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ぼくの桜桃を受け取って   作者: 七乃はふと
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唐菖蒲.5

 洋館から戻った査錠は忠に指示を飛ばす。

「今までの未解決事件のファイルを持ってきてくれないか。もう一度読んだら新しい発見があるかもしれないからね」

 言われた通りに書類を集め終えると、山ほどのファイルを持って査錠の元へ向かう。

 特別室にパソコンは置いてない。

 部屋の主である査錠は今時珍しくスマホも持っておらず、特別室にあるのは古めかしい黒電話だけだ。

 なので紙媒体の資料をそのまま持っていくしかない。

 手に持ったファイルで足元がおぼつかない中階段を降りる。

 持って行ったらお気に入りの桃ジュースを買おうと思いながら特別室に近づくと、微かな話し声が聞こえてきた。

 どうやら特別室で誰かが話しているらしい。

 部屋の前で聞き耳を立てると、女性の声、どうやら課長のようだ。

 特別室にいるのは査錠だけのはずなので、課長と査錠が会話しているのだろう。

 入るタイミングを失ってしまい、中の会話が終わるまで待つ。

「また勝手に動いているみたいね。零輪巡査部長。さっき署長から雷を落とされたわ」

「それはすまなかった」

「全く、動くのはいいけれど、こっちに事前に連絡して。毎度毎度避雷針の役目は勘弁願いたいわ」

 課長は叱責しているようだが、二人の口調は友人のように親しみがこもっていた。

「興味深い事件を解決するには一分一秒が惜しい。今も新たな事件を解決しようと思っている」

「沈丁花山の行方不明の件。本当に事件なの」

「その件は、事件ではない。いや事件ではないよ。不幸な事故が偶然重なっただけだろう」

「歯切れが悪いわね」

「僕の頭脳も全知全能ではないからね」

 会話が途切れ、いい頃合いだろうと忠はファイルで塞がれた手でドアをノックしようとした。

 しかし、次の課長の言葉に身体の動きが止まる。

「グールに聞いてみましょうか」

 グールとはいったい誰なのか。忠はドアに耳を押し付けた。

「グールなら、貴方が難しいと思うような事件の解決に役立つヒントをくれるはずよ」

「そうだね。彼のおかげで春と夏の殺人事件も無事に解決する事ができた」

「じゃあ、情報をもらえるように伝えておくわ」

「いや待ってくれ。もう少しこちらで考えてからにしよう。確実に事件と分かったら手を貸してもらいたい」

「分かったわ。それじゃあ私も自分の仕事があるから」

 課長がドアに近づいてくる気配を感じ、忠はファイルを持ったまま物陰に隠れた。

 自分でもどうやったか覚えていないが一切物音を立てなかった事で、特別室から出てきた課長は何の不審も思わずに階段の方へ歩いていく。

 課長がいなくなったのを確認すると、ファイルを持って特別室のドアをノックした。

「ご苦労。重かっただろう。机の上に置いてくれ……どうかしたのか?」

「いえ」

 ファイルを置いた忠は、どうしても査錠に確認せずにはいられなかった。

「さっき課長と何の話をしていたのですか」

「僕達が勝手に洋館に行った事でお叱りを受けていたんだよ」

 査錠は早速ファイルの山から一冊とって中を見る。

「それだけですか」

「それだけだ。今日はもう帰っていいよ。僕は明日までに資料を見て不審な点を洗い出しておこう」

 忠は査錠の斜め後ろに立ったまま動かない。

 ファイルをめくっていた査錠は、忠が動かないことを不審に思い手を止めた。

「どうした忠君」

「何故嘘をつくんですか」

「嘘とはいったい何のこと……」

「課長と話していたヒントをくれる人物のことです」

「そうか。聞いていたのかい」

 査錠は悪びれる様子もなく、ファイルを閉じた。

「今まで先輩が解決してきた事件は、先輩一人の力ではなかったんですか?」

「僕一人で解決したものも有れば、情報提供者であるグールからヒントをもらって解決してきた事件もある。それは事実だ」

「そんな……」

 この時、忠にはガラスひび割れていくような音が聞こえた。

 その音は査錠には聞こえていないようで、彼は話し続ける。

「どうしても叶わない頭脳を持った犯人達が存在する。その大きな壁を乗り越えるきっかけをくれたのが、グールだった」

「正体は知らないんですか?」

「知らないし、興味もない。ただ彼のヒントはまるで事件現場に、いや犯人そのもののように正確に的を射ていた」

「例の春と夏の殺人事件も、その、情報提供者のヒントで」

 査錠は愛用のパイプを取り出して頷いた。

 またガラスにひびが入る音が聞こえてくる。

「僕は貴方を尊敬していました。誰も思いつかないような犯行を推理していく貴方が。その姿はまるで」

 自分の尊敬するシャーロックホームズと言う前に査錠が遮る。

「僕の事を尊敬するのも軽蔑するのも自由だよ。でも君の理想を僕に押し付けられては困る」

 パイプに火をつけた査錠は深く吸った紫煙を吐き出す。

 吐き出された煙が忠の鼻をくすぐると、以前は感じなかった不快感が肺を満たすと同時に、何かが崩れ落ちていった。

「この話は終わりだ。今日はもう帰りたまえ」

 拳を握りしめた忠は何も言わずに頭だけ下げて特別室を後にした。

 帰り道、忠は一つの事しか考えていなかった。

 自分の理想を守るにはどうしたらいいか。

 結論が出るまで拳を握り続けていたせいか、爪が食い込んだ掌は血だらけになっていた。

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