出逢い
夜の帳が都市を覆う。決して暗黒で満たすことなど叶わないとしても…
誘蛾灯にたかる羽虫のごとく、人は蠱惑的なネオンサインに誘われ、器械仕掛の馬車馬は闇黒にヘッドライトで色を着け、昼の住人の開放を允許する。その片鱗が夜陰に潜む路地裏を一瞬間照らす。
「このガキじゃねぇ〜?な〜んか無愛嬌なぁ感じぃ〜?」
「コレでお仕事カンリョーっト、、でコイツ持ってくのはいいけどサ、オレたちユウカイ用のドウグ持ってきてなくネー!!」
「ぶん殴って寝かせりゃいいだろ。啼き喚く前に終わらすぞ。」
閑静を纏う路地裏はスマホのライトによって昼行性動物に適した空間と化す。灯りが解き放たれた先には、コケだらけのビルの外壁にもたれかかっている1人の少女の姿があった。
10歳前後に見える黒髪ショートの少女は、ビルに隠れた白くて皓くて皎い月が霊妙に魅せてくる燭に呑まれて、幼げな体躯が日本人形みたいな幻想を纏って地べたに座っている景色を作っていた。
少女は青空色の半ズボンと、胸元をよそながらに魅せるキャミソールの上に浅葱色のアウターを羽織っていた。呼吸音も反響するほど狭い路地裏で、長閑やかな少女は、自身の周りで何やら物騒なことを吐き出している恰幅のいい3人の男達に耽美な翡翠色の瞳を向けるだけで眉一つ動かさない。
なんのアクションも示さない少女を気味悪がったのか、男達のうちの1人が少女の脇腹を蹴り飛ばす。それは、少女を攫うために無理矢理寝かせる、なんてものより、とても私的な感情を込めたような単純な大人の男の暴力でしかなかった。
少女はうずくまるように地面に倒れ臥し、男達は少女の状態など気に病むことなく、殺虫剤を羽虫に満遍なく浴びせるくらい念入りに集中しながら少女に傷を与える。
「ヨシ!ダマったな!!」
「ちょっwww、やりすぎぃ〜。つかぁ〜、この子ふっつーに抵抗しなさそうな感じぃしてたのに2人とも鬼畜ぅ〜。」
「念には念を、だ。というか、他の連中に連絡を入れればこんな面倒しないで済んだんだがな。まあいい。連れてくぞ。」
「いや、置いてけよ。テメェラのお仕事チャラにしてやっから、まだ暗いだけで済んでるうちにママんとこへでも帰っとけ。」
夜の静けさを保つくらいゆっくりと歩幅を…
夜の暗がりを保つくらいじっくりと殺意を…
夜の冷たさを保つくらいたっぷりと皮肉を…
満たしてしまった。
出し抜けに現れた少年は行住坐臥の一環に過ぎないと言わんばかりの自然さで場に有為転変たる闘の庭を撒き散らした。
その少年は何の気なしに事件に首突っ込む常識知らずの大馬鹿野郎と見て取れる。翻って、元からこの少年にまともな常識が機能するのかという荒唐無稽で妙趣な不安も近くて遠くない位置にあるように感じさせられ、感情が躍る。
少年は少女に近寄ってその肢体を覗き込むなり、一瞬顔を顰めたが、調子を戻して無機質な声で少女に話しかける。
「で、お前が勿忘 果無でいいんだな?とりあえず俺はお前の──」
「オイ、待てヨ。ナニ勝手に話進めちゃってるワケ?」
一瞥。少年は眼球に少々な運動をさせ、話しかけてきた男を視野に入れた。その時点で無くしてしまう、3人の男たちに対する全ての関心を。
背丈は180cm程あるだろうか?その少年は首に似合わない銀の装飾の懐中時計をつけていて、ボタン開けっ放しの白シャツに濃き色の上着、中には夜色を漂わせる黒の肌着という奇怪な衣装で身を包んでいて、どこか浮ついた空気感を醸し出していた。
男達はその異様な辺幅に面食らい先程のように自らの暴力性を発揮しない。いや、『できない』や『させられない』という表現の方が正しいのかもしれない、少年の一挙手一投足の名状し難い猟奇性に囚われてしまっているために。そんなことなど気に留めず少年は少女に付いて来るように告げ、肩口まで伸びきった金髪を男達の横目に靡かせて立ち去──
「ムシしてんじゃネーゾッ、このイキリヤローがァッ!!」
場に充ちた厭悪の反吐は男達にとって少年に打擲を施すには過不足無しだったのだろう。男は右手を引いて最大限の痛打を掻き立てようとする。
そして、 颮が如く鋭い一撃が肌を撲る。
男 の肌を撲る。
「───ッ!?!?!?」
少年は男の拳より後に簡素な打撃を繰り出した。無論、男の拳に間に合う訳がない──
──なんて常識は少年と男の間に起きた簡潔明瞭な寸劇を前に徹底的瓦解が執り行われ新たなる常識が築かれてしまう。
少年は男の拳より1秒にも満たないほど短く、重く、早く、鋭く、堅く、強く、しかして圧倒的差を織り込んだ殴打をストマックに決め込み、倒れかけた男の隙だらけの後頭部を靴の踵で思いっきりぶち蹴っていく。
男にとってその痛みは予期せぬものだった。だからこそ男は、少年の理性を狂わさせるような暴力に気付かずに思考を墜としてしまった。
「──チッ。狗コロが宏い真夜中に吠えねぇように飼い主は調教しとくもんだろ。」
地面にびったり身を預ける男は、不躾で間抜けに垂れ散らす。
人体の体重、約8%を占める猩猩緋の循環液をブドウを搾るように……ワインを注ぐように……
無造作に零された。
佇む少年が空空漠漠と色を塗っていく液体の違和感を拭う。
自然と男達の脳ミソはたった一色の出現で甘く温く鈍くとろける。だが、すぐさま事の異常さに神経が警鐘を鳴らし、その色は寧ろ男達に戦意を焚きつけることとなった。
「──ふっ、ざけんじゃねぇぞ!てめぇ、ぶち殺す!!」
叫ぶ男はL字型の黒い金属製の殺傷道具を懐から出現させる。漫画やアニメ、映画などでもジャンルによっては親しみ深い、そう拳銃だ。
一介のチンピラが携行する代物としては一級品だろう。なにより銃口より放たれる弾丸と少年の拳、どちらがより迅速か、試すまでもなく常識は結末を簡潔に語る。
もっとも撃鉄を起こした頃には、男の目前一寸に少年の指が弾丸のごときスピードで迫ってきているのだが…
少年は人差し指で男の角膜を砕き貫きひずんだ眼窩を顕にさせる。拳銃を握る腕を捻って掠め取り、標準を定め引き金を引いた。一連の流れにかかる時間は百均のタイマーみたいな廉価な物では計れない速度で処理を終了させ、男の脇腹に2発の空気も裂きそうなほど鋭利な金属を貫通させる。
「───っ!!?ぐっっ───!!!?」
「テメェらは一々うるさくしねぇと気が済まねぇのか…?
俺はな、顔も知らないテメェらを無傷で帰してやってもいいって、わざわざ警告してやったんだぞ?その有難みが理解できねぇなら痛みで覚えさせるしかなくなる訳なんだよなぁ。」
そう言うと少年は地面で小刻みに身じろぎして悶える男から視線を逸らし、目元を若干蔽っていた髪の下から覗かせる緋色の瞳に剣呑な趣を含めて独りっきりの男を捉えた。
5秒に満たない時間で仲間を2人失った男は眼前に佇む少年の危殆っぷりを把捉する。それを念頭に置いているはずだが、男は溢れんばかりの余裕を込めた笑みを見せた。
それどころか男は敢えて接近して、少年の持つ拳銃を握る。
「なぁんか、いろいろ教えてもらってたみたいだしぃ〜?お返しにぃ、本物の"闇"をぉ、教えてあげるっ!!」
ボッと男の掌から"炎"が出でる。
その事態に少年は咄嗟に拳銃から手を離す。
ライターを着火するくらいに自然に表れた炎に普通の人なら目を見張り、マジックショーでも始まったのかと錯覚してしまう景況であるが少年は狼狽えず正確に状況を理解する。
「個人間常識使いか…」
「せいかぁ〜い…」
個人間常識──…
それはこの都市に蔓延る個人の異能。あらゆる法則を無視した人倫の思考の具現化、生得的才能のみに依存する陋劣な災厄、論理では測れない突然変異の才知。各々により能力の形は相違するが、皆一様に虚蝉に齎す異常は世界が創りし真理を貪り、牽強附会に個人の常識で色を塗りたくる。
男の余裕の出自はその異常を手の平で扱えるという強みが所以だろう。
男は拳銃を轟轟と猛る炎の手で炙り、投げ棄てる。男の個人間常識の全貌を掴めない以上、少年は下手な行動に移れない。
一瞬の思案、その末に、少年は少女の肩を軽く叩いて、後方へ下がるよう促す。身を軽く屈めて警戒態勢へと入り、男に問う。
「闇を教えるのに目が痛くなるくらいの明りを出すとは中々のジョークだ。ところで、その炎の射程はどこまで届くんだ?尤も、わざわざ拳銃を握るために近寄るんだからテメェの個人間常識の底は相当浅いんだろうが…」
「ハハッ!抜かしとけよぉ。お前みたいなヤツァなぁ〜、俺のぉぉで焼死体にぃなるだけなんだよなぁ〜。」
「そりゃ火葬費浮いて遺産を心ばかりか多く残せるから嬉しいんだが、生憎今は仕事中だ。申し訳ないが御免蒙りたいね。」
他愛ない世間話のような一時、その間に両者から出でた膨大な殺意が肌をひりつかせる。はずなのだが、少年は暢気にシャツの襟を整えており、襲ってくださいと言わんばかりだった。だが、それを隙として捉えるのは相手の思う壺であろうことを少年の身のこなしから容易に思量できる。
「断る権利なんてぇ〜、もうテメェにはねぇんだよぉ──」
「下手だな──…」
「………どぉ〜いう意味だぁ〜?」
「言葉通りに受けとれ。下位個人間常識だからって無駄な威圧して針小棒大な体裁にしようと努力なさってんだろうが、虚仮威しを隠しきれなくて嗤笑すら湧かせられてないぜ?」
感情の起伏が乏しい声色、男はそれを聴きつつ挑発だと受け取った。
そう思いたかった。
「憶測に過ぎないなぁ〜、そもそもぉ〜、なんでぇこんな短時間にぃ、んなこたぁ分かんだよぉっ!」
「…俺に教鞭を執らせる気か?まぁいい。バカは減らしとくべきだしな。
正直俺は最初テメェのことをそれなり高位の個人間常識として汲み取ってたよ。なんせ不意に炎出して拳銃奪ったと思ったら直ぐ様かなぐり捨てるもんだから、それ以上のモノを秘めてると考察した。その上で、なぜ最初からフルパワーで俺を攻撃しなかったか?
そう考えて1つの答えを出した。」
少年は呆れの感情なども擁せず、ただただ心底つまらなそうに答え合わせを続行する。
「テメェらが勿忘 果無 ──そこの少女を死なせねぇように連れだそうとでもしてんのかな?ってな。」
「………」
「だから試した。少女がテメェの攻撃範囲外の空間に達したら最大火力をだす。そう見越して少女を奥へ下がらせた、テメェの個人間常識がどの域まで到達しているか見定めるために……
そして失望した。」
少年は一拍置いて、
「テメェは本当に手の平から炎をだす程度の力しかないってことにな。」
「……」
「……」
「…それだとぉ、結局俺がテメェにいきなりぃ個人間常識見せた理由とぉ拳銃投げた理由をぉ道理的に説明できてなぃじゃぁなぁ──」
「余裕を作るためのルーティンってところだろ。そもそもテメェは目の前でお仲間2人コロッと倒されてんの見たわけだ。幾ら強くたって平静保つ方が不自然というか、常識的じゃねぇつーか、この都市で常識語るのも奇異な節はあるが……
とにかくテメェのあのアホな個人間常識発動理由は自己暗示に近いモノなんじゃねーのか?んで、拳銃もその一種なわけだ。訂正箇所があるならそんな底気味悪い喋り方のお口じゃなく、俺を燃やして教えてくれ。」
「フッ、ハハッ…なんだよぉ、なんかぁそういう系の個人間常識かと思ったらぁ、ただぁ〜のブラフかよぉ。テメェみたいにさぁ、似合わない懐中時計なんかぁ、ぶら下げてぇ。
浮ついてんだよ服も思考もその身体能力なんて無価値なもんもなぁ……そんなぁ幼稚な憶測できてもぉ、なぁんの意味もぉないぃってのぉ燃やし教えてぇやるよぉ……」
少年は男があからさまに催す不快感を気に留めず、ビルの外壁に身を預けようとしたが汚れていることに気づいて直前で停止して男に話し掛ける。
「……っーか、教えるとか言ってるがテメェはまだ俺の生徒でいた方がいいな。と言ってもこれが最期の授業だ。テメェは俺に弱いモノ扱いされてムカついたから、俺をなじろうとする心持ちは分かる。
だが、機嫌損ねたからって目くじら立てて無関係なことまで批難するのは他人を下げることで暫定的に自身を弱者から脱却させる…いや、したつもりになる。それこそさっきの自己暗示みたくな。つまり、テメェのしてることは自分の欠点を直視できねぇカスのすることだぜ?」
「……それに俺が該当するとぉ?」
「それ未満に決まってんだろクソボケが。」
少年は不敵に笑う。本当の余裕を込めたせせら笑いは男の矜恃をきりもみするように抉る。
「調子乗ってんじゃぁねぇーぞっ!!ガキがぁっ!!」
「それはテメェに言え、馬耳東風野郎…」
少年の論考を耳に入れて、尚、男は自分を省察しなかった。そんな男の発言に呆れた少年は男が繰りだす飾り物に等しい炎を漂わす拳を軽快に躱し、男の顎に無遠慮な上段蹴りを咬ます。
男の体が石コロでも投げるかのようにノーバウンドで5m程度空を舞う。
男は何を思っただろう?敗北を嘆いたか、弱さを恥じたか、強さに焦がれたか、意識が残り1秒も続かないと何となしに察した男は少年の文言だけでもこころに焼き付けて次に目覚めた自分に考えさせようと不確かな未来に決断した。
それで終わった。その男はその程度で終わる人間だった。
最後に残った男は、男達の中で最も強い力を持っておきながら逸早く敵を見極め倒そうとする気概も、予め武器を手回ししてそれを有効に活かそうとする知恵もない、呆気ない存在でしかなかった。
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「歩けるよな?じゃあ付いてこ──っとその前にまだ確認し終わってなかったよな、もう一度つまらんこと訊いちまうがお前が勿忘 果無って名前のヤツでいいんだよな?」
「……」
勿忘 果無と呼ばれた少女はコクっと小さく頷き、珠のように大きい瞳孔でじっと少年を見つめてポツリと、
「…あなたは?」
「あぁ?」
「あなたの名前……?」
と、あどけない様子で疑問を露わにする。
少年は失念していた…というよりはどうでもいいから名乗らなかっただけであった。風景画の中にいる人物のように反応が薄い少女が子供らしい質問を投げかけたことを意外に感じて暫くボーッと勿忘 果無の顔を無言で見つめる。だが、勿忘 果無の疑問は尤もなものなので、少年は改めて勿忘 果無に顔向けして素性を語る。
「蠱飢間……獄洞 蠱飢間だ。カッコイー名前だろ?
とあるヤツから依頼を受けてな、勿忘 果無を保護することになった。が、見ての通りナイトってナリじゃねぇし護る救うなんて綺麗事なんかより壊す方が得意分野だ。多少乱暴なボディガードになるが目を瞑ってくれ。」
皎皎な灯りを織り成す月下に2人の姿を淡く象られる。合縁奇縁がひしめく港湾都市──勁毅沿にて、とある路地裏の9月27日22時38分14秒に少年と少女は出逢う。
「俺みたいなヤツにこんな仕事を頼んだ時点でろくな役回りじゃねぇのは目に見えてるだろうけど、まぁ多少は護衛に善処してやるよ?
悪党なりのものだがな…」
2人はまだ未来のことは分からない。当然のことだが、この出逢いが互いを救いあう物語の幕開けとなるなんて時間を操る能力でも使わないと予期できないくらいに歪な出逢いで、偶然であり必然とも言える狂気の渦を乗り越える時間が流れゆく中、共に生きてゆくとは2人が現時点で気づくことは有り得ないことだった。
初投稿です。とにかく書いていきます!拙い文章ですが、よろしくお願いします。