朝ご飯
一夜が明けて午前9時。とあるビルにて、ソファーで眠っていた獄洞 蠱飢間は人の事情など露ほども知らない朝の日差しの眩しさに目蓋を焼かれて瞳を開く。疲労感に埋もれたまま上半身を持ち上げた獄洞は、起きてそうそうにスマホを触り、メールやニュースを確認する。現代人らしい行為とは裏腹に画面に映る血腥い情報に億劫になって思わず、あ゛あ゛ぁ゛と盛大に溜息を吐いてしまう。そんなこんなで燦然たる空色を皮肉るくらいに相反して不機嫌な獄洞だったが、ふと、クイっと服を引っ張られる感触がして気を取り直す。
獄洞の膝元には11歳程度の所々絆創膏や包帯が巻かれている少女がのしかかっており、少女は翡翠色のまんまるおめめで獄洞の見事に伸び伸びになった金髪が重なる緋色の瞳を眺めていた。残念ながら幼女嗜好の側面がない獄洞は、自身の膝に全体重を預ける黒髪ショートの幼女には苛立ちしか湧かないので、ただちにお暇してもらおうと考えるのだが、それよりも重要な1つの疑問が湧いてでる。
「…………だれ、お前……?」
「こうま、まだ寝てる?」
別に眠ってはいないし、獄洞 蠱飢間はこの少女を知らないわけではない。獄洞は自身の先天的性質が所以で人間が、いや生物ならば普段から当然のように行う生理的現象が発端となり、よんどころない精神疾患が現れ、人間生活のなかで到底無視できない重要課題が生じてしまい、その過程でこのような小学生レベルの会話が実現してしまったのだ。
「……で、なんなのこのチビ……。」
「むぅ…。勿忘 果無だよ。こうま、大人なのに頭よくないね!」
獄洞 蠱飢間の年齢は16歳で今頃は高2の時期なので大人との境界線はかなり曖昧だが、少なくとも護衛対象の名前……どころか素性諸共を数時間空けた程度で忘れるのは言葉も話せないくらい幼くないとありえないだろう。そう、護衛対象だ。陽光がやっと獄洞 蠱飢間の真っ暗な記憶の棚を照らしてくれる。
こちらの勿忘 果無と名乗った幼気な少女を守るのが獄洞 蠱飢間の仕事だった。なぜ獄洞 蠱飢間が今の今までそんな肝要な事柄を忘れていたのかといえば簡単だが艱難な事情があるが所以だった。
「俺、朝、弱い。」
「こうま、カタコトしゃべり。」
獄洞 蠱飢間は朝に弱かったのだ!!
獄洞はゆらゆらと首元に垂れかかる銀装飾の懐中時計をギュッと握りしめて、心中で勿忘 果無護衛任務に必要事項を整理する。そして最重要事項遂行のために立ち上がる。
「…出かけるぞ。」
「散歩?ランニング?」
「んな健康志向芽生える歳じゃねえよ。」
こうして獄洞 蠱飢間と勿忘 果無は外出する。だが、獄洞はまだ知らない、その選択が漿膜を破るほど夥しい死闘を織り成し、獄洞 蠱飢間が敗北してしまうということを……
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ビル街にて男達は闊歩していた。
「ちょーしはどーよ??」
「ああ、千里眼はしっかり機能している。この分なら、すぐに見つかりそうだな。」
「俺らの仲間を拐かしただけでは飽き足らず、あのガキもどっかへやったヤツがいるかもしれねえから気をつけねえとな。」
「…………」
6人の奇を衒う風体をした男達は、人によっては暖かく感じる9月下旬にも関わらず揃いも揃って長袖長ズボンでありつつ、千里眼や拐かすなど、日常会話では到底耳に挟むことは無い言葉を人目を憚らず連呼しているということもあって、男達の周りには人がよってこない状態だった。
男達にとっては、どのような場面になろうとも周り連中など眼中に置かないから、どうでもいいのだ。譬え誰かを殺す瞬間でさえも、人目などどうでもいいのだ……
そのような疎略で暴力的な男達はとある少女と、その子と行動を伴にしている人物を探していた。
その少女の名は勿忘 果無………
それを護衛する人物の名は………
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照りつける太陽が疎ましい。
他愛もない話は滞らない。
そんなことばかり考えてしまう少年の心は、大分荒んでいるのだと推して知るべしだった。
「ガーデンルームで食事できるとは…ツイてると言えるが、どうも人目が気になるな。」
「この橙四角何?」
「ちょっとしか英単語を覚えてない日本人と外人の会話はこんな感覚なのかもな。つか、見りゃ分かんだろ、パンだよ、パン。いや、確かガレットっていうのか?まあどっちだっていいんだが。………食ったことないのか?」
「……?」
勿忘 果無は首を傾げるだけで明確な返答はしなかった。おそらく初めて見たという意味のサインだろう。
獄洞達はカフェのガーデンルームにて他愛ない会話していた。獄洞が現在満喫しているカフェ『ラ・グラース』は海外志向を含めた瀟洒な装飾に数の限られた特別感の強いメニューと料理の見た目、味ともに高い評価を受けており、夫人や婦人がこぞって通う名店である。
獄洞 蠱飢間と勿忘 果無は昨晩から何も口に入れてないため食事をとることにしたのだが、コンビニ弁当で済ませる派の獄洞 蠱飢間と外食してみたい派の勿忘 果無で15分間に及ぶ死闘が繰り広げられ、これ以上口論するのを面倒に感じた獄洞が折れて外食を決行することになったのだ。
「お前腹減ってんだろ、食っていいぞ。」
「勿忘 果無っていうんだよ?」
「ああ?」
「私の名前…お前、じゃなくて、勿忘 果無。」
「ああ、すまなかったね、お嬢ちゃん。カナちゃんって呼べばいいかな?」
人を小馬鹿にするような口調で会話を続ける獄洞と、特にその素振りに興味がない……というよりは気づいていない勿忘 果無は目の前に置かれたモーニングセットに手をつける素振りをてんで見せなかった。
モーニングセットは先述した通りのシンプルなガレットと多量なドリンク(獄洞 蠱飢間,勿忘 果無ともにホットミルク)にレタスやトマトなどで色彩豊かに彩られるサラダとバランスの良い按排のセットである。誰もが1度は食べたことがある料理であるため、慣れ親しんだ味をよりすぐりの食材とプロの調理法を使用して食べられるということで、誰でも抵抗なく最高の質で堪能できるオーソドックスな料理で高い人気を博している。
なお、獄洞 蠱飢間は年の3分の2をコンビニ弁当(牛丼orカレー)で済ませており、勿忘 果無はそもそも全国チェーンのファミレスのメニューの10分の1すら食べたことないほど人生経験は長くないため、2人揃って『慣れ親しんだ味を最高の質で!』なんて謳い文句見せられても、正味、味は想像できないのである。そんな獄洞 蠱飢間だったが、一切合切食材の味わいが分からないという訳でもない。だからこそ年長者らしからぬ善行に走る。
「……なにこれ?」
「俺の分も食べていいってことだよ。」
「やさいだけ?」
「やさいだけ。」
獄洞 蠱飢間はやさいを押しつけたたのだった!
勿忘 果無は相手の好意に笑窪を浮かべて野菜をパクリと1口、思い切りよく頬張ったが、すぐに顔をしかめてしまう。
「……これ私いらないかも……」
「まあ、落ち着け。とりあえず俺の分のサラダだけでも食べてから考えてみようぜ。」
「………」
勿忘 果無はスッと獄洞 蠱飢間に野菜をパスする。
獄洞 蠱飢間はスッと勿忘 果無に野菜をパスする。
勿忘 果無はスッと獄洞 蠱飢間に野菜をパスする。
獄洞 蠱飢間はスッと勿忘 果無に野菜をパスする。
勿忘 果無はスッと獄洞 蠱飢間に野菜をパスする。
獄洞 蠱飢間はスッと勿忘 果無に野菜をパスする。
周りの人の目など気にも留めない、始終無言で繰り広げられるテーブル越しの大戦争。
そんな死闘(笑)に折れるのはもちろん!
「いい加減にしろ!野菜ってのはなっ、しっかり食べなきゃいけねえんだよ!」
「やーー!!」
「………っ!?そうか、そうかよ、わかったよ。じゃあとりあえずガレットでも食おう!野菜はその後だ!その後!」
獄洞 蠱飢間は、恥も外聞もないと思われる激闘の末、一旦放置という結論をだした。
その結末に納得したのか勿忘 果無はガレットに目をつける。
「へー、名店やらなんやら言われて筋が通る味だ。カナは食わねぇの?」
「こうま、もう食べ終わった?」
「一口だけだよ。若干冷めてやがるから早めに食っとけな。」
勿忘 果無は暫く動きを固めて料理をジーッと俯瞰していたが、使用方法不明のシステムにそれっぽいコードを入力する瞬間のように意を決して、パクっと豪快に口に放り込む。
「……っ!?むーぅ!っん!!!」
「どうした?……まさか、それも食えないのか…」
「おっ、おいしい!これおいしい!すごくおいしくてすごいおいしい!」
「わかったから落ち着け。っーか、そんな叫ぶほどのモンじゃねえだろ、普通にそこらのスーパーの惣菜よりちょっと旨い味なだけで、なんでもねえ有り触れた料理じゃないか?」
「いつも、パサパサってヤツとブニュブニュってヤツとカリカリってヤツだった。」
「いや、わかんねえよ。まあ、うまくはなさそうだな。」
勿忘 果無はよほどガレットを気に入ったのかガツガツとフードファイター顔負けのスピードで平らげる。その様子に、獄洞 蠱飢間は呆気に取られてしまう。
「おいしかった。」
「1分掛からないペースで皿の上がまっさらになりやがった……」
「………」
「何見てんだよ。いや、そういうことか、そういうことだよな。カナ、まだ腹減ってんだな?」
「………」
勿忘 果無はコクリと小さく頷く。呆れや驚き、ましてや感心などが入り交じった感情が溢れでる獄洞 蠱飢間は、一瞬間どう対応するか考える。
「……サラダと交換だ、1口分減ってるが我慢しろ。」
「っ!!!こうま!ありがとう!」
「まあ、育ち盛りだしな。こんくらいは食った方がいいだろ。……それに俺も最近栄養が偏ってるだろうしな……食うしかないよなぁ……」
「がんばってこうま。」
「ああ、うん。」
あからさまに憂鬱な気分になっている獄洞は勿忘 果無が(今度は年相応にゆっくりと)ガレットを食べている姿を見ながら、野菜を勢いよく完食する。そして一気に水分(冷めかけのホットミルク)補給。
「……これ俺の方が足りねえな。」
「どうかしたの?」
「ああ、どうかしてるよ、俺は。」
「こうまはさ……どうして優しいの?」
「勿忘 果無が護衛対象だから、だ。多少なりとも甘やかすのはおかしくねえだろ」
「ううん。ちがうと思うの。」
「何言ってんだよ。俺の返答に虫が好かないのか?」
勿忘 果無はそんな挑発まがいの質問無視して続ける。
「こうまはいい人だから、私に優しくしてくれてる。」
「俺の話聴いてたか?俺は別に──」
「こうまは、ヒーローだけど自信がなくなっちゃって──」
ダンッとけたたましい音と共にテーブルが揺れる。
その言葉は確実に獄洞 蠱飢間の越えてはならない一線へ踏み込む文意を秘めていた。
「俺の話を聴いてなかったのか?って今俺は言ったんだよ。もうそれ以上だべんな……
年端もいかないクソガキが俺の心中を憶測未満のモンで語るな。」
お互いに遮るように話す2人は、子供がなんの脈絡もなく気に食わないと思って喧嘩するくらい唐突に、しかし、一方は純真に思ったことを口走り、一方は殺意と憎悪を込めた睨みを見当違いの方向に利かせて、子供のように無邪気さ故の衝突とは何段か離れている……危殆な未来を連想させる大人や子供の喧嘩という垣根を越えた修羅場であった。2人の間には今にも胸先摑みかかりそうなほど剣呑な雰囲気を醸し出していた。
2人の息が詰まるような場の空気を壊すように、カランコロンと不謹慎な音を立てて小洒落た紙製タンブラーがテーブルから落ちる。
「……落ちた。」
「──チッ、拾えばいいんだろ。ついでだ、俺はなんか軽食頼みに行くから、カナはそこで大人しくしてろ。」
獄洞は席から立つと足早にガーデンルームから店内に足を入れる。
「……さっきのこうま、なんかヘンなかんじ。」
なんとなしに先程の素っ気ない態度は獄洞に似合わないと感じた勿忘 果無は、タンブラーをギュッと握ろうとしたが手が届かなかった。
理由は明確。
勿忘 果無の右脚が豪快に蹴り飛ばされて、椅子から転げ落ちたからだ。
「───っ!!??」
ガタンッとけたたましい音と共にテーブルが揺れて倒れる。
伏している勿忘 果無の四方には素肌を晒したくないのか長袖長ズボンを着ている、厳つい目付きの風変わりな雰囲気の6人の男達が佇んでいた。
卒然と轟く不愉快な暴力音が蝸牛管を渡り脳髄へと届く。
事態の異常さは言わずもがな、それゆえに人は周章狼狽する。ただ、朝の腹の虫を黙らせるために食事に来た人からしてみれば、忽然と起きたこの現象はとんだゲテモノでしかなかった。
酷薄な光景に悲鳴を上げる者、
殺生な光景に気が動転して固まる者
惨憺な光景に逃げ惑う者
無慙な光景を作り上げた男達を咎める者
そして呆気なく殴り飛ばされ、逃げ去る者となる者
男の1人が勿忘 果無の腕をもたげて、ほかの男に確認をとる。
「こいつでいいんだな?独りっきりなのが違和感あるが…透視の反応はどうだ?」
「おいおい、俺程度のランクの個人間常識をそこまで頼るな。」
「まあ、護衛役がいないなら好都合だしー、とっととずらかろうぜ!」
「………来る。」
軌跡にヒビができた。逃げ場を求めて恐怖という流れを作る人々の中、ただ1人、ポテトセットを片手に押し寄せる人波に逆流する少年がいた。
「蛮勇にしたって、こんな状況で俺たちに向かってくるとは……ぼっちゃん無駄な正義感とか捨てた方がいいぜ、俺たちゃ仕事でやってんだ。容赦はできねえんだよ。」
「偶然だな、俺も仕事中だ。女の子を傷つけさせないっていう甘い仕事だがな。」
「だーかーらー、そんな無意味な正義感は捨てろって……待てよ。まさか、てめぇ。」
少年は緩慢な動作で近辺のテーブルにポテトセットを置く。
男達の残忍さなど慣れているかのように穏やかな挙止進退が放つ違和感は、確実に少年の正体を男達に告げていた。
「正義感?んなもん、この目を瞑りたくなる日差しくらい俺には似合わねえよ。」
「お前こちら側の──」
「獄洞 蠱飢間だ。」
「ああ?」
「俺の名前だよ。お前、じゃなくて、獄洞 蠱飢間」
ゆっくりとその場にいる全員に聴こえるくらいの声量で少年は宣言する、
「勿忘 果無の護衛役だ。」
殺戮の嚆矢濫觴を。
見ている人がいるのか分かりませんが、来週の水曜日の5時代にまた連投します!できれば今回の戦闘のその後の戦闘も終わらせたいですが……できないような気がする。。。
あと、ルビ振りとかは基本気分でやってるんで、増やしてほしいとか要望あるなら、何らかの手段で伝えていただければ幸いです!
今後ともよろしくお願いします。