犯人探し ――灯台下暗し――
〈犯人探し ――獅子身中――〉
春。高校生初の放課後。
入学式なんて初日に、掃除などの班を決めるわけがなくて今日は早くに帰れる。中学のときに放課後にいろいろ雑用を任されて居残ることは散々味わった。先生からも、見知らぬ生徒からも、見知る生徒からも。高校くらい、雑用を任されたりせずに早く帰りたい。特に入学式なんていう世の中的には晴れ晴れしい日に。
帰る準備が終わった僕は、早くに友だちを作れたらしい人がいる教室から出る。もちろん僕は今日一日中一人でいた。友だちがすごく欲しいわけでもないから、自分から話しかけに行くなんてこともしなかった。
家に帰ったらまず昼ごはんを食べよう。お腹空いた。朝にろくなもの食べてないからもうお腹がグーグー鳴ってる。周りの人に聞こえてるってわかるくらい大きな音で。
教室を出て早々、入部を勧誘する生徒たちが廊下でうるさく騒いでるのが視界に映る。それは一年の廊下にも階段にも校門前にもうじゃうじゃいる。正直邪魔だしうるさい。耳を塞ぎたくなるくらい。僕はそれをただの障害物としか見ずに頭を低くして横を通っていく。部活動なんてごめんだ。ただでさえ学校なんて場所長くいたくないのに。
そんなうるさい障害物を足早に抜けて、校門を出たら家に向かって歩く。
考えたけど、こんな近くの学校にしたのが悪かったのかもしれない。近ければなんでもいいって思って選んだ結果、部活動が盛んな学校だった。メジャーなサッカー部や演劇部があればアリ研究部や遊部、なんて部員がいるのか? っていうくらいくだらない部活もある。僕が入学した高校はそんな学校だ。
家から学校までは徒歩で十分くらいで着く。だから忘れ物をしてもすぐに取りに行ける。
そしてその取りに行くっていう面白くもなくくだらない行為を今もしないといけないらしい。学校に家の鍵を忘れた。こればかりは明日に取りに行くなんてことはできない。来た道を戻って今までの十分、これからの十分を無駄にする。
もちろん校門を出るときに部活の勧誘祭りが行われていれば、二十分後にもその祭りは開催してる。
「茶道部どうですかー!」
「野球部――!」
「そこのあなたにぴったりな――!」
くだらない。
教室に戻ってきて自分の机の前に立つ。もちろん横になにかが掛かっているというわけもなく、机の中も空。思えば、今日名前を書くときに筆箱とプリントを入れるクリアファイルを出しただけで、それ以なにも出してない。もちろん家の鍵も出してない。ならどこに家の鍵がある?
答えは一つ。
リュックの中を手探りで探したらあった……わけじゃない。ひっくり返してもない。……答えじゃなかったみたい。ここまでないとすれば、もう一つの、本当の答えが導き出される。
どこかに落とした。
きっと今日歩いた道を探せばあるだろうけど、交番に持って行ってくれている可能性もあれば、悪い人が持ち去っているかもしれない。けど、どうせ悪い人がいても困るのは親だし、べつにいっか。ただ……親が帰ってくるまで待たないといけない。
長く深い溜息をこぼす。帰って来るかわからないから待ちたくはないけど、帰ってくるまでどこかのカフェでのんびりしていよう。いつものあそこ、ネットカフェで。
そうして時間が有り余ることを理解した僕は、学校の校内マップを把握しようと校内を歩き出した。一階に行けばどこかに必ずたどり着けるから、迷子になることには恐れずに。
中学校のときよりも特別教室が充実してる。むしろ棟も分かれてる。……明日から僕はここで勉強するんだな。いまさら高校生の実感がしてきた。勉強が難しくなければいいけど。
「一つ足りないんだ?」
「せっかく焼いたのに」
別棟の二階の特別教室、家庭科室からだ。なにかあったらしい。ドアには「調理部」ってあるから、まあ関わらないほうがいいのはわかる。どこかで見た障害物みたいに誘われるに決まってる。早く去ろう。
足を速く動かして家庭科室から離れようとする。
「あ、ねえ! ひ……ねえそこの君!」
後ろから肩をがっしり│掴まれたかと思うと、体の向きを百八十度変えさせられて、目の前に知らない人がいることがわかる。僕と同じくらいの背をしてるけど、どこか幼い顔をしてる。
「……なに」
「クッキー、食べたんでしょ? ボクの推理によれば君が犯人」
はぁ?
得意げに口をにまりとさせて言う。なに言ってんのこいつ。
「……ここをたまたま通った、ただの通りすがりですが?」
「とにかく、現場を見てよ」
誰かもなんのことかもわからないのに、腕を引かれるがまま教室に入る。
それにこの人、ちょっと怖いっていうか、気味が悪い。口から出る言葉全てに演技をかけてるみたいだし、推理とか犯人、現場って……。探偵気取ってる馬鹿じゃん。
連れられたのは甘いニオイが漂ってる家庭科室のある机。廊下側の真ん中にある長机、お皿が置かれている机の前。そこには四つのクッキーが載っていた。丸くて内側にも丸いデザインがされている。けど、ところどころヒビが入っていたり、皿には欠けた部分があった。危ないな。
僕とこの人の他に制服の上からエプロンを着た女子二人と制服姿の男子一人もいる。
「で、君が食べたんだろう?」
「だからただの通りすがり……。それにどうして僕がクッキーを食べないといけないの?」
「……確かに」
ほんとに痛い奴。面倒事はごめんだ。早く離れ――
「じゃあ、犯人を探してよ」
「…………」
「君じゃないって証明するために」
僕を連れ出した男はにまりと口をゆるませて不気味な笑顔を作る。本当に気味が悪い。
くだらない。けど時間もあるし、暇つぶしにと渋々その話に乗った。
名前を聞くと、僕を連れ出した人はウラカワタクミって言うらしい。そして自称探偵。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。共感性羞恥心を感じるくらい。
ウラカワ曰く、
「犯人探しの基本は事情聴取。まず、なにがあったのか、どういう行動をしてたのかそれぞれ教えてくれるかい? 君から」
ウラカワが話しかけたのはボブの女子生徒。
「わ、私はお昼を食べたらすぐに来て、準備をしてたら、クッキーが一つ足りないって小原くんが……」
「ふーんじゃあ次、君」
……それだけでいいんだ。
今度は調理部には似合わない顔つきの男子生徒。
「めんどくせーなー。俺はさっき来たばっかだからなんにも知らねー。けど、一つ足りないって言ったのは俺だ」
「そうか……。最後、君は?」
……自称探偵ってほんとに自称なんだな。
「あたしも昼を済ませてここに来たわ。│麻│衣が先に来てたからそれを追うように準備してたわ」
マイっていうのはボブの人の名前かな?
「なるほど。なんにもわかんないね」
そりゃそうだろ。事情聴取する気が見えない。
「……こんな茶番に付き合いたくはないんだけど。僕は行っていい?」
「茶番だなんて、ボクは真剣なんだけれど? それに、君が犯人じゃないって証明は? いいの? 君が犯人になるよ」
「……僕は茶番に付き合いたくないって言ったよ。もし仮に僕が犯人だとする。なら、自称探偵のウラカワがするべきことがあるはず。そう、僕にこそ事情聴取をするべきだろ? でもそれをウラカワはしてない。つまりもとからウラカワは僕を犯人だと思ってないっていうこと」
言い終えたあと、ウラカワは俯く。自称探偵としてのプライドが傷ついたか。べつにいいよ。解放されるならそれで。一言言って行こう。
「これでわかったよね。じゃあ僕は」
「さすが君だ!」
「……は?」
「さすがボクが見越した助手だ! これからよろしくね助手くん!」
「助手じゃないし。巻き込まないでくれる? 初対面だし」
ウラカワの目はやたらと輝いている。逆効果だったか……。面倒臭いことになったなぁ。ヘンなこと言わなきゃよかった。『これからも』って……相手は本気なのか……?
「こんなに素晴らしい助手くんはもうこの事件についてなにかわかったことがあるんだろう! そうだろう、ねえ!」
「……ないよ、特に。ウラカワの勝手な理想になるつもりはない。……けどまあ、困ってる人を助けるという意味でなら口出しはできる。
まず、ウラカワは事情聴取と言ってそれぞれの行動について聴取した。けどそれでわかるのはおおまかな時系列だけ。誰が部長だとか、何年だとかの個人の情報とか、この部活勧誘でどんなことを計画していたのだとか、全くわからないじゃない。これは時系列だけで解けるものではないはず。現にこの部屋……」
ぼ、僕はなに知らない人の前でペラペラと……。咳払いをしてなんでもないと口を開こうとする。けど、
「なになに? この部屋になにかあるの?」
ウラカワは笑顔で聞いてくる。僕が嫌な顔をしてることはすごくわかる。
「……最後までは付き合わないから。
君は容疑者がこの三人、一応君も含めて四人だと思ってるみたいだけど、この部屋、出入り口が二つあるこの部屋に、他に出入りした人の確認はしなくていいの? もし出入りした人が犯人なら探しようもない。
それにこの皿、そして机の下。どう見てもおかしいでしょ。新入部員を誘うチャンスなときに、こんな欠けた皿使う? 他の皿は綺麗なのにこれだけ。
それとこの机の下、土落ちてる。この学校は上靴を履いてるから、上靴を履いたままグラウンドに出た、なんてことした人がいないのなら、これは靴に引っ付いてきた土じゃない。……いや違うな。そもそもこれは土であってグランドにある砂じゃない。つまりこれはグラウンドからのものじゃない。植物が生えそうな土。しかもそれはドアから土が続いてることもなくこの一箇所だけにしかない。つまり確実に靴に引っ付いた土じゃないってこと。靴に引っ付いてきた土でないとすれば、誰かが土をどうにかしてここまで運ばれた証拠だよ。
……それともう一つ。調理部でないらしいウラカワは何者? なんでこの件について関わってるの? それは僕個人が知りたい」
ウラカワは一瞬当惑した表情を浮かべ、次第ににやりと口を曲げ、拍手をする。いちいち行動が鬱陶しいな。それが素なの?
「さすがだ。いっそのこと、この件については君が解決まで導いておくれよ。ボクという探偵の出番がないほど今の助手くんは優秀だ」
「自称探偵はそれでいいの」
「自称なんてものじゃない。ボクは立派な探偵、名探偵さ」
なんだっていいけど。
こうやって暇つぶし程度のくだらない犯人探しが始まった。無駄になる予定だった時間を使うんだから少しは楽しめたらいいけど。あんまり期待しないほうがいいか。
「君はボクの正体が気になってるって言ってたよね。ボクは君と同じ学年、Cクラスに所属する│浦│川│拓│海。そして探偵さ。この件については一階の調理部のポスターを見てここに来たら、この様だったというわけ。君の謎の一つは解決した?」
「まあ」
同じ学年……つまり一年生。そしてC組。こんな奴いたかなと思ったけど、C組なら知らない。僕はA組なんだから。
というかなんでボクの学年知ってるんだ。問えば意気揚々に「探偵はなんでも知ってるんだよ」と。同じ学年なら階も同じだから、たまたま見かけたのかもしれない。いや、今見たら上靴の色が調理部員と違う。青色だったり赤色だったり緑色だったり。言ったらダサくなるから言わないであげるけど。
僕が指摘したからには自称探偵のウラカワは再び事情聴取をする。まず個人の情報とここに来たおおよその時間。
ボブのエプロン姿の女子生徒。
「私は│中│薗│麻│衣。二年B組。ここへは一番に来て準備し始めたよ。時間は十二時くらい。もともと十二時くらいに集合しようって言ってて……」
中薗の「ぞの」は草冠らしい。メモするウラカワに指摘してた。
部に似合わない制服姿の男子生徒。
「俺は│小│原│直│之。同じく二年B組。ここには最後に来た。そのときに俺がクッキーが一つないことに気がついて騒ぎになっちまった。最後つってもお前さんはまだ来てなかったけどな。時間は……憶えてないけどほんとついさっき。俺が入ったときにクッキー食ったなんて言うなら、中薗がちょうどいたから証言してくれる」
中薗がコクコクと頭を縦に振る。
喋り方も顔も声も、本当に「調理部」って部に似合わない。
そして最後に髪を長くしたエプロン姿の女子生徒。
「あたしはこの部の部長よ。あ、名前は│伊│沢│紗│季│子。三年D組よ。ここには麻衣の次に来たわ。時間は数分遅れたくらい」
いかにも自分が一番と思ってそうな人。実際そうかは知らないけど。
得た情報をウラカワはポケットから出したメモ帳にスラスラ書き連ねる。綺麗な字。けど綺麗だからこそ情報を書くのが間にあってない。
「えぇっと、小原くんは二年生で最後……に来たと。で、伊沢くんは……なんだっけ?」
「伊沢紗季子さん、三年の部長。小原直之さんの次、つまり二番目。情報書くのはいいけどもっと早く書いてくれない? あとがつかえる」
「そんなことを言うなら君が書きたまえ。そもそもこういうのは助手である君がするべきことだろう? なんで探偵のボクがこんなことをしているんだ」
知らないよ。口をとがらせてシャーペンとメモ帳を無理やり押しつけてくるものだから落ちてしまった。
けど調査に出る時間より書くまでの待機時間が長いなんてことにはなってほしくないから素直に拾い上げた。メモ帳の裏表紙に名前が書いてある。
『浦川拓海』
これで「たくみ」って読むんだ。
メモ帳には箇条書きで、綺麗な字で書いてある。
・対象、実力あり
――出入りの確認、現場の状況、浦川の素性に疑念
◯調理部 家庭科室
・眼鏡ボブ――中薗麻衣 二年生 一番目(十二時)
・調理部に似合わない男――小原直之 二年生 三番目(ついさっき。現時刻は十二時二十五分)
・ロング女子――伊沢紗季子 三年部長 二番目(十二時数分)
個人の情報を書いている点はなにも思わないけど、上のこの対象とか書いてるの、なにを書いてるんだ。
次は今日の部活勧誘でどんなことをしようと計画してたのか。主に部長に質問した。曰く、作ったものの展示、そして二回に分けた試食、体験会。それぞれ時間は試食はこのあと一時から試食分がなくなるまでと、二時から同じくなくなるまで。体験会は一時半から約十五分ほどと、二時半から同じく約十五分ほど。どちらも店員は十名ほど。
メモ帳に書き連ねる。
「なるほど。他の部員はいるんだろう? 部が保てるのが五人以上だから、最低でもあと二人はいるよね」
「今日は来てない。もともと今日って一年の入学式でしょ? あたしらはその一年に部活を勧誘するってだけのためにここに来てるから。今日来てない二人は人前に出るのは苦手だから来てないわ。一応、三年と二年。どっちも女子よ」
ならば容疑者は、ここに出入りした人がいなければ完全にこの三人だけになる。
「この部屋の出入りの状況はどうなんですか?」
「助手くん、今ボク言おうとしてたんだけど?」
「……捜査の邪魔なら僕は行くけど」
「……ほんと君って奴は」
浦川は両の手のひらを上に向けて上げ、肩を竦める。そんなことを言われるほど一緒に時を過ごした憶えはないんだけれど。
出入りした人はここにいる人以外いないらしい。「常に誰かがこの部屋にいた」らしく、家庭科室に誰もいないという状況はなかった。
「常に誰かがこの部屋にいたって、つまりは?」
「例えば、あたしが家庭科室でセッティングをしてたら麻衣は準備室で準備してくれてて、麻衣が家庭科室に入ったときには、あたしが入れ違いになって準備室に入る。べつに意図はしてなかったわ。実際家庭科室には一緒になるってことはあったし」
出入りしたのはここにいる人だけ。そして部外者である可能性は否定された。容疑者はこの三人の誰かみたいだ。
「そういえば、予定では一時には試食があるみたいですけど、するんですか。廊下には野次馬が傍観してるし。僕はこんな見られた状態で、探偵ごっこはごめんです」
「はぁ? じゃあやめろってかぁ? せっかくこの日のために準備してきたのに。クッキーだっていい感じに焼けたのに。それにクッキーはまだ保つけど、ケーキは保って今日と明日。明後日には駄目になる。その貴重な一日を使わないなんて、ふざけんなよ」
僕の襟元を掴んでぐいっと引っ張る。くだらない。
「僕に刃を向けないでくれると嬉しいんですけど。僕は無理にこの件を解決したいとは思ってないです。あなたたちがモヤモヤした状態でいいのなら僕は手を引きます。そのあとは勝手にすればいいです」
「ボクはこの件を解決するまで」
「ちょっと黙っててくれる?」
「あたしは……賛成。名乗り出ないのならこのまま今日は終わりにしてもいいと思う」
「お前まで。……はっ、勝手にすればいいだろ。どうせ部長の命令は絶対、なんだろ」
僕を押した小原は乱暴に鞄を掴み上げて出口に向かう。でもそれを浦川が止めた。「君は容疑者なんだよ?」と、不気味な笑顔を作って。
部員らで考えた末に、二回目からのスケジュール、つまり二時から始まる試食までに問題が解決できなければ、今日の予定はなしになる。そう部員が決めた。それまでは中止になる。
野次馬たちにはそう伝え、浦川は放送でそのことを伝えた。野次馬たちはある程度減ったけど、それでも面白そうに眺める目が気に食わなくて僕は扉を閉じた。
事情聴取が終わったら今度は現場検証らしい。検証場所はもちろんこの場所、家庭科室と家庭科準備室。
家庭科室は九台の長机があって、椅子は片づけられている。前から二列までの机にクッキーやケーキなどが置かれている。そんななか、廊下側の二番目の机に置かれるクッキーが今回の件に関わるクッキー。
平皿の端は鋭く欠けて、ヒビももちろん入っている。その皿に乗るクッキーにも少しヒビがあるように思える。そしてその机の下、もっと言えばクッキーが机の右端に置かれているとしたら、その机の右側の下に微かな土が落ちている。他も見て回ったけど、どれもこれ以上の異常はなかった。
廊下の反対側にある窓の外は学校の敷地内を示す柵があって、その奥は道路になってる。窓を開けて確認しようとしたけど、どこかから埃が入るからやめてという声が上がってやめた。声的に伊沢かな。
次に家庭科準備室。けどここには変わった様子はなかった。食器棚に食器が置いてあったり、冷蔵庫にまだ出されていないお菓子や体験会に使うらしい材料があった。机には部員の鞄やエプロン、トレーに調理器具が置いてある。そんな変哲もなさそうだった。
「さてさてさて。助手くん。今回の件はどう思うかね?」
部員には部屋から出ないように、でも準備は進めるように言った。僕らは邪魔にならない隅で今回のことについて考える。
「……ちょっと今の言い方ウザかった。その演技じみた喋り方どうにかならない?」
「これがボクの喋り方さ。文句は受け付けないよ」
「あっそ」
メモ帳に書き連ねた情報を眺める。
◯調理部 家庭科室
・眼鏡ボブ――中薗麻衣 二年生 一番目(十二時)
・調理部に似合わない男――小原直之 二年生 三番目(ついさっき。現時刻は十二時二十分)
・ロング女子――伊沢紗季子 三年部長 二番目(十二時数分)
◯計画スケジュール
一回目 一時 試食
一時半 体験会
二回目 二時 試食
二時半 体験会
・試食はある分がなくなるまで、体験会はそれぞれ約十名ほど。
・勧誘祭に来ていない二人は二年生と三年生の女子。どちらも人前が苦手。
・出入りしたのはこの部員だけ。部外者の可能性は低い→常に室内に誰かいたと証言。
◯机の配置と置いているもの
道路側
────────────────
黒 ケーキ クッキー なし
試ケーキ 試クッキー なし
板 ケーキ ◎クッキー なし
────────────────
廊下側
※「試」は試食のものを指す。
「なし」の場所では体験会で使う机。調理器具が見える。
◎が現場
◯現場のクッキー
皿にはヒビが入り、一部が鋭く欠けている。上に乗るクッキーもヒビが入っているものもある。
机の下に微かな土(グランドのような砂ではなく、植物が生えそうな土)。他の場所にそんなものはなかった。扉から続いているものではないことから靴の裏に付いた土ではないと考えられる。
事件発覚は小原の指摘から。
なんとなくわかった気がする。犯人はやはり関係者でこの三人。そして一番最後に来た小原は容疑者から外れる。
僕のメモを横から見ていた浦川がいきなり顔を上げて僕を見据える。眼差しが眩しい。
「わかったよ助手くん! 猫が食べたんだ!」
「……そうあの人たちに言う? 僕はいいけど。ついでに今も窓は閉まってる。開いてたとしてもここは二階。そんななかで猫が盗み食いできると思う?
しかももし猫が来たときに土を落としていったものと考えるのなら、それは矛盾してる。どこか猫の通れる出入り口からあそこの机までに足跡、なんでもいい猫の足跡なり土なり、そんなものがないといけない。けど土があったのはあそこだけだ。ほかにどこにもなかった」
「……さ、さすが助手。き、君の力を試したかっただけなんだよね」
見苦しいよ。
僕は土を使う部活動はなにがあるか、一、二年先にこの学校へ来た調理部の部員に聞く。結果、園芸部とアリ研究部。
そうと決まればそれぞれの部活動先に足を運……びたいけど場所がわからないから、一階でまだ騒いでる勧誘の祭りで目的の園芸部とアリ研究部を宣伝している人たちを探す。
「まっ、待ってくれよ助手くん。ボクを置いて先に行くだなんて、酷いじゃないか!」
後ろを振り返ったら浦川が人の波にのまれていた。
「…………」
僕はそんな浦川をほうって、目的の部活動を宣伝している人たちを探す。探すと言っても主な活動場所が知れたらいいんだ。宣伝してる人を見つけれなくてもポスターがあれば。そこに今回の部活勧誘でするイベントの準備もしているだろうから。
あった。園芸部は屋上、アリ研究部は……グラウンドの隅? 活動場所も目立たないんだな。一度人の群れから外れたら忘れないうちにメモをする。そしてまずは屋上から行こう。屋上は一般棟にしかないから、無駄な動きを極力避けるなら先に行ったほうがいい。
早速階段を上り始めようとしたら後ろから、
「ま……待ってよ│日向│陽│一……くん。ど、どこに行くんだい?」
自称探偵の浦川拓海。名乗りもしてない僕の名前まで知ってる。なんで知ってるんだ。
「自称探偵でもわからないんだね。それより、なんで僕の名前知ってるの」
「……そりゃあ、たんて」
「『探偵はなんでも知ってる』は、なしだよ。浦川の理想に興味はない。なんで知ってるの。現実的に教えて」
「…………」
珍しく浦川は黙秘を貫く。いつもの演技じみた顔をしてない。強いて言えばしくじった。浦川は今そんな顔をしている。
「……そ……それを、知ってる理由を探るのが助手だろう? なんでも知ってる探偵を追いつこうと努力するのが助手。探偵の裏を探るのが助手。いつだって探偵は百までものを言わないんだよ」
誤魔化すような、今まで見たことのない笑顔を作る。本当に腹の│中を探られたくなさそうだ。いったいなにを隠してるんだ。
重たい屋上のドアノブに手をかけて押す。まだ人がいるらしい。それに展示を開いてるみたいだ。けど、それを見ている人はいない。部員しかいないっぽい。
「あっ、園芸部に興味あるんですかぁ! どうぞご覧ください! ねえねえ一年生二人も来たよ!」
園芸部はやっぱり人気ないんだろうな。べつに入部するわけでもないのにここへ来て申し訳ないな。少しでもの罪滅ぼしとして植物を見ていこうかな。
「あ、そこの先輩たち、調理部で起きたじ」
「ちょっと浦川。今はいいから」
もう少し空気読んでくれないかな……。ほんとに立派な探偵だとしても、空気読めない探偵は嫌われるよ。ただでさえ気取ってるんだから。
植木鉢には見たことのある花、あんまり見ない花があった。僕は植物には弱いんだ。見たことのある花でも名前は出てこない。
「アネモネにガーベラ、クレマチス。うんうん。どれも綺麗に花を咲かせているね」
え、わかるの?
「うっそ! 花の名前わかるの! もしよければ園芸部に入部しませんか! 花の名前ポンポン出てきた人初めてだよ」
「嬉しいけどね、ボクはべつの部活動に入る予定があって、入るとしてもその部活の調子を見てからかな」
「そっかー残念だなー」
部活入るんだ。あぁ調理部か。気になって行けば騒動になってたとか言ってたな。
「代わりにとは言っちゃなんだけど、調理部の」
「じゃなくて、今日ここへ二年B組の中薗先輩か三年D組の伊沢先輩は来ましたか?」
知りたいのは調理部でなにがあったかじゃなくて、
「来てた? ……来てないって。用あるの?」
「いえ、来てないのならいいです。ありがとうございました」
「花また見させてね。じゃ」
僕の思考を全て読み取っているように浦川は、僕のあとに付く。本当に探偵として今回の件を推理しているのか、もうわかってるのか、本当に「自称」探偵でなにがなんだか全くわかってないか。
とにかく、これでもう犯人は決まったようなものだ。決定的な証拠を、次の行く場所で見つけられたら。
「助手くん。もう全部わかってるんだね」
「……そっちは」
「まあね。探偵はなんでも知ってるんだから」
どうだか。
次なる目的地に着いた。グラウンドの端。端と言っても、どこでもいいわけじゃなくて、植木が植えられている校舎側の保健室があるほう。つまり校舎から見て右手前。
そこには数人しゃがみ込んでいた。ただしゃがみ込んでるだけじゃない。ある一人はスコップを持って容器に植木の土を入れたり、ある一人は容器をじっと見つめていたりする。本当に部活名通りなんだな。
「……ねぇ助手くん」
小さな声で、耳元に口を近づけて言われる。
「なにしてるの、この人たち」
「……部活名通りなんじゃない? アリ研究部っていうね」
部活名が聞こえたのか一人が顔を上げるなり、浦川寄りの不気味な笑顔をした。
「どうぞどうぞ。アリに興味あるんでしょ? 今この容器にね集めてるんだよ」
「……すごく興味があるというわけではないですが……少しの間お邪魔します」
「ゆっくりしていってね」
言葉に甘えて石垣に腰掛けようとする。そしたら、
「ちょちょちょっと! アリを踏んだらどうするんですか! きちんと見てアリがいないか確認してから座ってくださいよ!」
めんどくさっ。
特に尖らせもせず見渡して腰掛ける。浦川もあんまり見ないで隣に腰掛けていた。
「ところで君たち。二年の中薗って人、もしくは三年の伊沢って人は知ってるよね」
「……あぁ。知ってるよ。伊沢ならこの部活の部員だよ。顔に似合わないね。その人たちがどうしたの?」
「今日ここに来ましたか」
「あぁ来たよ」
あたった。
「ならそのときなにか持っていきましたよね。なに持っていきましたか?」
「あぁ、これと同じ容器持っていったよ。あれは確かアリの巣を観察できる容器だったかな」
……なるほど。口が勝手に緩む。事の全容はだいたい見えた。けど、動機がわかんないなぁ。動機を問われたら答えられないな……。
とにかく、犯人はわかった。戻ろう。そう立ち上がったものの、部員が口を開けた。
「そういえばなんか焦った顔してたんだよね。それで容器だけ持ってすぐにどっか行っちゃったよ」
……焦った顔? なんで焦った顔なんか……。
いや、きっと突発的だったんだ。全容が見えた気がして口が緩む。
「日向……くん。わかったんだね。さすが助手だ」
ときどき見せる素顔なんなの。
「そんな自称探偵はどうなの。僕がわかってるのに探偵がわかってないなんてことはないよね」
「もちろん。見当はついているさ。彼らのもとに戻ってショータイムの始まりといこうじゃないか!」
相変わらず探偵気取ってるなあ。
調理部、つまり家庭科室に戻ってみると、部屋に人がいた。部員ではない、たぶん調理部を見に来た人だ。浦川の放送が宣伝効果になったのかもしれない。
「やあやあこんにちは。ようこそ調理部へ。堪能してくれてるかい?」
「部員じゃないのになに言ってるの。……それより、お話ししたいことがあります。準備室に移動してもらってもいいですか」
とっくにエプロン姿の先輩たちに向けて言う。時刻は二時前。問題の皿は避けられているらしい。きっと準備室にでも置いてるんだろう。
試食会が始まるのはあと十五分後くらい。それまでに今日調理部であった事件について解決しないといけない。もちろん僕が問題解決をする義理はない……でもここまで来たんだ。スッキリさせたい。
準備室に移動した容疑者。犯人は指摘されるとわかっているのか、ずっと目が泳いでいる。一切目が合わない。
「話っていうのは、今回の事件、総称するなら『クッキー隠蔽事件』の真相がわかったからその話をするよ」
「『クッキー隠蔽事件』……? 真相がわかったなら誰が食べたのかわかったの?」
「もちろん。単刀直入に言うのなら……」
浦川は急にポケットに手を突っ込んで、拳を作りながら抜く。僕らに見えるよう手を前に出したら拳を解けば、丸い形をしたケースがあった。そしてその中に、
「きゃっ!」
「あ、アリ? なんでそんなもの持ってきてんだよ」
とっさに中薗は近くにいた小原の後ろに身を隠し、小原は少し頬を赤くさせる。こんな小さい生き物を怖がるなんて。
「こ、ここは調理部よ? そんな虫持ってきていいと思ってるの? 衛生管理がなってないって言って、部員がこなかったらどうするのよ!」
「ふぅーん。君がそんなこと、いいんだねぇ?」
「なっ、なによ」
浦川はニヤリと脅すような笑顔で問う。やはり浦川の笑顔は不気味だ。そしてなによりもその笑顔が嘘でできている、ように見える。
「今回の依頼内容、クッキーを食べた犯人を見つけて、だったよね。そう、この事件の犯人はアリだ」
「アリ……が……? でもどうやってここに入ってきたの? 窓も閉まってるし、この部屋、階もあるんだよ?」
「さあ助手くん、説明したまえ。探偵は百までものを言わないんだよ」
説明が面倒だからって、押しつけないでくれないかなあ。百までものを言わないかもしれないけど、事件の真相は全てを明かさないと解決にならないんじゃないの? 探偵はそれでいいの?
「はあ。簡単にだからね
食べた犯人はアリ。でも、アリに食べさせた犯人は、アリ研究部に所属している」
「伊沢紗季子。君だよね」
「は? 部長が?」
「どうしてそんなこと……?」
「浦川、いいところだけ取らないでくれない?」
「共犯者は犯人同類だからね。犯人は探偵が言わなきゃ」
なにその決まり。
「さ、続けたまえ助手くん」
また面倒だからって……。
「一気に全部説明するので、途中で口を挟まないでください。順番に話すので。あと話が狂うんで。
まずさきほど言った通り、食べた犯人はアリ。食べさせた犯人は伊沢先輩です」
「でもアリが食べたとしても、あんなでかいの一瞬で食べれるわけないだろ? 二十五分くらいで」
「……僕の言ったことを聞いてましたか。口を挟まないでください。それもあとで言います。
どうしてそんなことをしたのか、つまり動機は正直わかりません。ですがどうやって食べさせたのかはお話しします。
まず、あの皿の問題点は皿が欠けていることです。もとから欠けていた。そんな危ないものを学校の備品として置いておくわけにはいけない。つまり、今日この調理部で欠けた。なぜ欠けたのか。それは伊沢先輩が誤ってその皿を落としたからです。違いますか」
「…………」
伊沢はわかりやすく黙り込む。聞いたものの僕は続ける。
「落としてしまったとき、例のなくなったクッキーに酷くヒビが入った、もしくは二つ、三つ、それ以上に割れたのでしょう。展示品であるクッキーを。
ですが、落としてヒビの入ったクッキーを展示させるわけにはいかない。だから落としたことを隠すために、床に落ちていないクッキーを皿ごと拾い上げて、なかったことにしようとした。
しかし、床に落としてしまったクッキーはどうしよう。そう、伊沢先輩は思ったのでしょう」
「どうして?」
「……確かに話が飛躍したかもしれない。でも黙っててって言ったよね」
「探偵にそんなこと言っていいと」
「落としてヒビが入ったり割れたりしてしまった。それはつまり、床に小さな粉が落ちることを意味します。床に粉が落ちた状態で一つクッキーがなくなっていれば、誰かが落としてそれを隠すために食べたとわかってしまう。だから落としたことを隠すために落とした痕跡、つまり粉を、アリの巣がある土の容器をここへ運んで、アリに食べさせた。そしてクッキー本体は、自分の胃の中に。アリが粉を隠蔽してくれている間に自分は準備してなにもなかったように誤魔化せる。
粉さえなくしてしまえば自分でない誰かが疑われる。例えば自称探偵がひっそり言ってたように、たまたま部屋に入ってきた猫が持っていったとか、調理部を訪れた入学式に連れてきた家族連れの子どもが食べたとか、そんな言い訳ができる。それを伊沢先輩は狙った。そうでしょう?
そしてそのアリの巣がある容器は道路側にある窓を開けたところに今も置いてある。きっとアリ研究部に持って戻る時間はなかったから。それにアリ研究部の人たちが、伊沢先輩は一度しか部所に来ていないって証言している。伊沢先輩。なにか反論はありますか」
伊沢は余裕そうな表情をしている。なにか間違ってたかな。伊沢は一度得意げににまりと口を緩ませる。
「なんでそんな回りくどいことする必要があるの? 粉をどこかへやればいいんでしょ? ならアリとかなんとかをここへ持ってくるなんてことしなくても、粉を足とかで払って細々とさせてしまえばいいじゃない。それだけで粉なんてわかんなくなる」
「……それは一理あります。ですが意外とお菓子の粉って、踏んだらじゃりってしてわかりやすいんですよ」
「あっそ。ならもう一つ、べつにアリ研でなくても、犯行は可能じゃなぁい? アリ研に容器を貸してもらえばいい話」
……確かに。弱ったな。
「それは無理じゃね? あいつら部員じゃないと道具一切貸してくんなかったし」
口を開いたのは小原だ。「くれなかった」ということは体験談なんだろう。でも言われてみればあの人たちは知らない人に道具を貸すなんてことしなさそうだ。アリを第一に愛してそうな人たちだったもん。
伊沢は少し顔色を悪くさせて、重たそうな口を開ける。
「……動機は……。動機がなければ、あたし以外の誰だってでき」
「腹が立った」
「……え」
僕じゃない。浦川だ。動機、わかってたのか?
「例のクッキー、というより、あの皿に乗ってたクッキー、あの机に乗ってたクッキーはどれも君、小原くんが作ったものだろう?」
「よ、よくわかったな。名前なんてなかったのに」
「名前はなくとも、イニシャルがあった。小原のO。クッキーにはそのイニシャルが刻み込まれている。あれが今回の事件の皿だろう? ちょうどいい。助手くんもう一度見てみたまえ」
さっきまで黙ってたくせに。なんだよ急に調子乗り出して。
例の皿は準備室のテーブルに無造作に置かれている。確かに、クッキーには「O」とペイントされている。けど、Oという文字自体がデザインみたいになってて、イニシャルだと言っても気づかないように作られている、気がする。器用なものだ。
「あったよ。Oって文字が。そういうデザインに見える」
「それが名前だなんてよく気づいたな」
「私も知らなかった。名前のイニシャルだったんだ。その子が言ってたみたいにデザインかと……」
「君の名前とクッキーを当てはめればすぐだよ。それより助手くん。小原くんが焼いたクッキーに比べて、黒板から見て一番左の手前にあった伊沢くんのクッキーはどうだった?」
左手前の机にあったクッキー? そこまで詳しく見てないや。どれも皿が欠けてるとかいう異常はなかったから、他と変わりないと思って。
「……よく見てない」
「なら見たまえ。見たら一目瞭然だ」
そんな違いあったかなあ。
僕の他に、中薗と小原もついてくる。浦川と伊沢は動く気配がない。
準備室から出ると、客は誰もいなくなっていた。けど、ちょうどいい。邪魔されずじっくり見れる。
「……これ」
「…………」
確かに、一目瞭然。小原が焼いたクッキーと伊沢が焼いたクッキー、明らかに違いがあった。小原が焼いたクッキーは形や色、デザインもどれも良かった。食べるのがもったいないというほど綺麗だった。それに比べ、伊沢のクッキーは素人が焼いたクッキーなんだろうと予想がつく形や色、デザインがしてあった。
浦川は、調査するときにこんなところまで見てたなんて。自称探偵でも侮れないのかもしれない。本当に探偵なのかもしれない。
準備室に戻ろうと扉を開けると、
「浦川、見てき」
「どうしてなにもかもバラすのよ! あたしが……」
伊沢が浦川の胸ぐらを掴み上げていた。僕らに気づいたみたいで、突き飛ばされた浦川は盛大に尻を付く。
「いててて……。情けないところを見せたね。どうだったクッキーのほうは」
なにもなかったみたいに立ち上がって尻をはたく。
「……一目瞭然だった」
「だろう? 伊沢くんは自分よりうまく焼けている、言葉の初めに顔に似合わないくせにって言葉も入るかもしれない」
「浦川」
「伊沢くんは自分よりも断然うまく焼けている小原くんを妬ましく思い、故意的に皿を落とした。でも実際に落としたとバレたら、調理部の名が│汚れる。だからそれを隠蔽するために今回の犯行を実行した。犯人、動機、やり方、説明は終わった。もう言い逃れはできないよ」
浦川は不気味に、相手を握りつぶすような笑顔を向ける。見てるだけでも喉元が締まってくる。それでもずっと喋って溜まっていた唾を飲み込んだ。
「人間は愚かだよね。こんなことのために。ねえ、君もそう思うでしょう? 日向陽一、くん」
顔を変えないまま僕を向く。どうして僕を向くんだ。けどそんなことよりも、浦川の笑顔のほうが不気味で、なんだか酷く背筋が凍った。
事件を解決して浦川から解放された僕は、家に向かって歩いていた。ま、解放されたと言っても今も隣にいるけど。
「……家、こっちであってるの」
「家の方向忘れちゃった」
やっぱり馬鹿じゃん。
「それより助手くん。君の事件解決への推理は上出来だった。どうだ、一つ提案があるんだ。ボクと一緒に探偵部を作ろう!」
「結構」
「……今のはボクの空耳だよね。もう一度聞く。ボクとたん」
「やらない」
きっぱりはっきり言えば、浦川はわかりやすく落ち込む。誰が探偵部なんてふざけた部活に入るものか。……アリ研究部よりはふざけてないかもしれないけど。そもそも二人だと部活作れないし。
落ち込んで動かなくなった浦川を置いて、足を進める。というか本当に浦川の家はこっちであってるの? 真逆だったりしない?
「……ハッ! 助手くん!」
うわ。急に元気になってまた隣に付いた。
「名案がある! 部活が駄目ならサークルを作ろう! これなら」
「確か部活は作れるけど、サークルとか同窓会っていう制度、浦川が入学した高校にはなかったはずだけど?」
「なっ、ボクが知らない情報、そんなもの、でたらめだ!」
「公式ページに載ってる。書いてる。でたらめじゃない。てか赤信号」
そのまま歩き続けて車に引かれそうになった浦川の肩を引く。ところどころ間抜けなんだよな。
歩道信号が赤から青になったら歩き出す。今日は一段と疲れたな。どれもこれも今も隣で歩いてる自称探偵のせいだろうけど。
浦川からずっと探偵部の勧誘をされながら道を歩いていたら、腹からぐぅーと情けない音が出る。僕の腹からだ。
「そういえば昼を挟んでの調査だったね。ボクも空腹だ。どうだ、コンビニエンスストアでも寄らないかい?」
「……なんで正式名称なの。それに寄らない。家で適当に作る」
「作るんだ。……親は仕事?」
聞いたことのない素の声で少し戸惑う。こんな普通の浦川見たことない。
「普通に喋れるじゃん。いつもそうしてよ。……親は……」
誰にも話したことがないこと。べつに話す必要もないからと黙ってたけど、最近これが異常なことだとは知った。浦川に言うべき? いや、
「教える必要ない」
「……なんで言えないの」
「なんでも。それに、家庭のことを教えるほど僕は浦川を信用してないから」
「ふぅん。なら、信頼を得るために一つ話をしよう」
返事はしてないのに、勝手に語りだす。
「ボクの親はね、小さいときに死んだんだ。いや、殺された。ある人によってね。だから、その人を今も探してるんだ。目星もついてる。
それで、もしよければ君に手伝ってほしいんだ。情報を得られたときだけでいい。そのときだけでいいから君の助けがほしいんだ。犯人を見つける、ね」
もしかしてメモ帳の初めに書いてた「対象、実力あり ――出入りの確認、現場の状況、浦川の素性に疑念」って僕の推理力を試してたのか? それなら納得がいく。出入りの確認もしたし現場の状況も、浦川のことも気になってた。けど、そんな遠回しじゃなくて、直接言ってくれたら僕だって協力したのに。
「僕で良ければ。ちょうど信頼できる人が欲しいと思ってた頃だし。まだそんなに信頼してないけど」
「そんな、あまり信頼できていない君に信頼してもらうための第一歩として、連絡先交換というのはどうだい? いい案だろう!」
自信満々に目を輝かせる。少しだけハードルが高い気がする。けど、交換することによって信頼度が高くなるのは確かかもしれない。
「……いいよ。でもどうやってするの? 僕友だちいなくて今までに交換したことないから」
「……君ってほんとに第一印象のまんまだね。金持ちのボンボンで、友だちはあんまりいなくて、世の中のことを全く知らないってね」
「どんな第一印象なの。僕そんなに金持ちじゃないし。まあ……小さい頃はそうだったかもしれないけど。それに……世の中のことなんて、十分くらいに知ってる。気持ち悪いくらいに」
「……ふぅーん」
信号の待ち時間に浦川がスマホをいじって交換ができる。そのとき、妙に浦川の顔が微笑んでるように見えた。もしかしたら浦川も友だちがいないのかもしれない。まあ、あの喋り方の人間と友だちになりたいとは思えないよな。僕も思わない。
「一人目だ!」
一人目なんだ。本当にぼっちだったんだ。
「……よかったね」
「ありがとう助手くん! ニックネームは『助手』か『日向陽一』のどっちがいい?」
「どっちでもいいよ。好きにすればいいんじゃない?」
「なら『日向陽一』にしようかな!」
浦川がスマホをいじっては僕に見せつけてくる。べつに疑ってもないし、僕は名前の表記の仕方に興味はないから見せてこなくてもいいんだけど。
……それより、本当に探偵はなんでも知ってるんだな。僕の名前の漢字も。
青信号になって足を動かしだす。
「君はどうするんだい? ボクのニックネーム」
「普通に『浦川』だよ」
「下の名前にはしないんだ。そっちのほうが距離も縮められて信頼できそうなのに」
「そんなことを言うなら『助手』は意味がわからないし、『日向陽一』も、フルネームだと距離があって、信頼できそうな名前じゃない気がするんだけど」
「そんなことはないさ。ボクにとっては十分馴染み深くて信頼できる名前だよ!」
まあ、僕が口出すことじゃないけど。
そんなあんまり信頼してない浦川と、のこのこと歩く。
「……少しだけなら話してもいいよ。親のこと」
なんとなく浦川になら話してもいい気がしてきた。むしろ信頼を得るためには話しておかないといけない気がした。
「話してくれるんだ? 聞こうじゃないか」
そんなに上から目線なのは望んでないけれど。
「僕の親、朝から晩までどこか行ってて、家にほとんど帰ってこないんだ。水商売かなんかしてるんだと思う。ほんのたまにしか顔合わせないし、合わせても特になにか言ってくることない。僕を自分の子供だと思ってないみたいに。もちろんごはんも作ってくれないから、全部自分で作ってるし最低限の家事もしてる。勉強があるから全部が全部手を回せないけどね」
初めて話す。僕の家のこと。
「だから、僕は独り。友だちも家族も、ずっといない。独りでここまで生きてた」
「それで、君の初めての友人がボクというわけだね?」
「……まあね。べつに深い友情は望んでないから、期待はしてない。ただそんな傍にいてくれる人がほしいなと思っただけ」
「…………」
本当に言葉の通りに思ってるのかどうかはわからない。嘘なのかのしれない。でも、それでも、
「僕は浦川を友だちだと思いたい」
少しはそれっぽいことを言ったと思った。少しは浦川も関心してくれると思った。でも浦川は目を丸くさせては「失望」みたいな顔をしていた。
それまではずっと静かなまま僕の家の前まで着いてしまった。浦川も付いてくる。
「高そうなマンションだねぇ? さすが金持ちだ」
「だから今は違うって。それより帰らなくていいの。僕はもう上がるけど」
「ついでだし君の家に上がろうかな」
ついでってなんだよ。親いないからいいけど。
鞄の小ポケットからキーケースを取り出して扉を開ける。エントランスに入ったら「702」のポストに入ってるチラシを根こそぎ取る。どれも要らなさそうだな。
エントランス扉を開けるために暗証番号四桁を打とうとする。けど隣には浦川がいるんだった。思い出して浦川に声を掛ける。
「暗証番号なんだ。見ないでくれる?」
「それはすまないね。ボクはどうしたらい」
どうもこうも、見ないでいただけたらそれで。浦川の目にチラシを押しつけて隠す。その間に打ち込めば、扉からカチャッと音が鳴る。
「君さ、さっきからボクの言葉を遮ったりしないでくれないかな? 心の広いボクでもさすがに悲しくなってしまうよ」
「そうだね。早く来ないと締め出すよ」
「探偵を置いていくなんて」
「いいから早く来て」
浦川待ちなんだから。反論があるなら扉をくぐってから言ってくれないかな。
エレベーターの前で少し待って下りてくるのを待つ。けど三十秒もしないうちに下りてきた。浦川を先に乗らせて、七階のボタンを押す。
初めて家に人を上げる。リビング片づけてたかな。片づいてなかったら悪いけど帰ってもらおう。そんなことを浦川に伝えてたら七階に着いた。
「七階になんて高い所に住んでるんだね。……飛び降りたら死んじゃうね」
「……なに言ってんの」
そりゃあ飛び降りたら死ぬだろうけど、そんなこと相当ないと思うよ。
「702」の部屋の前に着いて思いだす。そういえば鍵、どこかに落としちゃってたんだった。
「浦川……ごめん。鍵どこかに落としてたんだった」
「…………」
ただ浦川は部屋番号をじーっと見てる。
「浦川?」
「ごめんごめん。……鍵ないんだっけ? 鞄とか探した?」
「学校で探した」
「もう一回探してみようよ。ボクも手伝うからさ」
学校で探してなかったんだからないんだよ。そう思いながらも、浦川を納得させるために鞄をひっくり返した。
「ほら、ないだろ?」
「……それは?」
浦川が指差したのはハンカチ、いやハンカチに挟まってるのは鍵だ。あったんだ。危うく無駄に宿泊代を出すところだった。
「よかったね」
思えば、トイレに立ったとき、ハンカチを出したら鍵も出てきて一緒に畳んだんだった。なんで鍵と一緒に畳んだんだろう、そのときの僕。
というより、なんで鍵がハンカチと出てきたんだろう。鍵はいつもキーケースに入れてるし、ハンカチはトイレに立つときだけ鞄から取り出してるし。
「これで思う存分に君の家に入ることができるよ」
「家に上げるの僕なんだけど。でもありがとう」
「獅子身中、だね」
「……え?」
「ほら、君自身がしたことなのに、君自身を害したことになる。ね」
あんまり四字熟語には詳しくはないんだけど、確か味方なのに攻撃してくるみたいな意味合いだった気がするな。
思えば、今日あった料理部の件も獅子身中なのかもしれない。部員という仲間なのに、嫉妬とかの感情が働いて部員に嫌がらせをしてしまった。
味方だと思ってた人から裏切られたりしたら、さぞかしショックを受けて、人を信じられなくなるだろうな。小原くらいのメンタルがあればなんとかなるかもしれないけど。
かわいそうに。
「君が求めるもの。真実のなきもの」の一作目、「犯人探し ――獅子身中――」を投稿しました。
初めての推理ものというジャンルでどうしたらいいのかという、なにもわからない状態で書いたもので、不備がたくさん見られるかもしれませんが、温かく見守っていただけたら幸いです……!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。どんな評価でも、ご感想でもお待ちしています。続きが読みたいと思った方はブックマークもよろしければ……!
ありがとうございました!