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ぼくの桜桃を受け取って   作者: 七乃はふと
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牛蒡.7

 退院した向日葵は母を通して、学校に登校することを伝えてもらった。

 登校する朝。いつも通りに起きれた事に安堵する。

 少しして母が様子を見にきた。

「おはよう。体調はどう?」

「おはようママ。問題ないよ。着替えたらすぐ行くね」

「朝食の用意できてるから」

 母が退室してからベッドから出るとクローゼットにしまわれている制服を手に取る。

 そこで脳裏にあの時の記憶が蘇り、力が抜けて床に倒れ込んでしまう。

 大きな音を聞いた母が駆け込んで抱き寄せた。

「向日葵しっかりして。向日葵!」

「……大丈夫、立ちくらみしただけだから」

 母の腕に掴まる向日葵の顔は真っ青だった。

「あの時着ていた制服とは違う。違う」

 向日葵は自分に言い聞かせながら制服に袖を通した。

 事件の時の制服は既に処分され、今あるのは新品の制服だ。

 それでも、襲われた時の生々しい記憶が蘇えってくる。

 向日葵は必死に押さえ込みつつ、制服に着替えた。

 肌の露出を極力抑える為、長袖にタイツを着用する。

 動機が激しく、足りない酸素を求めるように喘ぐ。

 しばらくすると落ち着いてきたので、自室を出てリビングに向かった。

 先に仕事に出たのか父の姿はなかった。

 母が作ってくれた朝食を食べてから玄関を出ると、外に出た途端足がすくむ。

 またあのような目に合うのではないかと、考えただけで膝が震える。

 こちらを見る母を心配させまいと笑顔を作って車の後部座席に乗り込んだ。

 本来なら徒歩で通学していたが、母の提案で車で送り向かいしてもらう事になっていた。

 車内では特に会話はなく、向日葵は外を見ないように俯いていた。

 気づくと車が停車している。運転席の方を見ると、母と目が合った。

「着いたわ。学校、行けそう?」

 その後は言わないが、引き返してもいいのよと目が語っていた。

 向日葵は笑顔を作って頷くと車を出る。

 学校に着いたと知った途端、冷たい汗が背中を伝っていた。

 もしかしたら座席の色が変わっているのでは見ると、目立つようなシミはなかった。

 母は帰りの時間になったら迎えに来るからと言い残して、その場を後にした。

 正門までの数十歩が無限の距離のように感じられる。

 頭の中では様々な不安が渦潮のように襲い掛かっていた。

 やはり無理だったのか。

 向日葵は何度もスマホで、母を呼び戻そうとしたが自制する。

 正門に足を踏み入れた瞬間、不安の渦潮が嘘のように収まった。

 胸を撫で下ろした向日葵は自分を褒めながら、教室の扉を開く。

 まだ始業のチャイムが鳴る前なので、教室内は生徒達が賑やかに談笑していた。

 生徒の一人が向日葵を認めた途端、全員に伝播し、一瞬にして耳が痛いほどの静寂に包まれる。

 その静けさは時が止まったかのようで、下の階のクラスの喧騒が聞こえてくるほどだ。

「お、おはようございます」

 思わず敬語になってしまう。

 クラスメイト達は、向日葵に視線を合わせないように瞳を左右に動かしたり、目線を下げてしまう。

 挨拶は帰ってこないが、突っ立っているわけにもいかない。

 向日葵は教室に入り、自分の席に向かう。

 そこに行くまで、クラスメイト達からの視線を痛いほど感じていた。

 針の筵の中を通るような思いで席に着く。

 その前の席には光莉がいる。少しは気持ちが安らぐ筈だ。

 いつもは先に声をかけてくれる光莉が、今日ばかりは声をかけてくれない。

 一抹の不安を覚えつつ、身体を丸めこちらに背を向ける光莉に声をかけた。

「おはよう、ひーちゃん」

 精一杯明るく努めた。

「おっすヒッマー」

 そう返してくれると信じて。

 光莉は、初めて向日葵の存在に気付いたかのように身体を震わせた。

 振り向くのがやけにゆっくりと感じられる。

 振り向かないでと言いたくなったが間に合わない。

 光莉の顔はいかにも無理やり作ったような笑顔を貼り付けていた。

「お、おはよう」

 それだけ言って前を向き、机の前にいる友達と話し始める。

 向日葵は更に声をかけようと手を伸ばしかけて途中でやめた。

 背中が話しかけるなと如実に物語っている。

 光莉だけではない。クラス、いや学校にいる全員が、向日葵に何が起きたか知っているのだ。

 そう考えて周りに視線を走らせると、みんな目を逸らすが、向日葵の視線が過ぎた後は物陰から覗くように向日葵を見ていた。

 事件の事は一日だけ報道されたと母から聞いた。

 しかし向日葵の将来のことを考え、警察からテレビ局に頼んですぐに取り止めてもらった。

 被害者は匿名とはいえ、事件が起きた次の日から長期間休んだ事。

 自分の帰り道の近くで起きた事。学校に事情を話した時、先生から生徒に漏れたのかもしれない。

 視線が身体に突き刺さる。

 犯された自分に同情と物珍しさが同居した視線が突き刺さるようだった。

 目を閉じて視線を遮ろうとするも、全身を貫かれるような不快感は拭えない。

 このままじゃ吐いてしまう。

 そんな向日葵の救ったのは教室に入ってきた人物だった。

 担任の凌だ。

 生徒達の視線が凌に集中する。

「何、静まりかえってるんだ」

 生徒達はどう返していいか分からず、視線を彷徨わせる。

「休んでいた陽愛が出てこれるようになったんだ。初対面の人間が来たわけじゃないんだぞ」

 凌はいつも通りに出席を取り始める。

 いつもと変わらない綾の雰囲気に向日葵はほんの少しだけ救われていた。

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