毫釐千里(ごうりせんり)
タイトルのセンスないです…。文章の語彙力・表現力もありませんが、現代の社会で思い悩む人を少しでも前向きにできたらいいなという思いから考え、仏教の世界をイメージした世界観の作品です。
顔を布で覆い、目元だけを出した全身黒ずくめの男は、家々の屋根を次から次へと移動していた。
そして、とある一軒の家の庭へと降り立った。あちこちに紫陽花がたくさん咲いている、広々とした庭。
男が降り立った庭からは、縁側に面した障子が開けられた部屋の中に人影が二つ見えた。
一人は髪が肩までの長さがあり、二十代後半くらいの着流しに身を包んだ男性が文机に向かって何かを書いていた。着物を着ていても、肉付きが引き締まった体つきをしているのがわかる。
その隣では腰ほどまである髪を後ろで一つに束ねた、全体的に色白で中性的の、さきほどよりもやや若い男が紙の束を整理していた。
「ご苦労さん」
書き物をしていた男は、庭に降り立った男を労った。
「乱、戻って来たぞ。毎回思うが、俺が町の見回りをして本当に意味あんのか?」
「何か問題でもあったか?」
黒ずくめの男は顔に巻いた布を取り外していくと、切れ長の目をした顔が現れる。そして書き物をしている男———乱の向かいにどすん、と腰を下ろした。
「またいつもの連中がいがみ合ってたぜ?どうせ俺は影のように身を潜めてしか動けないから注意もできねぇ。他の誰かが仲裁に行くんだからそいつに見回りさせればいいだろうが」
「天外、その言い方は親方様に失礼ですよ」
色白の男は紙束を整理する手を止め、目を細めて天外という男をたしなめた。
「白木蓮は小言がいちいちうるさい、明衣と同じ位うるせぇな」
「見回りついでに自分の縁者を探せればいいという、親方様の気遣いだというのに」
「……」
色白の男———白木蓮の何気ない返しに、天外の言葉が詰まる。書き物をしていた乱も文机から視線を上げ、二人の会話に加わる。
「どうした?まさか自分の身内に会うのが恐いってんじゃないだろうよ?」
そう言われ、天外は白木蓮をちらりと睨むと小さく舌打ちした。
「俺の事は構うなと言ってるだろ。過去に興味はないし、未練もない。お前らのやってることはただのお節介だということをよく覚えておけ」
天外は二人に向かって念を押すと、頭の後ろで手を組み、ごろりと畳に寝転んだ。
「それにしてもずいぶんと落ち着く日が続くもんだな。亡者も迷い込んでこないし迷い人もいない。これじゃあ現世にいるのとまるで変わらないな。こんな世界じゃ、お前たちもそのうちお役御免になるんじゃないのか?ま、俺には関係ないけどな」
天外は仕返しとばかりにまた嫌味を含めた言葉を吐く。
「天外、さっきからいい加減にしなさい」
「まぁまぁ、白木蓮。安寧なことはいいことだ。天外の言う通り、ここしばらく役回りもないしな。だが、天外、”過去に興味はない”と言う割には、向こうの事を口にするとは珍しいな。向こうに戻りたくなったか」
「いや、そうじゃない。役回りが減ったってことは現世が……いや、なんでもねえよ!」
乱にいかにもからかわれているような顔を向けられ、天外は慌てて否定する。
「そういや現世で思い出したが、香寿堂でやけにみすぼらしいどんくさそうな新入りを見かけた。自分が死んだとまだわかってないのか、神木の側に座って固まってたぞ」
「……どんくさそうな新入り?」
「ああ、陰気臭い感じのな。あの、話をしない咨結が、そいつの隣でじっと座ってたぞ」
「……やはりここは修羅界。やけに安寧な日々が続くのはおかしいと思っていたところだ」
乱が”案の定”といった笑みを浮かべていることに、天外は訝し気な表情向ける。
「どういうことだ?」
「お前が不満に思ってた、落ち着いた日々とやらが終わるかもな。波乱な日々の方がお気に召すか?」
天外の疑問に気に留めることもなく、乱は文机の書きかけの筆記具をそのままに立ち上がった。
「これからその新入りのところに行ってくる」
「放っとけよ。もうどっかの誰かに身請けされてるか、今頃、伊佐治の旦那が見つけてるだろうぜ?」
「だからだ。あの人は面倒見がいいがお節介すぎる。あれこれ世話をしすぎるんだよ」
乱は出かけていったが、白木蓮は引き続き紙の束をまとめていく。畳に散らばる紙の角と角を合わせては、次の紙を乗せていく地味な作業。ある程度まとめると、その紙束を紐で縛り上げる。
その様子を眺めている天外に、白木蓮は視線を手元から外すことなく話しかけた。
「あなたの言う、”意味のない”見回りのお陰ですね。お手柄です」
「褒めてねぇだろ」
「素直に喜んだらどうですか。いつかこのお手柄があなたに返ってくるかもしれませんよ」
「そんなん知るか。そもそも乱の奴だってお節介なくせに」
ふわりと笑う白木蓮。天外は白木蓮に背を向け、縁側の方へそっぽを向いた。
◇
”———手が震えている。なぜ、こんなに手が震えているのだろう———”
緑に囲まれた境内にある何の変哲もない小さなお堂。その裏には樹齢何十年といった、立派な大木が数本立っていた。
そのうちひときわ大きな一本の根本に、腰を下ろし宙を見ているひとりの女の子。
女の子の隣には紺の袴姿でざんばら髪をした、女の子より幼い男の子、咨結が穏やかな表情で静かに座っていた。
そこへ顔に布を巻いた乱が、お堂の正面の方から姿を現す。
乱が歩みを進める度に、砂利の音が二人に近づいていく。
「やっと来たか……見つけた」
乱は大木に寄りかかる女の子を、感慨深げに見ながら一人呟いた。
「お前もずっと待ってたな」
乱はそういって女の子の隣に座っていた咨結の頭を優しく撫でると、咨結は嬉しそうに口元を緩めた。
すると、その声に気付き宙を見ていた女の子は、二人の方へと視線を向けた。
怯えているような様子。だが、目の焦点が合っていない。
その様子に思い当たると、乱は自分の着物のたもとからさきほど自分の顔を巻いていた細長い布を取り出した。布からは微かにお香の香りが漂った。
(来たばかりできっとまだ目が慣れないか。いっそ目隠しをしてわざと見えなくした方が落ち着くだろう)
乱は布を巻こうと手を伸ばすが、女の子は目が視えないはずなのに、乱の行動を拒むかのように腕を左右に大きく動かした。
乱は何度か試すが、それでも女の子は落ち着こうとしない。
その時、ふと、女の子の隣にいる咨結と目が合った。咨結は乱から布を手渡される。
「どうやらお前なら平気そうだ」
咨結は女の子の拒絶する両手を優しく受け止めると、女の子はぴくりと肩を揺らし、やがて腕を下ろした。
咨結はすかさず目元にそっと布を巻きつける。
落ち着きを取り戻した女の子は、二人の様子を伺うように声のしたほう、布を巻いた手が差し出された方を向いたままじっとしてる。
乱は女の子の様子にひと安心すると、辺りを見まわした。
咨結もそれに続いて女の子の手を引いて立ち上がらせる。咨結が手を取った瞬間、女の子はほんの一瞬だけ、それでも大きく、ぴくりと全身を揺らした。
境内を出ると灰色の空が小さな点々に見えるほど空高くまで伸びた竹林を進んで行く。
人気はない。聞こえるのは、竹が風になびいてきしむ音と笹の葉がこすれ合う音、そして三人の足音だけ。
終わりがないかと思うほど進んだ竹林に、ようやく出口が見えてくる。
あと数メートルで竹林を抜ける、といったところで、いきなり三人の前に腰が曲がった老人が現れた。だがその姿は人と言うよりも、人の形をした真っ黒な影という感じで全く人らしさは感じられない。
老人は黒い手を女の子に手を伸ばしてきた。掴まれるすんでのところで、乱は懐から取り出した扇子で老人の手を勢いよく払った。
「咨結、前に話しておいた通りだ。先に行ってろ、ひな菊の所だ」
咨結は力強く頷くと乱をその場に残し、女の子の手をしっかりと握ったままその場から駆け出した。
仏教では命あるものが何度も転生し、天・人・餓鬼・畜生・地獄・修羅に生まれ変わるとされていて、前世での善因楽果・悪因苦果・自業自得として自分に返ってくるとされる。
この話はその修羅を舞台に、前世での苦悩や業と向き合っていく。