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第1話 喋る鏡




「そうそう、慌てなくていいから丁寧にね…」


「うん…」


 カリカリと音を立てて鉛筆が薄字をなぞり、漢字ドリルを順調に埋めていく。休日の市立図書館は静かで、自習室を使っているのも私たち二人の他は数人の利用者しかいない。


 「『握』の字は手偏、手を使うからね…あっ!次の『綾』の字は私の名前に使う字だね。鳴上(なるかみ)綾音(あやね)の『綾』!」


 書き取りが只の手の運動で終わらないように漢字の部首や他の情報を関連付けて伝える。あまりうるさくすると集中を妨げ逆効果だが、漢字と身近なものと繋げることで脳に必要な情報だと認識させて覚えやすくさせられる。


 「……」


 目の前の男の子、田村(たむら)(ひとし)君はかなり集中して取り組んでくれている。記憶ではこの時代の彼は全校集会どころか45分間の授業でさえ集中することが難しかった筈だ。今回のような学校外での勉強に対してここまで真剣になってくれたのは、ただ人に言われたからではなく、少なからず自分から学ぼうという気持ちを持ち始めてくれている証拠なのかもしれない。


 「んん~っ!」


 想像よりもずっと順調な滑り出しに安心した私が胸を反らして大きく伸びをする。その瞬間なんとなく周囲からの視線が胸に集まっていることに気がつく。


 「「「―っ!!」」」


 隣に居た仁君は勿論、かなり遠くに居た男性利用者達も慌てて目を反らす。私もそれに気が付いていないフリをしてイスに座りなおす。なんとなく嬉しいような気持ちが湧く反面、やっぱり恥ずかしい。


 (いけないいけない…今の体には大分慣れてきたと思ってたけど、まだ男の人の体で生きていた頃の癖が抜けきれてないよ…)


 この前の健康診断でバストサイズは80センチを超えつつあった。中学生でこの大きさに育っただから、数年後にはどうなっているか自分でも全く想像がつかない。そんな夢やら可能性やらが詰まったモノが目の前でユサリと揺れたのだ、元男として彼らの気持ちは痛いほど分かってしまう。


 (生理反応だもん…仕方がないよね)


 目の前で風が吹けばどうしても女子のパンツを目で追ってしまうし、受付で男性と女性の二人がいたら何となく女性の方を選んで話しかけてしまう。これは否定しようがない性のサガ。揺れた胸があればつい目をやってしまうのは不可抗力というものだろう。


 「な、鳴上さん…僕…なんだか少し、疲れてきたよ。そもそも漢字って…なんで覚える必要…あるの…かな?」


 誤魔化すように仁君はモジモジと聞いてくる。吃りのある彼の言葉を待ってしっかりと聞き取る。照れ隠しから来た質問かもしれないが、内容はとても大事だ。


 「うん、漢字はね。知っておけば知らない文字でも大体の意味を推察(すいさつ)することができるんだ。」


 「推察…?」


 「例えば…今の言葉、推察は推理の『推』と察するの『察』という字を使うでしょ?」


 仁君は耳で聴いて情報を受け取るのが少しだけニガテだ。でもそれは頭が悪いということでは決してなくて、他の人より考える時間がちょっとだけ掛かるというだけ。漢字をノートに書いてゆっくりと情報を読み取れるようにする。


 「…うん」


 「この二つの漢字を使う言葉の意味を、何となくでいいから言ってごらん?」


 「ええと…想像して…当てること?」


 「そう、正解!天才だね!!」


 漢字は最初覚えることに苦労するが、一度覚えてしまえば自分が知らない言葉の意味を大まかに知ることができる。使いこなすことに苦労したとしても、それを上回る利便性がある。


 「て、天才…そんな…大げさだよ」


 「どんな賢い人でも自分の知っていることしか分からないのに、仁君は今知らないことを当てちゃったんだよ?これって凄いことだよ」


 嬉しくてつい満面の笑みがこぼれてしまう。文字通り自分のことのように嬉しくてたまらない。


 仁君が赤くなっている顔を背け俯く。彼は人に褒められた経験が殆どないため恥ずかしくなってどうすればよいのか分からないのだろう。


 普通の人間なら褒め言葉を伝えてこの反応が返ってきたら無視されていると思い不快になるか、そうでなくともなぜ黙っているのか分からずに不安な気持ちになるだろう。


 だが、私はそれに全く嫌悪感を覚えなかった。彼の気持ちは文字通り手に取るように解るし、世間で当たり前とされていることをするのに大変な苦労をする人がいて、その共感を得ることは至難であることを骨身に染みて理解しているからだ。


 例えどんな苦労をして、どれだけの時間が掛かろうとも、彼には私のできる全てを捧げようと思っている。


 何故なら彼、田村仁は他ならぬ私の前世そのものなのだから。


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