第3話 入院病棟
せすんは自ら指差していた建物に真っ直ぐ向かうと、サングラスを外して胸ポケットに納め、裏口からたやすく中に入った。
そこは入院病棟だった。
裏口のそばには、台車に載った洗濯物の袋やシーツの山、ごみの袋があった。
暑くもない、寒くもないぬるく保たれた空気の中、せすんは通路をゆっくり進む。
顔は真っ直ぐ前を向いているが、周囲の気配を察することに集中して。
薄暗い裏口付近から、明るいナースステーションの前を通り過ぎ、病室が並ぶ横を歩く。
看護師の姿がある。が、誰もせすんの方を見ようともしない。見えていないのだ。
今のせすん、いろはの姿は、人には見ることができない。
人には。
やがて階段があった。せすんは一度そこを通り過ぎ、棟の正面口まで来た。
外来受付ほどに広くはないが、ここにもロビーがあり、ベンチや、対面の椅子席が置かれていた。
そして暗かった。
空調の音が聞こえた。すすり泣くような声にも聞こえた。
彼はぐるりと視線を一周させると、用はないとばかりに鮮やかに身を翻し、階段を上った。
その足音がやけに響く。まるで彼の後ろから、何人もが後を追ってきているかのように。
せすんは足を止めた。
階段の窓の前。窓が強風に晒されたかのように揺れ、今にも壊れそうな悲鳴を上げていた。
…外は無風であったはず。
せすんは構わず先へ進んだ。
その表情は僅かな緊張と…その奥に笑みが、隠れていた。
入院病棟は5階建てだ。
せすんはすべてのフロアを同様に見て回った。
明るい所。暗い所。
ひと気のある所。ない所。
せすんがも探し求めているものの姿がない。
それでいて気配は感じていた。だが弱い。というより遠い。遠巻きに見られているような感覚がある。
「不愉快だ」
せすんは呟いた。
そして彼の身のこなしが更に鋭くなった。エレベーターに乗る。1階に下り立つと、彼はロビーの自動販売機の前に。
「一番甘いものって、どれだろうな」
独白しつつ、買ったのは紙パック入りのいちごミルクだった。
ロビーの真ん中へゆくと、せすんは、なにものかに見せびらかすかのようにパックを持ち上げ…
握り潰した。
中身が飛び出し、せすんの手を濡らし、床に流れた。甘い匂いが辺りに漂う。せすんはそれを吸い込み、確かめると、潰れた紙パックを投げ捨てた。
「ほら、いい匂いだろう?」
せすんは大声を上げた。「こっちへおいでよ、舐めさせてあげる。それに僕、もっといいもの持ってるし」
言った瞬間、せすんの背後に冷たい風が流れ、背筋に悪寒が走った。
つづく
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