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今回はちょっと暗め。
アシュフォード・ハウザーにも緊張する瞬間はある。今がその時だ。
別に婚約者であるブロンシェにキスしようとしているわけではない。もちろんそういった瞬間も緊張するが、この緊張はキスの時とは全く違う。
喉元に刃物を突き付けられているような。背中に刃物を入れられているような。とにかく失敗が許されない、まるで戦争でもしているような空気だ。
執務室にいるといつも緊張する。
「随分と悠長に進めているな、アシュフォード」
現ハウザー公爵であり、アシュフォードの父であるライナス・ハウザーは冷たく笑った。本人としては楽しくて笑っているつもりなのかもしれないが、嘲笑にしか見えない。
そして、ブロンシェはこの父親とアシュフォードがそっくりだと言う。確かに外見は恐ろしいほど似ているとアシュフォードでも思うが、決して口にすることはない。
「結果は出しております」
自分の唾を飲みこむ音が聞こえる。
「ふん。この前の議会で過半数が第二王子を支持した。チマチマとした動きでもなんとかなったな」
「あなたのように性急に事を進めると反感を買います。あなたを反面教師にしたのがあのチマチマとしたやり方です」
父や父上と気軽に呼べるような関係性はない。家族だが家族とは感じられない。
アシュフォードはいつも「家族」と聞くと薄い氷が張った池を連想する。少し触ると簡単にヒビが入って割れてしまうような。
「生意気を言うようになったじゃないか」
家族とは感じられないが、アシュフォードは父の悪影響は確実に受けている。父が宰相になってから推し進めた弊害、つまり他の貴族達からの不満はアシュフォードや婚約者であるブロンシェに向いたからだ。子供のころからお茶会での嫌味はもちろんのこと、酷い時には毒を盛られたり、刺客を向けられたりしていた。
「しかも学園で面白い事を始めているじゃないか」
ジゼル嬢発案のハニートラップのことを言っているのだろう。
「第二王子の支持が過半数になっても陛下が王太子の指名をされるような雰囲気がありません。第一王子に大きな傷でもなければいけないのかと」
「確かにな。王妃はあの息子に甘い」
どうやら今回は叱責されないようだ。文句があるならとっくに言われているはずだ。
世間話の延長のようにネチネチお小言が降ってくるだけなら、父としてはアシュフォードのやっていることに特筆すべき不満はないのだろう。
「他になければこれで。オルグランデ王国の王子がこの国にいらっしゃるので、うちに泊まる許可が欲しいのですが」
「あの役に立たない前世持ちか」
ライナス・ハウザーはイスに深く腰掛けて考え事をするように目を瞑る。
オルグランデ王国でのことは密偵から連絡が行っている上に、アシュフォードもきちんと報告している。
「あの国では冷遇されていたので役立たずかどうかはまだ分かりません。それに、ハベル公爵家に恩を売るのにいいかと。あとは化粧品を土産に持ってきてくれるそうなので母上が喜ぶでしょう」
「泊まることを許可しよう」
オルグランデ王国の化粧品はパッケージが非常に美しい。ブロンシェのアドバイスで母に買って帰ったが、今までで一番喜んでいた。
父から解放されて執務室を出て少し歩いたところで、アシュフォードはやっと息ができた。
「疲れた……」
10分にも満たない会話なのにそんな独り言が出てしまう。
ずっと試されている。それは別にいい。今回も学園でのことはよほどの事がない限りガキに任せるというスタンスなのが父だ。
ただ、何をしてもどうせ認めてもらえない。そんな思いが子供の時からずっと拭えない。父が興味を示すのは母と仕事のことだけ。アシュフォードは褒められたことも心配されたこともない。それでも認められたいと努力し続ける自分がとても愚かに思える時がある。
「……疲れた……」
もう一度そんなセリフをこぼしながら、母と一緒に待っているブロンシェのところへ向かった。