35(エレーナ視点)
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「ブロンシェ、アレを取ってくれ」
「はい」
「あの件をまとめたものはどこだ?」
「こちらです」
まるで夫婦だ。何なのだ。「アレ」で通じるこの安定感は。ちょっとやそっとのことで動じないこの信頼は。
エレーナは香ばしいクッキーを頬張りながら、まだ夫婦ではない婚約者の二人、ブロンシェとアシュフォードの仕事の様子を眺める。
ジゼルとブランドンがそれぞれ家の用事と騎士団の稽古で早く帰宅すると知ったので、久しぶりに勉強部屋にやってきた。
今のエレーナにとってあの二人を視界に入れるのは辛い。あの初々しく不安定で空気が若干ピンク色がかる様子の二人を見るのは。
アシュフォードがブロンシェに渡そうとした書類を軽く引っ張ってわざと渡さない。
「書類が破れますよ」
「別にいい。あのアホのところにいくやつだからな」
「担当の文官さんがかわいそうです」
ブロンシェの手首を引っ張るとアシュフォードは素早く頬にキスを落とす。早業である。
絶対にあれは手慣れている。昨日今日でやっているわけではなく、普段からこいつ仕事中もいちゃついているのか。ブロンシェも慣れているようでブツブツ言いながら口をちょっと尖らせただけだ。
この二人の間にジゼルとブランドンのような初々しさはない。ただ、なんだろう。この心にじわじわダメージを与えるビタースイートな雰囲気は。ピンク色ではなく優しいヴァイオレットの空気は。
エレーナとエドエドの間にはなかったものだ。いや、幼い頃は初々しさや信頼があったかもしれない。ただ、それは簡単に消滅した。今は目をこらしても欠片や破片さえ見当たらない。
アシュフォードがエレーナの視線に気づいて器用に口角を上げる。それもムカついた。
やっぱりここに来るんじゃなかった……そんな気分にさせられる。
「その視野の狭さは洗脳でもされているのか?」
アシュフォードからそんな言葉が飛んでくる。
お前が思いっきり婚約者を洗脳しているじゃないか、とは言わない。
「エレーナ様。長期休暇はどうされるんですか?」
「王宮で勉強だろう?」
ブロンシェが話題を変えたが、エレーナではなくアシュフォードが先に答える。
長期休暇のように先のことを今は考えたくない。お休みしている教育を再開するなんて嫌なのだ。
「私達はオルグランデ王国に婚前旅行だな。最悪の場合、亡命先にいいかもしれない。ただ、食料自給率が他国と比べて低いのは気になるな。そして主な収入源が観光というのもな……」
「長期休暇は領地に行くと思うわ。じゃあ、私は用事があるからこれで失礼するわね」
「婚前旅行」と耳にしてさらに漂い始めたヴァイオレットの空気は、今のエレーナには毒だ。蜂や蛇の毒よりも質が悪い。その空気を振り払うようにエレーナは部屋を後にした。
「どうしてエレーナ様を煽るようなことを言うんですか?」
「あれだけ愚痴をこぼしながらも最後の最後で強硬手段にでも踏み切れないのは何故かと考えてな。それに煽られてエレーナ嬢もオルグランデ王国に行くなら、あちらに目が行くから私たちは動きやすい」
残った二人はそんな会話をしていた。