2話「どうしても諦めきれなくて」
「はぁ……」
記憶が戻った翌日の朝。思わず、ため息が漏れる。
それは、リィアリスの自室ではなく、図書館でのことだ。
「いかがなさいましたか、リィアリス様」
ケルクが紅茶を用意し、心配そうにオレの顔を覗き込む。
正直、以前のリィアリスであったら、不敬罪だなんだとクビにしたかもしれないが、オレはそんなこと言わないし、第一そんないちいち言ってたらきりが無い。
「ケルク、この世界はどれだけ平和なの……?」
「はい?」
オレの問いかけがよっぽどおかしかったのだろうか。
ケルクがフリーズした。
すると代わりに、図書館に新たな人影が現れる。
「お、おねえさま、どうしたの?」
怯えつつ近寄ってくる小さな影は、我が弟ミシェル。
第二王子である五歳の弟だ。
まことにまことにかわいらしい。兄と同じく金髪に蒼目の美少年だが、兄よりも三つ幼いからかあどけなさが残る、天使級の可愛さだ。
「ミシェル、おいで」
オレは遠巻きに見ている弟を手招きで呼ぶ。
この子は冷たくする姉にも何度も甘えに来てくれてた。
うう、前世で一人っ子だったオレは、羨ましいぞ。
「おねぇさま?」
「ミシェル、いままでごめんね……」
「?おねえさま、わるくないよ?」
あーなにこの可愛い子。オレの弟じゃないよね。
ああ、くそ。リィアリスは何でこんな可愛い子を蔑ろにできたのかな。
「ミシェル、おひざにおいで。いっしょに勉強しましょう」
「いいの?」
「もちろんよ」
わぁい、とオレの膝に座るミシェルは、中身が25+6のおっさんからすると犯罪級のキュートさを見せつける。
もう、好きだわ。この子。
最高。ラブ。
「ミシェルはたくさん勉強してるのよね」
「うん!ぼく、もう字は全部読めるんだよ」
「そう、すごいわね。私も読めるから、一緒に読みましょうか」
そこまで言うと、周りが固まるのが分かった。
しまった。これはやっちまった。
「姫さま、いま何とおっしゃいました?」
「え、ええと…その」
「リィアリス様、文字が読めるのですか…?」
『全く勉強していなかったのに』と、そう騎士と側使いは言いたげだ。
まあ、そりゃそうだろう。王女としての教養も何も、持ち合わせていないはずなのだから。
しまったと、とりあえずは取り繕うことにしよう。
「実は……夜な夜な、勉強していたの。皆にこれ以上迷惑をかけまいと思って……」
ああ、苦しい言い訳だな。
記憶が戻る前の本性が本性なだけに、多分ミシェル以外は嘘に気付いている気がする、が。
その理由を、上手く誤解してくれる気がした。
「なるほど、リィアリス様は天才ですね」
なにがなるほどなのか。いいように考えてくれたのであろう側使いケルクは、色素の薄い髪をさらりと揺らし翠の瞳を凛と輝かせた。
後ろに控える騎士も、興味深そうに微笑んでいる。
「そ、そんなことより、この国……いえ、この世界はなぜこのように平和になっているのですか?」
そう、転生して記憶が戻って。一番はじめに疑問に思ったこと。
王女に生まれてからは、さながら小さな女王のように偉ぶって暴れていたのだが、何せ学ぶことをしない。
なので、今の世を知らなさすぎた。
「それは勿論、世界一とも言われる天才が、この世界を一つにまとめあげたからですよ」
世界一とも言われる天才?何だそれ。
少なくともオレの生きた世にはいなかったな。
オレがこの世界で生きたのは、二十五年という短い年月。
ちなみに、地啓暦(この世界統一の年号)525年〜550年だ。
いまの時代は同暦で730年。オレが滑って転んでから、約百八十年経っているということだ。
ああ、この表現は虚しいから二度と使わないでおこう。
「セルシオの名も……」
前世のオレの名。
それも恐らく、どこにも残らず消えてしまったのだろう。
そう、物思いに耽っていると。
思わぬ場所から、声が上がった。
「えっ?それってもしかして、大賢者セルシオさまのことですか?」
オレの独り言に反応したのは、ミシェルだった。
っていうか……
「……大、賢、者?」
「はい。対戦時代を終幕された、あの大賢者セルシオ様ですよね?」
呆然と聞くオレに答えたのはケルクだ。
ミシェルも頷き、先を促す。
「えーと。その方はどんな?」
「そんなの、とてもかっこよくて、皆の憧れですよ。学者や研究者を志す者は皆セルシオ様を目標にしていますし、どんなに貧しい村人でも、セルシオ様を知らない者などいません」
「……そうなの」
良かった。たったいま、人違いであることが判明した。
対戦時代を終幕したとか覚えはないし、第一かっこいいとかありえないしな。
「あ、けどセルシオ様って運動神経だけはクズだっていう噂があったんですけど、ほとんど誰も信じていませんし……あ、実は没落貴族の出だとかって噂もありましたね」
随分と身に覚えのある話だな。いやいや、まさかな。
まさかっていうか、そういや放浪旅の途中でいくつかの大国に助言をしたっけ……
その先々で、色々な知恵を与えて……それこそ、最強の矛や盾になり得るものを。それらが衝突しあった結果、砕けあって今の世ができたってことか?
それは随分とご都合主義な話だが、どうやら本当の話らしいな。
「その、セルシオ様の最期は?」
思い切って聞いてみた。だいたい先は想像がつくが。
「いえ、それがすぐに何処かへ行方を眩ませたらしく、そのあたりは記述も残っていないんです。そこが更にミステリアスでいいんですよね!」
まあ、知っていたらそんなに憧れることはないか。
目の前でキラキラと瞳を輝かす彼に、本当のことを伝えたらどれだけ気を落とすだろうか。まず信じてはもらえないだろうけど。
とりあえず、今の世での前世のオレの扱いがとんでもなくカサ増しされていることがわかったのでよしとしよう。いや、なにひとつ良くはないんだけどね。
しらっと流していると、それがどうやら変にとられてしまったらしい。
「まさか……セルシオ様のこと、知らなかったんですか?」
「いいえ、名前だけは聞いたことはあったけれど……」
「ふふ、意外ですね。何事も完璧な姫様が、世界史に弱いなんて」
「それも当然でしょう。一朝一夕で全て理解してしまうなんて、さすがに期待しすぎですよ。逆に重みになる」
「騎士様は黙っていただけませんか、元役立たず様」
何やら、昨日からケルクとアルフレムの仲が目に見えてよろしくない。
どちらか一方が何か言えば、もう一方が突っかかる。
そんな場面がちらほら見られた。
しかし、それで行くと……
オレの転生は、無駄ってことじゃないか?
「おねえさま?」
だってオレ、前世ですごく苦労したんだぜ?
頭だけよく生まれて、魔力無いし動けないし、使い物にならない。
何度か指揮官を目指すかと父に言われたが、何しろ現場ではお飾りにもならない。
女の子にも好かれないし、友達も数人しかいない。
あまつさえ、爵位も奪われて身一つで放浪。
もしも生まれ変わって人間になれるなら、顔もよく体力があり魔力な多い、いい男に生まれ変わりたい。
結果的に最後の性別だけはどうしようもなかったが、他はオールグリーン。
これはもう、前世からの野望。
世界征服……とまではいかないが、戦場に立つという夢を叶えると、そう決意したというのに。
なんてこった。すでに世界は平定されました?
平和な世界で長閑に暮らしましょう?
おとといきやがれってんだ!
「なんとしてでも現状を変えなくては…!」
膝の上でビクッと体を揺らしたミシェルの右手が、心配そうに頬に触れた。
危ない危ない。オレの天使を落としちまうとこだったぜ。
「ごめんね、ミシェル。私、魔法の勉強しなきゃ」
そう、いつか来る戦乱の世に向けて。
いや、せめて魔物相手でもいい。
戦争を始めてやる…!