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ぼくの桜桃を受け取って   作者: 七乃はふと
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唐菖蒲.3

 出勤した忠が席につくと、天野課長の机の電話が鳴った。

 二言、三言話すと課長は忠を呼ぶ。

「なんでしょうか」

 自分が何かミスした覚えはなく、思わず固い口調になってしまう、

「零輪巡査部長がすぐに来てくれとの事だ」

 呼ばれた理由が分かり、すぐに口調を和らげる。

「分かりました」

 査錠は何処かで見ているかのように、忠の出勤のタイミングに合わせて来る。

 これは噂だが、査錠の悪口を言った女性警察官が身内に不幸があって突然退職してしまったらしい。

 一時期は査錠が呪ったから不幸が降りかかったのではないかとまことしやかに囁かれていた。

 今はそんな過激な噂は聞かないが、署内のどこかに隠しカメラや盗聴器が仕掛けられているというもっぱらの噂だった。

 まさに壁に耳あり障子に目あり。

「失礼します」

 いつも通りに扉を開けると、厚い煙の膜が迫って来る。

 全面禁煙の波は警察署も例外ではないのに、査錠はお構いなしにパイプを吸い、特別室の換気扇が限界まで働いても晴れないほどの煙が室内に充満している。

「先輩。火災報知器が鳴ってしまいますよ」

 紫煙の霧を手で払いながら進むと、査錠の表情の変化に気づく。

 三日月を形作るように口角が上がっていた。

「興味を引く事件があったんですね」

「その通りだよ」

 査錠は酩酊しているように大仰に手を振りながら肯定する。

「これを調査しに行く」

 煙が染みる目で机の上の書類を読む。

沈丁花(じんちょうげ)山で起きた行方不明の件ですか。でもこれは結局何の痕跡も見つからずに捜索打ち切りになっていますが」

「だからこそ調査し甲斐があるんじゃないか。捜索隊が見逃したものがあるかもしれない」

 査錠は立ち上がると机の傍らに吊るされていたコートを羽織って、黒い蝙蝠傘を手に取る。

「もしかして今から行くのですか?」

「忠君も早く準備したまえ」

 一度も振り返る事なく査錠は出て行ってしまう。

 査錠は警察庁広域指定重要事件第一四〇号という手掛かりの極端に少ない事件を追っている。

 十数年間、同一犯と思われる殺人事件が起きているのだが、未だに容疑者の性別も掴めていない。

 そんな難事件なので、煮詰まると気分転換に興味のある事件を見つけては解決していた。

 紫煙の匂い漂う室内に取り残された忠は、課長に外出する旨を伝えて後を追った。


 凌霄市の近くにある沈丁花山は、名前の通り春に咲く沈丁花の花が有名で標高も低く、比較的緩やかな山道の為、ハイキングコースとして県外から訪れる人も多い。

 しかし、この山で何年もの間春になると行方不明者が出ている事はあまり知られていなかった。

 行方不明になった人間は年齢、性別、職種全てに共通点はない。

 ただ一つの共通点は、山に入ってからの足取りが掴めなくなっていたという一点。

 警察と消防が合同で捜索するも、遺体はおろか服の切れ端などの小さな痕跡さえも発見する事が出来てず、一時は自衛隊も出動したこともあるが、結果は同じだった。

「そんな事が起きていても、人は来るんですね」

 忠は暗記した捜査資料の内容を思い出していた。

「人は多少のリスクがあっても人気なら来たがるものだよ。ジェットコースターで死亡事故があっても全面廃止されないだろう? それと同じさ」

 査錠と忠は行方不明者達が通ったと思われるハイキングコースを進む。

 二人の読んだ資料に書かれていた行方不明者は六人。

 今年の春、この山に来た登山部の生徒と引率の教師だ。

 この六人が今登っている山で煙のように消えてしまっていた。

「先輩。少し休憩しませんか」

「何言ってるんだ。僕は全然元気だぞ」

 興味ある事件を前に生き生きとした査錠と対照的に忠は疲れ果てていた。

 ハイキングコースとはいえ、いつも履いてくる革靴では苦行でしかない。

 前を行く先輩は同じような革靴なのに、そんなそぶりも見せずに黒い傘を差して歩いている。

 雨は降っていない。紅葉の隙間から降り注ぐ日差しは弱々しく肌寒さを覚えるほどだ。

 しかし、そんな弱い日差しでも、査錠にとっては命取りになりかねない。

「僕はね。日光を浴びると死んでしまうんだ」

 恐らく光線過敏症なのだろうが、吸血鬼のような雰囲気の彼が言うと本当に死んでしまいそうだった。

 査錠は日光に弱いだけでなくアレルギーもあり、常時黒い手袋を着用している。

 体力も低く、捜査が終わって署に着く頃にはぐったりしている事がしょっちゅうだった。

 体力が尽きても、頭脳は動いているらしく肘掛け椅子に座り込んだまま解決した事件が何個もあると、天野課長から聞かされた。

 蝙蝠傘を指しながら歩く査錠が歩を止める。

「どうしました」

 黒手袋をはめていても尚細い人差し指を、真っ直ぐ伸ばした。

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