1 夏彦
=プロローグ=
誘蛾灯になぜ蛾が集まるか、知ってるかい。
蛾は上下を、重力ではなく明るさで認識してるからなんだ。
夜といえども、空は地面よりは明るい。
その明るさの違いで蛾は上下を認識して飛んでいるんだ。
だからそこに人工の光があると、蛾はそっちが上だと認識してしまうからマトモに飛ぶことができないのさ。
夏の虫が飛んで火に入って焼かれてしまうのは、そういうわけなのさ。
∞ ∞ ∞
= 1 夏彦 =
夏彦はホームでスマホを見ている。
ホームは人でごった返しているが、電車がいつ来るのかはわからない。
2つ手前の駅で人が電車に接触する事故があって、自動停止装置が作動したというアナウンスがAI音声で(たぶん)流れたが、本当かどうかはわからない。
またいつものハッキングAIによる偽情報攻撃をブロックできなかっただけかもしれない。
もちろん、誰かが本当に電車に巻き込まれたのかもしれない。
今すぐは本当のことはわからない。
いずれ、主要なメディアが取材をして何があったのかニュースにするだろうが、今ここで確実な情報を知りたい夏彦には、知る術がないのだ。
ネット上には早くも市川駅での人身事故の映像があふれ始めているが、それを簡単に信じるわけにもいかないことは、情報リテラシーのある夏彦にはわかっている。
電車とホームの間に体が押しつぶされてしまって、切断された血だらけの首がホームに転がっている画像。
これはほぼ間違いなく、生成AIによるフェイク画像だろう。
どこかのバカが面白がってUPしたものに違いない。
片腕を押さえて顔をしかめながら、駅員に支えられて歩く男性の動画も拡散されている。
こちらは本物くさい。
どこでわかるかって?
まあ、勘だよ。カン。
デジタルフェイク世代のカン。
だいたいそもそも、そんな事故などなかったかもしれないのだ。
そんなことより、夏彦にとって重要なのは、運行の再開がいつになるか、ということだ。
がっつり時間がかかるなら、こんなホームで待ち続けるのもダルい。
もう、行くのやめよっかなぁ・・・、フリースクール。
夏彦が階段を降り始めた時、スマホがけたたましくアラートを鳴らした。
チョース共和国がミサイルらしき飛翔体を発射しました。
AIによる落下予測地点は東京。落下予測時間は5分後。
直ちに安全な場所に避難してください。
階段の上から、人の塊が雪崩のように落ちてきた。
ヤバい!
と思った時には、夏彦もその雪崩に巻き込まれていた。
咄嗟に壁の手すりにしがみつく。
安全な場所に逃げようと、階段を駆け降りる人、人、人!
その圧力はすぐに、階段の下の方にいた人々を押しつぶす本物の雪崩になった。
折り重なる人体の重量に肋骨を折られ、肺を押しつぶされる人々の悲鳴・・・いや、蛙か何かのような断末魔の音が聞こえる。
夏彦は身動きすら取れない。
必死で手すりにしがみついているだけだ。
スマホはとっくにどこかへいってしまった。
「さっさとしろオオ! 何やってんだアァ!!」
階段の上から怒鳴り声が聞こえる。
この駅に「安全」な場所なんて、あるわけねーだろ?
シェルターじゃねーんだ。
ホームの上もその下も、核ミサイルの前じゃおんなじだよ?
夏彦は手すりにしがみつきながら、頭の隅でそんなことを思う。
それより、オレのスマホ・・・
だいたい、このアラートだって本当かどうか。
もう、そろそろ5分過ぎてんじゃね?