贖罪
夕暮れ時に住宅街の中、一軒の家の前に岡谷賢人は立ちインターホンを押した。
呼び出し音の余韻の後もインターホンから声が聞こえることはなかった。家の中には誰かがいるようで、室内に明かりが灯されている。賢人がインターホンを鳴らしたときカーテンが揺れたような気がした。
それでもしばらく応答はなく、もう一度賢人はインターホンを押す。そして、しばらくしてインターホンから声が聞こえた。
「賢人さん。今日のところはお帰りください」
丁寧な中年の女性の声だった。穏やかだが、声がところどころで震えて感情を抑えているのが分かる。賢人は予期していたその声で、視線を落とし門から少し離れた。どうすることもできずに、建物に向かって深々と頭を下げた。
ときどき家の中から何かを落とすような音など生活音が聞こえる。それでも気にせず賢人は建物に向かって頭を下げ続けた。人通りは少ないが、ときどき通る人は賢人を少し見るが気にせずに立ち去っていく。賢人も人の気配を感じても頭を上げることなく、頭を下げたまま動かなかった。
三十分程すると賢人はゆっくりと頭を上げ家の方を見る。そして、もう一度深く頭を下げると来た道を戻った。駅までの帰り道、重い足取りで歩いた。先ほどの家から駅までは歩いて十分程で、駅が見えるところまで出る。賢人は立ち止まり空を見上げた。
空は昼と夜の境で、上に行く程青が濃くなり、低いところの雲には赤みが帯び空を美しく彩っていた。
今からちょうど十日前のことだった。
その日はお互いの働く美容室が休みで、デートの約束をしていた。賢人は約束の時間に間に合うようにバイクに乗ってアパートを出た。バイクはデート用に持っていた訳ではなく、足代わりとして美容師学校の頃から乗っているものだ。今でも晴れの日は通勤に使用していた。
街乗り用のバイクで二人乗りでも姿勢は窮屈ではなく、四百CCで力に物足りなさはなかった。アパートから一度街中を抜けて待ち合わせ場所へと向かった。
「けんとー、ごめーん」
駅前にバイクを止めてヘルメットを脱いで近くの座れるところで待っていると、諏訪穂摘が駆け足でやってきた。
「そんなに慌てなくて大丈夫だよ。ちょっと遅れただけなんだから」
慌てて来た穂摘を座ったまま賢人は迎えた。賢人と穂摘とは美容師学校で知り合い付き合い始めた仲だった。
「ほら、ちょっと座って落ち着こう」
賢人の前に立って必死に弁明する穂摘を賢人は座るように勧めた。学校の頃は毎日のように顔を合わせていたのに、それぞれが働きだしてからは、仕事の日はほとんど会うことができずに、会うことができるのは休みの日だけだった。休みの日でも、用があれば会うことができずに、この日は二週間ぶりのデートだった。ほぼ毎日会っていた頃と比べると、何ヶ月も会っていなかったように感じた。
「今日は随分きれいな服装で来たね」
横に座った穂摘を見て賢人は言った。賢人の言葉に「えへへ」と声に出して照れを隠した。穂摘はクリーム色に近い白い膝上までのワンピースを着ていた。
「いいけど、この後バイクで行こうって話していたけど、ここから電車にする?」
「いいよー。乗り降りは気をつけなければだろうけど、跨ったらまくっちゃうから」
服装に気をつかっているのに、その着方についてはいつも気にしない子だったので、笑いながら言う彼女がたくましかった。
「そう?バイクはどこか近くに置いて電車で出掛けてもいいのに。バイクで出発するときもいつもと違って今日は気分が乗らなかったんだよな」
「賢人のバイクで行った方が早いし、近くまで行けるからいいよ。今日は何だか風に当たりたい気分でもあるしさ」
バイクで行くことを一生懸命に穂摘は後押しをする。「それに」と言うとバッグからピンクのラインの入ったきれいな半キャップを取りだした。
「あれ、どうしたの?」
「いつものは賢人のヘルメットでしょ。男の子っぽいし、持って運ぶには大きいから。この前休みの日に友達と街を歩いていたときに見つけたんだ。バイクショップに入るなんて友達は嫌がったけど、このメット見て一目で気に入っちゃった」
うれしそうに言いながら、穂摘は座ったままヘルメットをかぶってしまう。
「賢人のヘルメットは、今日の帰りにでも寄ってくれれば返すよ」
「うーん。それはまあいつでもいいけど。ヘルメット似合ってるよ。でも、半キャップだからしっかり締めろよ。はずれやすいんだから」
穂摘がヘルメットをかぶり用意万端なようで、賢人は立ち上がって穂摘の被ったヘルメットを軽くパン、パンと叩くとバイクに向かった。賢人がヘルメットをかぶり、バイクに跨ると少し間を置いて何も言わずに穂摘が賢人の肩に手をやってから後ろに乗って姿勢をつくる。スカートをまくし上げ、穂摘の膝がしっかりと賢人を挟んだ。
「じゃあ、みなとみらいでいいんだよね」
穂摘に聞いて目的地を確認するとバイクをスタートさせた。みなとみらいまではバイクで二十分ほどの距離だ。二人乗りということもあり、時々車の横を抜けることもあったが、スピードは出さずに落ち着いて走った。
みなとみらいに着くと適当なところを見つけてバイクを置く。その日はゆっくりの待ち合わせだったから、公園などを少し散歩してからお茶をして、よこはまコスモワールドに行きそこで時間調整をしながら過ごした。夕方になると赤レンガ倉庫まで散歩しながら歩く。そこで食事をして帰ることになった。遅くまでデートをすることもあったが、近いうちに泊まりでどこか行くことにしていたので、今日は早めに上がることになっていた。
久し振りのデートをほぼ一日中楽しむと、バイクが置いてあるところまでいろいろ話しをしながら向かった。話しといっても、穂摘が一方的に話して、賢人が相づちを打つのがほとんどだった
いつものようにバイクに跨ると賢人は穂摘が乗るのを待った。しかし、なかなか乗ってこないので振り向くとヘルメットを見て何かしている。
「穂摘、どうした?」
「ん、紐が取れそうになっていて‥‥」
穂摘の困った様子で「ちょっと貸して」とヘルメットを預かってみたもののあご紐がしっかりと締まりそうもない。しばらくタンクの上にひっくり返して探ってみたがどうにもならなそうだった。
「ちょっと無理だな。バイクにつけて置いている間に誰かに悪戯されたのかもしれないな?ちょっと緩いかもしれないけど、かぶってみて」
ヘルメットを穂摘に手渡すと穂摘はなんとかかぶって後ろに乗った。
「どう?」
心配そうに聞く賢人に穂摘は力強く、「大丈夫。大丈夫」と答える。
「しっかり膝で挟めよ。片手で俺に捕まって、もう片手はヘルメットを押さえないと駄目かもしれないな」
「うーん。そうみたい。まあ、すぐ着くし大丈夫」
穂摘の答えに「運転するのは俺だけどな」と笑いながら言うとバイクをスタートさせた。穂摘には聞こえなかったようだ。
ヘルメットのこと、スカートのことその全てが、また朝からの賢人の嫌な予感が結果を暗示していたのかもしれない。その帰りの道のりで二人が乗ったバイクは事故にあった。
バイクが街中に入ったとき、駐車車両の影の路地から賢人達の乗るバイクの前に車が急に車線に進入してきた。慌ててブレーキを掛けるが間に合わずに車の側面に衝突した。衝突のときにバイクに捕まる賢人の後ろから穂摘が前に飛ばされていくのが見えた気がした
気が付いたときには、バイクの横に倒れていて辺りの車は停車していた。立ち上がってすぐに穂摘を探して、車の向こうに何人かの人がいるのを見て駆けつけた。近づいていくと穂摘が倒れているのが分かった。声を掛けながら駆け寄ると、近くの人が声を掛けていた様子が分かった。賢人は白のワンピースを来た穂摘を抱きかかえた。意識はなく、ヘルメットをつけていない。一瞬顔を上げて辺りを見たが、穂摘のヘルメットは見あたらなかった。声を掛けても穂摘は全く動かない。救急車をお願いして、穂摘を膝の上に置こうと持ち替えたときに自身のシャツと穂積の白のワンピースに赤い模様ができた。何事かと思って見ると、穂摘の倒れていたところに血が付いていて自身の手も穂積の血で赤く濡れていた。急いで自身の服を脱いで穂摘の頭に添えて声を掛け続けた。それからは救急車が来て、一緒に乗って病院に行くまで自身がどうしていたかあまり覚えていない。
病院に着いて穂摘の家族について聞かれてからやっと、穂摘の妹の小海に連絡しなければならないことに気づいて連絡をした。後は穂摘の家族が病院に来て、一緒にいることができずに離れたところで穂摘の治療の様子をうかがった。しかし、治療室から医者が出て来て穂摘の母親や妹が泣き崩れるのを見て、穂摘が亡くなったことを知った。穂摘に駆け寄ろうと思ったが、父親の見る賢人への視線で近づくことができずにその場に動けずにいるしかなかった。
それから、穂摘に会うことができずに、葬儀も来ないで欲しいと穂摘の友達から連絡があった。
あれからまだ十日しかたっていないが、もう随分前のことのように感じた。あの日に待ち合わせた駅舎が夕日に染まって、一人で見る夕焼け空がとても寂しかった。
電車に乗って真っ直ぐ家に向かう。食欲はあまりないが、コンビニに寄って弁当を買って帰った。
ちょうどアパートの部屋の前に着いたとき電話が鳴った。発信元を見ると賢人の職場の“プラッツ”からで、出ない訳にはいかなかった。
「あっ、賢人君?どう?体調の方は?」
「ご迷惑を掛けてすいません。もう大丈夫だと思います」
「そうか。明日から仕事出られる?‥‥そんな気分ではないのは分かるけど、家でじっとしているよりはいいと思うよ。こっちも人に余裕がなくてシフトが厳しいんだ」
「そうですよね。ほんとにすいません。俺ばっかり休んでいたら、他の人が休めないですよね。‥‥明日から出勤します。ほんとにすいません」
「そうか。ごめんな。じゃあ、明日から頼むよ」
電話をしている間に、ドアを開けて中に入った。
「どうしたの?“プラッツ”から?」
部屋に入って電話を切ると賢人は声を掛けられた。そして声のした方を見る。賢人は最初は驚きの表情だったが、すぐに悲しそうな表情に変わった。
「やっぱり、まだ慣れないね」
泣き出しそうな顔で見つめる賢人にきれいな白地のワンピースを着た穂摘が悲しそうに見る。
「ごめん。穂摘を悲しませるつもりはないんだ。でも、今君がここにいても、俺は穂摘を失ったのに変わりはないんだ」
「そうだね。ほんとに私どうしてここにいるのかな?」
「ごめん。そんなこと言わないでくれよ。今の俺はさらに君を失ってしまったらどうなってしまうか分からない」
最後は本当に泣き崩れてしまいそうになりながら言った。
「賢人ごめんね。泣かないで」
ワンルームの室内で、ベッドに座った賢人の横にいつの間にか穂摘が座っていて、賢人の手の上に穂摘の手が重なった。賢人には穂摘の手の感触と一緒に命を感じさせない冷たさが伝わる。
「今日はどうだった?」
穂摘の問いに賢人は黙って首を振った。
「また明日も行ってくるよ」
「さっき“プラッツ”から仕事の電話だったんでしょ?明日から仕事じゃないの?」
「うん。いつまでも迷惑掛けていられないから。でも、少しだけ仕事早めに上げさせてもらって寄ってくるよ。‥‥こういうとき‥‥」
バイクがあればいいんだけどと言おうとして賢人は言うのをやめた。そして、横にいる穂摘を見ると、話しを止めた賢人を不思議そうに見ている。
「ううん。なんでもない。できるだけ早く帰ってくるよ。穂摘とできるだけ長くいたいからね」
穂摘には「昼間はどうしているの?」と聞いたことがあった。その時の穂摘は少し考えた後、「わからないの。分かるのは賢人がこの部屋に入ったときにはわたしはここにいるっていうことだけ。他には何にも分からないの」ということだった。
なかなか楽しく会話をするという訳にもいかなかったが、二人にとっての思い出話はいつまでも明るい雰囲気で続いた。それでも翌日は仕事に行くことになっていたので、日にちが変わると寝る準備をした。賢人がシャワーを浴びているときもそうだが、穂摘は身だしなみを整える賢人を不思議そうに見る。賢人が歯磨きを終えると、穂摘は変わらぬ姿のまま一緒にベッドに入り部屋が暗くなるのを待った。
「ほづみ?」
「んん?」
「ほづみ。いなくなららないでよ」
「うん‥‥」
毎晩のことだが、穂摘の返事に自信がないのが伝わる。ベッドの中で手をつないだまま眠りについた。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
賢人が朝起きるとすぐにベッドの中で手をまさぐり穂摘を探すが、いつも穂摘はベッドから出て床に座っていた。穂摘が目で追う中、賢人は忙しく支度をして玄関を出ながら声を掛けて鍵を閉める。もし今また鍵を開けて部屋に入ったとき、穂摘がいないのではないかという不安に駆られながら。
店の閉店は二十時だが、その日は十九時を過ぎると賢人の仕事に余裕ができた。オーナーには事情は話してあるので、上がれる時点で仕事を上がらせてもらい店を出た。
そして、昨日と同じように穂摘の家に行きインターホンを押す。その後も同じだった。聞いているか分からない中、時間が遅くなったのを詫びたのが違ったくらいだ。インターホンを押してから約三十分後にまたその場を離れた。
穂摘には「やめれば」と言われた。家に帰れば穂摘に会うことができる。穂摘の言うことがもっとものように感じたし、今は穂摘との最後?の時間を大切にするべきかとも思われた。
穂摘の通夜に行ったとき、中に入った瞬間の穂摘の家族達が見る自分に対する目が忘れられない。すぐに穂摘の友人が賢人のことを外に連れ出して説明してくれた。ただ、説明しないでも家族からの刺さるような、思い出したくもない怒りや悲しみの表情で分かった。
「人殺し」
「お前のせいで娘(姉)は死んだんだ」
「娘(姉)を返せ!」
「娘(姉)ではなく、お前が死ねば良かったのに」
賢人としては、同じ穂摘を失った者として、穂摘の元恋人として受け入れてくれるかもしれないと思っていた面もあった。しかし、先程の一瞬でこれらの言葉を浴びせられたような気がした。
穂摘の家族達の気持ちも理解できる。そして、穂摘を守ることができなかった自身を責めたくもある。今こうして穂摘に支えられていなければ、自分を責める気持ちでいっぱいになっていただろう。
そんな自分が、何もしないまま仕事に復帰して、普通の生活に戻るなんてできない。謝罪をすれば許されるものではないし、謝罪をすればいいとも思っていない。しかし、今は謝罪の声を届けることさえできないでいる。賢人として、何をすればいいか、何をしなければならないのか考えても、今は謝罪の言葉を届けるしか思いつかなかった。
「今日も行くの?」
出掛けるときに穂摘にそう聞かれた頃には、穂摘が亡くなってひと月がたとうとしていた。声を掛けた穂摘を見て、賢人は何も言えずに口元に笑みを浮かべて小さく頷いた。玄関を出て仕事に向かった。
その頃には穂摘の家庭にも少しの変化が見られた。穂摘が亡くなって閉じこもり、開くことのない堅い箱のようだったが、少しずつだが日常を取り戻そうとしているようだった。
穂摘の家のインターホンを押す。応答がないインターホンを少し待って苦笑を浮かべる。三歩下がって頭を下げた。その日は翌日が休みで、少し早い時間に上がらせてもらって来ていた。日は沈んだが、辺りはまだ明るかった。
少しすると自転車が近づいてきて“キキッ”と小さな音を立てて賢人の近くで止まった。賢人はちょっと顔を上げると予想通り穂摘の妹の小海だった。賢人は小海と視線が合うが、すぐに頭を下げた。
小海は悲しそうな目をしていた。頭を下げる賢人の前を自転車を押して過ぎて、家へと入っていった。
それからまた少し時間をおいて、もう少しで帰る時間になった。
「そこにいては迷惑だ。何度君が来ようと、君を許すことはない。もう帰ってくれ!もう来なくていいから!」
賢人はすぐに穂摘の父親だと分かり、顔を上げて再び頭を下げて「すいませんでした」と言った。言ったつもりでいた。声が震えてしまい、賢人の言葉が父親に届いたのかさえ分からなかった。父親が賢人の前を過ぎ、家へと入るまでの間に何度も何度も言った。賢人はどうすることもできずに、涙が出て来て、最後は声にならなかった。いつもだったら、時間が来て帰るのだが、その日は結局その場で泣き崩れてしまった。
気が付くと泣き崩れている賢人の横に人が立っていた。足下だけ見えて賢人は「穂摘?」と顔を上げたが、そこに立っているのは小海だった。
「これ使って下さい」
辛そうな表情で、座り込んでいる賢人にハンカチを差し出した。賢人は礼を言って受け取った。小海が来たことで賢人は我に返り、次第に落ち着いてきた。涙を拭き取り、息を整えて賢人は立ち上がって小海を見た。
「ありがとう。今日はもう帰るね」
礼を言って立ち去ろうと背を向けたとき、小海が声を掛けてきた。
「あの‥‥、もういいです。もう来ないで下さい」
小海の声で立ち止まり、背中を向けたまま考え込む。辺りはすっかり暗くなり、虫の声が響く。賢人は首を振ると「ごめん」と言って歩き始めた。
穂摘を死なせてしまったことで穂摘の家族に大きな重石を乗せてしまった。その上毎日のように賢人が家の前に現れる。更に迷惑を掛けていると言えるかもしれない。四十九日までと思っていたけど、もうやめた方がいいのかもしれなかった。
「そうかもしれないね。もう賢人の気持ちは分かってくれたと思うよ」
「そうだといいんだけど。‥‥あの穂摘。妹にももう一度会いたいと思う?」
賢人の問いに穂摘はしばらく考えていた。
「うーん、小海を連れてくるって言うことでしょ?たぶんやめておいた方がいいよ。まずは、信じてくれないだろうし。仮に、来てくれたとしても、小海には私は見えないと思うな」
「そうかな。‥‥そうかもしれないな」
賢人は部屋に戻ってきて、ベッドを背もたれにしてゆっくりした。穂摘を見ると穂摘も賢人を見ていた。何も言わずにいると穂摘は黙ったまま「何?」という顔をする。生きていた頃と何も違わない。そこに穂摘がいて、さわれば穂摘の姿に触れることができる。何か違うところを探そうとする方が難しい。ただ、生理的な変化がなく、食事もトイレも、シャワーなども必要としない。
「なあ、今まで試したことないけど。もし、一緒に外に出たらどうなるんだろう?」
「家に一緒に行くってこと?それなら同じだと思うよ」
「いや、そうじゃなくて。明日は休みだろ。一緒にどこか出掛けたりできないかな?」
「うーん。どうかなー」
「穂摘はずっと部屋にいるだろ。退屈じゃない?」
「んふ。‥‥今、こんな状態だから。退屈とかそういった考えはないんだよね。時間という感覚はあまりなくなっているから」
「‥‥そうか。たぶん、他の人がいるところでは駄目なんだろうね。それなら、何かしたいことない?」
「それなら。DVD観たいな。なんだっけ?初めてデーとしたときに映画観に行ったよね?その映画、もう一回一緒に観たいな」
「いいね。じゃあ、明日借りてくるよ。他には?」
「他は‥‥、いいかな。お腹もすかないしね」
最後は不思議な幽霊といった感じだ。笑いながら言ったが、生きていないという寂しさを感じさせないのが、穂摘らしさだった。
翌日ゆっくり起きてから家を出た。歩いて駅まで向かい、駅の近くに会員になっているレンタルショップがあった。あまり気にせずに穂摘が言うDVDを探したが、見つけて手に取ったときに考え込んでしまった。その一つだけ借りるのは変に思い、穂摘と観たことのある映画のDVDを他にも借りて帰った。
「ただいま」
「おかえり。どうだった?あった?」
生きていた頃と変わらない。それよりも、今は本当に生きているかのような様子で明るく賢人を迎え入れる穂摘に見入ってしまった。
「うん。あったよ。もう随分経つからね。今ではあんまり借りる人はいないんじゃないかな」
「よかったね。じゃあ、観ようよ」
生きている。生きていないとかは関係なく、賢人との一緒の時間を大切にしようというのでもなく。当たり前のように、うれし勝手いるのは分かるが、穏やかな声だった。
荷物を置いて、映画館の雰囲気を出そうかとカーテンを閉めた。
「ねえ。初めて一緒に観たやつもあったけど、他にも一緒に観た『サマーウォーズ』も借りてきたけど、そっちにしない?」
「なんで?やっぱり、初めて一緒に観たのが、一番思い出に残っているかな。だから、それがいい!」
穂摘の言葉で、賢人はレンタルの入れ物からDVDを出してプレーヤーにセットした。電気を消して、穂摘はベッドを背にしてすでに観る体勢になっていて、賢人はその横に座った。
賢人がためらったのと、穂摘が観たかった理由は同じかもしれない。その映画のストーリーが恋人が病に冒され最後は亡くなるというものだったから。二人は二時間近く黙ってその映画を見続けた。賢人は穂摘の手を握っていたが、終始そのまま動くことはなかった。
賢人はたぶん初めてデートで観たときには泣くようなことはなかったように思ったが、今は感情移入が激しく泣かずにはいられなかった。
見終わったとき、泣いている賢人を穂摘は見つめていた。とても優しい顔をしていた。
「ねえ、賢人。どうして私が賢人のところに現れたのかは分かっていたんだ。最初はほんとに分からなかったんだけどね」
賢人は穂摘の言葉を涙を流したまま聞くことしかできなかった。
「どうして賢人のところだけで、家族のところには現れないのか?」
穂摘は優しくゆっくり話し続けた。
「今日からどうするの?まだ、私の家に行くの?」
賢人はちょっと下を見てから、穂摘を見るとゆっくり首を振った。
「そうだよね。賢人のことだから、私の家族により迷惑を掛けてしまうと思えば行かないよね。‥‥なんで私が賢人の前に現れたと思う?」
映画の後のエンドロールの曲が終わり、沈黙が部屋を満たす。賢人は黙って穂摘を見つめるしかできなかった。
「私が現れた日、賢人死ぬつもりだったでしょ?」
DVDの再生が終わりメニュー画面になると再び音が流れ部屋が仄かに明るくなった。賢人には穂摘の顔が浮かんで見えた。とても悲しそうな顔をしていた。
「賢人ならそうするだろうと思った。‥‥死んで償おうと」
穂摘の手が賢人に伸びて、涙をぬぐった。
「私は賢人のこと怒ってないよ。だって事故だもん。ヘルメットだって私が悪いんだから。賢人は悪くないよ」
穂摘が賢人の体を叩きバシッと鈍い音がした。
「死んだらどうにもならないじゃない。私だって、私の家族だって、賢人が死ぬことなんて望んでない!死んじゃだめだよ」
今までずっとあまり感情を露わにしなかった穂摘が泣き出した。
「死なないって言って!‥‥私の分まで幸せになるって言ってよ!」
賢人と穂摘のむせび声がメニュー画面のBGMに紛れた。
「そんなんじゃ。私死ねないじゃない!」
言った後、自身の言葉に穂摘は少し吹き出してしまった。賢人も一緒になって小さく笑った。
「ごめんな。‥‥死んでしまってまで心配を掛けてしまうって、どうなんだろうな」
賢人は両手を穂摘の顔にやった。涙をぬぐって軽い力で抱き寄せた。今まで冷たく感じていた穂摘の体が温かく感じた。
「たぶん、もう分かったよね?この世界には賢人のいる場所がまだあるでしょ?プラッツのみんなだって、賢人がいなくなったら悲しむし、困るでしょ。‥‥私の家族だって、何日も通っていれば分かったでしょ。賢人が死んで、私の家族が喜ぶと思う?苦しむだけだよ。私の家族は私を失って、そして賢人を死なせてしまったらより苦しむことになるの。賢人は、私のためにも、私の家族のためにも、プラッツや賢人の仲間の人たちのためにも生きてよ」
再び穂摘は賢人の胸の中で泣き始めてしまった。
「穂摘はどうするんだよ?」
穂摘の泣き声で賢人も涙がこぼれて、穂摘の髪を濡らした。
「私は大丈夫。賢人が幸せになってくれればいいから」
「穂摘。‥‥ごめん」
「謝らないで」
「‥‥ごめん。‥‥ごめん」
賢人は穂摘を抱きしめていたが、いつの間にか眠ってしまった。
賢人は、スマホのバイブレーターで目が覚めた。いつの間にか時間がたっていて、室内は薄暗くなっていた。スマホの画面は、賢人の職場の“プラッツ”を表示していた。慌ててスマホを取る。
寝起きなのを気づかれないよう結構強めの声で「はい!岡谷です」と言って出た。
「賢人か?休みなのに悪いな」
落ち着こうと思いながら電話に出て「いえ、大丈夫です」と返答し室内を見るが穂摘の姿が見あたらない。
「明日なんだけど、ちょっと早く来れないかな?賢人指名で朝一に入ったんだ。だからよろしく頼むよ」
「・・・・分かりました。わざわざすいません」
電話を切って、スマホを置こうとしたとき、穂摘の声が頭の中に響いた。
「ほら、そこにも必要としている人がいる」
賢人は穂摘の姿を探すが、穂摘の姿はどこにも見えなかった。




