第4部分
やはり三次元の女はろくなものではなかった。
青海システムズ株式会社。まともな社交能力を持つ者の皆無なグループシステム事業部のフロアには、モノラルな怒声が間欠泉のように響くが誰も気にしないという奇妙な静けさが漂っている。
その窓際にある秀一の席、回転椅子を横を向けた目の前には小柄な女性が立っていた。くりくりとした瞳に怜悧な光を宿し、撫で肩に引っかけるように羽織ったブラウスの胸は二次元よりもなお平面である。
今年二年目になる後輩の野澤だ。
「いやそんな、俺を睨まれても……」
「期日までに回答くれなかったのは向こうなのに、なんで私が文句言われなくちゃいけないんですか」
東西線でひしゃげそうになっていたサラリーマンよりもなお一層厳しい顔で、挑むように言う。
「別に文句を言ってるわけじゃなくて、間に合うようにどうにかリスケできないか、協力して考えてくれって話なんだよ。きっと」
「じゃあなんであんなに言い方が高圧的なんですか」
お前が言うな、という言葉を喉につっかえながら飲み込み、今一度怒りの滾るその顔をまじまじと見た。
眉間と口角に寄った皺を想像の中で伸ばしてみると、器量はいいはずである。「怒ると可愛い顔が台無しだぜ」の台詞も浮かんだが、ついこの間コンプライアンス教育を受けたのでそんなことは言えない。
「あの人はその……生まれつき声がでかいだけだよ。多分」
「きっととか多分とか、なんでいつもはっきりしないんですか」
「とにかく俺がちょっと電話かけておくから」
刺すような視線を避けてデスクに向き直り、受話器を取った。そらで覚えている内線番号をプッシュする。
「はい青海ロジスティクス、情報システム部……ああ、梶尾さんか。はいはいどうしたの」
「どうも村井さん。あの、新設する京浜倉庫のマスタデータの件なんですけど」
「ああ野澤さんにやってもらってる件? あれさあ、返信できなかったのは申し訳ないけど、さすがに期日が厳しいんだよなぁ。四半期決算の時期ってことも考えてもらわないとさぁ」
回線も張り裂けそうながなり声に、受話器をやや耳から離した。野澤本人にも漏れ聞こえていたようで、アヒル口を尖らせてそっぽを向いてしまった。
青海システムズは青海商事グループの傘下。グループシステム事業部はその名の通りグループ各社向けのシステム保守を担っている。
相手は関係会社なので営業をかける必要はなく、その代わり多少無理な案件でも引き受けざるを得ない面がある。甘えと理不尽が表裏になったこの環境から、まともな社交能力を持たない者たちが大量生産されるのだ。
そして各関係会社のシステム部にはそんな青海システムズからの出向者が蔓延っている。村井もそのクチであり、柔らかい物言いもできない。
「どこまで延ばせるか確認してみるんで、そちらも急ぎでお願いしたいんですが」
秀一は諦め半分どころか九割くらいの溜め息と共に言った。村井は社交性の感じられない大声で返してくる。
「分かったよ、しつこくフォローしてみるから。しかし野澤さんなぁ、あの人なんであんなに高圧的なの?」
お前が言うな、という言葉を飲み過ぎでいい加減たぷたぷの腹にまた飲み込み、愛想笑いしながら電話を切った。
その筒抜けの通話を聞いていた野澤は、そっぽを向きすぎて顔が後ろに回っている。
「ねぇちょっと、首痛めるよ」
ぐるりと戻ってきた顔に貼り付くのは憤怒の表情。大魔神かと思ったが、元々も憤怒だったのでちょっと違う。
「まあデータ揃って運用テスト始められるまで、俺が間に入るから」
「なんで向こうの責任なのに、うちの会社がそこまでやらないといけないんですか」
さっきからなんでなんでとうるさいが、どうにも説明しづらく逡巡していると、段々と野澤の表情に侮蔑の色が混じっていく。まるで気持ちの悪いアニメオタクを見るような顔だ。
「もういいです。肩にそんな変なもんまで付けて」
そう言われてそこを見ると、ストライプ入りの白いワイシャツにごく目立つルージュの掠れがあった。
「いやこれは電車で寄りかかられたものだから不可抗力で……」
焦ってパントマイムのように手を振りながら弁明する秀一に背を向け、野澤は自席へとぷりぷり歩いていく。そしてむっすりした顔のまま仕事を再開する。
表情筋の持久力に感心しつつ、秀一は溜め息をついた。本当に三次元の女はろくなものではない。
そして、男がろくなものかと言われると、そうでもない。