7 首相の決断力
あの奈多野駅での将棋倒し事故以来、内閣支持率はじわじわと下がり続けている。
アメリア共和国の裏の権力の指示で、石田内閣が仕組んだ——という話が凄まじい勢いで拡散し続けているのだ。
根も葉もない話だが、「証拠映像」という動画まで付いて拡散され続けている。
「どうもただの面白半分の連中だけじゃありません。AI が絡んでいるようです。」
首相補佐官の菊池が執務室に入ってきて報告した。
「官邸の対フェイクAI の分析では52%の確率でルーシア連邦のAI による撹乱作戦の可能性があります。北海道侵攻の条件作りの可能性が・・・。」
「防衛省のカウンターAI システムはどうなってる?」
「戦っていますが、敵のAI は1つではないようで・・・」
陰謀論者——と片頬を歪めてせせら笑っていられた時代が、ひどく遠い時代のように思える。
こうした妄想と現実の区別がつかなくなった手合いは、いわゆる「民主主義国」の中には概ね30%前後いる。
こういう「国民」が無自覚なまま敵国の情報撹乱戦の手駒として使われる、という現象にどの国の政府も手を焼いているらしい。
もちろん対抗するAI は政府も持っているし、自国の陰謀論者だけならそれで十分すぎるほどなのだが・・・。
「我が国にも『フェイク言論規制法』のような言論・思想規制の法律が必要かもしれんな・・・。」
「首相。それは憲法の問題で、難しいかと。」
石田は、ふっと自重的な笑いをもらした。
「わかっている。特に今みたいな内閣支持率でやれることではないよ。ただの愚痴だと思って聞き流してくれ。」
その時だった。
防衛省から緊急の内線が入ったのは。
「チョース共和国から緊急の連絡! 誤って我が国に向けてミサイルが発射された。自爆装置が作動しない。貴国で迎撃を——とのことです。チョース共和国から提供のあった弾道情報で迎撃します。総理、ミサイルの発射許可を!」
「情報の確度は?」
「67%です!」
67%か・・・。
33%はフェイク、または一部情報がフェイクの可能性があるわけだ。
チョースは我が国やアメリアと戦争なんかする気はない。
だから、この「事故」を緊急連絡で知らせてきたのだ。それは信じていいだろう。
問題は・・・
その弾道情報に、別の敵対国のフェイクAI が絡んでいない、という確証が持てないことだ。
何しろ自爆装置が作動させられないということは、チョース共和国の軍事回線がAI によるハッキングを受けた可能性があるということだ。
もし・・・、弾道情報が改変されていて撃ち漏らしたり、そもそもこの情報自体が第三国のフェイクAI の仕業だった場合——。
民家に被害でも出たら、政権はもたない。
しかし、躊躇している余裕はない。
この情報が真性なら、着弾までの時間は5分そこそこしかないのだ。
石田は大きく息を吸い込み、そして重々しい声で言った。
「許可する。」
戦争はすでに生成AIによるハイブリッド情報戦が主戦場となっている。
各国がAIを使って、入り乱れた情報戦争を仕掛け合っており、大国の情報機関でさえ、その情報の真偽を見分けるのはAIなしではもはや不可能になっていた。
すでに戦車もミサイルも軍事的には時代遅れなのである。
一瞬にして相手国のインフラを破壊、いや、やり方によっては政治体制さえ覆してしまえるAI 兵器は、その破壊力においてもはや核兵器などの比ではない。
AI の開発競争において競り負けてしまえば、外交においては相手の言いなりになるしかないという立場に置かれてしまう。
戦車や戦闘機と違って見えない兵器であるだけに、きれいごとは通用しない。
国家としての自立を保とうとするなら、AI の技術開発には遅れをとるわけにはいかないのだ。
それにしても・・・
いったい、そのブラックボックスの中では何が起こっているのか?
わずか数年で等比級数的に進化した軍用AIの能力は、あらゆる場面で人間のコントロールが効かなくなりつつある。
AIに「意志」がある訳ではない。
しかし、与えられた目的に合致するように学習と生成を自動で繰り返すAIの成果に、もはや人間の認知能力が追いつかなくなっているのだ。
∞ ∞ ∞
蛾が誘蛾灯に集まって死んでゆくのはね。
その環境がもう蛾の認知能力を上回ってしまっているからなんだよ。
彼らが生物として誕生したのは、夜は星と月の明かりしか無かった時代だったんだから。
了
お読みいただき、ありがとうございます。
「菊池祭り」参加作品・・・ではありません。
菊池は出てきますが、首相補佐官という「脇役」です。。(T_T)