、どこも力を入れずに、ただ胸の中に入った。それは今まで感じた以上に温かくて、ずっとそこにいたかった。
人の鼓動ってこんなにも落ち着くんだ……。
サイレンの音が聞こえて目を開ける。と、空は真っ暗だった。
体を起こすと足元の寒さに気づく。と同時に、
「……う、浦川」
上着を着ずにぐったりしてる浦川がいた。上着は僕に掛けてたらしい。それをすぐに肩に掛けて、僕の上着も掛ける。
僕の声に目を開けた浦川は、小さくココアって言いながら僕が飲んでいなかったココアを指差すから、それを浦川に渡した。
いくら温かかったココアも時間が経てば冷えてくる。手に持ったときに冷えてたのはわかったけど、それに気づいたのは渡したときだった。
けど浦川は冷たいこともお構いなしに喉仏を上下させるのを繰り返す。
一気に飲み干したら、息を切らしてはっはっと白い息を口から出す。
「だ、大丈夫……?」
「……な、なんともないよ。大丈夫」
安心させるためにか口を笑わせる。全く平気そうな顔はしてないのに。
「寒かったよね、ごめん。上着掛けなくてもよかったのに」
「今日は特に風が吹いていたからね。ここで寝る君が心配で心配で」
浦川の手に触れて、その冷たさを知る。
少しでも温かくなるようにと、浦川に腕を回した。
「いきなり抱くなんてね。ぼくたちってそんな関係だったっけ?」
「知らないよそんなの。とにかく今は体温めないと」
浦川の体は酷く震えてる。漏らす息で苦しみを抱えてるのもわかる。
「いつまで演技し続けたら気が済むわけ?」
「してるつもりはないけれど?」
「顔見ればわかるよ」
いくら浦川に腕を回しても僕の体温も取られるだけ。らちが明かない。
浦川にちょっと待っててって声をかけたあと、自販機の前まで行った。財布から五百円を取り出して温かいお茶を二つ、追加でもう一つ買う。これくらいあったら……。
買ってきたお茶を浦川の肩に掛かる上着の内側に放り込んで、残り二つを首元と太腿に挟ませる。これで壊死だとかは防げると思う……。
「歩けるくらいになったら家行こ。僕の家近いから」
母親が家から出てるか怪しい時間だけど、浦川の体を優先しなきゃ。
もう少し体を温めてからでいいかなって思ってたけど、雪が降ってきた。雪なんて降られたらもっと冷え込む。
おぼつかない足でいる浦川を半ば引きずりながら家に向かった。
信号が赤になって、焦る気持ちだけが残る。そんな心情を置いて、浦川がのんきそうな口ぶりで声を出した。
「……陽一くんはそんな格好で寒くないの」
「寒いよ。寒いけど、浦川が動けなくなるよりはマシ。……どうせ大事にされない体なんだから」
「そんなこ」
「ほら、信号変わった。行くよ」
浦川がなにか言いかけてたの、遮っちゃったな。
見飽きたマンションのロビーに入れた。ロビーは外と違って暖かくて、ふっと一息つける。
けど暖房が効ききってるわけじゃないから、早く家に上がらせて布団を包ませたほうがいい。
暗証番号を見られてることも気にせずに番号を押して、入ったらエレベーターに浦川を引きずる。
「もう少し丁寧に扱ってくれないかな、さすがのぼくもつまずきそうになる」
「ならさっさと動いてよね」
エレベーターはロビーよりも寒い。むしろ冬なのに風が出てる。換気とかなのかもしれないけど、いまさらここのマンションを作った人は馬鹿なのかと、いや馬鹿だと断定したくなる。
「君のために言うけど、もう十分に温まってるからね。君が僕を振り回すから」
「振り回してないよ。家に向かっただけ」
けど確認のために手を触ったらさっきよりは温かくなってた。けどまだ僕の手のほうが温かくて、浦川の手が冷たく感じる。
エレベーターの扉が開いたら僕の部屋の前まで手を引いて、鞄から鍵を探して出す。鍵穴に鍵を入れようとしたとき、
「…………」
扉の奥から物音が聞こえる。そういえば、母親がいるかもしれないんだった。いやきっといるんだ、この奥に。
ずっと静かだった心臓がうるさく鳴り始める。
冬なのに手に汗が滲んでくる。
この奥に……。
いつもは朝起きても母親は寝室で寝てるから顔を合わせることないし、学校が終わっても夜まで暇を潰してるし、母親が帰ってこない日だってあって、浦川を上がらせたりしてた。
休日でも母親がいなかったり、いるなら僕が外に出たりして、ずっと顔を合わせなかった。
でも浦川の体を温めるとしたら、確実に顔を合わせることになる。
目の前が吐く息で白くなる。
「…………」
でも、どうだっていいか。
いまさら顔を合わせて態度を変えてくれるわけじゃない。僕の心配をしてくれるわけじゃない。もうきっと、ただの他人としか思ってない。
鍵穴に鍵を挿し込んだ。
僕にはもっと大切な人がいる。
「さあ浦川入って」
扉を開けて浦川の肩を押す。けど、浦川は進もうとしない。寒さに耐えかねたかな。そんなことを思った。
けど違う。浦川は扉に目を向けて動かない。釣られて僕も見る。と、
「か……さん」
見下すような目つきで僕を見てた。
反射的に浦川を背にして、数歩後ろに下がった。
寝室にいればよかったのに、なんでこんなタイミング悪く出くわすかな……。
急に体が冷え込んできて、寒くなる。冷や汗をかいたかな。そんなのもどうでもいい。
「……無断で人上げようとするとか、どんな神経してるわけ?」
「……い、今は体温め……ないと」
震えてる手で服を力強く握る。と、そこに浦川の手が覆いかぶせてきた。けどやっぱりまだ冷たい。
母親が浦川に一度目を向けてから、視線を戻す。
「後ろのが言ってた『浦川』さん?」
それに答えようとしたのか、耳元で息を吸う音が聞こえたから、なにも言わなくていいよ、そう言いたかった。けど先に越された。
「これはこれは、陽一くんのお母様ですか! お目にかかれて光栄です!」
演技……?
「こんなにも素晴らしい陽一くんを産んでくれて、本当に感謝しています!」
「……初対面だけど、なんのつもり?」
「なにかともございません、感謝を述べたかったのです!」
「はっ、そんな人間いくらでもくれてやるわよ。だからここに入ろうとしないでくれない?」
やっぱり僕を……自分の子供なんて思ってないんだろうな。手が緩んで、するっと浦川の手から抜け落ちる。
「陽一くん……」
母親に届かない声量でそう聞こえる。
もういいよ浦川。他で体温めよ。そんな場所思いつかないから。
頭で何度も繰り返してる言葉。でも言えない。
「……ぼくの……ボクの両親はいません! ……数年前に死にました。けれど、陽一くんの親はいる。あなたです。陽一くんの母親はあなたなんです。あなたは両親がいない悲しみを感じたことはありますか。ふとしたとき、その異常さに胸が苦しくなります。
今も陽一くんの親はいる。けれど放置されて、陽一くんはあなたを親だと思ってないです」
そう言う浦川の言葉にドキッとする。思わず顔を上げるけど、相変わらず表情は変わってない。
「あなたが陽一くんを自分の子供だと思ってないのと同じで、陽一くんもあなたを親だと思ってない」
「……勝手に思えばいいじゃない。あんたには関係ない」
「陽一くんはぼくよりも悲しく、苦しい思いをしている。親はいるのに、いない。そんな状態。あなたは想像したことありますか。ぼくみたいに、きっぱりいないと断言できない。そんな苦しさを陽一くんは抱えてるんです。
陽一くんから聞きました。別居するとき、なぜあなたが引き取ったのですか。それは、陽一くんを大切に思ってるからじゃないですか」
母親が僕のこと大切にしてる? そんなわけない。浦川はなに言ってるんだ。ていうか、別居してるって、なんで知ってるの? 教えてないのに。
浦川の言葉に母親の声が聞こえない。
本当に大切に思って――
「あんな家事もできないくそ男のところに行けば陽一はもっとくそになるでしょう? それを仕方なく止めてあげただけ。それがなにか?」
仕方なく……か。やっぱり僕を自分の子供だと思ってない。
「……そう言いますけどお母様、その言葉、裏を返せば陽一くんを大切に思ってると、解釈できかねますが? 家事のできないお父様にではなくお母様のところへ。あなたの言う『くそ』にならせないために自分のもとへ。
その言葉をもってどう、大切じゃないと言うんです?」
母親の言葉はない。
僕は少しの期待を乗せて、顔を上げた。
上げると目が合う。それがなんとなく、柔らかく見えた。
「さっきから顔色悪いから話が入ってこない」
母親の口からそんな言葉が出てくる。誰に言ってるんだ? でもここには僕と母親、浦川しかいない。
ハッと首をひねって浦川の顔を見た。そこには青白くなった顔があった。
「浦川……! だ、大丈夫、じゃないよね。これ着て」
さっと脱いだ上着を押し付けて、肩に掛けて、フードで頭を隠す。
「前が見えないよぉう」
「いいからっ」
どこからそんなのんきな言葉が出るの?
できることをしたら、後ろに誰がいたか思いだす。なんとなく振り向いた。けど姿はなかった。扉は閉じてる。けど母親の姿はどこにもない。
顔からフードを取った浦川が「嫌われちゃったかな」なんてまたのんきなこと言う。
でも、
「浦川、ありがと。……少しだけ強くなれた気がする」
「そう? ならとても心強い」
短い言葉を交わしたあと、扉が開いた。どうしようもなく母親の顔があった。けど、次に瞬きをしたら、前が見えなくなった。頭からなにかが覆いかぶさってる。
それを手に持って前を見えるようにしたらまた母親の姿がなくなってた。けど今度はコツッコツッて音が廊下に響く。
「それあとで返してよね」
声のしたほうに目を向けると母親がいた。
僕の手にはマフラーがあった。
思わずもう一度母親に目を向けたら、もう姿はなかった。
「……正解かな」
「なにが?」
「なんでも」
手に持ってたマフラーを浦川に奪われて、丁寧に首に巻かれた。
「そっちのほうがお似合いだ」
部屋に上がって暖房をつけたら、ひとまず安心する。布団に包ませて白湯も出す。
「上着だけで十分さ。そこまでしなくても」
「十分なわけない。青い顔してなに言ってんの」
いつもよりも高めに設定した暖房は十分すぎるくらい暖かい。
「白湯もう一杯いる?」
「大丈夫だから」
浦川の肩に置いてた手を覆い被さられた。本当に大丈夫ならいいんだけど……。
そういえば母親が机の上に客船の情報かなにか置いておくって言ってた。もう置かれてるのかな……。
浦川に声をかけてリビングに見に行った。
あんまり期待はしてない。新聞の記事であれだけしか載ってなかったんだ。
机の上って言ったら食卓テーブルかローテーブルしかない。そして食卓テーブの上に、無造作に置かれてる透明なファイルがあった。
そのファイルの一番上には客船のパンフレットが挟まれてあった。ほんとに置いてくれてたんだ……。
「…………」
他に置かれてるものがないか確認したあと、それを持って部屋に戻った。
いつかに浦川に部屋に上がらせたことがあったけど、その時は写真立ての写真をメモしてた。思えばあれも今回のことを調べるためだったんだろうな。
でも今日はそんなことせず、静かに布団に包まってた。まだ顔色は悪い。
「浦川、ほんとに大丈夫? ずっと顔色悪い」
「大丈夫だとも。それに、ぼくの顔はもとから悪いんだから」
確かに幼稚さがある顔だけど……って顔色の話してたんだけど。
「白湯もう一杯いる? カイロとか……あと」
「だーいじょーぶ。陽一くんは心配性だねぇ」
心配する顔色だから言ってるのに。
浦川の横に座って、持ってきたファイルを見せる。
「これ。母親が置いててくれたやつ。なにか手がかりがあればいいんだけどね」
「期待するよりも先に中身を確認しよう」
と言っても浦川は布団から腕を出す様子がないから、僕がファイルの中身を取り出して太腿に置く。
入ってたのはパンフレット、客船の案内図、それと、
「乗客名簿?」
「こんなの普通持ってるもの?」
「さあ。一つ考えられるなら君の両親がその客船を営業するなにかの関係者だった、とかかな」
そんなの聞いたことないけどな。
けどきっと有益な情報になるはず。詳しく見てみよう。まずパンフレットから。
「まあ普通のパンフレットだね」
「うん」
客船の料理、部屋、景色……。
「『朝方には朝日が東側に、夕方頃には夕日が西側のお客室や展望デッキでお楽しみいただけます』……どう思う? このパンフレットになにか手がかりあると思う?」
「ないと思う」
だよね。このパンフレットならネットで調べれば出てくると思うし。
「案内図見よ」
避難経路を含めた客船の案内図。実際これ通りに避難したとかは憶えてないし、どうでもいいんだけど……。
「確か、僕の部屋はこのあたりだったかな」
二階フロアの一号室を指差す。
「ぼくは一階の三号室」
「……ここに書き込めたらいいよね。コピーしてくるよ」
ファイルを浦川が被る布団に立てかけて、紙を持って部屋を出た。
印刷機があるのは、前は父親の部屋だった場所。今は物置と化かしてる部屋。特に母親の服とか鞄とかが多い。
そんな服とか鞄を汚れたものに触れるような感覚で、嫌な思いしながら避けて印刷機を見つける。
インクはあるけど、コンセントにはつながってないみたいだから引っ張り出して部屋まで持ち出した。部屋のローテーブルに置いてコンセントにつなげる。
「印刷機なんてあるんだね」
「まあね。父親がいなくなってからはほとんど使われなくなったけど」
印刷機に紙をセットしたらコピーを開始して、少し待つ。
「浦川」
コピーに時間なんてかからない。それでも口を開けた。
「なに?」
「浦川って、両親が亡くなったあと、一人で暮らしてるの」
「……急になんの話をしだすかと思ったら。心配でもしてくれてる?」
「それもあるけど……どうしてるのかなって」
「……ぼくはべつに一人では暮らしていない。祖父母と暮らしている。まあ、暮らしていると言ってもここから場所が遠いから、ときどきごはんを食べに行くくらいなんだけどね」
「じゃあそれ以外は」
「そうだね、一人寂しくコンビニ弁当を食べているよ。今となってはもう慣れたものさ」
一人で……。
そっか、と返事をして印刷機から出た一枚の紙を手に持つ。
僕が考えたことは、浦川は嫌がるかな。
「…………」
いいや、今はそれを考えてる場合じゃないか。
赤色のペンも持って浦川の隣に座った。
「えぇっと、二階の一号室と、一階の三号室」
それぞれ丸とわかりやすいように「日」と「浦」って書く。
「上の名前なんだ」
「下がよかった?」
「せっかくだからね」
布団の中から腕を一本出した浦川は、僕が持ってたペンを握って書いた丸と名前を上から「✕」って書いたあと、横に「陽」と「拓」って書く。
そういえば浦川の下の名前って「拓海」って名前だったっけ。
「なに、下の名前で呼んでほしいってこと?」
「そうは言ってないけれど……君が使いたいのなら使ってもいいよ」
使ってほしそうな言い草。回りくどいんだから。
「た、拓海……でいいんだよね」
いつも「浦川」って呼んでたからちょっと……。
「……さ、いつまでも茶番を続けていたら、いつまで経っても解明しない」
少し勇気がいったのに、素っ気なさそうにされちゃった。もう下の名前なんかで呼んでやらないんだから。
それにしてもいつも以上に冷たかった気がする。
「そうだね。出火はどこで起きたんだろ」
「出火は一階の……ぼくの部屋から遠い場所。何号室かは憶えてない。一階なのは確か」
一階か……。場所がわからなければ調査が詰まりそうだなぁ。
記憶が昔なのもあって、思いだすのは難しい。当時のなにかがあればいいんだけど、そんなものないもんな。
「当時のことがわかるなにかとかないよね」
「さあ。例えば?」
「……例えばー」
例えばなにがあるかな。当時の……あぁ、そっか。夏祭りのときと同じだ。
「その当時のものが記録されてるものとか」
「当時の記録……? そんなもの……あっ」
え?
浦川に腕を引かれて着いた一件の家。
その頃にはもう暗くなってた。
「ここは?」
「まあ入ってよ」
少し古めの一軒家。表札には「浦川」。浦川の家……?
当たり前のように一軒家の扉を開けて入っていった。けど僕がなかなか入らないからか扉から顔を覗かせた。そして手招く。
恐る恐る浦川に言われるがまま家に入った。古民家独特のニオイがする。なんだか落ち着く。
靴を脱いで上がるとキシっと床が軋む。本当に古いんだな。
浦川は床が軋むことも構わず廊下を進む。声が聞こえる……。
「なに言われても黙ってていいからね」
進んだ廊下の奥にあった扉を開ける前にそんなことを言われる。黙ってていい?
扉を開けると、
「あら拓海ちゃんおかえり」
「ただいま」
返事はするけど、僕の腕を掴んで奥に進む。
浦川のお母さん……は亡くなってるらしいから祖母?
「その子はお友だち? はじめまして」
「は、はじめまして」
黙ってていいって言ってたけど、挨拶はしていいよね。
「ごはん食べていくよね? お腹空いてる?」
「ありがとうね」
聞かれたのに答えは言わずに階段を上っていく。
「答えなくていいの」
「それよりももっと重要なことがあるからね」
階段を上ったらまた廊下を進んでどこかの部屋に入った。電気をつけて、部屋の全体が見えるようになる。
「適当に座って」
そう言われるけど素直に座る人なんているのかな。ここがどこなのかもわからないのに。
まあ、なんとなくの見当はついてる。
この古民家は浦川の祖父母の家。両親が死んでからはときどきごはんを食べてるって言ってた。そしてこの部屋は浦川の部屋。昔は誰かの部屋だったのかな。浦川が使わなさそうな女性もののモノがときどき見える。
古民家なだけあって、僕の部屋とは全然違う。床が畳だし、壁は質素な壁紙、部屋の扉はふすま。
「趣のある部屋だね」
「ボロいって言っていいんだよ。ていうか座ってよ」
だからそう言われて素直に座る人はいない。同じく二回も言われて座らない人もいない。畳にあぐらをかいた。
座らすことを促した当の本人はさっきからずっとガサゴソと押し入れに頭を突っ込んでなにかを探してる。
「悲しくなるから、あんまり見たくはないんだけどね、調査を進めるためには見なくちゃ。……あった」
顔を上げた浦川は一つのCDを持ってた。なんでCD?
そして帰るよ、と。
「え? もう帰るの?」
「これを取りに来ただけだからね」
「なら僕待っててもよかったじゃん」
「探偵と助手はともに行動するほうがいいだろ?」
知らないけど……。
浦川は本当に帰るみたいで、そそくさと荷物を持って部屋を出ていった。僕もあとを追う。
けれど、階段を下りるにつれ聞こえてくる、浦川の祖父母たちの声が。
そして、顔を出したときには、
「ちょうどよかった拓海ちゃん、もうすぐでごはんできるの。帰る前に食べていかなぁい?」
「うん、今日はね。外でたくさんおやつ食べてきたから。また今度食べに来るよ」
「それは残念ねぇ」
おやつなんて一つも食べてないけど。
僕の家に戻ってきたら、パソコンはあるかと聞かれる。
「ノートパソコンでいいなら」
「うーん。見せてもらってもいいかな」
ノートパソコンは父親がまだいたときにお下がりでもらったもの。でも機械を操作するのは難しくて、調べものをするとき以外使わない。
引っ張り出してきたパソコンに暗証番号を入力して開く。
ところでなんでノートパソコン?
「CDを読み込めるかな……。あ、よかった。あった」
手慣れた様子で浦川はパソコンからなにか出して、持ってたCDを中に入れた。ノートパソコンにCDなんて入るんだ……。すごい。
そして持ち主である僕よりも慣れた手つきで操作して、一つの動画が画面に映しだされた。まだ再生はされてない。
「これは?」
「さっきのCDを読み込んだもの。……これに手がかりがなければまた一からなんだけどね」
そう言って再生ボタンを押した。
画面には二人の人間が映ってる。若い女性と子供。子供は浦川の幼少期かな。それで女性は浦川の母親。
背景にはどこかの室内にいる。僕の記憶が正しければ、それは僕が乗った客船の内装と同じ。
『これで……撮れてるかな?』
画面の外で低い声がした。父親だと考えるのが妥当。
画面の中の浦川は今じゃ見せもしないような笑顔でいる。
「…………」
気になってチラッと浦川を盗み見たら、目に涙を溜めて、今にでも泣き出しそうな顔してた。
僕はそっと、浦川の手を手のひらで包んだ。
『なにしてるの?』
画面の浦川が近くに来て画面が暗くなる。近すぎる。
『記念に撮っておこうと思ってね。ほらそこじゃ拓海が近すぎて見えないよ。カメラはここ』
画面が明るくなった。そして浦川の瞳がじっと僕らを見つめる。
まだ初めだし場所も変わりそうにない。どこか移動するまで早送りしない? って聞きそうになった。でもまだ手のひらで覆ってる手は震えて、それが止みそうになかったから、言わなくてよかった。
しばらく動画を見てた。二十分くらい。
今じゃ見せない小さい頃の浦川が見れてよかった。声とかもかわいらしげがあって。声変わりした今でもまだ小学生だって偽れそうな声はしてるけど。
けど肝心な手がかりは得られなかった。動画は室内だけの撮影で終わってた。室外に移動することがなかったら、動画内で『ここ以外も紹介しよう』とか言いながら続きはなかった。
まあ、浦川には意味のある動画だったんだろうけど。
今もひっくひっく音を鳴らして泣いてる。僕はただ浦川の背中を撫でるしかなかった。
僕に両親を亡くした気持ちなんてわからないから。あの母親が、ほとんど憶えてない父親が死んだって言われても、きっとなにも思わない。
でもそれを両親よりも大切な人、例えば……浦川とかなら、きっと泣くかな。
大切……。浦川を大切に思えてるなら、少しくらいいいよね。
「なにもできなくてごめん」
背中を撫でてた手を肩に回して、浦川の頭を胸に入れた。
浦川の気持ちを理解することはできないけど、僕に全く関係がないわけじゃない。それに今浦川に手を差し伸べられるのは僕しかいないんだ。僕がしないで誰がいるんだ。
「生きて、両親の分まで幸せになろ」
胸の中で動くものがあった。
浦川が落ち着いたあと、CDを大切そうにケースに入れて鞄にしまった。そしてさっきまで泣いていたことが嘘みたいに、
「さて、これからどうする?」
けど、声は確かに鼻声で、さっきまで泣いてたことを証明してる。
「結局これといった手がかりなかったもんね」
「こんなのじゃ日を跨ぎそうだ」
その言葉に部屋の掛け時計を見た。時間は十時前。もうこんなに時間経ってたんだ。
まああのCDを取りに行くのに時間もかかってたし、あの家でごはん食べていくの勧められたし、この時間は妥当か。
「家には帰らないの? 明日も学校あるし」
「それさっきの動画を見て言う? 家に帰ってもぼく一人だけだから、それなら君の家にいたほうがいい。運良く君の母親は夜にいなくなるみたいだしね」
「まあ、確かに一人でいるよりは浦川といたほうがいいか。ごはんいる? 作るよ」
「……ううん。ぼくはいい。調査を進めたいし、最近喉を通らなくてね。君だけで食べて」
喉を通らないって、この客船のことで焦りとか不安とか、あったんだろうな。浦川のためにも早く解決しなきゃ。
「なら少しだけ休憩もらうね。コンビニで買ってくるけど、もし気が変わって欲しいものがあったら言ってくれたら買うから」
「それはどうも」
ブレザーから分厚いジャンパーに替えて財布の入った鞄を持つ。
「じゃあ行ってくる。あ、浦川も休憩してね。ベッド使うなら使ってもいいし」
浦川が手を振る姿を見て、部屋の扉を閉めた。
コンビニから帰ってきたあと、リビングに座ってる浦川がいた。
結局家を出たあと浦川からデザートが欲しいって、夜ごはんも食べてないのに言ってきて、
「ケーキ? 奮発してくれたんだね」
「コンビニだけどね。それでよかった? なにか夜ごはん要らなかった?」
「うん、これで十分。ありがとう」
ケーキを前にする浦川の前で、僕はペペロンチーノを出す。コンビニで温めてもらったから蒸気口から湯気が出てる。
「……ほんとに他になにも要らなかった?」
つい見た目の違いで聞いちゃう。
「うん、これでよかった。君は相変わらず心配性だねぇ」
ただ少食ってだけならいいんだけど。あいにく浦川とクラスが違うから昼になに食べてるとかもわかんない。
手を合わせていただきはじめる。
調査のことで夢中になってたけど、浦川は今日僕の家に泊まるのかな。母親がいないからべつにいいんだけど。
「浦川はさ、なんで祖父母の家で一緒に暮らそうって思わなかったの?」
「……当時のぼくはこう考えたんだ。ぼくが祖父母の家に行けば、この家はどうなるの? ってね。両親の大切なものがあるのを知っていたから余計に。
けど、ぼくがあの家を出たくないと言えば少しの間だけ祖母が家に来てくれてたりしたから、過去の心配はしなくていいよ」
「……ならよかった」
でも思えば僕も、浦川みたいな立場になったらそう選択する……かも。両親を大切に思ってたら。
おいしくいただいて容器を片付けたあと、このあとについて浦川に聞く。
「それで浦川は今日ここに泊まるの?」
「……君がよければ、そうしたいな。今から夜道を歩くのは物騒だし」
物騒だとか思ってもないだろうけど。
「そうだね。なら着替えも用意しとくから風呂入ってきなよ」
「浴室まで使わせてもらって、着替えまで用意してくれるんだね。おもてなしが過ぎると思うけれど、ぜひとも使わせてもらおうかな」
言い方がずいぶんと回りくどい。
僕も風呂に入り終わって部屋でくつろいでた。風呂上がりはどうしてものんびりしちゃう。髪も乾かさずに。浦川は相変わらず調査を進めたさそうに資料とにらめっこしてるけど。
「あっ……そういえば、名簿あるの忘れてたね」
「名簿?」
「うん。ファイルの中に入ってた名簿」
動画を観たあと、いちからに戻ったって思ったけど、まだ中見てないんだった。名簿だから、大した手がかりになるとは思ってないけど。
「けど、ふわぁ……それは明日見よ。眠たくなってきた」
時間ももう十二時過ぎてるみたいだし。
浦川の返事は聞こえなかったけど、部屋を出て髪を乾かしにいった。
洗面所から顔を出して、あくびをしながら部屋に入る。相変わらず浦川は資料に、名簿と睨み合ってる。
「まだしてたんだ。はわぁ……ごめんほんとに眠たくて」
「いいよ。眠たいのに寝ないのは健康に悪いからね」
「浦川は僕のベッド使ってよ。僕はソファーで寝てるからなにかあったら起こして。おやすみ」
浦川の寝る場所も伝えられたし、寝に行こう。
いつもはもう少し起きられるんだけど、今日はいつも以上に歩いたし、目の前で包丁を振り回され――
「…………」
包丁……。
嫌なこと思いだすなぁ。もう傷が塞がってる腹を触る。
あのときあの人は、どんな気持ちで僕を刺したんだろ。
「…………」
――自業自得じゃないの――
あの人にとって僕は大切じゃないんだろうな。
浦川みたいに泣けなくても文句言わないでよね。
さっきまで眠たかったはずなのに目は冴えてきて、なんとなく怖くなる。布団に包まって、しがみついて、それでも怖い。母親は仕事なはずなのに。
そもそも母親に怖がってるのかな。夜に母親がいないことはいつもと変わらない。浦川を家に上げてること? 調査が順調に進まないんじゃないかってこと?
それとも、ずっとこのままでいいって思ってしまいそうなこと?
「…………」
だって、今調べてることに決着がつけば、浦川は僕を必要としない。実際、浦川は僕に復讐するために近づいただけ。だからどんな形でも決着がついたら浦川にとって僕は不必要な道具になる。
初めての友だちを、僕は失いたくないって思ってるのかな。家では母親と顔を合わせようとしないし、学校でも浦川以外に話す相手もいない。
浦川にとって僕が不必要になってしまうことが怖い……のかな。
「…………」
あぁ、もう寝れない。すぐに寝れてたらこんなこと考えずに済んだのに。
そもそも僕はこの調査で役に立ててる? ただ浦川に連れ回されてるだけじゃないの? なんの役に立ててた?
本当は復讐するためだけだったから、調査をするにあたっては僕は要らないんじゃ……。
「いや」
ぱっと体が起き上がって、頭を左右に振る。
今考えてももう遅いんだ。もうここまで来たんだから最後まで浦川の傍にいる。浦川がどう思ってるとかどうでもいい。僕は浦川の傍にいたいんだ。
眠れないなか暗いリビングで目を瞑ってもいいことがないことを覚えた僕は、立ち上がって部屋の扉を開けた。まだ電気がついてれば、まだ浦川は起きてた。なにかメモしてる。
「寝ないの?」
時間を見たら一時半。さすがにもう遅い。
「…………」
「浦川?」
集中しすぎて聞こえてなかったみたい。驚いて顔を上げてた。
「ごめん。脅かしたよね。まだ寝ないの?」
「君こそ。ぼくはいつももう少し遅い時間まで起きているから眠気がこれっぽっちもないんだ。ぼくに気にせずに寝たらいい」
「……あいにく僕も目が冴えてきてね」
浦川の隣に移動して座った。いや浦川の隣に行きたかったんじゃない。ベッドにもたれたかった。目は冴えてても少しの眠気がある。
「もたれたら眠くなる……」
一つあくびをする。
「寝落ちてたらごめんね」
「謝られる理由はわからないけれど?」
そして無事に寝落ちてた。
次に目を開けたら、床が横に見える。頭に当たるのは柔らかくて、けど少し固い。
顔を動かすと、
「……起きたみたいだね」
浦川の顔が見える。ならこの頭の下にあるのは浦川の脚?
体を起こす。電気はついてないけど、カーテンが開けられてて太陽が部屋を照らして明るい。体に布団をかけててくれたみたいで寒くもない。
「ごめん、寝落ちてた。浦川もちゃんと寝た?」
「もちろん」
その言葉が嘘に思えてくるくらい、浦川の目は眠たそう。寝てないんだろうな。今も手元に資料が握られてるし。
「朝ごはん作ってくる。時間かかるからその間に少しでも寝なよ?」
「ぼくは寝たよ」
それが嘘なことくらいわかってる。
なに作ろうかな。いつもは食パンを焼いてバターを塗って食べてるけど、人を招いてるのにそれは質素だよね。
米はあるけど炊飯するのにも時間かかるから、食パンを使うのには変わりないけど……そうだ。
部屋に戻って少しだけ顔を出す。
「浦川ってなにか食べれないものってある?」
「りんごが駄目かな。それ以外はなんとも」
「りんご駄目なんだ。おいしいのに残念だね」
「りんごはおいしいから好きなんだけれどね。ほんと残念。……もしかして朝食に出してくれようとしていた?」
「そういうわけじゃないんだけどね」
卵が使えるならサンドイッチを作ろう。朝ごはんにもピッタリ。
キッチンに立ったら食パンの耳を切って、蒸し器に入れる。その間にレタスを洗って食パンの大きさになるように千切る。
ツナ缶も確かあったはず。マヨネーズと一緒に挟めばおいしくなるかな。
卵を溶いてスクランブル状に焼いておく。
蒸した食パンを皿に移して、オリーブオイルを塗り込んで、レタスとマヨネーズを混ぜたツナを乗せて……なにか足りない。見栄えが悪い。
なにかなかったかなぁ。冷蔵庫を開けて見ると、
「あ、これにしよ」
母親が酒のつまみにしてるハムがあった。薄切りでサンドイッチにもちょうどいい。
ツナの上にハムを置いて、火が通ったスクランブルエッグを乗せて、もう片方の食パンで挟んで……。
最後に三角に切ったら、
「よし、完成」
見た目もいいし、味もきっといいはず。即興にしてはいい出来なんじゃない?
……父さんが見たらどう言うかな。
「…………」
父さんのところに行きたかった。
部屋まで行って浦川を呼びに行った。けど扉を開けると、僕が寝てた場所に寝転んで目を瞑ってた。寝てる?
けどすぐに目を開けて、
「日向くん……少しの仮眠だから。朝食できた?」
眠たいなら寝てればいいのに。
「まあね。食べたら一緒に昼寝しよ」
「まだ朝なのに? それに学校もある」
浦川を食卓まで案内したら椅子を勧める。けど先に顔を洗いに行った。そういえば僕も洗ってない。ごはん食べたら洗お。
戻ってきた浦川は食卓の上を見て感嘆の声をもらす。
「すごいね。こんなの見たことがない。すごくおいしそう」
「それはどうも。味見してないからわかんないんだけど、まずかったらごめんね」
「ぼくの推理ではこのサンドイッチはおいしい」
「ははっ、なにそれ。推理する前に食べよ。いただきます」
「……いただきます!」
浦川の口に合うかドキドキしながら僕も一口食べる。
オリーブオイルの味が効いてておいしい。ハムは薄かったかな。味が薄いけど、ほんのり味はする。卵はもう少し甘くしたらよかった。牛乳入れただけじゃ足りなかった。ツナとマヨネーズはやっぱり相性がいい。
即興の割にはおいしくできて思わず口が緩んでおいしく食べてたけどハッとする。僕の口にはあったかもしれないけど、浦川の口には……?
恐る恐る視線を上げると、
「……よかった」
すごくおいしそうに食べてくれてた。安堵と同時に笑みがこぼれる。
「日向くん、なにか言った?」
「ううん。なんでもない」
母親に食べさせたときとは全然違う表情を見せてくれた。こっちのほうが嬉しい。
食べ終わったら学校に行く準備をしていく。結局浦川は帰らなかったけど、教科書とか大丈夫なのかな。そのことを聞けば、
「置き勉っていう言葉知らない?」
「知ってるとも」
僕もしてる。
準備が終わっていつも通りのんびりしていようと思ってたら、浦川はもう荷物を持って出ていこうとする。まだ早いと思うんだけど。
「今から出ても門開いてないんじゃない?」
「……あ、そっか。ここ日向くんの家だったね。すっかり忘れていた」
てことは浦川の家は僕の家より遠い場所にあるってこと。この時間から出るって相当遠いんじゃない?
浦川もソファーに座ってニュースを見てる。浦川が探偵を気取ってたときなら面白そうとか言って調べそうなニュースも、今はもう無言で見てる。
騒がしくなくなったのはいいけど、少し寂しいな。
いつもはいない浦川が横にいることで少しソワソワする。隣で「トイレ空いてるよ」とかも言われた。
「出るまでまだ時間あるしさ、少し寝ない? 授業中寝ることになるよ?」
「君はぼくが居眠り常習犯だってこと知らないんだね。クラスじゃ有名だよ」
どうなんだか。
やっぱり無理か。ほんとに休んでほしいのにな。
何度休まないかと確認してもやっぱり休んでくれない。いっそ倒れでもしてくれたらいいのに。それなら強制的に休んでもらえる。
まあ、倒れるなんてそうそうないと思うし、倒れられたら困るし。
「あ、そうだ。名簿、見てなかったんだった。浦川はもう見た?」
「見たとも。けどこれと言った手がかりは得られなかった」
「取ってくるよ」
部屋に入ってローテーブルに無造作に置かれてる乗客名簿を手に取って初めの行を見る。けどここで一人で見るより浦川と一緒に見たほうがいいか。
持って一階に戻った。ソファーに座って浦川の隣で見ようと思って座ったけど、
「あれ」
浦川がいない。もしかして先に学校に行った? でも鞄はあるし違う。なら?
考えてるとトイレのほうからジャーっと水が流れる音が聞こえる。なんだトイレか。
トイレから出てきた浦川と目があったら、勝手に使ってごめんって意味わからないこと言われたから、べつに謝らなくていいし勝手に使ってくれたらいいからって返した。
今度こそ浦川の隣で乗客名簿を見る。
といっても乗客名簿には予約番号と名前がフルネームあるだけで、特にこれといった情報があるとは思えない。そう思ってもきちんと最初から最後まで予約番号とフルネームを見る。
途中僕や浦川の名前を見つけながら、流し見ていると、一つ気になる名前があった。けど浦川に聞いても知らないと。有名な人じゃないみたい。
誰だろうこの『葵花香』って人。なんで気になったんだろ。
「日向くんはどうしてその名前が気になったの?」
「僕もわからない。でも、なんとなく引っかかって」
引っかかったといっても、なにか根拠があるわけじゃないんだけど。
名簿でなにか情報が得られなければ『葵花香』っていう名前に心当たりも見つからなかった。検索にかけても引っかからない。ほんとに有名な人じゃないんだろうな。
なんで『葵花香』って名前が気になったのかわからないまま、気づいたら学校に行く時間になってた。そのことを知らない浦川にそろそろ行こって声をかける。
名簿はもともと入ってたファイルに入れた。
学校に着いてからは浦川とは別れる。クラスが違うから。けどなにかわかったことがあれば連絡してって別れ際に言った。でもここは学校だから、そう都合良くなにか手がかりを得られるとは思わないけど。
一限目の始まりを知らせるチャイムが鳴った。けど先生はまだ来てない。教科はなんだっけな。
黒板を見て確認する。えぇっと、数一か。朝から眠たくなる教科。寝なければいいけど。
机の中から教科書を探す。木曜日に使ったから下にはないと思うんだけど……。誰か隠した?
そんなありもしないことを考えてると、教室内が騒がしくなる。なんだろ急に。
「いや呼びに行くなよ」
「でも呼びに行かないと授業始まらな」
「べつにいいだろって」
あぁ、先生が来ないから呼びに行こうとしてるクラスの総務委員と、それを止めるガヤって感じか。案外真面目な人がそうやって呼びに行こうとして嫌われたりするんだよな。可哀想なことに。
総務委員が教室を出ようとしたら扉の傍にいた男子が止めに入る。うわ、女子の体触った。セクハラ。セクシュアルハラスメント。セクハラ。
「きゃっ、やめて」
「クラスの言うこと聞けよ、お前だけだから授業受けたいの」
まあ確かに僕も受けなくていいなら受けたくはないけど、だからって体に触れてまで止めなくていいと思うけどな。普通にセクハラだし。
「大人しく座ってろって葵」
え、今「葵」って言った? 「葵」ってもしかして総務委員のこと? そんな名前だっけ?
いやでも同じ苗字なだけってのはあると思うし。名簿だと「葵花香」って名前だったけど、あの人の下の名前ってなんだったっけ……。クラスとか興味ないから覚えてないんだよなぁ。えぇっと……。
「花香行ってきてよ」
あぁそうそう「花香」! ……花香……?
あの名簿にあった名前。僕が気になった名前。そっか、クラスで聞いたことある名前だったから、あの名前に聞き覚えがあって気になったんだ。
じゃああの人、もしかして過去にあの火事の起きた客船に乗ってたってこと……? 喋ったことはないけど、なにか知ってることがないか聞く価値はあるかな。
話すきっかけでも作れたらいいけど……。だっていきなり過去の客船について聞きたいことがあってって切り出してもおかしいし……なにか……。
「もう触らないで!」
あ、今これがあるじゃん。
気づいたらさっと立ち上がって葵の腕を掴んでる男子の腕を掴んで引いた。
「触らないでって言ってるじゃん。そんな五文字も聞き取れなかった? このセクハラ」
「せ、せく……」
わかったのか葵の腕を離して、葵は教室を出ていった。
僕もスッキリしたし、葵と話すきっかけも作れた。よし……。
口を緩ませながら席に座って待つ。葵の腕を掴んでた男子がこっちを見てる気がするけど、しーらない。
職員室に呼びに行った葵は先生を連れて帰ってきた。どこか誇らしげでいい顔してる。いいことできたなら、ね。だから僕もたぶんいい顔してる。
「起立」
そうして授業が始まった。
授業はきちんと聞いてた。いや聞こうとしてた。けど葵にどう話を持ちかけようかと頭の中でシミレーションばっかりしてて集中できなかった。
タイミングはこの授業が終わってから、さりげなーく大丈夫だった? って声をかける。それで、なにか当時の記憶がありそうなら、そうだな、浦川も一緒にいてほしいから放課後学校で待っててもらうように言おう。
念願の休み時間になる。葵は……っと、いない。トイレにでも行ったかな。
わざわざ遠くのトイレに行ったわけじゃないと思うから、近くの女子トイレの前で待ち伏せててもいいけど、さすがに駄目、か。不審者すぎる。
教室で葵が帰ってくるのを座って待ってた。
五分経った。遅いな。便秘なのかな。
もうしばらく待ってると、
「あっ」
帰ってきた。これで話ができる。
席に座った葵にそっと近づいて声をかける。
「朝は災難だったね、葵」
「…………」
やっぱり不自然だった……? いやほぼ初対面に呼び捨てが駄目だった? ど、どうしよ……。
「えっと……」
「あぁ、朝助けてくれたの日向くんだったんだ」
……なにそれ普通に傷つく。確かに腕が離されたらすぐに教室出てたけど……。
「実はね。腕大丈夫? 痛まない?」
「うん。大丈夫だけど、急にどうしたの? なにかしてほしいことがあるの?」
ここで素直に言っていい……のかな。
「あれひなたんじゃん」
ひなたん……?
葵の友だちかな。女子が近くに来た。
「あ、知ってる? はなっちってひなたんのことがすきな」
「ちょ、ちょっと、なに言ってるの! そんなわけないでしょ!」
お友だちさんの口は閉ざされるけど、それでも笑ってる。
べつにそういう事実は求めてなかったんだけど。明らかに困った顔してるのを自覚して口角を上げる。
「話、戻ってもいいかな」
「あ、う、うん。ごめんね遮って」
「してほしいことってわけでもないんだけどさ、六年前に客船、乗ったことない?」
聞いたあと、明らかに表情が変わった。やっぱり知ってるんだ。葵も火事が起きた客船に乗ってた当事者。
「その顔は記憶も残ってるみたいだね。わけあって、今その客船のことで情報が欲しくて、放課後学校に残って話を聞きたいんだ。場所は静かな場所がいいから、校舎裏……いや視聴覚室って確か空き教室だよね。場所は視聴覚室。僕の友だちもいるけどいい?」
「……う、うん。いいよ」
話を持ち出してから明らかに表情が変わった。あの客船で亡くなったのは確か浦川の両親の二人だけのはずだけど、なんでそんな暗い表情するの?
「あーあ、ひなたんが葵に手出すんだー。好きだってわかったから手出すんだー」
手出すってなに? 暴力振るわれると思われてる?
「手は出さないけど?」
「結衣いいから、やめて」
表情を変えずに言う。なにを記憶してるんだろ。明らかになにか手がかりを得られるのはこの表情で証明がついてる。
そうして放課後が始まるチャイムが鳴り終わった。
「…………」
なんだかドキドキしてる。どんな情報を得られるかな。そもそも得られたらいいんだけど。
浦川を呼んで視聴覚室に行こう。
教室を出て、浦川のいるC組の前に行く。浦川いるかな。いや連絡入れたからいると思うんだけど。
教室の中をキョロキョロ見てたら室内にいた男子と目が合って近づいてくる。……うわ、明らかなイケメン。
「どうしたの?」
「あー……っと、浦川いないかなって」
「浦川くん? 教室にはいないね。でも終礼にはいたし、鞄もあるからすぐ戻ってくるんじゃない?」
「そっか。なら帰ってきたら視聴覚室に来てって言っておいて」
一応連絡は入れたけど既読がついてなかったから。
「わかった」
「ありがとう」
葵待たせちゃ悪いし、先に行ってよ。
鞄を持って職員室で鍵を貰って視聴覚室に向かう。おじいちゃん先生が貸し出してくれてよかった。なんで視聴覚室を使うかって問われなかった。
視聴覚室の鍵が今僕の手にあるってことは葵はまだ入ってない。寒い廊下で待たせてたら申し訳ないな。
少し早足で歩いてたら着いた。けど葵はいなかった。待たせてなかったならよかった。
早速鍵を開けて電気をつける。教室と違って暖房はついてなくて寒い。これは防寒具着けたまま話すことになるかな。勝手に暖房つけていいかわかんないし。
視聴覚室はもう使われなくなって、体育の授業で着替えるときとかにたまに使うくらい。だから椅子もべつの教室に移されて座る場所って言ったら長い机くらい。まだ座らないけど。
葵に聞くことを思い起こして待ってると、扉が開いた。浦川かなって思ったけど顔を覗かせたのは葵だった。
「……お待たせ」
「来てくれてありがとう。でもまだ友だちが来てなくて、もう少しだけ待ってもらってもいい?」
「うん」
律儀に扉を閉めてくれて僕の前に立つ。けどこう仲良く話す仲でもない僕らが向かい合って仁王立ちするのはなんというか、すごく気まずい。僕は少し体を逸らした。
静かな部屋に布がこすれる音が聞こえる。葵が腕をさすってるんだ。
「……寒いよね。暖房つけるね」
いいかわかんないけど、誰も見てないし、僕も寒かったんだし。
浦川早く来ないかな。メッセージの既読、まだついてないし。……大丈夫かな。今日確か寝てないんだったよね。
トイレじゃなくて保健室で横になってたりするかな。でも終礼のときはいたって言ってたし……。
一応保健室見てこようかな。少し見てくるって葵に声かけようと向き直った、そのときぱっと扉が開いて誰か入ってきたと思ったら葵がユイって呼んでた人で、葵を押した。
「うわっ!」
そしてもちろん葵の前にいた僕は押れて葵の下敷きにされる。
どういう状況なのか把握できたときから、胸に当たるその柔らかいものがなにかわかって、とっさに起き上がろうとしたとき、唇になにかべつの柔らかいものが当たる。
それがわかってだんっと床に頭を引っ付けた。い、いいい今、き、キスした……? 暖房がついてるせいか急に体が熱くなってくる。
混乱する僕の目の前にはどうしようもなく葵がいる。影でわかりにくいけど、すごく恥ずかしそうな顔してる。
「ほ、ほんとにごめん! そんなつもりは全然なくって、だからその……ほんとごめん!」
葵は恥ずかしそうな顔のまま動かない。……いや、どいてくれない? こんなところ誰かに見られたら――
「いた、さっき浦川くん探し……」
あ……。
扉の開く音がしたあと、さっきC組で浦川に伝言を伝えたイケメンな男子がいた。
「……お取り込み中……だったね。ごめん」
さっと扉が閉まった。
「…………」
「…………」
いや待って駄目帰らないで誤解されたままになる!
葵の肩を押して起き上がって、扉を開けた。イケメンな男子は……いた。
「さっきはごめんねお取り込み中に」
「いや全然お取り込み中じゃなかったしあれはただぶつかったっていうかなんていうか事故で!」
「そっか」
信じてないでしょ……。
一つ咳払いして気持ちを切り替える。
「……それで? なんでここに来たの」
浦川に伝言を伝えるように言ったはずなんだけど。
「あぁ、さっき教室の近くのトイレで浦川くん見つけたから伝えておこうって思って。やけに白い顔してた気がするけど、浦川くんってもともと白いからたぶん見間違い」
白い顔……? 昨日の風にさらされて青白くなって凍える浦川が脳裏に映った。大丈夫かな……。今日も寒いからもしかしたらそれで……。ちょっと見てこようかな。
イケメンな男子に案内してもらうように言おうとしたとき、
「日向くん、お待たせ」
「浦川……大丈夫なの」
浦川が来た。あの時みたいな青白い顔はしてないけど、なんとなく白い……?
「浦川くん。体調は戻った?」
「まあね。伝言もしてくれてありがとう」
体調、やっぱり悪くなってたんだ。
「浦川、話が終わったらすぐ帰るからね」
イケメンな男子には戻ってもらって、浦川には教室に入ってもらう。
「あったかい。暖房なんてつけちゃって、居座る気満々じゃない」
「今だけだよ。すぐほんと帰るから」
浦川の体調が心配。
浦川も来たことだし早く話に入ろうって思って中を見たら、ユイって呼ばれてた人がいた。そういえばさっき葵のこと押して……。ってなんで葵のこと押したの。
聞けばラッキースケベを体験させてあげたとか意味わからないこと言うから部屋から追い出した。
「日向くん、ラッキースケベって? 詳しく聞か」
「いいから、話するよ」
浦川に話したら絶対からかわれる。
目を閉じて一つ息を吐いた。早くて確実な情報を。
「葵、待っててくれてありがとうね」
「堅苦しいー」
浦川の合いの手を無視して続ける。
「改めて、六年前のことについて聞きたいんだけど、当時のことは憶えてるんだよね」
「……うん。憶えてる」
「じゃあそのことを全部偽りなく話してほしい」
葵はやけに暗い顔になって俯く。
「日向くんは、火事のことについて聞きたいんだよね」
「…………」
「あれ、私のせいなんだ」
え……?
ぱっと浦川が持ってたナイフで葵に飛びかかる、なんてことしないように見たけどそんなことする素振りを見せなければ、うつろな目で床を見てる。
「火を起こすつもりとかはなかったんだけど、気づいたら部屋に火がついてて……」
どういうこと? なんで葵のいた部屋に火が……。
「そのあと大人を呼ぼうと部屋を出たんだけど、大人を連れて戻ってきたときにはもう手が負えないほどでかくなってて、それで避難指示が出て……」
「葵の身内が死んだとかではないんだよね」
「うん、そんなことはないよ? どうしてそんなこと聞くの?」
「……ずっと暗い顔してたから」
「あぁ、うん。あの客船で思いだすのは、私のせいで火がついたっていう記憶しかないから」
それで……。総務委員をするほど葵は責任感があるはず。そんな人が自分の部屋で火がついたと思えばそうなるかも。
でもなんで火がついたんだ? 気づいたら部屋に火がついてたって言ってたけど。
「火を確認したときのこと、詳しく教えてくれる?」
「火を確認したとき……。えっと、確か私はベッドで寝転んで絵を描いてたんだ。ときどき水も飲んで。親はどこかに言ってたかな。それで絵を描いてて、ふと横を見たら横の机に置いてた絵に火がついてて、怖くなって離れたときに紙がひらって落ちて、傍の机に燃えて……」
絵を描いてたら……火がついた……。不可解すぎる。そんないきなり火がつくなんてことありえない。なにか火種がないと……。
たぶん、紙に火がついたってことは出火場所はベッド横に置いてた机の上に置いてた紙。それがどうしてか火がついたんだろうけど……。
「確認だけど部屋の中でなにか火を使ってたってことはないんだよね」
「うん、ないよ。お父さんが吸ってたたばこの吸い殻とかはあったけど、灰皿に入れてたし、火も消えてた。ベッドの横じゃない机にあったのを見て確認してる」
部屋で火を使ってたわけじゃない……。じゃあなんで火がついたんだ?
「ねえ浦川どう思う?」
横にいる浦川に目を向けると、やっぱりうつろな目で……肩から息をしてる。
「浦川? 大丈夫?」
思わず肩に手を添えたけどあっけなく落とされる。
「大丈夫だから……」
大丈夫な見た目してないんだけど。
「ちょっと座っておきなよ……ってここ椅子ないんだった。もう机でいいからさ」
「お行儀の悪いことはしないよ」
「なら床に」
「汚い」
もう、こういうときだけ意地張って……。素直に聞いてくれないかな。
「それかもう保健室に行ってても」
「話を聞きたいからね」
もう……。早く解決させて浦川を……。
「なら、なんで火がついたと思う?」
「そうだね……。ライターなどで火がついたわけじゃないなら、なにかが作用して火がついた。例えばそう、君と焼き芋をしたときとかね」
焼き芋?
「今そんなのんきに思い出話してる場合じゃないのわかってる? 自分の体調わかってる?」
「わかってるとも……。見ての通り元気で生き生きと」
「してないから」
本当に呆れる。
で、浦川はなんて言ってたっけ? 焼き芋がどうのって……。
公園で焼き芋したときはなんの道具も持ってこずにやり遂げた。……そっか、あの時もライターとか使わずに火を起こしたんだった。あの時は浦川がたまたま持ってたらしい虫眼鏡で太陽の光を集めて枯れ葉とかに火をつけた。
なら今回も?
「その部屋とかにさ、虫眼鏡ってなかった?」
「虫眼鏡? なかったと思う。持ってきてた憶えもないし」
浦川じゃないもんね。今どき虫眼鏡を常備してる人なんていないよ。
けどライターもなしに火がつく、しかも人の手を使わずについたんだとしたら、どうやって……。
「うっ……」
考えてると横からそんな音が聞こえた。
「ほんとに大丈夫……? 汚いとか言わずにほんとに座ってって」
胸をさすってる。なにか心臓の発作でも起こさないよね……。
「君はいつまでも心配性だ……」
いつまでも? そんなふうに言われるくらい長くいた覚えはないけど。
「それに、ぼくは二つの質問で解を求められる。君は?」
「今謎解き勝負してる暇じゃないでしょ。その質問って?」
「お絵かきをしていた君の部屋、カーテンは開いていた?」
カーテン? そんなの聞いてなにに……。
「カーテン? んー」
葵は目を瞑る。なんでカーテンの開閉のことなんて聞いたんだ? それでなにが求められるんだ?
「あ、うん。確か開いてた。夕日が眩しいなって思ったときあったから」
「それじゃあもう一つ。水はペットボトルで飲んでいた?」
「うん。小さいのだけど、客船の冷蔵庫にあったの飲んでた」
「やっぱり……」
今にでもうな垂れそうな角度でそう言う。
「どういうことか説明して」
「ほら、君も実際に火を起こしたでしょ? 焼き芋を焼いたときに」
「はぁ?」
また思い出話?
「だから今は」
「落ち着いて、思いだしてみて」
「いや憶えてるよ。虫眼鏡で太陽の光を集めたのでしょ?」
「ほら、似てない? その部屋の……ことと」
部屋のことと? 焼き芋のときは虫眼鏡で太陽の光を集めたけど、部屋は? カーテンの質問で太陽の光はあったとしても、虫眼鏡は使ってない。
もし同じような原理で、虫眼鏡の他に太陽の光が集められるとしたら……ってこと? そんなもの部屋には……。
「あっ、そういうこと?」
「そういうこと」
「……ね、ねえどういうこと?」
同じ原理で火がついたんだ。そっか……。
真相がわかったから葵に向き直る。責任感のある葵ならなおさら伝えないと、ずっと重い錨が沈んだままになると思うから。
「うん、説明する。葵はカーテンを開けて絵を描いてたんでしょ? そして時間は夕方くらい。火事で避難したのはそれくらいだったから。建物のある地上じゃ夕方って言っても太陽が建物に隠れるかもしれないけど、遮蔽物のない海の真ん中なら夕日なんて綺麗に部屋をオレンジに染める。
そんななかで葵はペットボトルの水を飲みながら絵を描いてた。描いてたこと自体は悪くないんだ。ただ、本当に運が悪かっただけで。
太陽の光が入ってくる葵の部屋で水の入ったペットボトルがあった。水は乱反射して光を拡散させるけど、ペットボトルに入ってたんなら、形状によってはその逆、一点に集めることもある。葵が飲んでたペットボトルはその光を一点に集めるような形状をしたペットボトルだったんだ。
ここからは説明しなくてもわかる? 小学校の理科でしたでしょ? 太陽の光を虫眼鏡で一点に集めて黒い紙を燃やすっての。あれと同じ感じで、作用したんだ。水が入ったペットボトルで。ペットボトルで光を一点に集めた先には葵が描いた絵があった。絵、つまり紙。火種がね」
「……そんな」
「だから……本当に運が悪かっただけ。葵がカーテンを閉めてたり、陽が当たらないようなところで描いて飲んでたら燃えはしなかった。本当にただ、運が悪かっただけ」
相当ショック受けてるな。手で顔を覆って座り込んじゃった。こんな様子じゃ、浦川の両親がそれで亡くなった、なんて言えないか。もとはと言えば犯人なんていなかったんだし。
もともとこれも火をつけた犯人を探すためだったけど、犯人なんていなかった。
こんな結末にいい顔はできない。浦川の復讐をさせてあげられなければ、犯人を警察にすら突きつけられない。いや復讐って言って殺そうとしてたなら止めたけど。
真相が明らかになっても、ずっと黙りっぱなしの浦川に顔を向ける。結局座ってないし、まだ胸さすってるし。
「浦川……復讐は」
「そうだね……できない。これじゃ……」
「復讐?」
単語を聞いて顔を上げた葵。
「……まあ、ちょっとした探偵ごっこだよ」
「火をつけた犯人はいなかった。ただの……自然発火……。笑えてしまう」
笑ってもないくせに。
「葵くんって言ったっけ。ぼくは君を殺せるなら殺したかった。けどこれじゃあ殺せない。火をつけた犯人じゃなかったんだから。火をつけたのは自然。強いていうなら君が飲んでたペットボトル。けどそのペットボトルは……その灰はもう海の底。
……君が犯人ならば……どれだけ幸せだった……かな」
隣でバタッと音がした。突然のことでその音がなになのかもわからなかった。
音がしたほうへ顔を向けると、全身の血の気がサーッと引く。
「浦川!」
浦川が倒れてる。息を荒くして、顔を青白くさせて、目を開けてない。
仰向けにさせて肩を叩く。
「浦川! 浦川! ねえって!」
2,解が居場所
浦川が倒れて数時間後。
処置が終わった浦川は病室のベッドで横になってる。
苦しそうに息をして、死ぬことからもがいてる。
看護師から聞いたら、浦川は持病かなにかで、食後とかに血糖がうまく調節されずに低血糖になるらしい。それで低血糖になったら、甘いものを食べないとしんどくなるみたい。インスリンがどうとか言ってたけど、科学は苦手なんだ。
低血糖にならないためには薬とかで調節するらしいけど、浦川は薬なんか飲んでなければそもそも持ってなかったらしい。日頃から低血糖になったら甘いものを食べて補ってたのかなっていうのが看護師の推測。思えば浦川には甘いものが好きっていうイメージがある。
低血糖は最悪命に関わるらしいけど、そんな大事なことを浦川は病院にも頼らずにずっと過ごしてた。信じられない。せめて僕くらいには……なんで言ってくれなかったの……。
「…………」
いつも傍にいた僕に言わないくらい、浦川は僕のこと信じてなかった……のかな。
ピッ……ピッ……って一定間隔で鳴る電子音を聞きながら、病室のベッドで静けさに不安になりながら、ずっと浦川が起きるのを待ってた。
まるでもう、息してないみたいに静かに呼吸してる。酸素マスクから漏れる音しか聞こえない。
「……いい加減起きない……?」
「…………」
浦川が倒れたのは夕方。今はもう夜。
浦川の祖父母に連絡しようかなって思ってたけど、スマホにはパスワードがあって、連絡できなかった。だから病室で浦川の目覚めを待つのは僕しかいない。
もし浦川がほんとに死んだら、僕は、僕は……。
「……ん」
「浦川っ!」
目は開いていない。いつまで待たせる気……?
もし浦川が死んだなら、僕はもう……生きてなくたっていいんだから。浦川のいない世界なんてなんの価値もない。まともに育ててくれない母親に、そこそこ難しい勉強に、相談できる人もいない。
そんな世界、なんの価値があるの?
ぼくに……なんの価値があるの……?
それとももう……浦川は息をしてないのかな。
「……どうでもいい」
もう、全部どうでもいい。
浦川がいないと生きていけない。浦川にとってはそんなことないはずなのに。そんなことを思ってるのは僕だけ。
それに、生きてたところで母親がまともになるわけじゃない。あの恐怖からは逃れられない。
もう終わらせようかな。
けどまだ浦川の呼吸音は聞こえる。
無気力に布団に顔を埋めて、呼吸を止めるように目を瞑った。
「……一緒に連れて行ってよ」
呼吸を止めるようにただ布団に顔を埋めていた。今が何時かもわからない。
買ってきたドライフラワーのニオイが病室中に充満して、甘すぎて胸のあたりが気持ち悪い。……ニオイなんてしないはずなのに。
あの花瓶に挿したのは、紛れもなく――
「……犯人は君……かな」
今の声……。
ぱっと顔を上げると、
「花瓶に花を添えたのは君」
のんきな様も相変わらず……。
「……正解、だよ」
ポロポロと鬱陶しいくらいに涙が頬を伝ってくる。
ここがどこだとか、相手が誰だとか、そんなどうでもいいことなんて気にせずに、気づいたら抱きしめてた。
「遅すぎるんじゃない……」
「待たせたね」
「……馬鹿」
「涙が冷たいよ」
誰のせいだと。
窓の外はまだまだ暗い。街の明かりもそろそろなくなってきてる。
二人きりで病室にいた。浦川の手の甲に手のひらを被せて。
「退屈だね。そうだ、ここを抜け出そうよ」
「馬鹿言わないで。まだここにいるの許可もらえたんだから、大人しく安静にしてて?」
「ははっ。ぼくは良い案だと思ったんだけどね。そっか残念だなぁ」
どこがいいんだか。
目を覚ました浦川は、いつもの空元気ほどじゃないけど元気。でもふとしたとき、なにかを思いだしたように表情を暗くさせて、笑顔をなくす。
両親のことかな。それとも客船の犯人のこと?
浦川が復讐するために追い続けてた客船のこと。犯人も見つけて、真相までは明らかにした。でもそれで浦川の両親が帰ってくるわけでもなく、犯人を復讐することもできなかった。
浦川のことを思ったら、僕までも苦しくなるな。まともじゃない親しか知らないけど、これほどまで浦川がすごく大切にしてたっていうことは、やっぱりすごく優しくて、浦川のこと愛してたんだろうな。
そんな親がいなくなったら、僕だって……。僕になにかしてあげられることはないかな。
……僕が浦川にできること。
「浦川の両親って、やっぱり優しかったんだね」
暗かった表情はすっと明るくなって、
「……そうだね。君にいくらでも自慢できるほどに」
いくらでも自慢できる、か。ちょっと羨ましいな。
「素敵だね」
でもその暗くする表情に、答えが見つからない。
両親のことじゃないのかな。なら……。
「浦川は、あれでよかったの」
「あれって?」
「……あんな終わり方……客船で火事を起こした犯人……いや自然発火だったかもしれないけどさ、浦川はずっと復讐したかったんでしょ? 復讐するために僕と同じ学校にまで入学しにきた。たぶん学校から浦川の家まで相当遠いでしょ。……浦川はあんな終わり方でよかったの」
話し始めてから明らかに表情が変わってたのは気づいてた。これが浦川の表情が暗くなる原因。
暗い表情のなかで唇が動く。力を入れてる。無理に笑おうとしてる。
「……よかったとも」
あ……。
表情はいつも通りだけど、声が、心に嘘ついてる。
「確かに復讐をするために生きてきた。君を利用した。けど、君も知っての通りあんな結末を寄こしてきた。犯人がいたと思えば自然発火。笑ってしまうよ。
けれど、もういいんだ。もう……もうなにもかもなくなった」
今までで聞いたことのないくらい暗い声……。聞いててこっちまで苦しくなる。
「全部なくなったんだ。家族も、復讐心も、誰かに向けた殺意も、ここまで生きてきた意味も。そして日向くん、君も騙して利用した。今日を持って君も失う。
ぼくにはもう、なにも残ってないんだ」
僕を失う……?
「なんで? なんで僕も失うの? 昨朝みたいにまた僕は包丁向けられて今度こそ殺されるの?」
「……え?」
やけに拍子抜けた声でもらす。なんてアホヅラ。
「だってぼくは君に……酷いことを」
「確かにされてたのかもしれない。実際殺されそうになったし。けどさ、今まで一緒にいた事実はそう簡単に消えるものじゃないんじゃない? それに、春一緒に犯人探したのも、夏犯人の動機を調べたのも、秋面白いゲームをして焼き芋を食べたのも、それが全部楽しかったのも、そして今回、客船であったこと、犯人を探したことも、嬉しいも悲しいも全部、全部浦川の本当でしょ?」
浦川の目からは涙が雨みたいに垂れて、服を、布団を濡らす。この寒さじゃ雪が降ると思うんだけどな。
「君は……それでいいの……? こんなぼくが、こんな最低なぼくが傍に……君の傍にいて、君はそれでいいの……?」
なにに疑いを持ってるんだか。
「僕はずっと、本当にずっと、目の前にいる浦川を求めてたんだけれど? 嘘じゃない、演技のしない、本当の浦川を」
雨は気温が下がれば雪になる。けれどこの病室は暖かい。雪にはならなかったみたい。今も大粒になって降ってる。
雨は手ですくっても抜け落ちる。けれど僕はそれをいつまでもすくい続ける。浦川の空っぽになった心が埋まるまで。
退院数日後。
今日もいつも通り浦川……拓海と登校する。いや「いつも通り」ではないか。これを始めたのはほんとつい最近。
「陽一くんの作る食事はやっぱりおいしい」
「また言ってる」
「言うとも。あんな当たり障りのない食材から、どうしたらフレンチで豪勢な食事ができるのか、まったくわからない。今日の朝食もおいしかった」
「そりゃどうも」
褒められて嬉しくならないわけないじゃん。照れてることがバレないようにそっぽを向くけど、たぶんバレてるんだろうな。
拓海の家から学校までは電車で四十分くらい。僕が前の家から行ってたときはほんの十数分で着いたから、その時間は長く感じる。
でもその十数分一人で歩いてるときよりも、四十分くらい拓海と話してるときのほうが時間が短く感じる。
学校の付近まで来たら同じ学校の制服がよく見えるようになる。そしてそのなかに、拓海以外に知ってる人もいる。
「日向くんって、最近浦川くんと登校してるよね」
近づいてくる靴音のあと、隣から声が聞こえる。
「まあね。葵こそ、友だちとかいないの? そんな一人で登校して寂しくない?」
「どこの誰が言ってるんだか。ついこの前まで一人で登校してた日向さーん」
僕らの会話を聞いて、拓海が隣でクスッと笑う。
「友だちを多く作ったところで幸せになるわけじゃない。ただ一人、信頼できる人がいればいい。浦川もそう思わない?」
「思うとも思うとも。君も一人くらい信頼できる友人を作ったほうがいいよ」
「私は勝手に日向くんを信頼してるから」
「勝手に信頼されても困るなぁ」
両隣から笑い声が聞こえる。こういうので笑われるのは、気分が悪くはならない。
「ところでさ、最近なんで浦川くんと一緒に登校するようになったの? 家近いの?」
「それを聞いちゃうかー葵くん。それには海底ほど深い理由があってね、トップシークレットなんだ」
拓海は人さし指を立てて口の前に出す。
「そんなに深くはないけどね。まあ簡単に言えば浦川が僕の料理を食べたいって言われてって感じかな」
「ん……? どういうこと?」
「つまり」
「チッチッチ……。陽一くん、これはトップシークレット。それ以上は駄目だよ」
トップシークレットって言いたいだけじゃない?
「でも日向くん料理できるんだね。今度私も食べてみたいなー」
「なに、今告白でもされた? ごめんだけど付き合うことはできない」
「べつに告白したつもりじゃないのに断られた。もうすでに脈なしじゃん」
「それに陽一くんの料理はぼくだけに振る舞う約束をしているからね」
「した憶えはないけど」
本当にした憶えはない。けど、いつまでも振る舞う約束はした。
したのは退院したあと。したあとに僕から言ったんだ。確か今日退院するって連絡があって、拓海を家まで送ったあとだったかな。
『ここまで送ってくれてありがとうね。途中まででいいって言ったのに君が聞いてくれないから』
『道端でまた倒れられても困るんだから。貰った薬もちゃんと飲むようにしてね。ちゃんとした病名あるものを今まで甘いもので補ってたとかほんと馬鹿だと思う』
『ぼくは病気だと知らずに、ただ甘いものを食べれば落ち着くと、この数年で気づいたんだ。褒められるべきだと思うんだ?』
『病院に行ってたら褒めてたよ。荷物家の中まで入れるよ』
浦川の住んでる家はアパートだった。僕の家より小さめ。ここで一人でずっと過ごしてたんだ。
キッチンに立つ浦川に、荷物は適当に置いててって言われてローテーブルの傍に置く。浦川はなにしてるんだろ。
少し後ろから覗いたらカップにお湯入れてる。お湯が入ったカップは色を変えてかさを増していく。色的にココアかな。
ごちそうされるみたいだからローテーブルに座って待ってた。いつもここで食べてるのかな。……一人で。
『…………』
僕が一人で食べてるときはなんにも思わないけど、浦川が一人で食べてるの想像したら少し……悲しいな。
『こんなものしか出せないけど、嫌いじゃなかったらもらって』
カップが前に置かれた。向かいにも置かれてその前に浦川が座り込む。
カップに手を伸ばしたときガサッと音が鳴って気づく。上着脱いでなかった。邪魔だし脱ごうかと前を開けたときまた気づく。浦川も脱いでない。それに、この部屋寒い。
いやさっき入ったばっかりだから当たり前だけど、見たらそもそもエアコンが起動してない。こんな寒い時期も暖房つけずにいたの……?
脱ごうとした上着は前を開けたまま止めて、カップに口をつけた。あったか……。
ふと浦川を見たらカップに向けてフーフーしてる。猫舌なのかな。なんだか意外。
家の中は部屋しか電気がついてなくて、奥の開きっぱなしの部屋にはついてない。カーテンがあるけど、その隙間から光はもれない。
今は何時かなって時計を探して顔を振ってたらあった。置き時計だ。七時過ぎ。もうこんな時間だったんだ。病院から浦川の家まで遠かったから妥当ではあるか。
『夜ごはんはどうするの?』
『うーん、退院したばかりだからなにか食べるべきだろうけど、今から買いに行くのは正直面倒が過ぎてね。ゼリーでも食べようかな』
ゼリー……。そっか。浦川もいないんだ。ごはんを用意してくれる人が。
『もっとちゃんとしたもの食べなよ。冷蔵庫見ていい?』
返事を聞く前に、僕の家にあるものよりも小さい冷蔵庫を開ける。いや開かない。僕の家のは両端のどっちからでも開けられるタイプのだけど、これは違うみたい。ならどこかにべつの……手をかけるくぼみが……あった。下にあった。
冷蔵室の中は……見た目が甘ったるい。たくさんのゼリーとプリンの他に牛乳、ケーキ、バター、めんつゆとかの調味料もちょっと。あとはジュースが数本。
野菜室は……やっぱり見て浦川が料理する人間じゃないっていうのはわかる。多少の野菜はあるけどどれも傷んでる。傷んでないものがあるとしたらフルーツ。リンゴとかいちご、バナナとかある。
普段からこういうプリンとかケーキ、フルーツで体の調節してたんだろうな。
冷凍庫も見てみたけど、案の定冷凍食品だった。まだ見た目が甘ったるい冷蔵室よりはマシだけど。
なにか作ってあげようと思ったけど、これじゃなんにも作れないな……。でも近くにスーパーがあったのは確認してるから買いに行ける。総菜なら割引されてるのもあると思うし。
『お腹はまだ保つ? 保つなら今からちょっと買って作れるけど』
『……作ってくれるの……?』
『倒れた人間がゼリーで済まそうとしてるのになにもしないとかありえないから。なに食べたい?』
『……フレンチが食べたいな。あ、もちろん難しいならもっと簡単なものでいい』
フレンチ……か。フレンチなんて得意分野なんだけど。
『任せてよ。久々に作るし、奮発しちゃお』
なによりあんなおいしそうに食べてくれるんだもん。
早速スーパーに行っていろいろ買ってくる。頼まれてた冷凍食品も好きそうなのを選んでカゴに入れようとしたけど、
『…………』
やっぱりやめた。毎回こんなの買ってたら食費いくらすると思ってるんだろ。こんなの食べるくらいだったら僕が作り置き作っておくのに。
スーパーの袋を膨れさせて浦川の家に戻ってきた。一瞬どこだったか忘れて迷子になりそうだったけど、まだ僕の記憶力が衰えてなくて助かった。
鍵のかかってない扉を開けて家に入った。けどさっきまでいた浦川の姿がない。代わりに出るときにはなかったプリンとスプーンが置いてある。
電気のつく場所は変わってないし、ここは二階もない。靴はあったしトイレ?
トイレは位置的にキッチンの向かいかな。電気もついてるみたいだし。
浦川がいるとわかったなら買ってきた食材をキッチンに並べて、使う道具も探して出す。
けど料理をするには少し十分じゃなかった。ざるが大きいの一つしかない。包丁はさすがにあるけど、混ぜるには菜箸くらいしかない。うまくできたらいいんだけど……。
『……うっ』
手を洗って料理を始めようとしたら後ろのほうから声がしたあと、喉の詰まるような重い音が聞こえた。そして水のなかにじゃぽっと入るような音も。……便秘なのかな。
だとしてもあんな喉が詰まるような音させるかな。なんていうか、もっと……吐いたときの音みたいだった。
『えっ』
今もしかして吐いてる?
思わず水を止めてトイレの扉に手をかける。と、開いた。
そして予想通り。苦しそうに息を漏らして便器に顔を覗かせてる。
『ちょっと……大丈夫……?』
こういうときの対処の仕方はわかんない。それでも小さく丸める背中をさする。
なんで急に吐いたんだろ。普通の人で考えられるのはなにかの感染症だとかだけど、今は浦川だ。ローテーブルにプリンも置いてたし、低血糖で気持ち悪くなったのかな。
低血糖ならあのプリン食べさせたほうがいいかな。
『浦川、聞こえる?』
『……汚いものを見せて……ごめん』
声が弱ってる。しんどそう……。
『そんなの気にしなくていいから。……低血糖の症状?』
『きっと……。甘いもの……食べたら治まるから……』
やっぱり食べさせたほうがいいかな。
『ちょっと待ってて』
トイレで食事をさせるのは少し気が引けるけど、動けなさそうだし、少しでも症状が軽くなるなら……。置いてあるプリンとスプーンを手に取――
いや駄目だ。浦川は吐いたんだ。吐いたあとになにか食べさせるのは良くないってテレビで見たことあった。吐いて胃が弱ってるなかで食べさせたらまた吐くかもって。
『浦川ごめん。プリンはあとでにしよ。吐いたあとはなにも食べないほうがいいらしいから。もう吐きそうな感じはしない?』
小さく頷くのを確認したら、肩を持ってローテーブルの傍に座らせる。座らせたら頭をテーブルに預けてた。
ほんとにしんどそう……。ほんとによくこんなので病院にも頼らずに今まで生活できてたよね。
『プリンは少し時間空いてからにして。それじゃないとまた吐くよ』
返事はなかったけど、僕は立ち上がってトイレに入った。まだ流されてない。蓋をして流す。横にあった消毒液も振り舞いておいた。殺菌できたのかはわからないけど。僕の手にも掛けてすり合わせる。
低血糖が起きてるってことは、早めにごはん食べさせたほうがよさそう。早く作って食べさせよう。
トイレから出てキッチンに戻ろうとした矢先、さっきまでローテーブルにうなだれてた浦川の顔が起き上がってることに気づいた。そして傍にあったプリンが開けられて一口分なくなってることも。その浦川の表情はもっと険しくなってることも。
『ちょっと、まだなにも食べないでって言ったよね。なんで食べたの? また吐くよ』
『……きもち……わるい』
だから言ったのに。
でもほんとに弱ってる。これが本当の浦川……かな。
ここで吐かれても困るな。でもトイレでそういっぱい吐かせて詰まらせても困るし……。
そうだ。立ち上がってスーパーの袋を掴み上げる。けどまだ中身が入ってる。一応切り落とすところとかを持って袋から出した。
空になったスーパーの袋を持って浦川のところに戻る。
『ほんとよく今までそんなのであの空元気を振る舞ってたね。気持ち悪くなったらここに出していいから、もうなにも口に入れないで。しんどいかもだけど、すぐ料理作るからそれまで待ってて。ほんとに無理なときは声かけてくれたら行くから。たまに様子は見るつもりだけど』
『…………』
ほんと、これからどうしたらあんな空元気を出せてたんだか。
十分に手を洗ったあとプリンを浦川の傍から離して、早速作り始めていく。早く食べさせたほうがいい。食べれば血糖も上がるはず。
上がるはずだけど、浦川は血糖の調節がうまくできないんだっけ。それで薬、食べるときに一緒に飲む薬出されてた。医師から食べる回数を分けるとも言われてたっけな。けどたぶん今はそんなの言ってられない。
いつもは楽しい気分で料理をするけど、今度ばかりは焦ってる気持ちがあった。いつもは怪我しないのに、包丁で指をかすったりもした。
ときどき浦川の様子を見てたけど、いつ見てもしんどそうに机に伏せてるだけだった。声をかけても返事はなくて、心配になって聞こえるなら返事してって言えば小さく聞こえてるって返ってくる。
そしてできた。いつもより焦りながら作ったフリカッセ。
いつもは見た目とかを評価するけど今日はしない。できたらすぐ浦川のところに持っていった。
『浦川お待たせ。少しは胃の気持ち悪さなくなった?』
『……あまい……もの』
『……吐き気はしない?』
『……少しだけ』
少しだけならいいかな。先に甘いの摂らせたほうがよさそう。
立ち上がって瓶に入った砂糖を持って皿に少し出す。それをスプーンですくって浦川の口元に持っていく。
『食べれる?』
目をうっすらと開けて口を開けてスプーンを入れる。
『ほんとよく今まで生きてたね』
むしろどうして生きていられたのか気になる。
数口砂糖を食べさせて、少しの間待つ。フリカッセ、冷めるかな。先に食べさせておいたほうがよかったかな。でも吐いたあとだったし……。
フリカッセが冷めていく感覚に不安を乗せながら待ってた。フリカッセが冷める分にはいいけど……。
待ってたら突然ゆっくり顔を上げた。そして目の前にある皿を見て。
『……フリカッセを作ってくれたんだね』
『そうだけど、どう? 落ち着いた?』
『落ち着いた。心配をかけたね。いただいてもいい?』
さっきまで吐いてうなだれてたのが嘘みたいだ。
『……うん。食べれそうなら食べて。あ、でも待って先に薬』
浦川の貰った薬は食べるときに一緒にって言われてた。食べないなら飲まないとも。
水と一緒に飲ませてからナイフとフォークを持たせる。
僕はずっと心配になりながら浦川の食べる様子を見てた。けど浦川は本当においしそうに食べてくれる。ときどきそのおいしさに声をもらしながら。そんな様子を見てたら、少しずつだけど安心できた。
『日向くんの分はないの?』
『あぁ……あるよ。取ってくるね』
いまさらだけど、味見してなかった。大丈夫だったかな。
『一緒に食事をしたほうが、おいしいからね』
僕の分を取って戻ってきたときに言われる。
『そうだね。いただきます』
味を確かめるように一口。……うん、悪くない。
『それにしてもフレンチまでも作れるんだね』
『実は得意分野だからね。お父さんがよくフレンチを作ってて、僕も一緒に作らせてもらってたから』
『それならこんなおいしい味になるのも納得だね。なら、君の父親は聖司って名前かな』
え? なんで……。僕の父親の名前は確かにそう。聖司、日向聖司って名前。なんで知ってるの?
『その顔は当たりかな。以前に記事を見かけたんだ。世界を渡った日向聖司が帰国後、フレンチのレストランを経営ってね』
『えっ、嘘! 店出したの!』
『知らなかったんだね。記事に書いてたよ。店は……少し遠いみたいだけれど』
『……すごい。小さい頃に聞いてたんだ。夢は自分の店を出すことだって。夢、叶えられたんだ……』
なんとなく心が温かくなって、目が潤う。
そっか、夢叶えられたんだ。きっと、あの母親から離れなかったら叶えられなかった。突然いなくなったのは少し怖かったけど、そっか……。
『……素敵な父親だったんだね』
『うん。すごく優しく教えてくれて、それで僕も料理が好きになったんだし。……会いたいな』
本当はもう顔を憶えてない。けれどあの雰囲気だとか一緒に料理を作ってくれた手だとか、そういうのは憶えてる。
『……記事に店の住所が書いてたんだ』
『ほんと! 会いに、行ける……?』
『住所の途中なんて読むかはわからなかったけど、漢字は憶えてる。書き出そう』
鞄から紙の切れ端とシャーペンを取り出してくる。
会える……かな。お父さんに……。場所はどこだろ。行ける距離ならいいけど。
シャーペンを置いた浦川から紙を渡される。場所は……。
『東京……』
『君の父親はそれくらい腕のあるシェフなんだろうね』
東京か……。行けなくもないけど、やっぱり遠いな。でも一泊くらいして行く価値はある……はず。あの頃みたいに、また料理教えてくれるかな。
『今はまだ行けないかもしれないけど、いつか行く。そのときはさ、浦川も一緒に来てよ。新幹線代とかは僕が出すからさ。浦川が住所憶えてなかったら、記事を見つけてくれなかったらずっと会えないままだったかもしれないんだし』
『……そうだね。ぜひ会わせてほしいね。君の大切な人なら』
僕の大切な人……。
『うん。大切だよ。浦川も同じくらいに。大切な人同士を紹介させてよ』
にこやかに口を緩ませて、
『ぜひとも』
会ったらなに話そう。料理のこと、生活のこと、浦川のこと、学校のこと、母親の……。ううん、母親のことはいい。
会えることが楽しみだったのに、母親のことを思いだして気分が下がる。
『日向くんは父親と一緒に暮らす?』
『え?』
『ほら、君は母親のところにはいたくない。なら大切な父親のところへ行ってしまえばそんなことなくなる。料理だって教えてもらえる』
『そう……だね』
お父さんのところに行ったら……料理を教えてもらえるかもしれない。でも、それって僕がここから離れて東京に行くってこと……だよね。
ここを離れる……。
『浦川はそれでいいの?』
『それでいいとは?』
『だって……浦川は……ううん、その前に話しておかないといけないことある』
少し前から考えてたこと。
『実はさ、僕のなかで考えてたことがあったんだ。浦川には言ってなかったんだけど。ヘンに思われるかなって思って』
『いいよ、言ってみてよ』
『うん。浦川はさ、基本的にこうやって一人で暮らしてるんでしょ? だからごはんが疎かになることがあれば、さっきみたいな低血糖の症状が起きても一人で対処しないといけないでしょ? それで、僕は僕で……あの母親と一緒にいたくはないなって。ごはんは作れるからいいんだけど、独りじゃないはずなのに独りみたいで、ときどき寂しくなったりしてさ。
それで……考えてたんだ。僕が浦川の家に住めたら、いいなって。僕はあの家にいたくないし、浦川は僕の作ったごはん食べれるしって思って……』
浦川が固まった。目をパチクリさせて僕を見てる。
やっぱり……ヘンだよね。こんなこと考えるの。普通に考えておかしいし。こんなのただ、僕の寂しさを埋めるために正当化させただけだし……。
『や、やっぱりなんでもない。忘れて』
『……忘れないよ。ぼくも実は、そんなことが叶えばいいって思ってたから』
『え……?』
『でも君は父親のところで一緒に暮らしたいだろうから、ぼくはそれで』
『ううん、嫌だ。いや、嫌じゃないけど、嫌だ。確かにお父さんと一緒に暮らせたなら嬉しいと思うけど……』
――邪魔なんだけど――
――出ていってくれない?――
『僕がいても仕事の邪魔になるだけだと思うし……僕のこと憶えてるかもわかんないし……仕事でいそがしくなって、やっぱり独りになることが多いと思うし……』
駄目だな……嫌なことばっかり想像しちゃう。
今は明るく……!
『なにより東京は物価が高くて、ある程度お金稼がないと質のいいごはん作れないし、それに僕は浦川と一緒にいれるならそれだけでいいから。
もちろん料理は好きだし、技術を磨けるなら磨きたい。でも、技術を磨いても食べてくれる人がいないと意味ないでしょ? その役割を浦川がしてくれるってわけ。あんなにおいしそうに食べてくれる人、他にいないよ。浦川にしか頼めない』
少しの間が空いたら浦川が『そっか』って言う。
こんなの子供だけで勝手に決めるのは駄目かもしれないけど、戸籍を変えるわけじゃないし、どうせあの母親に言ってもまともに受け取ってくれないし、一緒に住むだけだから。
『じゃあ、これから一緒に住もう。一緒に支え合いながら』
『うん……!』
こうやって拓海の家に一緒に住むことになったんだよね。ほんとあんな見たことないしんどそうな拓海の姿見たときは焦ったけど、今はもう薬も飲んでしんどそうにするのは見なくなったから安心してる。
母親は普段から顔を合わせないから、僕が拓海の家に住んでることには気づいてないみたい。少し苦しいけど、気づいて口を挟まれるほうが嫌だから、気づかれないほうがいい。
あの母親からしたら僕のことなんてどうでもいいだろうし。
「バイトも考えないとだね」
「急だね? なんで?」
「ほら、浦川の祖父母からの仕送りだけじゃ少し無理があるとは思わない? それに……」
今までは親の財布からお金を抜き取ってごはん作って食べてたけど、あの財布も頼れなくなる。
「それに?」
「好きなことに使えるお金はいくらあっても困らないでしょ?」
「……そうだね。陽一くんが考えてるならぼくもしてみようかな。陽一くんと同じところで働いたりなんかしてみて」
「あははー仲良しだねー。いいなー私も初めて日向くんたちと同じところで働こっかなー」
「恋人とか思われたくないから無理」
「ひどっ!」
拓海が笑う。
あの一件以来、拓海がよく笑うようになった。嘘じゃない、本当の笑い。
思えば、拓海のあの演技した言動って、僕に腹の中を探られたくなかったのもそうだろうけど、あの空元気で両親を亡くしたっていう事実から自分を守ってたのかな。
でも今はもう、復讐もなくなったし、拓海のなかで事実も受け入れられつつあると思う。だから僕以外にもあの演技をしなくなった。
「やっほーはなっち。あとひなたんにうらかわん」
「これはどうも池本くん」
「だからその池本くんってやめてよー、かわいくないじゃーん。結衣ちーって呼んでよー」
拓海がそんな呼び方するとは思えないけど。本人は笑ってごまかしてるし。
あぁ、でもほんと良かったな。
拓海が求めてたもの、拓海は全部って言ってたけど、それが今はなくなったかもしれないけど、僕はずっと、ずっとこの本当の拓海を求めてたんだから。
「ぼくの求めるもの、君の失われしもの」の四作目、「君の真相―失君求僕―」を投稿しました。
春夏秋冬の冬の謎でした。浦川が日向に接近した理由などが明らかになりましたね。
そして、本物語は春夏秋冬の謎を解くというテーマでここまできました。今回「冬の謎」を解いたということは、寂しいですが最終話となります。
……が、もしかしたらヒューマンドラマ+ちょい解きで続編として書くかもしれないです。まだ未定なのでわかりませんが。
そして本物語は小さな小細工をしていました。それは完成しないとわからない、解けない小細工でした。一度エピソード一覧に戻って全体と今作の目次を見ていただいたあと、2章の「解が居場所」を初めから読んでいただけたらわかるかと思います。すぐ出てくるのでどんなものなのか、確認してみてください!
この「ぼくの求めるもの、君の失われしもの」を最後まで読んで二人の物語にエンドローグを流してくださり、本当にありがとうございました。




