【2年前、リビア“Šahrzād作戦”㉗】
俺が走ると、直ぐに奴らも俺を追いかけて来た。
走るのは得意だ。
しかし、ビジャブを巻いていたのでは邪魔になるので外して、我武者羅に走った。
最初は6人の追って来る足音が聞こえていたが、それが一人減り、また一人減りと少なくなってきた。
しかしまだ二人着いてくるし、落後したと思った奴も、どういうわけか復活していたりする。
屹度、携帯で連絡を取り合って、予想できるルートを先回りして来ているのだろう。
大通りを真っ直ぐに突き進めば、簡単に振り切れたかもしれないが、それだと夜警に出ているLéMATの仲間と遭遇してしまう恐れがあるからワザワザ狭い道を選んで走った。
もしも仲間に助けられるところを見られたら、俺の正体がバレてしまい作戦の続行は不可能になるし、何も知らずに店で待っているエマを危険に晒すことになりかねない。
しかし狭い道は袋小路になる場所も多くて、入り込む前に確認するのも振り切れない一因。
地の利は、向こうにあるから足が速いから逃げ遂せるというわけでもなさそうだ。
20分ほど走り、ようやく誰も追ってこなくなった。
どこをどう走って来たかは覚えている。
だけど来た道をそのまま引き返すと、また奴らに会うかも知れないので、用心しながら違う道を選んで歩いた。
時計を見ると10時。
いつもなら、そろそろバーを出る時間。
急いで帰らないとエマが心配する。
知らない細い通りを走っている時、急に道に表れた集団の一人にぶつかった。
ぶつかったとき、何か固い物に当たった。
おそらく拳銃。
「あぶねぇだろうが!」
ぶつかった奴に怒鳴られたが、知らんぷりして、そのまま走った。
こんな夜中に拳銃を隠し持っている奴など、ろくな人間じゃない。
そのまま路地を走り抜けられるかと言う所で、後ろから口笛の合図の音が聞こえ、路地の端から数人の兵士らしき男が現れ道を塞がれた。
“倒して逃げるか?! こいつらは俺の正体を知らない”
兵士は3人。
そのうち両端に居る2人がAK47を構えている。
右の奴に襲い掛かり、素早く銃を奪い、3人を片付けて逃げるか?
直ぐ向こうは、また路地が続くから、それで逃げられそうだ。
運悪く銃撃戦になったとしても、銃声を聞きつけた仲間がやって来るかもしれない。
だがもし来なかったら、どうする?
路地の先にも、敵がいたとしたら。
いや、路地の先に敵が居なかったとしても、俺を追っていたあの6人は確実に来るはず。
あいつらと戦っているうちに、こっちの奴らに簡単に追いつかれてしまう。
“どうする?”
ふと、頭を覆っているビジャブを脱ぎ捨てていることに気が付いた。
ビジャブを被っていない俺の姿は、奴らにとって何に見える?
“そう欧米から来た白人の外国人女性だ”
「Are you a police man? I do not know how to return to the inn」
俺は旅行者を装って、宿に帰れなくなったことを告げた。
奴らを兵士としてではなく、警察と勘違いしたふりをして。
もちろんこの3人に英語が通じるとは思ってもいない。
案の定、3人は意味が分からず道を塞いだまま立っている。
「Is there anyone who understands English?」
今度は後ろを振り向いて、英語が分かる人が居ないか尋ねる。
誰も、何も答えない。
「Oh my god.……I can not go back!」
両手を広げて、お手上げだという表情を作って悲しい顔を見せていると、いつの間にか後ろに出来てしまった人だかりの中から声がした。
「Any trouble?」
「I'm lost」
英語でトラブルかと聞かれたので迷子になったと答え、振り向いてギョッとした。
俺に話しかけてきた背の高い細マッチョな男、それはバラクだった。
バラクは俺に近づいて来ると親切にこう言った。
「Please come to my room for the time being」
つまり “とりあえず俺の部屋に来なさい” と。
そして俺だけに聞こえるような小さな声で呟いた。
「How does "Yaza" live?」
その言葉は、俺の心臓に氷のナイフを突き刺すような衝撃を与えた。
バラクが優しく俺の背中に手をまわして、部屋に誘う。
周りからは「解散!」と言う声が聞こえ、さっきまでの緊迫した雰囲気が一気に緩やかに溶ける。ただ一人、俺を除いて――。
バラクは二年前に一度、ほんの一瞬だけ会った事を覚えていた。
覚えていて俺に、ヤザはどうしているかと聞いてきた。
バラクの部屋に入るまで、あの時のことを思い出していた。
あの時、俺はサオリたちと街に出て、いったん分かれて髪を切ってもらった。
待ち合わせ時間に余裕があったので、そのまま街を歩いていたところ、ヤザを見つけて慌てて路地裏に逃げ込み、そこでバラクの手下に囲まれた。
直ぐに騒ぎになり、そこにヤザが駆けつけて、そしてバラクが出て来た。
問題なのは、その時何を話したのかと言うこと。
あの日の事は忘れない。
どんな些細なことでっても、忘れることが出来ない。
サオリがこの世を去った日だから。
“なにか、ウチのものがトラブルでも起こしたのか?”
そう言って、呑気な表情で出て来たのがバラク。
“いいや、なんてことはない。美人を連れ歩くと良くあることだ”
とヤザが言うと、バラクは俺に目を向けて言った。
“なるほど!これはナカナカの美人だ。白人ってのが気に入らないが”
“養女か?”
“……そうか、GrimReaperは残念だったな”
“ああ”
“後釜か?”
“もう、殺しはさせない。今日はプライベートで来ている。あいにく娘が通りを間違えてね、じゃあな”
“ああ、次はザリバンで!”
GrimReaperと言うのは、俺がまだ子供で反政府組織の狙撃兵だった頃の仇名。
会話の中で、その俺はやはり死んだことになっているらしい。
そして俺はその時、一言もバラクとは話をしていない。
覚えているのは、ヤザの新しい養女として見た程度だろう。
「紅茶でいいかい?」
バラクがティーカップを運んでくれた。
「Thank you」
そう答えて、しまったと思った。
バラクはアラビア語で俺に聞いてきたのに、俺は英語で答えてしまった。
アラビア語が分からない旅行者の振りをしていたというのに。
「さあ、話してもらおうか?」
そう言うと、バラクはテーブルに拳銃を置いた。
イジェメック MP-443。
ロシア製のその銃は、マカロフと違って指揮官の持つ銃に相応しいと何故か思ってしまった。
殺されてしまうかもしれないという恐怖よりも――。




