【2年前、リビア“Šahrzād作戦”⑨】
バスルームから出て、ホテルのバスローブを纏いベランダの椅子に腰を下ろす。
風が気持ちいい。
地中海を貨物船が、悠々と海面を滑って行く。
平和。
この時間だけを切り取ってみれば、どこにキナ臭いにおいが隠れているのか分からないくらい平和だ。
部屋がシーサイドなので道路は見えないけれど、時折車の音が聞こえるたびに、真新しい軽装甲機動車に乗った仲間たちを思い浮かべてしまう。
ホテルに戻るときにすれちがったトーニとモンタナの顔を思い出す。
もう一台の軽装甲機動車には屹度ハンスとブラームが乗っているだろう。
あのとき、もしも出くわしたのがモンタナの班ではなくてハンスのほうだったら、ハンスは俺に気が付いてくれただろうか?
なんとなくだけど、ハンスなら俺がどんな格好をしていても気が付いてくれそうな気がする。
そして車を止めて「頑張れ」と一言だけ言ってくれる。
そう思うと、なんだか今日一日遊びまわっていたことが後ろめたい。
彼らは今、任務の真最中。
俺のようにのんびりと、海を見ながら平和に浸ってはいない。
不意に後ろから優しく抱きしめられた。
一瞬ハンスかと思って振り向くと、案の定エマだった。
「ごめんね。愛しの君じゃなくて」
「別にいいけれど、でも俺には“愛しの君”なんていないよ」
「そっか……ゴメンね」
「いや、いい」
ほのかに火照ってしまった顔を見られたくなくて、振り向かないまま言葉を返した。
夜の冷たい風が、優しく頬を撫で、熱を取ってくれる。
「そういえば、ベッドが一つしかないけれど」
「だって、カップル用のスィートだもの」
任務中にカップル用の部屋を取るなんて、あり得ない。
そう言えば、今日一日遊び呆けたことや、ザリバンの肩を持つ発言をしたことを注意するのを忘れていた。
ベランダから部屋に入り、そのことについて抗議すると、エマにしては素直に謝った。
「ゴメンゴメン、だから私はソファーで寝るから、ナトちゃんはベッドで寝ていいよ」
「えっ本当に?」
「どうせ、一緒には寝てくれないんでしょ」
「だって、それはエマがエッチな事ばかり、しようとしてくるからでしょ」
「嫌なの?」
「ふつう、嫌でしょ!」
「他の子と、一緒に寝たことないの?」
真っ直ぐに瞳を見つめられて困って目を逸らす。
サオリとは、したことがある。
それも、たいていは私のほうからサオリのベッドに潜り込んでキスをせがんでいた。
「知らない!もう眠たいから寝る」
そう言って、シーツを頭から冠った。
エマは「あらあら」と言って、電気を消してくれた。
やっぱりエマは大人の女性で、俺は子供。
無理やり話を打ち切って、シーツに潜り込んで、そう思った。
眠りに落ちて、どのくらい経った頃だろう。
俺は久し振りに、夢を見た。
サオリが戻ってきて、優しく、旅の話を聞かせてくれる夢。
私がキスをせがむと、少し困った顔をして受け入れてくれた。
「じゃあ、目を瞑っていてね。いいって言うまで目を開けちゃ駄目だよ」
「うん、わかった」
久し振りに味わう、とろけてしまいそうに温かい唇。
重なり合った胸も、腕をまわした背中もすべすべして柔らかい。
足を絡めようとすると、サオリの足が優しく私の足を受け止めて更に絡めてくれる。
足の先から温められた幸せが、根元まで伝わり心を熱くさせる。
「ねえ、まだぁ」
「まだよ」
我慢をするために、むさぼるようにサオリの唇を求める。
「ねえ、まだぁ」
「まだよ」
「いじわる」
切なさに耐えきれずに、目を開けると、そこにサオリの顔は無くただ体だけがあった。
私は、顔のないサオリの体を確りと抱きしめて泣いた。
いつまでも、いつまでも――。
顔のないサオリの手が、いつまでも私の頭を優しく撫でてくれていた。




