言の花2
「俺は今、褒めたんだがな」
乱はカリンの口元に置いた手をどかし、言葉を続けた。
「変わっていることは悪い事じゃない。自分を好きにならなくてもいい。だが
、自分を手放さないで欲しい」
変わっているとは普通じゃない事、特別。異常、奇異、特殊、特別。
いびつで、他の部分よりも飛び出ている部分、特別。
他より目立ち、何の得にもならない邪魔なもの、特別。
人と馴染めない、思った事が言えない、自然な振る舞いができない。
そんな自分を目立たないようにと、存在感を消すことで、さらに周りから陰気だ、暗い、などと言われ、人の輪から距離がどんどんと遠のく。
こんなにも自分を消してしまいたい思いにさせるような”特別感”は、いらない。
どうしてそんな”特別感”を褒めるのか、理解が出来ない。変わっていることが褒められることなどと思ったことは一度もない。変わっていることが嫌かと聞かれたら、当然嫌に決まっている。
なのに、どうして変わっていることを褒めるのだろう。
変わっていることは褒める事なのだろうか?
変わっていることは褒められてもいい事なのだろうか。
この人になら……、この人ならこんな自分を嫌いにならないでくれるだろうか———。
カリンの心に突き刺さっていた乱の言葉は、カリンの知らないところで青々とした緑を芽吹き、やがて蕾を有する。
そして、蕾をつけた乱の言葉の花が、次第に開花していく。
カリンは物心つく頃から、相手の気持ちを汲み取る癖があった。
相手の気持ちを汲み取る、というと一見聞こえはいいが必要以上に相手の気持ちに敏感になるため、常に相手の顔色を窺うことと変わらない。
相手から言われる言葉はもちろん、自分の発する言葉一つ一つにもとても気を遣う。すぐに言葉が出ないのも、思った事を口にする前に、口にしていい言葉かどうか熟考しているためである。
さらに、相手が特に含みを持っていなくても、あらゆる意味をカリンは真に受けてしまう癖も併せ持っており、例えば、相手は可愛がっているつもりの"いじる"ことも、カリンからすれば苦手どころか恐怖に近かった。
人を傷つける心配がない、という点ではとても優れている個性かもしれない。逆に自分らしさを抑え、自分を傷つけているという事には鈍く、気付いていない。
人から傷つけられることにとても敏感で、何気ない一言も大きく捉えてしまう。それが心に作用し、落ち込み、自己価値の否定につながっていく。
こういった”特別”はただの”性格”なのだろうかと、消えたいと願っていた一方で、自分の”特別”に抗いたい思いもずっと心の奥に眠っていた。
初めのきっかけは、小学生時代に友達に言われた一言だった。
みんな普通に会話のキャッチボールをしてる。だから自分もみんなの輪の中に入ってみようとした。
ただ同級生と会話をするだけなのに、こんなにも緊張する。それはきっと、ただの内気な性格のせいだと、自分に言い聞かせた。
勇気を出して、皆の輪の中に入る。
緊張を隠し、ごく自然を装いみんなの会話に入る。この一瞬の緊張さえ我慢すれば、みんなと慣れ親しめる。そう思って勇気をもって声を掛けた。
楽しいひと時が始まるのを期待していたカリンに、返ってきた言葉は
『何言ってるか分からない』。
想定していた言葉以上の、予想外の返答に、頭の中が真っ白になる。
今、自分はどもってしまっただろうか?それとも意地悪をされた?
他愛のない会話のつもりだった。
自分もみんなと同じように会話が出来ると思っていた。
みんなと同じように会話のキャッチボールが続いて行くのだと思っていたのに。
自分の投げたボールは誰にも受け取ってもらえず、ぽとり、と地面に落ちた気がした。キャッチボールが途切れたどころか、キャッチボールが始まることさえしなかった。
きっと相手は単純に理解できなかったか、よく聞こえなかっただけかもしれない。もし、別の言葉が返ってきていたら、何か違っていたのかもしれない。
でも、あらゆる意味を真に受けてしまうカリンに、そんなことを考える余裕はもちろん、言葉を真に受けてしまう性分なのだという事さえ自分で気づかない。
歪んだ笑顔を向け、何でもないと首を振る。言い直すことはやめた。なぜなら、何言ってるか分からない———つまり、あなたのことが理解できない、と言われたようで。
(自分の話す言葉は通じない?
自分の言葉は理解してもらえない?
私はみんなとどこか違うの?同じになるにはどうしたらいいの?)
普通に人と会話ができない自分は、普通じゃない。
あの一言は、針のように細く鋭い尖ったそれは、カリンの予想以上に深く、深く心の真中に突き刺さった。その針は、小さく、時が経っても、いまもまだ深々とカリンの胸に突き刺さっている。
それからというもの歳を重ねるごとに、マナーや、思いやり、気遣いを身に着けていくことで、さらに会話をすることが恐い、人と接することが恐いと思うようになっていった。
人と接することは生きていく上で必要不可欠なコミュニケーション。。意思疎通のための大事な、それでいて当たり前に行う表現の一つ。そのコミュニケーションが出来ないということは、今後の人生にも大いに影響するという事。
あの人は恐いから話すのが苦手、といった事とは違うため、この”恐怖心”は当人以外に理解するのは難しいかもしれない。
どうしても会話をしないといけない時には、カリンは心の準備をした。どれくらい傷ついてもいいように、感情を麻痺させ、無心に。
そして、相手の気分を損ねていないか、傷つける言葉を言っていないか、どう言葉を並べたら相手がより理解してくれるか、常に相手の気持ちを読みながら自分の言葉に怯え、相手の反応に怯える。
呼吸をするのと同じように、相手の感情を瞬時に汲み取り、言葉を選び、自分の思った感情を押し隠して、会話をする。
これ以上自分の居場所がなくならないように。
「自分を好きにならなくてもいい。だが、自分を手放すことだけはしないでくれ。お前は自分が思うほど弱くない。なんでかって、こんな所に留まることを自分自身で決めただろう?それに、人と違うということは、俺は面白くて好きなんだが」
温かい人の優しさ。
自分をこんなにも気遣ってくれた人が、今まで居てくれただろうか。いや、そもそも自分は人に気遣ってもらってもいい人間なのだろうか。
「天外の心配ならいらない。そのうち記憶を思い出すさ。それに、お前自身のことも心配いらない。誰にでも必ず眷属はいるものだ。お前と所縁のある人物に会えば心配することもなくなるはずだ」
何を根拠にそんなことを言うのか疑わしい。だけど、乱に背中まで包まれるこの抱擁は、妙に信頼でき安心感をカリンにもたらした。
ススキの穂から流れ出る水に変化したそれは、乱が撒いた種、緑から蕾、さらに開花した花に出会い、なみなみと注がれいく。
それにしても、”自分を手放すな”とは、どういう意味なのだろうか。しっかりと理解し得ていないような気がして、心がもやもやしていた。
”自分”が”命”を指しているのだとしたら、死ぬな、という意味だろうか。明衣に続き、自分の心の底を乱にも知られてしまった……?
でも、もう事実を否定はしない。聞かれたら本当のことを言えばいい。きっと、この人なら———。
咨結がおもむろに、じっと足元一点を見つめていた。
いつもの柔らかい表情は一切消え、神経を集中して耳を研ぎ澄ます。
野生動物が遠くの物音に聞き耳を立てるように、冷静に、鋭く、近づいてくる何かに。