翁草.6
音楽室に近づくと、微かだった歌声が次第に大きくなってくる。
とは言っても音楽室の防音効果は高いのと、ミルフィーユの様に重なった声で鈴が中にいるのかどうかは分からない。
剛気と皇太は様子を見るために、扉にある窓を覗き込む。
合掌部の生徒は皆女子で、一番奥の窓側に鈴の姿があった。
姿を見つけたのだが、どことなく様子がおかしい。
歌が得意と聞いていたのに、胸の前で手を合わせ俯いている。
他の生徒たちが歌う為に口を大きく開けているのに、鈴だけもどかしそうに小さく開閉していた。
彼女の視線を追うと向かい側にずっと注がれている。
顔の位置を変えて、鈴の見ているものを確かめる。
そこにあったのはピアノだ。
毎日手入れされているのだろう。磨かれた本体は鏡の様に反射していた。
ピアノの伴奏している女性がいる。あれは音楽の大分先生だ。
何も変なところはないが、何故鈴が視線を向けているのか見当がつかなかった。
見ることに気を取られていたせいで、足元がお留守になっていた。
剛気は皇太の足に引っ掛かかり、また尻餅をついてしまう。
廊下に響いた音と悲鳴で、合掌部の生徒達は歌を中断し、一斉に扉の方に釘付けになる。
理由は簡単、学園一のアイドル皇太がいたからだ。
歌声よりも大きな黄色い悲鳴が飛び交った。
女子生徒に囲まれるも、皇太は余裕の表情。
対象的に尻餅をついたままの剛気は、踏まれないように避けるので精一杯だった。
起き上がると、皇太を囲む輪の中に鈴の姿はない。
音楽室で歌っていた場所から動いていなかった。
相変わらず何かに怯えるように、皇太の方やピアノがある方に視線を彷徨わせていた。
突然の鶴の一声で、女子達の喧騒は静かになる。
「貴女達。そんなところで騒いでいては練習になりませんよ」
不満そうな顔をしながらも、彼女達は逆らう事なく教室に戻っていく。
代わりに大分が皇太に近づいた。
「壮快君。ここに何の用かしら。貴方がいると皆さんが部活に集中できないのだけれど」
遠回しに出て行けと言われているが、皇太は気にした風もない。
「申し訳ありません。皆の美しい歌声に聞き惚れてしまいました」
また黄色い歓声が音楽室を震わせる。
大分はこめかみに青筋を浮かべながら、生徒達の方を振り向く。
「貴女達、今日はここまでにします。それと天使さん」
帰ろうとしていた鈴の両肩が激しく震えた。
「貴女は残りなさい」
「はい」
他の生徒が帰り支度する中、鈴は重苦しい足取りで音楽室に戻っていく。
「あの先生。天使さんに用があるのですが」
「部活動の方が優先事項です。それとも何かしら。貴方達付き合っているとでも」
学生同士の交際に賛成ではないようで、眉間に深いシワができていた。
弱腰な剛気に皇太が助け舟を出す。
「そんなわけありません。俺達はこれで退散します。行こう内気君」
去り際の音楽室から、生徒達の残念そうな声と、刺すような視線。それと弱々しい視線を感じた。