ななおとひな菊2
・カリン―――この物語の主人公。生まれ持った自分の特性から、現世で苦しく寂しい日々を過ごしていた。自己肯定感が低く、ネガティブな思考を持つ。大人しくて静かな性格。
・乱―—―修羅界でのカリンの身元引受人のような存在。身請け人(家族や身内)がいない人の身元も引き受けている。
・天外―—―乱に身請けしてもらっている男性。カリンの世話役を頼まれている。切れ長の目元をした、少しぶっきらぼうな性格。
・咨結―――乱の知り合いの男の子。いつもニコニコとしている8歳くらいの男の子。常にカリンの不安を察知してくれる、とても優しい子。なぜか話をしない。
・明衣―――乱の知り合いで、可愛らしい姿とは反対に勝気な性格で、言葉遣いが少し古臭い女性。過去世での出来事から人を信用していないが、カリンにだけは心を開いている様子。
・ひな菊―――乱の知り合い。淑やかで優しい女性。
・ななお―――カリンに威圧感のある細身の男性。
・仙夾―—―乱の知り合い。着物の仕立屋をしている、無表情で無口に近い男性。手先がとても器用だが、物忘れが激しい面がある。
・伊佐治―—―額と腕に入れ墨のような絵が描かれていて、一見いかつい人に見えるが実がとても世話好き。身請け人(修羅界での家族のようなもの)がいない人の身元を引き受けている。
・白木蓮―—―乱の知り合い。色白で中性的な姿をした男性。どういった人物かは謎。
「なにも異性を愛するだけが人の幸せではなかろう。結婚もしかりじゃけぇ」
明衣が口を挟んだ。
「本当にそうだろうか。我々がそう思っていても、世の中結婚が終着点の風習があるような気がしてならない。結婚しないとしないで異端の目で見られる。私は女として生きたくはなかった。だから、私は男になればいい、いや私はそもそも男なのだと思った。男として生きることで、絶望という未来の他に別の道を見つけようとした。だが、それも違った」
「どういうことじゃ?」
「……そもそも性というものに縛られたくなかったのだ。誰かを性の対象にするのも、自分が性の対象にされるのも。おぞましくてたまらないと気付いたのだ」
———自分は性そのものにまったく興味も感心もないことを悟った。そして今自分の居る状況は人に置いて、生涯において解決できることではないと理解した。
女として生きる選択肢は毛頭なかったし、男として生きることもできない。つまり、私はどちらでもないと気付いたのだ。体は女だが心は男かというとそうでもない。この釈然としない私の気持ちを理解できるのは世界の中で誰一人としていないだろう。
世の中もむろん、第三の性を認めるわけがない。男か女かその二つの性別しかないのなら、どちらかに属さなければいけないだろう。自分を騙しだまし、傀儡のように意思を持たず。きっと誰にも理解してもらえない私のこの姿。
だが、もしかしたらひな菊なら理解してくれる、いや、せめて聞いてくれるかもしれないと思った。
私は一切合切ずっと心にしまっていた胸の内をひな菊に話した。答えを求めてはいない。ただ、私の話を聞いててくれるだけでよかった。
私が話し終わると、ひな菊はケロリとして私にこう言った。
「あなたは何かに当てはまりたい?当てはまらないのに無理にあてはめようとすると、あなたの形が変わってしまってあなたではなくなってしまうわ。あなたはあなたという形をすでに持ってる、唯一無二のね」
「私の形……?」
「例えば……人って、外見に左右されずに判断をすることが難しい生き物よね。でもあなたには、人がまだ知らない、別の視点から見れる能力がすでに備わってる。あなたなら外見に左右されずに人の中身を見ることができるんじゃないかしら。それって……、そうやって見てもらえることって、人としてこの上ない幸せだと思うの。あなたに巡り合った人は幸せね」———
ななおはその時を思い出したのか、穏やかな表情を浮かべていた。
「私はその時悟った。私が何者かを知るよりも、今自分に必要なのは、自分を十分理解してくれる人なのだと。誰かの理解や共感を得られるということは、私にとって、人を愛し愛される事以上の幸せだ。現世にいたとて、思い通りにいかぬことばかりの日々が続くのなら地獄と変わりはない。だが、地獄だろうと自分を十分に理解してくれるひな菊と一緒に居られるのならば、私にとってはよっぽど極楽浄土なのだ」
言葉を切ったななおの代わりに明衣が続ける。
「それゆえこの修羅界に長く留まるために、修羅神と取引をして回帰士になる必要があった、と」
「そうだ」
先ほどまで穏やかだったななおの表情が険しくなる。
「役回りは立派なことじゃが……進んで回帰士になったわけではないということかえのう?それはひな菊のためといいつつ、わしにはひな菊がおるせいで回帰士にならざるを得なかったという様にも聞こえるんじゃが?」
「いや、そうじゃない!そうじゃないんだ。いや、確かにひな菊と永く一緒にいられるためなら、望まない事も何だってしようとする自分もいる。だが、役回りをしていないと自分が何者か、自分の居場所がどこかわからなくなる気がするのだ……」
ななおの言い分に納得しているのか、怪訝に感じているのか、何とも言えない微妙な表情で、ふむ、と小さく頷く明衣。
「伊佐治の言っていた言葉、現実にならんといいがのう」
ななおは、はっとして、伊佐治に言われた言葉を再び思い出す。
『———もしお前が妄念に取り込まれて、妄執にでもなってみろ。ひな菊になんて説明すりゃあいい?!俺がお前を隠滅したなんて言わせるんじゃねぇぞ!』
「あの時は……!」
(あの時は……少し考え事をしてしまっていた。果たして自分の行っていることは正しいことなのか……)
言葉を発しようとしたが、口に出していいものか躊躇った。回帰士を行う者はみな信念を持って魂を隠滅しているというのに、そんな仲間の信念を非難するような疑問をぶつけられるわけがない。ななおはぐっと口を結び、後ろめたさを含んだ視線を明衣へ向ける。
「自分のために役回りをしているとはいえ、このまま続け、背負いきれぬほどの負担を感じるのであれば……今じゃなくてもええ、自分は回帰士なのじゃと、いつかひな菊に伝えるべきじゃ。お主の言う大切な者との共有、共感、それはひな菊にとっても幸せじゃろうて。ひな菊に心配させないようにと、黙っておるのは優しさとは違うんじゃないかえ?」
「……」
言葉に詰まるななお。何も言い返せないまましばらく時が過ぎる。そして明衣を見据える。
「ひな菊は”当てはまらなんことは無理に当てはめる必要はない”と言ったのじゃろが。辛いようなら無理に役回りをせんでもええ。ひな菊は強がるお主を見て喜ぶような人間か?」
「私は……私の居場所が役回りにあると思っている」
普段の冷めた雰囲気とはまるで変わり、別人のように覇気がなくなっているななお。まるで自分で自分に問うように、頼りなげな声音だ。
そんなななおを見て明衣は大きな声で、わははと笑いだした。手をあごにやりながら当然といった顔で頷いている。
「そうじゃな、我々はお前の助けがないと隠滅はできぬ故。お前は妄念や妄執の動きを止める補助真言が得意じゃ。出来る範囲でやればええ」
(それでは周りの皆ばかりに気苦労させてしまう……!自分一人だけ嫌な事に目を背けてばかりなどいられない!)
ななおは明衣の言葉に何か言おうとした瞬間、明衣は子供をからかうように、ななおの鼻をつまんでそれを制する。そして大きな笑顔を見せた。それはななおが今までに見たこともない、穏やかな笑顔だった。
「わかるか?お主がいないと我々は困る。つまりわしらはお主が必要なんじゃ。出来ぬことをするより出来ることをうんと伸ばせ。とはいえ回帰士になることで自分の居場所を求めるのは構わんが、お主が回帰士を辞めたとてここに居場所がなくなることはない。何よりひな菊はお主の側にいつでもおるからのう、自分の満足する選択をして伊佐治の事など気にせんでええ」
笑う明衣にななおは目をきょとんとさせる。恐る恐る明衣の額に手を伸ばす。
「明衣、お前……今日はなんかおかしいぞ。熱でもあるんじゃないのか……?」
「熱などないわ!」
ぴしゃりとななおの手ははたき落とされた。
「礼ならお前に声を掛けたひな菊に言え。お前を前向きにする縁を作った本人にのう。その次がわしじゃけぇ、忘れるでないぞ」
明衣は、わははと大声で笑い、また眼鏡を掛け直した。
◇
ななおはひな菊の待つ家に帰った。
思わず話の流れから内に秘めていた事を明衣にも打ち明けてしまったが、心なしか気分がいい。役回りから返ると、いつも後ろめたさから重く感じていた玄関の扉も今は軽い。
「ひな菊、今戻った」
「また出かけてたのね。いつも洗濯物たたむのお願いねって言ってるのに」
部屋で洗濯物に囲まれているひな菊は、ぷうと頬を膨らませている。
ななおはすねたひな菊が目に入るなり自分の元へ抱き寄せた。
「すまん。最近本を手に入れたから川の傍で読んでいたらつい寝入ってしまった」
子供のように嘘が下手なななおの背中にひな菊も手を回し、ななおの言い分を息をするように聞き入れる。
「あなた、本、好きだものね。ゆっくりできた?」
ななおはひな菊の肩に顔を埋め頷く。自分が抱きしめたら、抱き返してくれる人がいる。自分の体を労わってくれる人がいる。自分の帰りを待っていてくれる人がる。
修羅界に居ながら、なんて自分は幸せなのだろうと、ひな菊の温もりに浸る。
「読み終わったら今度私にも読ませてちょうだいね」
ひな菊はななおの頭を優しく包んだあと立ち上がろうとしたが、ななおは自分から離れようとするひな菊の手を引っ張りまた抱き寄せた。
「もう少しこのままいさせてくれ」
「あら、そんなに寂しかったの?」
ななおの珍しい要望にひな菊はまた一段と優しくななおを包んだ。
その優しい抱擁にななおは心を決め、目を伏せた。
「……。———あの時声を掛けてくれて感謝してる」
「またそんな昔の話」
「私がどれだけ感謝してるか、本当にわかってくれているのか?」
「ええ。だって、あなたいつも言っているもの」
「わかってくれていても私は何度でも感謝する。ひな菊が私を見つけてくれたことに」
(見つけてくれなければ私はここに居なかっただろう。———私は女でもなければ男でもない。だが、人を、傷つく人を守りたいのだ。人が人でいることを失わないよう、陰からでもいいから、私の出来ることをやりたいのだ。あるとするなら、きっとそれが私の当てはまるべきもの。きっと我々が行っていることも間違ってはいない。ひな菊もいつか理解してくれるはず……)
ななおは自分を理解してくれるひな菊がとても愛おしく、自分にとって自分よりもとても尊い大事な存在だと改めて思った。