【2年前、リビア“Šahrzād作戦”⑰】
シャワーを浴びて部屋に戻ると、お店のドアが閉まる音がした。
「まるで、私たちが部屋に戻るまで外部からの侵入を見張っていたみたいだな」
そう口に出したが、ただの偶然だと思っていた。
だが、エマは違った。
「見張っていたのよ」
エマの言葉に驚いた。
「ムサ・シャリフ、元リビア情報部付き特殊部隊教官、現役時の最終階級は大佐。そして息子のボーク・シャリフはカダフィー親衛隊の元少佐。ゆくゆくはムサと同じ道を歩むはずの若きエリート将校だった」
エマの携帯電話には特殊な機能があり、必要な情報は本国のDGSE本部に調査依頼が出来るようになっていて、その通信履歴は残らない。
「だった、と言うことは……」
「そう。反政府軍との戦闘中に死亡。そして妻のカペラと義理の娘、つまりボークの奥さんケイラムはNATO軍の空爆に巻き込まれて死亡」
「じゃあ、独りぼっちってこと?」
「いいえ、ボークとケイラムには一人子供が居た」
「ひょっとして」
「そうセバが、その子よ。そしてムサは私たちの正体にも薄々気が付いているはずよ。だから、ここには盗聴器も仕掛けられていない」
「だったら」
本当にエマの言う通り、私たちの正体に気が付いているとしたら、NATOの空爆で妻と息子さんの奥さんを亡くしたムサにとって俺たちは敵のはず。
それなのに何故?
「さあ、そこまでは分からないわ。すべてはムサの心の中、ってところかしら。でも私たちを守ってくれているのは確かだと思うの」
俺は見過ごしていた。
ムサが外で水煙草を吸っているのは、ただ涼んでいるのだと思っていたし、その素性も気にならなかった。
確かに、食堂の主人としては体格もいいし、眼光も鋭い。
でもそれは、若いときに何かスポーツをしていたとか、もともと目つきが悪いだけなのかと思っていただけ。
まして、あの華奢な体つきのセバのお爺ちゃんだなんて思いもしなかった。
命令通りに拠点を占領して、命令通り敵を撃つ俺たちとは全く違う。
こう見えてもDGSEという国の情報機関の将校。
さすがに俺たちとは違う。
そう思うと同時に、今夜のトイレで教わったことが頭をよぎった。
悲鳴。
攻撃も防御も全て格闘術に頼っていた自分が恥ずかしい。
もしもあの時に来たのがエマではなくて、あの教養の高そうなペルシャ美人だったら……そう思うとゾッとした。
「ネッ♪ さすがにDGSEの優秀な将校でしょ♡」
ベッドに腰掛けていた俺の横に、エマが腰掛けた。
「ああ。さすがだ」
おれの回答が、気に入らなかったのか、エマは「相変わらず、ぶっきらぼうね」とだけ言った。
俺は、言葉を知らない。
物心ついたころ、たしかに優しい女性がいて俺を育てていてくれた。
それもいつの間にか居なくなり、それからはヤザと二人きり。
俺の傍に居るのは、いつも物言わぬ死体と同じように喋らないヤザ。
サオリたちに拾われた後も、話をするのはサオリとミランの二人だけ。
傭兵部隊に入って、仲間は増えたけれど、基本的に話しかけられない限り話をしないでいた。
サオリに教えられるまま勉強をして、アラビア語の他に英語・フランス語・日本語も覚え、今はドイツ語を勉強している。
だけど、いくら外国語をたくさん勉強しても、人と話をしないのでは何にもならない。
「大丈夫よ。ナトちゃんはこれから経験を積み重ねれば、それでいいの」
俺の考えていたことが分かったのか、エマが優しく肩を抱いて励ましてくれた。
ありがとうと言って顔を上げると、その言葉の最後のほうは口を塞がれて言葉にならない。
エマの体が覆いかぶさってきて、俺はベッドに沈む。
「なっ……」
何をする! と言いたかったのに、エマの唇が俺の開けた口を塞ぎ、舌を絡めてきた。
気の遠くなる感覚の中、やっぱり俺は甘いと思った。
“この女は、ただのエロだ!”
 




