【さようなら蒼い空⑧】
部隊にある白いバンを借りて街に出た。
一応隣に乗っているのは、これでもDGSEの大尉。
ザリバンに殺し屋でも居たら命を狙われかねない要人にあたるから周囲に気を配りながら運転しているのに、当の本人ときたら隣で陽気に話し掛けてくるし菓子を食べこぼすし、緊張感の欠片もない。
大胆なのか安心しきっているのか、それとも本物のバカなのか……。
「エージェントをやっていて、いつ命を狙われるかもしれないという不安はないのか?」
「最初は、あったよ」
「最初は? じゃあ今は?」
「ないって言ったら嘘になるけれど、そんなことを気にしていたらストレスで続かないよ」
「それで、男か」
「人間、死の恐怖を感じると本来もつ一番大切な感情に従おうとするもの。それは自分のDNAを残そうとする行為。つまりSEXね」
「じゃあ、女に手を出すのはどう説明する?」
「女は、手あたり次第じゃないよ。わたし百合だって言ったけど、経験自体はホンノ数人だもの。女の場合は“あこがれ”や、本当の意味で好きってことだよ。だからナトちゃんなの」
聞いていて恥ずかしくなってきたので、話を打ち切った。
それに、この流れで話を続けると、買い物をする時間が無くなってしまう恐れもあったから。
それが証拠に、エマは菓子を食べる手を止めて、俺を見つめて腕を取りモジモジしていた。
砂漠を抜けて街に入る。
街はいつも通り。
何の変哲もない、人々が自由で、不安なくショッピング楽しんでいる街。
この街に再び戦争の影が迫っていたことなど、誰が想像できるだろう?
いや、そんな嫌な心配や想像はは誰もしなくていい。
俺たちが、戦争の芽を摘み取り、そう言う世界を作らせなければいいのだ。
「何を考えているの?」
「いや、なにも……」
「相変わらず嘘が下手ね。でも良いわ、ナトちゃんのそういう生真面目なところ」
「生真面目だなんて」
「じゃあ一途?」
「やめろ。揶揄うな」
「ごめん、ごめん。怒らないで、せっかくの可愛い顔が台無しだよ」
「怒ってはいないし、可愛くもない」
「やっぱ、怒っているじゃない」
別に怒ってはいなかった。
ただ、揶揄われるのが嫌だっただけ。
車を減速させて、ペットショップの前に停めた。
エマと一緒に猫を抱いてケージを選んで、そのうちの何個かのケージに子猫を入れてみて、一番猫の気に入ったものを選び、ついでに猫のおやつも買った。
それからケージに入れた猫を連れてカフェで、ひとつのパフェを二人で食べた。
しばらくウィンドショッピングを楽しんでから、空港に入る。
搭乗の手続きを終えて、ロビーでゲートが開くのを待つ。
「またどこかの国へ行くのか?」
「ううん、当分はパリよ。そうそう重大な国の国益に関わるような事件が起こってたまるものですか」
「それが平和でいい」
「そうね。ただ監視は続けなくてはいけないから、各地に散らばったエージェントからの調査報告には注意をはらうのよ。手遅れになる前に対応するために」
「大変だな」
「そうね。でも、それが私の仕事だもの」
搭乗のアナウンスが始まる。
「ナトちゃんも来週帰国でしょ」
「うん」
「帰ったら、遊びに来て」
「気が向いたらな」
「気が向いたら何て言っていたら、いつでも会える距離に居たとしても、会えやしないわ」
「そうか?」
「そうよ。じゃあ二週間後の土曜日に家に来て。いい?」
「仕方ないな、じゃあ二週間後の土曜日に」
「約束よ」
「子供みたいだな」
「子供じゃないよ、ほら」
エマが胸を張って俺の目の前に突き出し、その胸を自慢げに下から持ち上げて更に強調する。
「よせ。他の客が見ているぞ」
「いいじゃん減るもんじゃないし、運が良ければ増えるのよウフッ」
「……その、性癖は直せ」
「だって仕事の性格上、好い男と接する機会が多いんだもの仕方ないわ」
「いい男の基準が分からんが」
「そうね、クールで背が高くてスラッとしていて、有能でリーダーシップがとれてしかもイケメンで思いやりがある人かな」
“クールで背の高い、有能でリーダーシップの取れる思いやりのあるイケメン……”
「チョッとエマ! まさか、うちの隊長には手を出していないよね」
「さあ、どうだか?」
そう言うと、エマは私の手に紙きれを渡して、逃げるように搭乗ゲートへ向かって走り出した。
噛み切れには、エマの住所が書かれていた。
メモを見た顔を上げると、搭乗ゲートの向こうに小さく見えるエマが何度も振り返っては手を振っていて、その姿が人の波にのまれるように消えてしまった。
エマと別れたあと、空港の屋上に上がってエールフランスの飛び立つのを見送って空港を出ると、二羽の白いハトが青い空を悠々と飛んでいた。




