【2年前、リビア⑤】
「歯を食いしばれ」
鉄拳制裁かと思いながら、斜め後ろで止めようか戸惑っていた俺にハンスが声を掛ける「ナトー」と。
次の瞬間、ハンスの裏拳が俺の頬を襲った。
“パン”と言う高い音。
焼けた頬が更に熱くなる。
「隊長、そりゃあ……」
モンタナが慌てて前に出て俺を庇おうとして、ブラームが揺らめいた俺の体を支える。
「甘えるな!」
珍しくハンスが怒鳴る。
「鬼軍曹とはどんな軍曹なのか、トーニ行ってみろ」
「ぼ、暴力を振るう鉄拳制裁の軍曹」
トーニが答えると、次はフランソワを見る。
「戦場で何事にも動じず、鬼神のように振る舞う軍曹」
「違う。お前たちは未だ甘い。鬼軍曹とは、戦場で生きる見込みのない任務を平然とお前たちに命令して来る軍曹だ」
「酷え……」
トーニがポツリと言った。
「酷くはない、当たり前の事だ。そもそも軍曹と言うのは小隊長の右腕で分隊の中では一番使える兵士だ。そして一番死んでもらったら困る存在で軍曹自身もそれを認識しているから、部下に平気で死を伴う任務を与える。部下のキンタ〇を握り潰す気もない軍曹など要らない。甘っちょろい奴は軍曹であろうが女であろうが関係ない。その甘さが、お前たちの、そして部隊全体の命を脅かす」
そこまで言うと、怒ったように踵を返しハンスはテントを出て行った。
確かにハンスの言う通りだ。
トーニが言った通り、俺はあの時、握り潰すつもりなど毛頭なかった。
強いて言うなれば “言ってみたかっただけ” なのかも知れない。
あの時、握り潰さなくても、潰れる程の激痛を与えてやれば誰も恥をかくこともなかったし、この喧嘩もなかった。
トーニは規律を乱し、蹲り、列から外れるだけ。
ひょっとしたら、アンドレ大佐の俺を尋問するような態度は、俺の甘さを見抜いていたからなのかも知れない。
だから俺には甘い紅茶を、そして自分には苦い珈琲。
ハンスの言った通り、俺は甘かった。
殴られた頬が熱い。
そして、この頬の熱さはテントに入る前、恥ずかしさで赤くなった頬を隠すための優しい熱だったのかも知れない。




