第21話 芝居において、コンプレックスは宝物
古戸さんが長テーブル前のパイプ椅子に腰掛けている。長テーブルの上には台本とペンと水が入ったペットボトルが置かれている。
古戸さんの後ろではタマや名和さんや劇団スノードロップの人達が座って、俺と靴川さんと江藤さんのシーンを見ている。
俺が出ているシーンが終わった。それは駄目だしが始まるのを意味する。
シーンに出ていた俺と靴川さんと江藤さんは古戸さんの前に立つ。
どんな駄目だしを出されるのだろうか。また怒鳴られるのだろうか。褒められた事なんて一度もない。逃げ出したい。参加するんじゃなかった。
靴川さんと江藤さんの駄目だしが終わった。二人は怒られず、ここをこうすればいいと言う指示を出されている。
俺もそんな駄目だしがほしい。また人格否定されるんじゃないかと思う。いや、きっとそうだ。
「おい、汐路」
古戸さんは怒鳴った。
「は、はい」
こ、恐い。涙が出そうだ。逃げたい。逃げさせてくれ。でも、逃げ場がない。
「お前は下手くそだな。才能がない」
「す、すいません」
まただ。またこの言葉だ。みんなの前で言わないでくれ。自覚してるんだから。
「謝るんじゃねぇよ。言い返してみろよ」
「で、出来ません」
言い返したらまた怒るじゃないか。何しても駄目じゃないか。
「お前のその顔は飾りか。全く恐さがねぇじゃねぇか」
「す、すいません」
顔の事をまた言われた。恐い顔で生まれたくて生まれたんじゃない。
この顔で損ばかりして来た。けど、お芝居なら活かせるかもしれないと思った。で、でも、こんなに辛いとは思わなかった。ど、どうしたらいいんだ。
「恐さを出せ。恐さを」
「……は、はい」
涙が出てきた。もう怒らないでくれ。
「泣くんじゃねぇよ。俺に怒れよ。怒ってみろよ」
「で、出来ません」
心が壊れる。ひびは確実に入っている。
「するんだよ」
古戸さんはペットボトルを投げた。
俺の肩にペットボトルが当たった。
痛い。身体も心もボロボロだ。芝居なんて辞めてやる。こんな事言われ続けるなら違う事をする。
「……無理です」
学校の先生も学費を出してくれている両親もごめん。無理だ。耐えられない。
古戸さんは溜息を吐き、「1時間休憩だ。その間にどうにかしろ。お前が上手く出来ないと意味がないんだ」と言った。その後、パイプ椅子から立ち上がって、外に出て行った。
な、涙が止まらない。
「だ、大丈夫か」
「さと。大丈夫だよ。上手くなってる」
名和さんとタマが駆け寄って来て、背中を擦ったりして慰めてくれている。
「もう辞める」
俺は二人の優しさを振り解き、稽古場から出て行った。
稽古場近くの公園のベンチに座って、泣いている。
夜で誰も居ないから静かだ。自分の泣き声がよく聞こえる。
光は壊れた外灯の灯りだけ。
稽古場はどうなっているんだろうか。
もう帰れないから考えなくていいか。名和さんもタマもあんなに優しくしてくれたのに。その優しくを無碍にするなんて。最低だ。人として終わってるよな。
足音が近づいて来る。
俺は足音がする方に視線を向ける。視線の先にはこちらに向かって来ている明星さんの姿が見えた。
なんでここに来たんだ。俺を連れ戻すためか。あんなところ戻りたくない。逃げなきゃ。
俺はベンチから立ち上がって、走り出した。
「汐路君。ちょっと待って」
「嫌です。戻りたくないんで」
立ち止まって、答えた。
「じゃあ、話だけしよう」
「……話だけ?」
「うん。話をして戻りたくなかったら戻らなくていい」
「本当ですか?」
「本当だよ。だから、ベンチに座ってくれないかな」
明星さんの声はとても優しかった。傷ついた心を包んでくれるかのように。
「……はい」
優しさに負けてしまった。
俺の意思は弱かったみたいだ。
俺はベンチに戻って、座った。明星さんは隣に座った。
「稽古辛いかい」
「……辛いです」
あの稽古で辛くない人がいるならそれは頭がおかしいか心が壊れているか、そういう癖の人だけだろう。
「だよね。実は言うと俺もあの稽古は辛い」
明星さんは頬を照れくさそうに掻いた。
「え? 明星さんもですか」
驚きだ。他の劇団員の人はロボットのように受け流しているのに。
「当たり前だろ。古戸さんの言い方悪いもん。あの言い方だったら人格否定されてると思う役者は大勢いると思う」
「……そうなんですか」
なんだか、少し救われた感じがした。自分だけじゃなかったんだ。
「あれだよ。こいつ殺してやるからなと思って立ち向かえばいいんだよ」
「え?」
「あれだけ言われたら悲しいけど腹も立つだろ」
「……は、はい」
たしかに辛くて悲しい以上に怒りもあった。でも、その怒りは表に出してはいけないんじゃないかと思った。
「たぶんね、俺と君はタイプが似てると思うんだ。自分のした事で周りの人に迷惑が掛かるんじゃないかって考えてない?」
「か、考えてます」
この人はエスパーなのか。いや、明星さんも俺と似たような経験をしてきたのだろう。
「だろうね。けどね。お芝居はその自分で作った殻を破らないと成長できないんだよ」
「殻を破る……」
自分で自分を押さえつけていたのか。これは駄目とか。あれは迷惑をかけるとか。
「稽古場はね、失敗するための場所なんだ。どんなに恥をかいても稽古は稽古。本番じゃない」
「失敗してもいいんですか?」
失敗すると怒られるだけだと思っていた。どうにか上手く誤魔化そうと考えている自分がどこかにいた。
「うん。失敗しないと成長できないよ。人間は失敗からしか学べないし考えられないからね。成功し続ける事は素晴らしい事だけどね。それだけじゃ芝居は上手くならない」
「……失敗が成長のきっかけって事ですか?」
「そうだよ。それにね。君はいいものを持っている」
「……いいものですか」
「君のその顔は才能なんだよ。俺がね、欲しくても手に入れる事ができない宝物なんだよ」
「俺の顔が才能ですか?」
この顔が宝物? そんな事あるのか。芝居でもやっぱり役に立たそうにないのに。
「才能だよ。君はコンプレックスと思っているかもしれないけどね」
「思ってます」
食い気味で言ってしまった。コンプレックスでしかない。
「食い気味。よほどコンプレックスなんだね」
「はい。ずっとです」
他人にここまで言った事はなかった。言っても「恐いやつが弱弱しい事言うなよ」とか「噓吐け。その顔でカツアゲできるじゃねぇか」とか馬鹿にされるだけだった。
だから、言わないように言わないように自分の心の奥に閉まっていた。
「そっか。……でもね。芝居はそのコンプレックスが輝きに変わるんだよ。コンプレックスが強ければ強いほど輝きは増していく」
「コンプレックスが輝きに変わるんですか?」
こんな事言われた事がなかった。今まで押さえ込んでいた重いものが急にどこかに消えて行き、身体も心も軽くなった気がした。
「変わるよ。絶対に変わるから」
「本当にですか?」
「本当に本当だよ」
「……ありがとうございます。ありがとうございます」
涙が決壊したダムのように溢れ出してきた。止めようとしても止まらない。流れ切るまで止まらないと思う。
「泣きたいだけ泣いていいよ」
「は、はい」
「俺ね。君の芝居が好きだから。頑張りなよ」
「俺も明星さんの芝居好きです」
「ありがとう。言われるの慣れてないから恥ずかしいな」
明星さんは顔を赤らめた。
本当に照れているようだ。あんなに芝居が上手いのに言われた事がないなんておかしい。劇団員の中でも一番上手いはずなのに。
「本当ですから。好きです。大好きです」
涙まじりに思いをぶつける。明星さんの芝居が大好きなのは誰にも負けない自信がある。台詞のない時の佇まいや目線や仕草や表情が凄いんだ。
「分かった、分かった」
「分かってませんよね。それ」
「面倒くさくなってるよ。汐路君」
明星さんは少し困っているような顔をしている。
「めんどくさくなってませんよ。正論を言ってるんです」
「はいはい。そこまで言える様になったら安心したよ」
「……そ、それは」
たしかにあの辛かった感情はない。
「よし。じゃあ、一つ質問するね」
「わ、分かりました」
「稽古場に一緒に戻って芝居しない?」
「……はい」
今なら戻れる気がする。でも、不安な自分がまだ居るのも事実。だから、返事が小さくなってしまった。
「聞こえないな。もう一度聞くよ。稽古場に一緒に戻って芝居しない?」
「はい」
大きな声で返事をした。でも、変な声の出し方をしてしまったのか声が上擦ってしまった。
これが一番恥ずかしい。
「よし、いい答えだ。もう少し落ち着いたら戻ろう」
「はい。早く落ち着きます」
必死に深呼吸を繰り返す。
「む、無理しなくていいからね」
「大丈夫です。無理はしてないです」
「それならいいけど」
「はい。任せてください」
「稽古場戻ったら古戸さんの胸ぐら掴んで睨んでやれ」
「え、それは」
で、出来る訳ないじゃん。
「冗談だよ、冗談」
明星さんは笑いながら言った。
「冗談きつすぎますよ」
明星さんは優しい顔をして、いかつい冗談を言って来るよな。他の人とは違う恐さがある。でも、優しさの成分が圧倒的に多いけど。
「でも、それぐらい強い気持ちがあれば大丈夫だから」
「……分かりました」
戻ったら色んな人に謝ろう。そして、何も言われても負けやしない。
言われたら言われたぶん、なにくそこのやろうの精神で食いついてやる。絶対に勝ってやる。自分にも古戸さんにも。




