書籍発売記念SS 今この瞬間くらい世界が普通であればいい
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本日「私の婚約者様の毒舌が過ぎる ※ただし、私以外に!」が発売です。
アシュフォードは激しい頭痛を耐えていた。肩凝りのせいではない。目の前のピンクの塊のせいだ。
「ウェディングドレスもピンクがいいと思うの!」
「それは、ちょっと」
「母上、いい加減にしてください」
「公爵夫人、やめておきましょう。白です。白一択でございます」
上から母である公爵夫人、ブロンシェ、アシュフォード、人気デザイナーのミリアンである。
「そんな! アッシュちゃんは頭が固いって知ってたけどみんなそんなに反対しなくっても! まるで私が悪者みたいに!」
「どこからどう見てもウェディングドレスに口出しする姑でしょう」
わざとらしい泣き真似を披露しつつ、よよよとソファに倒れ込む。母の最近の泣き落としはこんな風になったらしい。今回はまだいい方だ。この人が本気を出せば涙の調節くらい指を動かすくらい簡単だからだ。
「ブロンシェちゃんは絶対ピンクが似合うのに!」
「ウェディングドレスなんですから口出しせず、ブロンシェの希望をすべて叶えてください。ダイヤ縫い付けようとベールを全部ダイヤにしようとうちには金はあるので。というかウェディングドレス以外も口出しはしないでください」
「学園の卒業パーティーのドレスだってピンクにしてくれなかったじゃない!」
「ピンクは母上が毎日着ているからいいでしょう。ピンクピンクって馬鹿の一つ覚えのように」
「アシュフォード様、大丈夫ですよ。私、ピンクは似合わないので」
「ブロンシェちゃん! そんなこと言わないで! 絶対に似合うから! 有名デザイナーのミリアンさんが来ているのよ。彼女のデザインで似合わないわけないわ! 私の後継者なんだし! ピンクは継いでもらわないと」
「そういう問題ではなく。そんなにピンクがいいなら母上がもう一度結婚式でも挙げたらどうですか」
「アッシュちゃんが冷たいわぁ~!」
「生まれた時からこうです。あなたの腹の中に優しさをすべて置いてきたか、もともと入ってなかったか」
「ブロンシェ様は白をご希望ですか?」
「あ、はい。やっぱり色がついてるのよりは。白を着るんだなってずっと思ってたので」
アシュフォードが母をなだめようとしてもギャアギャア収拾がつかない。
デザイナーのミリアンはその間にブロンシェの希望を聞き取っていく。元第一王子に予約をねじ込まれてから彼女もいろいろ仕事のやり方を考えたのだろう。以前会った時よりも公爵夫人である母に丁寧だがはっきりした態度をとっている。
「ダーリンともう一回結婚式挙げるのはいいけど、ダーリンはきっと嫌がるわ」
「じゃあ他の男でも見つけたらいいんじゃないんですか。愛人でも」
「アッシュちゃんの思考が穢れてる! 誰!? そんなこと教えたのは!」
母がいつも通りうるさい。今度からブロンシェの家で打ち合わせをしようか。こうなることが分かっていたから嘘の打ち合わせ日程を教えたのに、どうやって本当の日程を嗅ぎつけたのだろう。
そんなことを考えていると使用人が予定にない客の来訪を告げた。フロストとブランドンである。また頭痛が酷くなった。
「アシュフォード様、大丈夫ですよ。行ってきてください。フロスト様は最近勉強がうまくいかずに落ち込んでらっしゃいますから」
「また婚約破棄になっても困るな」
ブロンシェはもちろんそう言ってくれる。隣でミリアンも任せろとばかりに力強く頷いているので母相手でも押し切られないだろう。
ブロンシェの指に嵌まっている指輪を撫でると、席を外した。なぜかデザイナーのミリアンがその様子を見て顔を赤らめていた。
***
「いい加減帰ってくれ、白豚王子」
「もう一回!」
「二十回連続でババ抜きで負けておいて? 二十一回目も結果は一緒だ」
再度トランプを混ぜ始めるフロストにアシュフォードは呆れた声をかけた。約束もしないでやって来たフロストとついでに連れてこられたブランドン。
ブロンシェが慰めてあげてという雰囲気を出していたから、無駄なババ抜きに付き合ったが終わるたびに泣きつかれていい加減疲れた。
「爺、お客様がお帰りだ。ブランドンにさえ十八回負けているんだからもう諦めろ。しつこい男は嫌われる」
「アッシュがそんなに強いのはカードの順を全部覚えてるからだろ!? 混ぜても記憶力で何とかするとかあり得ないし!」
「注意深く見ていれば勝手に記憶される。それにババ抜きで覚える必要はない。表情を読めばいいだけだ」
「なにこの、チート! 詐欺師! 顔いいのにさらに頭もいいとか最悪じゃん! 俺にはモブの意地ってもんがあるんだよ! モブ舐めるなよ!」
「ブランドン、良い医者を紹介できないか。とうとう狂ったらしい」
「俺、医者にかかることなんてないから分かんない~。あ、騎士団で聞いてみよっか? どこの病気?」
「頭だ」
「それは、ちょっと難しいかも」
ブランドンはへらっと笑って肩をすくめた。
「じゃあ不治の病だな」
「勝手に病気にしないで! ってか表情読むってブランドンはずっと笑ってるだろ!」
「ブランドンはジョーカーを持っていても表情が変わらないだけだ。危機感と恐怖心が鈍い」
「うんうん」
「いや、ポーカーの時だって表情は変わらなかった!」
「ブランドンはポーカーのルールを理解していないからどんな手札でもヘラヘラしてる」
「うんうん、そうそう」
「え、ルール理解してないのにあの時俺負けたの!」
「ババ抜きに対するようなしつこさで勉強も続けたらすぐものになるからまぁガンバレ」
「アッシュはどのくらい勉強してる?」
「朝起きてから夜寝るまで。食事と風呂とブロンシェと会っている時以外のすべての時間」
事実しか話していないのにフロストはまたギャアギャア騒ぎ始める。
「そんなに嫌なら国に帰れ。ブランドン、連れて帰ってくれ」
「オッケー。さすがにババ抜きは飽きたね」
「ジゼル嬢によろしく」
「うん」
ブランドンがフロストを引きずって帰っていく。最近では見慣れた光景だ。あんなんでもエレーナ嬢の前ではかっこつけているのだろう。
トランプを片付けると初老の執事が手紙を持って近づいて来た。
「坊ちゃま、ランドール様からお手紙です」
「あぁ、やっと来たか」
その場で手紙を開封すると、アシュフォードは表情を変えずに読み進める。
「ランドール子爵家といえば、最近ハーパー男爵家のご令嬢と婚約が調った辺境に近い家でございますね」
「あぁ」
「どのようなご用件でしたか?」
「人身売買のアジトらしき場所があるから教えたんだが、踏み込んだら逃げたあとだったらしい」
「それはそれは残念なことでございます。国境付近はまだそのようなことがあるのですか」
急に不穏になった会話に初老の執事は全く表情を変えない。
「残念ながら。バスティアン侯爵家は面倒だ」
「あの家の当主は代々ああでございます」
「爺にもまだまだ働いてもらわないと」
「早く引退したいんですが」
手紙を自分の部屋の引き出しにしまってからブロンシェのところに向かう。母は気が済んだらしくいなくなっていた。
「今度ピンクのドレスをお揃いで作ると言ったら納得してくれました。建国パーティーですかね」
「……悪い。嫌ならそんなことはしなくていいから」
「ミリアンさんに頼むので大丈夫ですよ。お義母さまも私のことを思ってやってくださっているので」
あの母を、言い出したら基本他人のことなどお構いなしの母をこうやって丸め込むのか。あの母と渡り合えるなら大抵の相手は大丈夫だ。
「フロスト王子は大丈夫ですか?」
「いつもの泣き言だから大丈夫だろう。どうせエレーナ嬢のために頑張る。ヘタレのくせにプライドを捨てきれていないところがダメだが」
隣に腰掛けてからブロンシェの肩に頭を置いた。ブロンシェが髪の毛をいじる感触が伝わってくる。
デザイナーは必死でデザインを仕上げていてこちらは見ていない。
「いつも今くらい平和だったらいい」
「そうですねぇ」
本当に今この瞬間くらい世界が普通で満たされていたらいい。
人身売買の件はさておき、フロストがギャーギャー騒いでブランドンがヘラヘラ笑って、母もギャンギャンうるさくて。でも、一日が終わりかける頃には隣にブロンシェがいてくれたらそれでいい。たったそれだけでいい。
アシュフォードは黙って目を閉じた。もう頭痛はしなかった。