拈華微笑(ねんげみしょう)①
カリンはなんとは力を振り絞って顔をそむけ、乱の右手から逃れた。
「俺の知り合いにも情報を集めさせるが、自分の因縁は自分のほうがわかるものだ。お前自身で色々と情報を集めてみるのもいい。見つかるまでの間、天外をお前の世話役に付けよう。何かあれば天外になんでも言ってくれ。万が一のための護衛でもあるから、仕方ないと思ってくれ」
「嫌だよ。なんで俺が子供の面倒なんか」
天外と咨結は乱が壊した障子の残骸を拾い集め、片づけを始めていた。
乱の思いがけない言葉に天外は障子の片付けをしている手を止め不満そうな顔を向けた。
護衛と言われてはやはり拒絶するのは危険だと思ったが、それでもカリンも不満な顔を乱に向ける。
「強要した覚えがないが、俺に借りがあると言ったのはお前だろう」
「わかってるよ。だが俺は乱にしか仕えねぇと言ったはずだ」
「その俺がお前に頼んでる」
乱も乱で天外に自信たっぷりといった、いたずらっ子のような表情を返され天外は言葉を詰まらせた。
「……。ちっ!わかったよ!」
「早速だが仙夾のところへ様子を見に行ってきてくれないか。方々から注文したものが出来てないと苦情が来てる」
そう言われて早速出かけようとする天外に、乱は何か思い出したのかカリンを引き留めた。
乱は大股で二階へと駆け上がっていくと、すぐに戻ってきた。
「この羽織を着ていけ。目立たないよう念のためだ」
すぐに乱の前を通り過ぎようとするカリン。
礼を言わない、返事をしない、反応がない…天外はカリンの行動がいちいち気に障ってきた。ところが、乱は全く気にする様子もなくカリンの頭に手を乗せ軽く撫でると、そのまま庭に降りて障子の残骸を拾っている咨結の手伝いに加わった。
一方のカリンはというとさきほどと同様に乱の手を振り払わず、むしろ体を強張らせているようだった。
ふん、と息を吐くとカリンを連れて玄関へ向かう。
乱が持ってきた羽織からは微かに何かの香りがした。凛とした、それでいて安らぐようなお香の香り。
カリンはついさっきも嗅いだことがあったような気がしたが、めまぐるしい早さで進んで行く今の状況に、どこでだったかもうすっかり頭の片隅に行ってしまっていた。
◇
外の通りに出ると、そこにいる人達はみんな人の姿をし、会話をしたり仕事をしたりと、喜んだり不満を言ったり……普通に生活していて、ひな菊が言っていたようになんら現世にいるのとまるで変わらない。
乱に渡された羽織のせいか、どうやらカリンはここの住人に溶け込んでいるようだ。誰もカリンを怪しむような人物は見受けられない。
「いいな、現世の者だと周りの奴らに気付かれるようなことするなよ」
魂達が行き交う様子を、実は夢を見ているんじゃないか、と確認するようにまじまじと眺めるカリン。
「キョロキョロするな、余計に怪しく見える。いいか、俺はお前の面倒を見るだけで因縁探しは手伝わないからな」
天外はぴしゃりとそう伝えると、カリンの肩はびくりと反応した。カリンは腹立たしい気持ちを抑え天外に素直に頷いた。
しばらく歩いて行くと、昔ながらの商店らしい佇まいの建物の前にやってきた。店の正面についた木製の引き戸は大きく開け放たれ、外からでも屋内の様子が見える。中にはたくさんの着物や、手の込んだ小物入れや髪飾りなどが飾ってあった。
天外は土間より一段高くなっている畳敷きの居間に腰をかると、中の人に来店を知ららせるように床を数回叩いた。
「仙夾、いるか?」
すると、誰もいないと思ってた居間の奥、展示された着物の後ろから男が顔を出した。
仙夾と呼ばれた男はクセのある髪を後頭部で束ねていて、ほどくと背中の真ん中くらいまでありそうだった。背丈はどれくらいあるのかわからないが、パッと見て細身と言う言葉とは無縁のがっしりとした体つきに見える。
「何の用だ?」
「乱に言われてあんたの様子を見に来たんだよ。依頼が溜まってると聞いたがどうなんだ?」
「依頼が溜まってる?……変だな、注文なんて来てないぞ」
仙夾は近くに置いてあった五段ほどの小さな引き出しを、上から順に引き出しては中を覗いていく。注文書でも入れているのだろうかとも思ったが、カリンの場所からその引き出しの中には何も入っていないのが見えた。
天外は腑に落ちないのか、仙夾の周りを見回している。所狭しと物が散らかっているのかと思っていたが、うず高く積み重なっているのは大小様々な箱だった。それもきちっと揃えられている。
「お前……、まさか、仕立て終わってるのを忘れてるだろ?」
仙夾はゆっくりと振り返り、自分の背後に広がる光景に目を移し首をかしげた。
天外は積み重なっている箱を一つ一つ開けてはな中身を確認していく。
「やっぱり……。あんた、とっくに依頼の注文を作り終わってるよ。作り終わったら依頼主に渡してやらないとだめだろうが!作ったら作りっぱなしってなんなんだ?」
その時、仙夾はぽんと一回手を打つと何かを探し始めた。
「ああ、そうだ、そうだ。ええと、どこだったか……」
仙夾は壁一面が棚になっている引き出しを片っ端から開けて行く。ようやく目的のものを見つけたのか、一つの和紙に包まれたものを取り出し天外に渡した。
「なんだこれは?」
「やる」
天外は受け取った和紙の包みを開けて中身を確認すると、それは女性用の明るい色の着物だった。
「おいおい、俺はこんなもの着ねえぞ?乱に着ろってか?やるってどういうことだよ」
仙夾は開けた包みを閉じている天外から、視線を隣のカリンへと移した。
「お前たちじゃない、現世の者にだ」
◇
乱の家に戻ると、乱と咨結が玄関で出迎えてくれた。
乱はカリンが帰ってくるなり、まじまじとその着物姿を眺めた。うんうん、と頷き、続けて『良く似合う』と一人呟く。咨結も乱同様にニコニコと笑っている。
流れ的にカリンが着物へ着替えることになり、着付けなどできる訳のないカリンに代わり、仙夾がてきぱきと着付けをしてくれたのだった。
乱はカリンの姿に柔らかい笑みを浮かべているものの、カリンは乱に鋭い視線を返していた。
「ところで仙夾はどうだった?道中誰か縁者と出会えたか?」
「いいや、誰とも会ってない。仙夾の方はさっさと作り終えて、その作り終えたのを忘れてたってだけの話だよ」
「仙夾らしい。仕立てに関して苦情が出るのはおかしいと思ったんだ」
乱は天外からカリンに渡した羽織を受け取る。
「ああ、仙夾は手先を使う事に関しては指折りの人間なんだ。ただ……物忘れなところがあってな。ただ、仙夾は俺たちの知り合いだから、お前が現世の者だと知られても問題はない」
「どうせすぐ忘れるだろうし」
玄関から居間へと続く廊下を移動しながら、天外がぼそりと呟く。
「とはいえ依頼物を全て忘れてたっていうのに、この着物だけどうして覚えてたんだ?」
「一応聞いてみたが、現世の者が来たら渡すようにと誰かに頼まれたらしい。肝心のその誰かは忘れたってさ。それより、なんだかカリンの機嫌が悪そうだぞ」
そして、また出て来ると言って、天外は庭から屋根へひょいと飛び移り、そのまま屋根伝いにどこかへと消えて行った。
カリンに視線を向けると、こちらを警戒するような、いや、何やら困惑した表情になっている。さっきは思わずカリンの姿に自己満足でさっぱり気付かなかった。
カリンは俯き、親指と人差し指で咨結の袖の端をつまんでいる。どうやら咨結にだけはいくらか心を開いてくれているみたいだった
「……何か心配な事でもあったか?」
カリンがゆっくりと口を開きかけたその時、それより少し早く乱がカリンに訊ねた。
人を警戒するような態度から、今は困惑した様子に変化している。仙夾のところで何があったのか?行きと帰りで違うといえば———服装。着物が気に入らなかった?いや、そうじゃない。着替えた後にすることと言えば自分の姿を確認すること……。
「ああ、現世と今とで自分の姿が違うんだな?」