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第19話 冬空のシリウス


 「ほら仁君、もっと寄って寄って」


 「うぅ…もう十分カメラに入ってるような気がするけど」


 「……」


「ア、アキさん…凄い顔になってますよ」


 高坂さんとバスで出会ってから数日後、どうせ勉強するなら大人数でやった方がよいとのことで鳴上姉妹と高坂さん、そして僕の4人でファミレスに来ていた。いきなり皆が集まるものだから僕は面食らったが、そもそも彼女達は家族ぐるみで旅行に行くほど仲のいい3人とのこと。この場の異物はどちらかというと僕だ。


 最初は皆真面目なのか質問ぐらいでしか話していなかったのだが、一度昼食を挟んでからは割とフランクな空気で進んでいる。


 何気ない切っ掛けからあの日高坂さんから送られた写真の話題になり、「これ触れてるよね、絶対体が触れてるよね!」とスキャンダルを見つけたアイドルオタクのようなことを言いだす鳴上さん。私もやりたいとのことで、これでもかというぐらい体を密着させて写真を撮ろうとしてくる。


 僕は携帯で写真を撮る方法なんて知らないものだからこういうものかとも思うが、さっきから腕に柔らかいものが当たって妙な気分になってくる。純粋に嬉しい気持ちと、このままでは前屈みにならなきゃいけなそうで不味いぞという気持ちがないまぜになる。


 「田村ァ!綾音にベタベタ触ってニヤニヤしてんじゃないわよ!」


 ほらなんか怒ってる人出てきたし…。


 「アキ」


 「む…」


 鳴上さんが一瞥すると高坂さんは不満げながらも口を閉ざす。二人は基本的に仲が良さそうに見えるのだが、事前に何かを取り決めているのか時々今のように待ったが入る。基本的に関係の主導権は鳴上さんにあるのだろうか?


 「な、鳴上さん…もう十分撮れたんじゃない?」


 「鳴上じゃないでしょ?あ・や・ね♪」


 「…はい、綾音…さん」


 「きゃーっ!ありがとう仁君!!」


 「……」


 呼び方一つで上機嫌になる綾音さん。まだ彼女とは対等とは思えないのであまり気は進まないのだが、こちらの勝手な気持ちでそれをやめて彼女を悲しませるわけにもいかない。そんなことに気を遣うぐらいなら一日でも早く追いつくべきと思い、日々頑張ってはいるつもりなのだが―


 「ドリンクバー?このお店は飲み物を自分で注ぎに行くんですか?変わってますね…ボーイさんは居ないのでしょうか?」


 「ちょっと、このステーキゴムみたいな味がするんだけど!なんでレアを頼んで硬い肉が出てくんのよ!」


 「…………」


 どうも彼女達と庶民の僕では住む世界が根本的に違うらしい。本当に追いつけるのかな…僕。


突如写真を撮っていた綾音さんの携帯が鳴る。はいもしもしと滑らかな動きで持ち主が出る。


 「あっ…部長、はい…はい…えっ?…えぇ…今すぐですか?…まぁ、それは…はい」


 幾つかの言葉を交わした後携帯を切り、申し訳なさそうな顔をこちらに向けてきた。


 「ごめん仁君、私急用ができてこれからどうしても行かなきゃいけない所があるの…」


 「えっ、随分急だね土曜なのに」


 「うん…実は明日部活で出るコンクールがあってね、今日その準備をする予定だった人が熱で動けないみたいなの。だから代わりに行ってあげなきゃ」


 なんだって!?そりゃ大変だから早く行ってきなよと伝えると、最後まで謝りながらも綾音さんは店を出て行った。何をしているかは知らないが、コンクールというからには練習もあるだろうし必要な準備もあるのだろう。むしろそんな忙しい合間を縫ってきたのだろうから、逆にこっちが申し訳なかった。


 「…綾音さんって何の部活してるんだろう」


 「はぁ~っ!?アンタそんなことも知らなかったの?!」


 「器楽部ですよ仁さん、姉さんは大体の楽器を弾けますが…」


 「あぁ…そういえば前に響さんが言ってたね。特にチェロが凄いんだっけ?」


 何でも彼女達の話では綾音さんは小学校の頃から神童と評されており、その筋では有名人なのだそうだ。やっぱりあの子は凄い人なんだとあらためて思う。


 「田村ったら綾音のこと何も知らないのね。もしも鳴上綾音検定があったら3級でも不合格よ」


 なんじゃそりゃと思ったが、彼女達からしたら知っていて当たり前のことなのだ。きっと今まで僕に勉強を教えてくれた時間だって、本来は楽器の練習時間に割くはずのものだったのかもしれない。


 「ウチの器楽部って毎年何かしらの賞を持って帰ってくるんだけど、綾音はその中にあって副部長なのよ。一年生なのに凄くない?それだけじゃないわ、この前の学力模試だって―」


 フンスフンスと鼻を鳴らしてまるで自分のことのように自慢げに語る高坂さん。知識マウントというよりかは綾音マウントだ。


 「それだけじゃありません、先日柔道の大会に出て優勝してましたよ」


 「…なにそれ、初耳だわ」


 「学外の大会ですからね、わが姉ながら超人ですよ」


 綾音検定1級を超す有段者が居た。それにしても綾音さんはオールマイティというか、こう聞くと何でもできる人だなぁと思う。


 「綾音さんは何て言うか、そういうことをあまり語りたがらないよね。自慢しないというか」


 「そうですね…ストイックというか、人の評価を気にもかけない。一つの何かが終わってもそれに満足しようとせずに次のものへ、それが終わるとまた次を極めようとして延々と一人で成長しようとする。まるで求道者のようです」


 ホットミルクをかき混ぜながら響さんはどこか遠い目をしている。この中で最も綾音さんに近しいのは彼女だ。姉妹として比べられないことが無いわけがない。少なからず思うところがあるのだろう。


 そのまましばらく四方山(よもやま)話を続けてふと外を見ると大分暗くなっている。そろそろ帰らねば。


 「…今雪降ってるじゃない。あたし車呼べるし送ろうか?」


 「いや、ここ家から凄く近所なんだ。気持ちだけ受け取っておくよ」


 「ふーん、そ」


 どこか暖かい気持ちのまま店の外を出ると、白い結晶がしんしんと落ちてはアスファルトの上に消えている。幻想的な景色と共に心地の良い孤独を噛み締めながら道を行く。


 ここ最近で身近の多くは変わった。去年の今頃は何かを考えるだけで頭に白いもやがかかって深く考えることが出来なかった。今はすっきりとしている。学校でも日を追うごとに成績は上がり、学校に行くのも苦痛では無くなっていた。


 少しづつだが自分に対する周囲の目も変わってきた。国語のテストで高い点を取れた時、よく頑張ったなと先生に声を掛けられて嬉しかった。友達と呼べるかどうかはわからないが、学校で話す相手もできた。一緒に昼食をとったり、休み時間にたわいもないことを話すのだ。それだけだが、それだけのことが泣きたくなるぐらい嬉しかった。


 人と話すのが慣れなくて、まだまだ失敗したり馬鹿なことをしてしまうけども、それを含めて前に進めているという充実感があった。今まで感じたことが無いくらい精神的に楽だからか、吃り等も目に見えて減ってきている。


 (あっ)


 遠い空に輝く一等星が見えた。この前理科の授業で習い、それを忘れずに覚えることができていたのだ。


 天から(あまね)く照らすそれは彼女を思わせた。暗い夜を導いてくれる一筋の光。まだまだ遠く手の届かない場所にはあるけれど、それを目指して歩いていけばきっとどこかへ辿り着く。


 一歩、また一歩と夜道を歩いていく。今年が終わり冬を越せば春が来る。去年とはきっと違う春が待つ。


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