Autumn~starry night~
今日も、彼は二度死んだそうだ。
まだ二学期が始まってから一月しかたっていないというのに、二学期だけで彼は70回近く死んでいる。
彼曰く、読書の秋だから、とのこと。
この言からわかるように、彼は現実に死んでいるわけではなく、本の中で死んでいる。
彼のお気に入りは、スプラッタで凄惨な描写が多く、人がバンバン死に、最後に主人公が死ぬ話という、かなり偏った趣味だ。
そういうわけで、この9月の間に彼が読んだ主人公の死ぬ小説は、70冊。
一日につき2冊は読んでいる計算だ。
よく読む本(あるいはお金)がなくならないものだといつも思う。
コンコンと、扉を叩く乾いた音が二度響き、思考と動かしていた腕が止まる。
入ってきたのは、件の彼だ。
何も言わず、美術室の扉を閉め、私から少し離れたところに椅子を持ってきて座る。
鞄から本を取り出し、黙々とページをめくりはじめた。
私はそれを見ると、いつものように今まで描いていた絵を、途中まで描かれた彼の絵へと取替える。
彼に悟られないように気をつけながら、続きを描く。
淡々と、時間が過ぎていく。
私はただカンバスに筆を滑らせ、彼は綴られた文字群に没頭する。
どのくらいの時間がたっただろうか。
そう思ったとき、チャイムが鳴り響いた。
校門が閉まる30分前、つまりは午後五時だ。
私は片づけを始めるため、彼に背を向けて席を立った。
ほ、と一息ついた。
チャイムの音が、本の世界にのめりこんでいた僕を、現実に引っ張り戻したからだ。
彼女が立ち上がった。
本は、あと数ページで読み終えるが、僕は気にすることなく、鞄にそっとしまった。
片付けの数分間、僕は彼女の様子を見守る。
何をどんな風に片付けているかはわからないが、知る必要もないだろう。
彼女が片づけを終えたので、僕も立ち上がった。
片づけを終え、後ろを振り向くと、ちょうど彼が立ち上がったところだった。
いつものように彼はドアへと向かい、その間に私は鍵と鞄を持つ。
ゆっくりとした彼に追いつくため、少し急いで歩く。
彼が扉を開き、通ってまもなく、私も扉を通る。
鍵をかけ、一言、
「じゃあ私、職員室に鍵を返してくるから」
彼は首を縦に振る。
昇降口と職員室は、美術室から見ると逆方向なので、それぞれ反対へと向かう。
彼女が職員室に行って、鍵を返却している間に、僕は自転車を回収して昇降口で彼女を待つ。
ぼんやりと秋の夕暮れの中、カラスが二羽だけで、鳴きながら飛んでいくのを眺める。
すると、彼女がやってきた。
いつものように隣に並び、歩いて帰る。
「ねえ、今から少し、図書館に寄らないかしら?」
彼女が突然、言い出した。
これは、いつもと違った。
少し驚いたが、図書館に寄るくらいなんでもないので、
「いいよ。行こうか」
と答えた。
またしばらく、僕らの間を静寂が包んだ。
図書館に着くと、彼女が再び口を開いた。
「今ね、二階でゴッホの絵の写真が展示されているの。少し、見に行かない?」
僕はうなづき、彼女の後に続いて、二階へと階段を上っていく。
二階には、彼女の言っていたとおり、さまざまな絵が飾られていた。
僕にはどの辺がすごいのかわからないが、きっとすごいのだろう。
ひとつわかったのは、僕には綺麗だな、と言うくらいしか語彙がないことだ。
彼女は誘ったくらいだから、どのくらい熱心に見るのかと思ったが、ゆっくり見て回るくらいで、さほど熱心とは思えない。
ふと、彼女から目を離し、絵をみて回っていると、彼女の姿が消えている。
どこに行ったのかと探してみれば、彼女は一枚の絵を、じっと見つめていた。
題名は"the starry night"。
日本語に直すと、星月夜だ。
欧州の古風な町並みの上空に、1つの月と、11の星が輝いている。
星が、月にも負けない明るさで瞬く。
そして、光を包むように、渦を巻いて黒雲が浮かぶ。
そんな空を一本の細く高い木が貫いていた。
静かに騒々しく。
暗く明るく。
静的であって動的。
とても不思議な絵だった。
……僕がこの絵に惹かれたのは、なぜだろう?
そんなことを考えたときだった、彼女が振り返ったのは。
私が彼に声をかけようと、後ろを向くと、すぐそこに彼はいた。
彼も、私と同じ、"the starry night"を見ていたようだ。
邪魔してはいけないかと思ったが、私が何かを言うか、動き出すのを彼は待っているようだったため、考えていたことを声に出した。
「ちょっと、付いてきてくれる? あなたに教えたい場所があるの」
彼はちらりと自分の腕時計に目をやりそうになったが、思い直し、こくりと頷いて、
「……わかった。行こう」
図書館を出ると、外はもう夜の帳に包まれていた。
私は、彼よりも少しだけ前に出て歩く。
私の向かう先は、学校だった。
途中で彼は何度も、どこに向かっているのか訊きたそうな表情をしたが、やはり思い直して、押し黙っていた。
学校に着くと、私は学生服なのも気にせず、校門に足をかけ、よじ登る。
彼のほうを見ると、彼は私に背を向けていた。
少しだけいたずら心が芽生え、こんなことを訊いてみる。
「なんでそっちむいてるの?」
「ば、馬鹿野郎。み、見えるだろ!」
その返事に満足し、ストン、と地面に降り立つ。
「もう大丈夫だからおいでよ」
彼は半信半疑な様子だったが、私が門に登っていないことを確認し、門を越えた。
グランドの端にある、いつもの登下校で使う道を通り、校舎へと進む。
私はいつも開いている窓から校舎に侵入し(もちろん同じことを繰り返して彼を困らせた)、夜の校舎を徘徊し始めた。
私は目的の扉の前で、歩みを止める。
ポケットから鍵を取り出し、開錠した。
しかし、扉を開ける前に、
「少しの間、目を瞑っていてくれる?」
そう言われたため、僕は黙って目を瞑った。
僕の手を彼女が握り、ゆるい力で引く。
あまり油が差されていないだろう金属の扉が、軽く軋む音を立てる。
おそらく彼女が扉を開いたのだろう。
リノリウムの床が、コンクリートのものに変わる。
強い風が、僕の頬を撫でた。
秋も本格的になり始めたこの時期、夜の風は少し冷たい。
少し歩いたところで、彼女が手を離した。
「いいって言うまで目を開けては駄目よ。あと少しだけ我慢して」
それから、彼女の足音だけが響く。
そして、僕の後ろから、
「――もう、開けてもいいわ」
僕の目の前に、"the starry night"が広がった。
「――どう、すごいでしょう? この学校、少し高台になっているから。ほら、町があそこにあって、向こうには山があるし、すぐそこの木がちょうど絵の木と同じところにくるのよ」
驚きで、声が出ない。
返事をすることも忘れ、風景に見入る。
僕は 静かに騒々しく、
暗く明るく、
静的であって動的、
そんな彼女の方を向き、わかりきったことを、臆病に訊いた。
「……どうして、僕に見せたんだ?」
私はクスリと笑い、
「あら、わからないかしら? だって、私は――」
―了―