1話「関係修復は努力次第」
天才、秀才……それらの言葉は、おそらくオレのためにあったのだろう。
オレはそういう人間だった。
生まれは貴族、容量は良いわ学ぶ場が恐ろしいほど整ってるわ。
とにかく、オレを取り巻く環境も、頭も。良すぎたのだ。
だがしかし。
オレは知った。世の中そう上手くできていないということを。
なにがって、それはもう、頭脳以外が絶望的だったからだ。
顔は中の下、身体能力は驚くほど乏しい、その上魔力がほぼゼロ。
頭と貴族ということ以外、何もかもが落ちぶれていた。その貴族という肩書きすらも後には失われたわけだし。
さて、なぜオレが先程から過去形で話を進めていたのか、勘のいい皆様はお気付きだろう。
なぜならば、オレは既に一度その命を捨てているからだ。
いや、厳密には捨てたわけではなく、上級貴族であったはずの父親が調子に乗って国王に謀反なぞを起こそうとし返り討ちにあい、オレも父もろとも爵位を捨てさせられ、その後放浪旅をしていたら滑って転んでコンクリートに頭を打ち死亡……そんな間抜けな最後であったか。
「あの頃は、それがこの世の全てとは思ってたけど……」
思い返せばあんなもの、神童でもなんでもなかった。
今の状況を見れば、そんなものは。
リィアリス・フレイア・シュレイゼル……という女の子がいる。
僅か、齢六歳の美少女、しかもお姫様である。
白い肌にふわりとしたピンク色の髪、サファイアの瞳が特徴的な、女の子。
すれ違う誰もが二度見、いや一度見たら目を離せないほどの愛くるしいその容姿と、忘れないであろうその珍しい色味をもつ幼女。
それが、オレだ。
フレイア王国第一王女。
リィアリスという少女=オレは絶対的な可愛さに合わせ、とても高貴な身分である。
当然、周囲には可愛い可愛いともてはやされ。
蝶よ花よと育てられた。
……その結果。
とんでもない我が儘&破天荒娘に育ったらしい。
父親は、娘に甘々で全く役に立たない。
母親も、娘の好きにさせてやりたいだと。
兄や弟も、揃いも揃ってシスコンで使い物にならない。
全く腐った王家だぜ。
なんて自嘲気味に言ってみるが、オレは張本人であった。
それに気付いたのは驚いたことにたった五分前だ。
オレは前世の記憶を、六歳にして思い出した。
きっかけは突然。今日も(悪い意味で)破天荒のリィアリスは、紅茶が少々冷めていた程度のことで側使いに怒鳴り散らし、クビだと言い放った。
しかしまあびっくり。
側使いが珍しくも、リィアリスに対して反論してきたのだ。
側使いがリィアリスに対して放った言葉がこちら。
『姫様!無礼を承知で申し上げます!まず、姫様は横暴過ぎます!多少のわがままはご愛嬌ってことで済むかもしれませんが、ここまで来るともう可愛さも余ることなく憎さしか残りません!
というか、どれだけ甘やかされたらそんなに馬鹿に育つんです!?姫様はご自分の立場に甘えすぎではないでしょうか!自分はそんな方に忠義なんて尽くせません!!』
うん。とても的を得たいい言葉だ。その場には兄が1人と護衛騎士が1人いたがどちらも側使いの彼に気圧されて一言も発せずにいた。それにおそらく、付近の部屋や廊下にいた人間にも聞こえていただろうが、事実なだけに彼を叱る者もいなかった。
そんな彼に対してリィアリスは、カッとなり手を出しかけた……のだが、そこでびっくり、前世のオレの生き写しそのもののように、滑って転んで頭を打ったのである。
しかし、彼女のオレと決定的に違う点は、容姿や性別や地位以外にも一つあった。
彼女は、オレが口から手が出るほど欲しかった、身体面の強さを持っていた。
ちょっとやそっと頭を打っただけでは死なないらしい。
実に羨ましいが、よく考えればいまはオレの身体だ。羨むことでもない。
こうして頭を打ち、前世の記憶を蘇らせ、目覚めたオレはふっかふかのベットの上で寝かされていた。
なので、とりあえず五分という時間をもらって現状を整理して見たのである。
一番側でオレにつきっきりだった兄は目覚めたことに気がついたらしく、そっとオレの手を握った。
「リィアリス、大丈夫かい?」
心配そうに頭を撫でてくれる金髪蒼目の兄は、二つ上で長男のファルスだ。
わがまま姫のオレことリィアリスに甘々な1人。実に教育に悪い兄だ。
「ファル、にいさま……」
オレは初めて、オレとして兄の名前を呼んでみる。
変にならないように一応微笑んでみた。
しかし自分では信じられないほどの高く細い声に、改めて前とは違う体であることを実感する。
怖い。怖すぎる。女の子の声帯ってどうなってるんだ。
「リ、リィアリス……?」
そんなオレの葛藤を他所に、ファルスは驚愕の顔でオレの左手を握ったままわなわなと震える。前世のオレだったら即倒してたぞ、兄貴。
しかしファルスは驚いたまま一言も発さないので、オレもどうすればいいのか反応に困る。
しかし、オレも言わなきゃいけないことがある。
「ファルにいさま、心配をおかけして、ごめんなさい」
そう伝えると、やっと我に返ってくれた……
「っ、リィアリスッ!私のリィアリスッッ!!」
あ、やっぱまだ返れてないわこれ。
いきなり泣きながら抱きついてきた兄貴をどうすることも出来ず苦笑いしていると、兄貴の後ろに控えていたオレの側付き騎士が目を瞠いていた。
それと同時に、オレはあることに気づく。
リィアリスという美少女。
こいつは、美少女の無駄遣いみたいな女だった。
優しい兄や弟を突っぱね、愛情をくれる父や母を無下にし、こんなわがまま姫に耐えて仕えてくれる召使いを気に入らなければ片っ端からクビにする。
おまけに生まれ持った魔力や、恵まれた身体を持て余し、勉強も一切しないから馬鹿だ。
そんなわがまま姫が。
突然、謝った。あんなに突っぱねていた兄に、笑顔を見せた。
そんなの気持ち悪い以外の何物でもない。
だが……昔のように、記憶が戻る前のように、自分勝手なリィアリスのように振る舞うなんて、できない。やるつもりもない。
だってオレ、昔はこれでも良い子坊ちゃんだったんだもん。
「私の騎士、アルフレム・ゼルクス」
オレがそう呼ぶと、ファルスは名残惜しそうにしながら一歩下がる。
その代わりに、黒目黒髪の騎士アルフレムがオレのもとに来て跪く。
「姫様、なんでございましょうか」
リィアリスはいつも、この騎士のことを『役立たず』と呼んでいた。
この騎士だって、この国の五指に入る程の実力者だ。
本当はリィアリスみたいなわがまま姫よりも、他の王子に仕えた方がずっと、幸せだろう。
「貴方を、本日付で私の騎士から解任します」
オレは出来るだけ感情を引っ込めて言い放った。
彼はもともと冷たい表情で、ただリィアリスの命令を淡々とこなし、リィアリスのことも好いてはいなかったと思う。
だが先程から彼はよく表情を変える。まるで別人のようだ。
彼は酷く、辛そうな顔をしていた。
「それは何故でしょう。俺になにか至らぬ点でも、ありましたでしょうか?」
至らぬ点など、そんなもの。全くないに決まっている。
リィアリスの鬼のような命令にも、一切断ることなくこなしていたその姿は、どんな辱めを受けていても、かっこよかった。
元・男の目から見ても、そう言い切れるほどに。
「そんなわけがないでしょう。貴方は十分尽くしてくれました」
「では、なぜ」
オレには彼がここまで引き下がる理由が分からないが、完全に解き放ってあげた方がいいだろう。
「だからです。私は貴方に護られる価値など無い。貴方にはもっと良い主人を持って欲しい。私には勿体ないです。だからお願い……」
「自由になって」
そう告げると、堪えたはずの感情がドバッと涙として溢れた。
よく考えると、随分と勝手な言い分な気がする。
好き勝手して、突然解任して、泣き出すなんて。
オレもオレで、酷いやつなのかもしれない。
そう、自分を責めていたとき。
「嫌、です」
アルフレムは、オレの予想を裏切り、きっぱりと断言した。
「嫌?いままで、どんな酷い命令にも応えてきたのに……?」
驚きすぎて、思わず声に出してしまった。
オレの呟きに、アルフレムは苦笑しつつも問いに応えてくれた。
「姫様、貴方はいつか変わって下さると、信じておりました。そして、今がその時ではないかと、そう思っております」
アルフレムは先程まで兄が握っていたオレの左手を、すっと手に取って、手のひらに口付けた。
手の甲ではなく、手のひら。「懇願」という意味だと聞いたことがある。
オレはいまは女の子の身体だからかあまり嫌な気持ちはしなかった。
それよりも、彼に、アルフレムに、応えてあげたかった。
「後悔は、しないかしら?」
「勿論。男に二言はないですよ」
ニヤリと笑うその顔は、まさか記憶が戻ったことを知っているのではと思うほどの自身のありようで、もし知らないなら相当の馬鹿ではと思ってしまうほどの真っ直ぐな瞳。
オレはその男を、何故だか手放し難くなってしまった。
「ではアルフレム、改めて命じます。私の命が尽きる、その時まで。私の剣となり盾となり、私のために生きなさい」
「はっ、俺の命は、姫殿下のもの」
オレはアルフレムと、改めて信頼を築いていこうと誓……
「むぅ、狡いよアル。私もリィアリスと愛を確かめあいたいのに」
「失礼しました、ファルス様」
……ファルスは何を聞いていたのか、気持ち悪いことを言いながらオレからアルフレムを引き剥がした。しかもアルフレムも否定しないし。
というか、こんな気持ち悪い兄貴だったら、リィアリスもやさぐれるわな。
「とりあえず、ファルにいさま」
お願いがあるのですけど、と続けると、実に嬉しそうに歓喜の声をあげた。
ああ、この人、妹にすごい無視されてたもんなぁ。
「私に啖呵を切ってくださった召使いは、どこにいますか?」
――あれから、何度も何度も聞いたのだが、それだけは全然教えてくれなかった。
せっかくお願いしたっていうのに、『お前に無礼なことを言うから』と、結局教えてくれなかった。だいたいあの子はまったく悪くないぞ。ド正論だし。
そんなこんなで、引き止める兄を振り払い、あの子を探す。オレの部屋には当然いない。外にもまだ出ていない。直接の雇い主である国王のお父様、お母様は責務で出掛けられている。
それは幸いしているが、他に場所は……
あった。
すごく盲点だったけど、あったわ。
宮廷の大浴場……誰もが入れるものではない。宮廷で働くもの、客人、王室の者だけ。
であれば、最後に一度くらい入りに来てもおかしくはない……か?
オレは後先考えず、服もそのままで飛び込んだ。
「ケルク、ごめんなさいッッ‼︎」
「ひゅわっ!?」
腑抜けた声を出したのはケルク・ルアート。オレに至極真っ当なことを言ってくれたあの側仕えだ。普通、女性がやるのではと思われるかもしれないが、オレがまだ六歳ということもあり、また体力面でもリィアリスというリィアリスに常付きっ切りで役目を果たせる女性が存在しなかったのもあり、田舎の小貴族であるケルク・ルアートがオレが八歳になるまで、雇われることになったのである。
しかし、もう一年と少しもすればケルクは解放され、小貴族の当主として田舎に帰ることになる。それとあまり変わらないのかもしれないが……。
彼も全く打算がなく出稼ぎに来たわけではないだろう。
どうせうちの親のことだ、最後までやりきったら経済面で援助するとか、王室で優遇するとか、条件付きだったのだろうに。
リィアリスは、そんなこと考えもせずにクビにした。
これまで二年半、三歳の頃から一緒にいてくれたケルクに対してあの扱いは酷いものだろう。
「ケルク、貴方をこの二年もの間、縛り付けてしまったことをお詫びいたします」
「え、う、はい?」
ケルクは湯に浸かりながら、目を丸くしている。
当然だろう、先程暴言を吐きまくってクビにしてきたわがまま姫に謝られるなんて、誰だって驚く。けれど、言いたいこと、言わなきゃいけないことが沢山あるので気にしない。
「誠に勝手ながら、私は貴方に帰ってきてほしいと思っているの」
「え……?」
「貴方の言いたいことも、事情も承知しています。ただ、貴方を手放したくないという、私の勝手なわがままなのです。ケルクはよく尽くしてくれました。そんな貴方をむざむざクビになんてしたくありません」
ああ、数十分前のリィアリスのセリフとは真逆なこと言ってるな。
いや、気にしたもん負けだ。
きゅっと口を引き縛り、覚悟を決めると、ケルクが息の飲んだ。
「リィ、アリス様……」
「……っ」
やっぱ、ダメか?
「リィアリス様の中で、何か吹っ切れたんですね」
「え……」
「貴方がお許しくださるのであれば、僕はどこまでも付いて行きますよ」
そう、妖しげに笑うケルクは、これまでの警戒心なんかどこ吹く風。
童顔に似合わぬ大人びた表情を見せ涙ぼくろに赤を散らした。
というか、リィアリスは特に気にもしていなかったが、ケルクは一応兄と同い年だ。
つっても七歳だけどな。
そんなことを忘れ去って、オレは認められた嬉しさに顔を綻ばせる。
「ところで……リィアリス様」
「はい?」
「ここ、男湯なんですが?」
ニコニコと、湯に浸かったまま言うケルク。
自分が女の子であることを、まして王女であることを忘れていたオレ。
顔面蒼白に近い顔色で、オレは……
「し、失礼しましたっ……」
逃げた。