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第5話 売れてぇ


俺とタマを乗せたタクシーがマンション・エバーナの前に着いた。


 マンション・エバーナはここら辺の中で一番セキュリティーがよく、芸能人が大勢住んでいるとも言われるマンション。全20階で家賃はそれなりにする。


 隣に座っているタマは今にも吐きそうな顔をして、ビニール袋を持っている。


「着きましたよ」

「ありがとうございます」


 俺はタマの代わりにタクシー代を交通系ICカードで支払った。


 お金はまた今度徴収する。


「じゃあ、開けますよ」


 運転手さんは俺達が座っている後部座席にドアを開けた。


「ヘルプ」

 タマは苦しそうな顔をして言った。


「ちょっと待ってろ。外確認してくるから」

「了解です」


 タマはビニール袋を顔の前に上げた。


「運転手さん。ちょっとだけ待ってもらっていいですか?」

「いいですよ」


 俺はシートベルトを外して、外に出て、周りを見渡す。


 ……どうやら、記者は居ないようだ。写真を撮られたら色々と面倒だ。お互いの事務所の人達に迷惑をかけてしまう。居酒屋を出る時は裏口から出してもらった。


 俺はリュックを前にかけて、タマの方にドアに周り込む。


「タマ。シートベルト外せるか」

「うーん。無理よりの無理」


 無理って一言で言えば済むだろう。


「それは無理って事だな」

「そう解釈してもらっていいです」


 酒を呑みすぎて気持ち悪いくせにめんどくさい言い方をするな。


「はいよ。動くなよ」

「微動だにしません」


 俺はタマのシートベルトを外して、タマのジャケットとカバンと帽子を手に取る。


「じゃあ、次はおんぶするから動いてくれ」

 おんぶをする態勢をとる。


「組長りょうかいですう」

 タマはビニール袋をデニムパンツのポケットに無造作に入れた。


「変な言い方するな」

「出撃します」


 タマは俺の背中にダイブしてきた。


 俺は衝撃に耐えながら受け止めて、おんぶする。

 なんでいつもこんなおんぶの仕方しかないんだ。毎回背中が痛い。


「ちゃんと乗れたな」

「はい。艦長」


「はいはい」

「えーっと、吐きそう」


「吐くなよ。絶対に吐くなよ。頼むから吐くなよ」

 吐かれると後処理が色々と困る。吐くなら部屋についてから吐いてくれ。


「がんばです」

「お前がな」


「はい。すみません」

「運転手さん。ありがとうございます。もう大丈夫です」


「はい。それでは」

 運転手さんはドアを閉める。そして、タクシーは去って行った。


 俺はいつ吐くか分からないタマを背負いながら、マンション・エバーナのエントランスに入り、開錠の為にセンサーの前に行く。


「タマ、画面に顔」

「りょうかい」


 タマはセンサーに顔を見せる。


 センサーが顔認証をして、入り口を開錠する。

 俺とタマは入り口を通り、エレベーターに乗り、13階に向かう。


「あー呑みすぎた」

「本当に呑みすぎだ。他の人と呑みに行く時もこんなに呑むのか」


「呑まない。他の人の時は恐いもん」

「恐いって」


 まぁ、酔わせて何かしようとする男は世の中にいるもんな。最低だけど。しらふで頑張れよ。情けない。


「信頼してます」

「信頼すんな。馬鹿」


 その信頼のされ方は嫌だ。


「馬鹿じゃないです。考えてないだけです」

「はいはい」


 エレベーターが13階に着いた。俺とタマはエレベーターから降りて、タマの部屋の前に行く。


 俺は居酒屋に出る前に受け取っていた鍵をズボンのポケットから取り出して、鍵を開ける。そして、ドアを開けて、中に入り、玄関で自分の靴を脱ぐ。すると、リビングの方からタマの飼い犬のロミオが走ってきた。


「あとで餌やるから。ちょいまち」

 俺はタマを背負ったまま、寝室の向かう。


 寝室の照明スイッチを頭で押して、電気を点ける。


 ベットの上にタマを置き、持っているカバンと帽子を床に置く。そして、壁に掛けられているハンガーを手に取ってジャケットをかける。


 靴を脱がせて、玄関に持って行く。ロミオはずっと俺の後を追ってくる。


 ロミオは何度かタマを介抱するうちに懐かれた。だから、吠えない。


 リビングに行き、ロミオに餌をやって、冷蔵庫から水が入ったペットボトルを取り出す。


 リビングから出て、寝室に行き、ベット前にある机の上に水が入ったペットボトルを置き、前に背負っているリュックからボールペンとメモ帳を取り出す。


 メモ帳にタクシー代と家の鍵を玄関のボックスに入れて帰る事を書いてから千切って机の上に置く。


「じゃあ、帰るな」

「帰んの」


「帰るよ」

「また一緒に芝居しよう」


「……おう。売れるわ」 


 タマに俺の方に来てもらうより、俺がタマの居るステージに行かないといけない。それがどれだけ難しいかと言う事も分かってる。でも、あと2年で30歳だ。うかうかしてられない。


「あー楽しく芝居したい」


 売れると売れたで悩む事が多いだろう。好きなものを仕事にする。


それはとても幸せな事かもしれない。でも、それと同時に仕事としてシビアにならないといけない場面もあるだろうし、妥協しないといけない事もあるだろうし、辛い事もたくさんあるはず。


 学生時代の夢焦がれてひたむきに頑張っていた頃の芝居が一番楽しいのかもしれない。





 夜道を歩いて、自宅に向かっていた。

 誰ともすれ違わない。自分の足音がよく聞こえる。


 ズボンのポケットからスマホを取り出して、画面を見る。4時02分と表示されている。あと数時間もすれば太陽が上り、朝になる。


 立ち止まり、夜空を見上げる。なんだろうか。月が普段より明るく見える。


 ふと、自分の置かれている立場が恐くなった。

 タマが活躍しているステージに少しずつ近づいているのは分かる。でも、その距離が果てしなく遠く思う。


 焦らないといけない。でも、焦りすぎると壊れてしまう。その間で揺れ動く気持ちがむずがゆい。

 不安で不安で胸が痛い。


 俺は不安を払拭する為に走り出した。不安が払拭できるかは分からない。でも、何かをしないと不安に押しつぶされそうになるのが事実だ。


 この時間に一言だけ叫んでいいなら言いたい事がある。それは「売れてぇ」。隣の街に届くまでの声量で叫びたい。

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