【Is Paris burning?(パリは燃えているか)⑨】
エマに連れて行かれたのは、華やかなブティックが並ぶ綺麗な通りから外れ、ドブの臭いと道端にゴミが散らかったままの裏通りにある酒場。
看板らしきものは一階に吊るしてあるが、店はどうやら地下にあるようだ。
2人で、まだ明りの灯っていない、薄暗い階段を下りて行く。
「まだ開いていないんじゃないか?」
時間は午後3時、酒場が営業を始めるには早すぎるし、昼にランチや喫茶を取るには怪し過ぎる店構え。
エマがドアノブに手を掛けて押すと、ギイーっとドアの軋む音とカランカランと言うカウベルの音が不釣り合いに鳴った。
予想通り店内も薄暗い。
だけど閉まっている訳でもない。
安い煙草の臭いの奥、バーカウンターの向こう側で酒の瓶に半分以上隠れてはいるが、店主らしき黒のパンチパーマの頭が見える。
「まだ開いてねえよ、帰りな」
店主が振り向きもしないで思いがけず来店した客を、不愛想かつ不機嫌そうな声で追い返そうと断りを入れるが、そんな声などお構いなしにエマが返事を返す。
「ベル、来てるんでしょ」
その途端、店主が今までとは打って変わり、俊敏な動きで起き上がり「エマ! 久し振りじゃねーか」と、まるで旧知の友を出迎えるような明るい甲高い声で叫んだ。
「ミューレ、久し振り。いいかげん客によって態度を変えるのを止めないと、商売にならないわよ」
「なに言ってんだよ。店を構える以上、客を選ぶのも店主の務めってものを知らねえな……ところで、隣の地味っ子ちゃんは?」
ミューレと呼ばれた店主がエマの後ろに立っていた俺に気付き、頭の天辺から爪先までジロジロと執拗な目つきで見る。
「あっ、この子“ナトー”って言うの。ナトちゃんって呼んであげて。そして、こちらはミューレ――」
そこまで言ったエマが、何かに気が付いたのが分かった。
「さあ、おふたりさん。ここでIQテストよ」
「「IQテスト」」
「そう。初対面の相手の素性を当てっこするの! さあ、ミューレはナトちゃんの正体を見破れるかな?」
「う~ん……」
そう言って、さっきした目つきで、もう一度俺のことを見る。
左手が鼻の下に伸ばした髭を触る。
「見た感じ司書さんと言いてえところだが、俺のこの目で睨まれても動じない所を見ると只者じゃねえ。しかも俺の目の動きを逆に観察までしてやがる……CIAか?」
「はい。次はナトちゃんの番よ」
「元刑事」
「元? なんで今、刑事じゃないの?」
「片方の肺を遣られているから、辞めた」
「はい、ナトちゃんの勝ぃ~」
エマが俺の手を取って、高々と上げた。
「ちぇっ、CIAじゃねえのかよ」
「惜しい! 心情的にはミューレも勝利なんだけど、この子は傭兵特殊部隊LéMATの隊員よ」
「おぉ! スーザン以来1世紀ぶりに傭兵部隊が採用したって言う女性兵士ってのは、あんただったのか。それにしても兵士にはみえねえ……」
エマが目で俺に合図した。
その合図が何を意図するのか直ぐに分かり、俺は眼鏡とウィックを取ってみせた。
「おぉ! 変装までしていてとは見破れなかったぜ、地味っ子ちゃんがスーパーモデルに変身だぜ。それ、リズにしてもれったのか?」
「そう。最初はね」
「じゃあ今は?」
「この子が、自分でしている」
「そりゃあスゲー」
褒められているのは分かるが、ただ被って眼鏡を掛けているだけだと伝えると、ミューレは違うと言った。
変装って言うのは、ただ髪形や化粧・衣装を変えただけでは直ぐに見破れると。
肝心なのは、変装する人間になり切る事。
それと、ウィックの被り方ひとつにも、コツがある事を言った。
「ここまで出来て、CIAじゃないとは、その方が驚きだぜ」
「でしょ。――ところでベルは?」
話が久し振りにベルに戻ると、ミューレは少し嫌な顔をして親指で後ろを指した。
指の向こうにはVIP席なのか、カーテンに閉ざされた個室があり、微かに明りが灯っていて人の居る気配があった。




