5 官邸の憂鬱
「我が国のAI は競り負けているのではないかね?」
石田総理は椅子に深く背を沈めたまま、火武良防衛次官に訪ねた。
奈多野駅での将棋倒し事故の件である。
「ルーシア連邦のフェイク攻撃が引き金だというじゃないか。」
「最初の市川駅での人身事故のフェイクとハッキングは、首都圏の交通システムの混乱を狙ったルーシア連邦の攻撃である可能性が51%。チョース共和国の攻撃である可能性が32%で、それに続きます。
アラートの誤作動に関しましては、ルーシア連邦が我が国の防衛システムを試そうとした可能性が37%。チャイカ帝国が同様のことをした可能性が35%で、驚くことにアメリア共和国の可能性も21%と3番目につけております。」
石田はじろりと火武良防衛次官を見た。
「全て、%なんだな。」
「AI に算出させたものですので。」
火武良は淡々と答えるが、腹の中では別のことを思っている。
(それを判断するために、あんたがいるんだろうが。総理大臣。)
何もかもAI 任せなら、政治家なんぞ必要ないではないか。
「そのAI が信用できるのか? と訊いているんだがね。」
火武良は一瞬、言葉に詰まった。
「事態が起こった——という事実を直視したまえ。」
「わ・・・我が国も日々開発努力はしておりますが・・・。」
火武良防衛次官の表情に、珍しく焦りが浮かんだ。
「なにぶん、防衛AI は国防の要でして・・・。一般の民間企業のそれとは次元が違います。優秀な人材を確保するためにも、もう少し予算を積んでいただければ・・・と。」
それは石田も分かっている。
今や、AI 技術は各国とも最高機密であり、民間で解放されているようなレベルのものではない。
AI の技術が国家防衛に直結するとなれば、当然のことであろう。
火器を使用した「戦争」はもはや時代遅れになりつつある。
AI によるハッキング、誤作動、偽情報戦が、火器による攻撃の前に勝敗を決めてしまうのがこの十数年ほどの間に起こった「戦争」の急激なパラダイムシフトなのだ。
予想していた者は多くはなく、日本の防衛省は乗り遅れたかもしれない。
最後まで開かれたグローバルな技術流通にこだわっていた経産省との間の、水面化の駆け引きが政府の判断を遅れさせたとも言える。
縦割り行政の弊害が出たのだ。
アメリア共和国が日本のAI 技術力を試そうとして今回の事件を引き起こした——というAI の分析結果も、石田には信じられないというほどでもない。
実際、アメリアの最良の同盟国と言われる日本ですら、今は逆にそれをやっているのだ。
どこの国が引き起こしたにせよ、これだけの人的被害が出た以上「我が国がやった」と言うところはない。
たとえアメリア共和国が引き起こした「事故」だとしても、謝ってくることなどない。
全ては、システムにこれほど大規模な侵入を許した石田内閣の責任ということになる。
石田は苦虫を噛み潰したような顔をした。
(甘えるんじゃない!)
口には出さないが、おそらく石田のその腹の中は火武良にも伝わっただろう。
日本だって、日々現場が努力していることは分かっている。
AI の開発自体、優れたAI の助力なしにはできないという現状も分かっている。
外国のスパイに入り込まれないために、優秀な人材は子供のうちから防衛省で囲い込む。外国からの余計な干渉を受けさせないためだ。
そうしてエリートコースを勝ち抜いた「超エリート」だけが、国防省のAI 開発に携わることができるシステムになっている。
憲法との整合性をギリギリですり抜けながら、この法整備をやってきたのだ。
甘えるんじゃない———と石田は思う。
お前たちが自由に動けるように、野党の批判にさらされながらも政治の側はやるべきことをやってきたのだ。
「さらに詳しい分析結果が出ましたら、対応策とともにまたご報告に上がります。」
火武良は書類をわきに挟むように持って、姿勢を正した。
この男らしい冷静な顔つきに戻っている。
「うむ。」
とだけ言って石田はうなずいた。