4 健太
「確率は?」
「74%です。」
課長の問いに杉原健太は特に気負うこともなく、いつも通りの返事をした。
「まあ、うちのAIもイマイチ大したことないからなあ・・・。」
課長がため息まじりに愚痴る。
これもいつものことだ。
「もう少し、こっちにもちゃんと予算回してほしいよ。」
入った注文メールが本物かどうか、判定する企業向けAI『はんていくんβ』。
とりあえずのメールや電話がフェイクでないかどうか、%で表示してくる有料版の中では一番リーズナブルなフェイク対策AIだ。
総務や上層部、技術部などは、もっと高性能な『アンチF・プロ』を使っているが、営業は足で稼げ——というわけだ。
「悪いが行ってきてくれるか? 可能性のある商談を逃すわけにはいかない。」
課長がすまなさそうな顔で言うが、それが営業の仕事だ。
かつて一世を風靡した「オンライン」なんてものは、今やどうでもいい会議くらいにしか使われない。
下請け仕事を出している「個人事業主」が生きてるかどうか確認するのと、ちゃんと仕事するようにプレッシャーかけるのが、そのテの「会議」の主な役割だ。
今どきオンラインなんかを本気で使ってる会社なんて、ロクなもんじゃない。
世間には、簡単にフェイクを生成し、紛れ込ませることのできるアプリがゴマンと出回っている。
今や小学生でもそんな使い捨てAI を入手できる状況だ。
面白半分のフェイクから、チョイ詐欺の成りすましまで。
高額なアンチフェイクAI を使っていない一般のデジタル端末なんて、どこでフェイクが紛れ込んでくるか分かったもんじゃないのだ。
重要な会議は顔を突き合わせてするに限る。
大事な商談もまたしかりだ。
こういう時代になった以上、営業の仕事は再び「足で稼ぐ」ことに戻った。
老害たちの嬉々としたウンチクがウザイが、それも仕方ないのかもしれない。
ただね。あんたらの時代とは、その意味が違うんだけどな・・・。
健太は技術部門の加藤美沙都を連れて行くことにした。
加藤は入社3年目のぼんやりした女で、時々会社のパソコンでこっそり趣味の動画なんかを観てるようなやつだ。
技術部門とはいえ、短大の経済デザイン専攻を出てきたデザイン畑の採用なので、大事な技術に関わるような場所にはいない。
だから、わりあいそのあたりユルくお目こぼしされているんだろう。
まあカッコいいデザインができれば、それでいいのだ。
健太が加藤美沙都を同行しようと思ったのは、小難しい技術の話をするやつよりは、目の前でサッと絵を描いて見せられるデザイナーの方が我が社の製品の魅力を伝えられるだろうと考えたからだった。
完全に遅刻だ。
一応相手方にはメールで事情を伝えておいたが、いつになったら復旧するんだ?
市川駅で人身事故——があったらしい。
スマホで情報を探ってみるが、予想どおり何の役にも立たないフェイクばかりだ。
つと横を見ると、加藤もスマホを見ている。
「無駄だぞ。当てになる情報なんかない。」と言おうとして、健太は片頬をひきつらせた。
加藤が見ているのは、アイドルかなんかの動画なのだ。
若干、頬が弛んでいる。
こいつは。
この状況で・・・。
健太が呆れて小言を言おうとした時、突然スマホがけたたましいアラームを鳴らした。
ミサイルだと!?
5分後!?
「おい! ぼさっとするな! 階段下に逃げるぞ!」
健太は加藤の腕を掴んで引っ張った。
この女は何が起こったか分からない、という呆けたような顔をしている。
直撃を受ければどのみち助からんが、少しは離れたところに着弾するなら下に下りれば爆風と閃光は避けられる。
同じ考えなのだろう。
階段には人が殺到していて、大渋滞になっていた。
全く動かない。
「ちっ!」
あのバカ女の手なんか引っ張ってる間に逃げ遅れちまったじゃねーか。
「さっさとしろオオ! 何やってんだアァ!!」
健太は叫んでから、どうやら階段下で人が将棋倒しになっているらしいことに気づいた。
団子になった人の山の中から、悲鳴ともゲロ吐くような音ともつかない「音」が聞こえてくる。
が、他人のことなどかまってはいられない。
ここにいては閃光の餌食になる。
時間がない!
あのバカ女も、もう知らん。好きにすりゃあいい。
アイドルだかなんだかを見ながら、壁に焼き付けられた影になるがいい。
この状況で、少しでも自分の生存確率を上げるには——?
健太は折り重なってもがく人の山を見た。
あの中に潜り込めば・・・
人の肉の壁が直接の被曝を防いでくれる。
放射線は突き抜けてくるだろうが、より害のあるものは突き抜ける力が弱いと聞いたことがある。
次の瞬間、健太は重なり合って蠢くヒトの山の中にダイブした。