書けよ。
饒舌じゃないんだよな。
心の中に喋りたいこと、あ、違った、書きたいことが溢れていると言うわけではないんだよ。
でも、書こうとしている、いや、書いているのには、理由があって。
まぁ、よくある話だけれど、ある日ある時ある文章を読んで、心を打たれた経験があるから。
言えば、たかだか数行の文章で、ここまで心を揺さぶるられることがあるのかと、感動しながら、頭のどこかは覚めていて、すごく不思議だったんだと思う。
それを、私も書きたい、と、思ったんだと思う。
それで、これは例え話なんだけど、1本の木を1本の彫刻刀で掘り込んでいって仏像にしようとするとき、素人の私たちではとても上手に彫れるわけなくて、結局仏像の形にはなりはしないことを仏像を彫る前からわかっている。
でも、仏師と呼ばれる人も、最初の最初は、そんなに上手に彫れたわけではないと言うのもわかる。
なぜ、彫れるようになったのかと言えば、それは日々のたゆまぬ鍛錬、修練、努力の賜物だろうとしか思えない。
日々、彫り続けていく中で、仏像を掘るための道筋のようなものが見えてきたのに違いない。
無論、想像だけど。
で、翻って私だ。
確かに、文章が上手いとは言えない。
というより、如実に下手である、と、言ってもいいのかもしれない。
けれど、けれど、だ。
素人時代の未来の仏師だって、初めは仏師だった訳ではないのだから。
という話です。
ただ問題なのは、この文章を実は私が、音声入力で入力してしまっているということですね。
ちゃんと、日々、『書く』ぐらい、『書け』よ。
という話ですよね。