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Q極的アンバランス  作者: 七瀬 零
第一話
3/5

星に射抜かれた男[2]

買い物を終えた悟はスーパーマーケットを後にする。


指定された材料は全て買い揃えた。

後は家に戻るだけ。

ただし、家に戻ったとしても面倒くさいことがある。

ニートにとってはそれはもうめんどいことだ。


そう。

家に戻ったら家事手伝いをしなければならない。


料理、皿洗い、風呂掃除。

職なしの人間にとっては絶壁の試練だらけ。

“だらけ”というからにはダラけたい。

これが無職の本懐だ。


まぁ、料理はほとんど姉がやってくれているのだが、私だけやっても意味がない、としばしば弟が担当する工程を入れてくる。


正直に言わせてもらおう。

余計なお世話だ。


“姉ちゃんが作った方が美味しいのだから、姉ちゃんが全部作るべきだ”


これを真正面から言える勇気が自分の中に少しでもあったのならどんなによかっただろうか……言ってもどうせ却下されるだけか。

兄に勝る弟などいないというが、姉であっても変わらないと思われる。

こうして、悟は妄想を自己完結させた。



太陽が先ほどよりも下降している。

季節はまだ9月、7時までとはいかなくとも6時ごろまでは明るいだろう。


ただいまの時刻は3時50分、今歩いている場所は住宅街の端である。

家まで徒歩7分というところか。

あと7分後にはキツイキツイ家事手伝いの時間が待っている。

覚悟を決めよう。



その時、近くの公園からサッカーボールが悟の歩いていた道に向かって転がってきた。

公園の入り口からボールを追いかけて小学校低学年くらいの男の子が道に飛び出してくる。



すると、道の向こうから来ていた乗用車がスピードを急にあげ出した。

まるで、赤いマントに向かって突進する猛牛のように…。



…ちょっと待て、あれはマズい!

明らかに少年を轢き殺そうとしている!



「マジかよ!クソッ!」

悟は瞬時に判断し、すぐさま少年に向かって走り出した。

買い物袋など、この一大事には何の役にも立たないのでゴミのようにすぐさま放り投げた。

悪態を吐きながらも車が接触する前に少年を彼が出てきた公園の入り口の方へ、ドンッと突き飛ばした。



抱きかかえて避けようとも思ったが、明らかに間に合わないことと、抱えたところで跳ね飛ばされた反動で少年の体が手元を離れ地面に思いきり激突して負傷させてしまう可能性があった。

だから突き飛ばすしかなかった、と悟は判断した。


あまりにも一瞬だったその刹那。

轢かれる直前、彼は思った。





自分は、生きてるだけで他人に迷惑をかけ続けてるけど。


それでも。

目の前で失われかけている命を見捨てられないくらいの情はあったんだ。





その瞬間、彼は久しい気持ちに包まれた。


無気力になった頃から一切抱いていなかった気持ち。


ついこの時まで忘れていた、記憶の片隅にあった感覚。


ほんとに、一瞬の思考だったけど。


彼は、自分の行動と倫理を誇らしいものだと実感した。




―――――――――――――――――――――――――




「ハァ…ハァ…ハァ…」

「こっちなのか!?」

「はい、そうです!」

1人の少年が男性を連れて走っている。

とにかく、急がないと…!



先程、少年は車に轢かれそうになった。

サッカーボールを追いかけて道に飛び出したところ、道を走っていた車が急にスピードを上げたのだ。

こういう時、普通は止まるのではないかと少年は子供ながらに思った。

いかんせん小学生なので車を運転する時のルールは全く知らないのだが、とにかく車は止まってはくれず少年を轢き殺そうとした。


だが、彼は轢かれずに済んだ。 

道の向こう側を歩いていた青年に突き飛ばされたおかげで、尻もちをついて手のひらを擦りむきはしたものの少年の体には車による実害はなかった。

…当然、その代わりに青年が車に轢かれてしまった。


轢かれた瞬間、青年の体はただのボロ雑巾になった。

目視で考えると多分、5mくらいは吹っ飛ばされただろう。

無造作に倒れた青年と地面の隙間からは何か赤いモノが流れ出てきていた。


それを見た瞬間、少年は自分がやるべきことを理解した。

目の前で起きた出来事があまりにショック過ぎて一瞬動きが止まってしまっていたことを反省しながら、少年は大人を呼びに行った。


電話を持っていない以上、大人に頼んで代わりに救急車を呼んでもらうことと、それが来るまで轢かれた青年の応急手当てをすることが今自分のやるべきことだと少年は胸に刻んだ。


平日だからかみんな仕事で出計らっていたので、在宅している大人を探すのに苦労してしまったがやっとの思いで見つけることができた。


後は、あの轢かれた青年が生きていてくれるか、その奇跡に賭けるしかない。


男性の手を引っ張りながら全力で走る。


あの角を曲がれば、もうすぐ…!




「こっちです!こっちの方に………あれ?」




大人の手を引いて必死に事故現場へ引っ張っていた少年は次の瞬間、別の意味でショックを受けた。



「ホントに男の人が轢かれたのか?」

男性は、目の前の光景と少年の証言の食い違いに疑問を抱いた。



「…はい…そのはず、なんですけど…」

少年も同じだった。

確かにこの目で見たのに…。



青年の姿は、跡形も無く消えていた。

そこにはただ、“何かがあった”という事件性を示している血溜まりが存在しているだけだった。





―――――――――――――――――――――――――




「……んっ……んん………んあ?」

何故か家の玄関に倒れ込んでいた悟はようやく目を覚ました。


「……あれ……なんで俺、家の前で寝てるんだ?」

上体を起こしながら今までの出来事を整理する。




確か俺は、家を出て買い物に向かったはずだ。


それで、そのまま何事もなく帰ってきて。



公園のすぐそばで、目の前で子供が轢かれそうになっているところを助けて。





ーーー代わりに、自分が轢かれた。




……………轢かれた?




「……いや、流石に夢か」




よく考えろ。

否、よく考えなくてもわかる。

本当に車に轢かれているのならこうして無事でいるわけがない。

死ななかったとしても、目覚めるのなら玄関ではなく病院のベッドの方が明らかに現実的だ。


となると、やはり車に轢かれたのは夢だ。

きっと家のすぐそばで唐突に眠気が襲ってきて、ちょうど玄関前でぐっすり、なんてことが起きたのだろう。

すぐそばに買い物袋も転がっているし。


そもそも今は体のどこも痛くないのだから事故どころか怪我による不注意も起こっていないはずだ。



とにかく、体が無事なのであればそれでいい。



さて、玄関を開けて恐ろしい姉にしばかれながら夕食を作るとしますか。




そう思って立ち上がった時

ふと下を見ると

ありえないモノが

そこにはあった



「………………………………………え?」




赤い。

紅い。

朱い。

緋い。

どこまでも、赤い。




真っ白だったはずの服というキャンバスにベットリと、自らの肉体から作られた朱色の絵の具がついていた。



なんだこれ、気味が悪い……!



おかしい、、、さっき、、、そんな事はあり得ないって、、、

否定したはずなのに……!




それに、おかしいところは他にもある……。





この血……“乾いてない”……。





服だけでなく、接していた地面にも付着している。

つまり、この血は流れてからそこまで時間は経過していないという事だ。


その上、服の血液が付着していた部分、流血したはずの箇所、右脇腹あたりには一切の負傷がない。


誰かの返り血という可能性……はない。

自分は働きたくはないが、かといって物理的かつ意図的に誰かを傷つけたいとは全く思わない。




その瞬間、悟は自分が化け物になってしまったのだと自覚した。




だんだんと動悸が激しくなる。

込み上げる不快感が拍動を加速させ、精神そのものが“もう耐えられない”と嘔吐を招きかける。



手を口で抑えるが、無論吐きはしない。

ただ、()()()()()()()()()()()()()()()という焦燥感に苛まれているだけだ。

だが、悟にとってはこれが地獄のような時間に感じた。


どこにも不調はない、健康体そのもの。

だからこそ、死ぬほど気持ち悪かった。

目の前で起こっている事自体は、自分のようなバカでもわかる。

むしろ、こんなバカでも分かってしまうくらいの残酷さを突き付けられてどうしようもないのが本当に怖い。

さっきから喋ることすらままならない。




誰か……誰か……この訳のわからない苦しみから……俺を解放してくれッ……!




…………ル。



………ルル。



……ルルル。



…ルルルル。



プルルルル。




ようやく、ズボンのポケットに入れている携帯端末がなっていることに気がついた。

ガタガタと震える手でポケットの中からそれを取り出し、画面を見る。


液晶には、明星優華の文字が表示されている。

姉ちゃんからだった。


画面をスライドして応答する。


「ねぇ、ちゃんと紙に書いたヤツ買ってくれた?余分なものとか買ってるんじゃないでしょうね!?」


相変わらず辛辣だった。

けれど、このいつもの感じが今の悟の壊れかけた精神状態を元に戻そうとしてくれているので、今この時優華は間違いなく悟にとって救世主と呼ぶに相応しい人物だった。


「ね、姉ちゃん……」

「ん?どうしたの?声震えてるけど……まさかホントに関係ないもの買って」

「違う、違う!買ってない!…後で買い物袋の中見せるから」

道端に捨てられた子犬のようなか細い、今にも消えてしまいそうな声で必死に弁明する。

「ホント〜?」

疑り深く聞いてくる。

ここまで疑われるほど信用ならないのか、自分は。

「ホント、ホントだから」

「……分かった、信じるからね。早く帰ってきてよ」

最後の一言だけ、いつもよりちょっと優しい口調になった。



ツーツー、と着信が切れた。

声が震えている事は見抜かれていたが、電話越しだからか今の精神状態までは悟られなかった。


姉の声を聞いて現実に引き戻されたため、一応とりあえずは一安心だ。


まぁ、今この姿を現実のものだとは思いたくないが。



とにかく、このまま帰ると血だらけの姿を見られることになる。

幸い、今日は洗濯物を外に干してあったはずなのでそこから代わりの服を拝借しよう。



まさか…買い物に行くだけでここまで心身ともに追い詰められるとは思わなかったが。

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