【さようなら蒼い空②】
何もない砂漠の道を3台の車両が進み、やがて街に入り、それぞれが違う道に分かれて行く。
俺たちを乗せた白いバンは、令式軽装甲機動車を受け取った港から街中を走る。
左手に見えて来たのは、エマが我儘を言って一緒に入ったカフェ。
ここで俺はパンケーキを食べて、エマはチキンライスとピザを食べ、食後にウェイターが紅茶をサービスしてくれた。
いつも礼拝のために通っていたモスクを抜け、マグリブのあと入った食堂。
ここで、セバと出会い、ムサの家を紹介された。
エマと服を買ったスーパーに、ふたりでひとつのパフェを食べたカフェ。
男たちに襲われた路地。
レイラと一緒に入ったブティックにNOTO軍の空爆で破壊されたレイラの家族が住んでいた家。
そして海。
「ハンス。このルートって」
「エマが毎晩報告してくれていた」
「エマが!?」
「そう。まるでŠahrzādみたいにね。夜の海を見よう」
ハンスは海岸で車を停めると、降りて外に出た。
「ブラーム」
「俺は車の番をしているから、行ってきな」
声を掛けたブラームは、そう言ってニッコリと笑った。
さざ波の音と磯の匂いのする風。
月が浮かぶ地中海を大型の貨物船が悠々と進んで行く。
「見ろよ、この美しい海を。もしも、この海が真っ黒に汚れていたとしても、この景色は変わらない。それは夜の闇が色を消してしまうから」
珍しくハンスが喋った情緒的な話。
「目に見えるものが全てじゃない。ものは見かたによって常に変化する。たとえ自らの復讐のために戦ったとしても、復讐したくてもそれを出来ないものにとって、それは英雄的な行為にも映るだろう。だけど、ただ殺し合うだけでは何も解決しない。肝心なのは始めたことの終着点。そうは思わないかい?」
海を見ていた後ろ姿のハンスが振り向いた。
清々しく透き通るようなブルーの目。
「バラクは立派に終わらせた。 そうだろ」
「……うん」
「では、任務に戻る!」
再び走り出した車は、焼けて歪に曲がった鉄の骨組みだけになってしまった港の28番倉庫に立ち寄ったあと、これも焼けて廃墟になったバラクたちのアジトに寄り3人で車を降りた。
「これは感傷のサービスではない。第二第三のバラクやレイラが現れるとしたら、その出発点になるかも知れない場所だ。注意しろ」
「でも昼のうちに。国軍が残った武器の調査などを済ませているだろう?」
「武器だけでは戦えない。武器よりも大切なものは強い精神力。それを支えるのが“象徴”だ」
「象徴?」
「そう。十字軍の心の支えはローマだし、第二次世界大戦に於いてフランスのレジスタンスにとっての象徴は凱旋門だ。もし再びこの地でザリバンを率いる者が居るとするならば、絶対ここに立ち寄るはず」
そのときバラクの館からカランと乾いた音がした。
銃を構えて中に入る。
綺麗だった玄関も焼け焦げて真っ黒。
中に入ると、再び何者かの音が聞こえた。
音がしたのはバラクの部屋。
ブラームに援護してもらい、倉庫の爆発で傾いてしまったドアを蹴り開けて突入した。
しかしそこには誰もいないばかりか、ここだけ時が止ったように、あの道に迷った外国人観光者を装ってバラクに案内された時のまま綺麗な状態で、真っ白いソファーにはバラクの投げたイジェメック MP-443がマガジンを抜かれたそのままの形で放置されていた。
「軍曹。大丈夫ですか」
押し殺したブラームの声が扉の向こうから聞こえてくる。
「ああ」と気のない返事をして室内をボーっと見渡していた。
「ひゃー、ここも派手にやられたもんですねー」
あとから入って来たブラームが言った。
「派手に?綺麗なままじゃ……」
振り返ると、今まで綺麗だった部屋がススだらけで荒れ果てていた。
そして焦げたソファーの上に置かれていたはずのイジェメック MP-443は無く、そこには一匹の黒い猫。
「音の正体は、こいつだったのか」
ブラームがその猫をひょいと摘まみ上げて俺に見せて俺に渡した。
「子猫」
手の中に抱かれた子猫は、何度か俺の胸に顔を擦りつけるようにしてから顔を上げてニィーと小さくないた。
“暖かい”
生きている温もりが伝わってくる。
「連れて帰ってもいいか?」
振り向いて入り口に立っていたハンスに聞く。
「いいけど、部隊撤収までに引き取り手を見つけないと砂漠で死なせることになるぞ」
「分かった」
猫を抱いてアジトを出る頃には、東の空が薄っすらと明るくなりかけて来ていた。
車が次に留まったのはムサの店。
昨日まで居た二階の部屋の電気は消えていたが、一階の電気が付いていた。
店の奥から微かに声が聞こえる。
「爺ちゃん、トマトはこれでいいか?」
「なんだ、この切り方は! こんなのじゃ駄目だ、客に出せん。まったく、おもちゃの銃を振り回していたと思えば、ナイフの使い方の知らんとは」
どうやら警察に捕まっていたセバが返って来て、お店の手伝いをしているみたいだ。
「中に入るか?」
「いや、いい」
ムサたちもアラブの春とザリバンの脅威を乗り越えて、新しい一歩を踏み出している。
今はもう俺がこれ以上関わってはいけない気がした。
今度会うときは屹度ここを離れる時だろう……。
「じゃあ、基地に戻るぞ」
「OK! ハンス」
ありがとうの言葉を付け加えたかったが、それは止めた。
ブラームがいたからではないし、言うのが恥ずかしかった訳でもない。
屹度ハンスはそれを言わなくても分かってくれている。
横からのキツイ日に照らされながら、郊外を抜けて行く。
路地から1号車が現れて、俺たちの後ろに着く。
そして次の路地から2号車も合流して1号車の後ろに着いた。
砂漠の一本道を3台の隊列を組んで進む。
“今日も熱くなりそうだな”
膝に抱えた子猫を撫でながら、そう思った。




