第二章 サン・クレメンテ攻防戦〈前編〉(2)
第一艦隊旗艦艦橋に、響いた銃声。
混乱の中、シェルダンが下した決断はーーー。
2
「閣下」
通信回線越しとは言え、響き渡った銃声は、
光輝の周囲にいた、士官の耳にも当然届いた。
現在、光輝の艦に乗艦している老参謀、シ
ャルム・バルルーク大佐が、慌てる事なく、
むしろ気遣うような声を光輝に投げかけたが、
光輝はそれを片手で制し、再度通信画面の方
を向いた。
「阿呆、殺してどうする!背後関係が掴めな
いだろうが!」
撃った事そのものを責めている訳ではない
光輝に、バルルークが「…そこですか?」と
呟いているのが聞こえる。
『…っ。…私に…心臓と眉間を狙う撃ち方し
か…教えなかったのは、どなたでしたか……」
そして、さほど間をおかずに、僅かに息を
切らせたそんな声が、通信回線越しに返って
きた。
その性格が苛烈に過ぎると言われがちな光
輝に対して、条件反射だろうが皮肉を返せる
強靭な精神の持ち主は、そう多くない。
『すみません…完全にはトルナーレ閣下を庇
いきれませんでした…。命には関わりません
が、脇を…』
画面には、片膝をつくようにうずくまるト
ルナーレの姿と、眉間を撃ち抜かれて、後方
に吹っ飛んだ副司令官の姿が当初は映ってい
たのだが、今はそこに、銃を片手に、光輝や
バルルークに背を向けて、トルナーレを庇う
ように立つシェルダンの姿も映り込んでいた。
コルムから銃を奪うには、物理的な距離も
時間も足りないと判断したシェルダンは、と
っさにトルナーレの方へと走った。
そこから予想されるのは、トルナーレの楯
になろうとする事であったが、光輝の予想に
違わず、シェルダンはそこからが違った。
自分が動く事で、恐らくトルナーレへの弾
道がずれると踏んだシェルダンは、コルムの
一発目はそのまま撃たせ、その間にトルナー
レがコルムに向けようとしていた銃を奪って、
コルムを撃ったのである。
トルナーレに、万一にでも、長年の部下で
あった副司令官へ、銃を向ける事への躊躇が
あった場合、ただトルナーレを庇っていたの
では、コルムに2発目を撃たせてしまう。
その芽を摘む唯一の方法を、シェルダンは
とったのである。
優先されるのがトルナーレの命である以上
は、当然の措置だった。
…とっさに眉間を撃ち抜いてしまったのは、
勘弁して欲しい。――とは、シェルダンの内
心の主張だ。
もともと、シェルダンは武闘派ではない。
ただそれでは、万一の時にどうするつもり
だと、かつて光輝に言われ、射撃の腕だけは、
磨いたのである。
最も途中でどうやらおかしな磨き方をした
らしく、狙っても無意識でも、眉間と心臓し
か当たらない撃ち方になってしまった。
後でその事を知って、暗殺者にでもなるつ
もりかと、顔面蒼白になったスタフォードが、
非番やら何やらで顔を合わせる度に、シェル
ダンに掌を撃ち抜く事を教えているのは余談
である。
――結局のところ、とっさの状況下ではま
だ、シェルダンは眉間にしか当てられなかっ
たのである。
「…シェルダン。その艦で今、トルナーレ大
将に次ぐ指揮権者は誰だ」
トルナーレ自身には、まだ指揮をとるつも
りはあるのだろうが、当然、最低限の応急処
置は必要だ。
そして今、その処置を待つ時間はないと、
光輝は思っていた。
いつ地球軍の艦隊が、局地戦を止めて矛先
を向けてくるか分からない状況なのだ。
『……私です。貴水大佐は臨時の艦長代行で、
まだ中央議会からの正式な大佐職を拝受して
いらしゃいませんので…』
一瞬の躊躇の後、シェルダンはそれだけを
答えた。
――まるで光輝の言いたい事が、分かって
いると言わんばかりに。
「トルナーレ大将」
従卒や周囲の士官達に助け起こされながら、
トルナーレは気丈に片手をあげる。
『部下に撃たれるとは、屈辱だな…。お前ほ
ど、恨みは買っていないつもりだったが…』
そんな減らず口が叩けるくらいなのだから、
本当に命に別状はないのだろう。
光輝の呼びかけに、トルナーレは僅かに口
もとを歪めた。
『議員を送り届けたシーディアが戻って来る
のが、俺の応急処置が終わるのと前後する筈
だが、それまでは待てないと言う事だな?』
光輝は無言で頷く。
恐らく地球軍を今指揮している士官は、そ
れほど甘くはない筈だ。
議員達を送り届け次第戻って来るつもりの、
アルフレッド・シーディアも、そう思ってい
るからこそ、戻って来ようとしているのだ。
『おまえとシーディアが揃って警戒している
ところを無視すれば、後が怖いな…。良いだ
ろう、状況は承知した。この艦の指揮権を、
シェルダンにいったん預ける。あと、現・
艦長代行の貴水大佐を次席権者として、フ
ォローさせる。期間はシーディアが戻るか、
俺の応急処置が終わるかまでの間だ』
トルナーレに視線を向けられたシェルダン
は、予想していたとは言え、本当にあっさり
と決断したトルナーレに、軽く目を瞠った。
その潔さは、いくら脇の傷口から血が止ま
らない、この状況下と言えど、さすが現在軍
を束ねているだけあって見事だ。
シェルダンは感嘆の意を込めて、頭を下げ
る。
そしてそれは、臨時の指揮権を受け取る為
の儀式の様なもので、次に顔を上げた時には、
彼は既にこの艦の責任者として、発する言葉
を決めていた。
トルナーレが医務室へ運ばれて行くのに前
後するようにー彼は告げる。
光輝が、望む通りの言葉を。
『こちら側の艦隊は、これから貴方の指揮下
に入ります。光輝・グレン・カミジョウ准将。
1時方向の敵に戦力を叩きつけるとの事。ど
うぞ我々もその戦力として、お使い下さい』
光輝の口角がゆっくりと上がるのを、確か
にシェルダンは目にした。
「…いいだろう。骨は拾ってやる」
うっかりつられたのだろうが、奇しくもシ
ェルダンの口もとにも不敵な笑みが広がり、
互いの艦橋にいた士官達は、心なしか艦橋の
温度が低くなったかのような錯覚に囚われた。
第一艦隊が第七艦隊の指揮下に入ると言う
事に、違和感を覚える士官もいたのかも知れ
ないが、一時的とは言え、将官不在の現在、
抗議の声をあげる者は、もういなかった。
――血塗れの第一艦隊艦橋が、周りに向け
て無言の圧力となっていた感も否めなかった
が…。
「シェルダン。敵の艦隊の詳細を送れ」
そして光輝は、さも当然とばかりに、隣に
立つ老参謀からすれば、無茶振りに聞こえる
ような事をシェルダンに告げた。
『敵の艦隊の詳細、ですか…』
問われたシェルダンの表情はしかし、バル
ルークが思うような、困惑の表情ではなかっ
た。
どちらかと言えば、光輝の意図を図りかね
た感じだった。
「調べただろう?敵の心臓は、どこなのかを」
果たして光輝の声は、挑発的だった。
光輝の下にいた間、シェルダンが相当な
割合で口にしていた言葉がある。
〝お望みとあらば、お調べ致しますが〟
恐らくそれは、光輝の下を離れた現在であ
っても同じ事で、トルナーレがそもそも、副
官であるシェルダンに何かを調べさせようと
はしなくても、シェルダンはあらゆる事態を
想定して、情報を手元に揃えようとする—―
その確信が、光輝にはあった。
例えそれが活かされる事がなくても、だ。
「俺はお望みだ、シェルダン。集めた情報を
今すぐ寄越せ」
『……っ』
通信画面の向こう側、シェルダンは僅かに
身じろぎをして、息を呑んだ。
一体、今、自分は誰の部下なのか――そん
な錯覚を感じさせる程に。
『…承知…しました……』
気圧されながらも頷いたシェルダンは、動
揺を鎮めるように、ゆっくりと指揮シートの
方へと歩み寄ると、肘置きの位置にある簡易
端末を、立ち上げた。
『…どちらへ送りますか。個人用ですか、そ
の艦の責任者フォルダの方ですか。ちなみに
責任者フォルダの方でしたら、まずアドレス
を』
今は直属の部下ではない筈なのだが、光輝
の軍用個人フォルダに諳で送れるのもどうか
とバルルークは思ったが、僅かに光輝が片眉
を上げたところを見ると、似たような感想は
抱いたのだろう。
ややぶっきらぼうに「…個人用だ」とだけ
言葉を返す。
「!」
だがその言葉が終わるか終わらないかの内
に、光輝の側の簡易端末が、受信の音を立て
たところをみると、シェルダンは、どこへ情
報を送るのかと聞きながら、その答えには予
想がついていたのだろう。
責任者用フォルダには、本人以外の第三者
から「覗き見」をされるリスクがあるのだから、
当然と言えば当然なのだが、その当意即妙ぶ
りに思わず光輝は舌打ちし、バルルークは
「やれやれ」と、苦笑した。
最もバルルークにとっては、一連の端末操
作をそのまま光輝が行なってくれる方が有難
いので、そこに苦言を呈するつもりはない。
光輝は無言のまま、軽く片手を動かした。
指揮シートの周囲に柔らかい風が吹き、光
輝とバルルークの髪を僅かに揺らした。
それとともに、外部からの覗き見を防ぐベ
ールビュー液晶と、会話を外に漏らさない防
音機能を兼ね備えた、特殊なシールドが、光
輝を中心に半径2.5mほどの場所に出現する。
将官級以上の士官の艦にのみ付随している
機能で、これでこちら側が、この先しばらく、
光輝と、側に立つバルルークだけが会話を把
握出来る事になる。
そうした後に光輝は、シールドの内側に、
シェルダンが送ってきた資料をバルルークに
も見えるよう、空中に出現させた。
そこに映し出されたのは、サン・クレメン
テ宙域図、現在の金星軍地球軍それぞれの艦
の配置に、二隻の艦の個別写真だった。
「地球軍第一艦隊、ですか……」
『ええ。ただ、数として、第一艦隊の全てと
言う訳ではないようですが』
バルルークの呟きに、シェルダンが答える。
現在は、地球側に属するとされる木星の情
勢が昨今不安定であり、その様子見と牽制を
兼ねて、第一艦隊が出ていたーなどと、金星
側はもちろん知る由もない。
航路の確認も兼ねて艦隊を分散させていた
事も、である。
ただ、目の前で展開している艦の数が、一
個艦隊としては明らかに不足しているとあっ
ては、シェルダンとしても、無視は出来なか
ったのだ。
『主要士官の艦の内、確認出来たのは、司令
官旗艦と参謀長の艦。その内、第一艦隊司令
官コローネ・バリオーニ大将の方は、定年前
の功労人事のような形で、今の地位にあると、
もっぱらの噂です。…ので、閣下がこの艦隊
の〝心臓〟はと仰るのなら――恐らくは、こ
ちら』
シェルダンの声に合わせるように、画像が
動く。
トルナーレではなく、光輝を「閣下」と呼
んでいるのは、恐らく無意識だろう。
『第一艦隊参謀長リヒト・イングラム中将。
あるいはその配下にも、優秀な士官はいる
かも知れません。1人では動かしきれない局
面も何度かあったようですし。司令官を拿
捕すれば、議長表彰ものでしょうが、まず
はこの参謀長と側近達を崩さない事には、
話にならないと思います。この司令官の事
は、シーディア中将が幾許かの戦力をもっ
て引き返してくるまで、ひとまず置いてお
かれるべきかと。シーディア中将が引き返
して来ようとしているのと同様、この場に
ない、地球軍第一艦隊の残存兵力も、どう
いう動きをとっているのか、まだ掴めてい
ませんから』
「まぁ、馬鹿でなければこちらへ向かって
いるだろうな、そいつらも」
『…楽観視は出来ない、とだけ』
光輝がほぼ言葉を飾らないのは周知のため、
今はバルルークと3人でしか会話をしてい
ないものの、なるべくオブラートに包みな
がら、シェルダンは同意する。
「………いや」
そこで光輝は一瞬だけ、思案するように目
を閉じた。
『閣下?』
「そう言う事なら、司令官旗艦を狙っている
と思わせつつ、参謀長艦を孤立させる。先に
参謀長艦を狙うと、自爆覚悟で司令官を逃が
した上に、残存兵力と連携されるのがオチだ」
「———」
シェルダン、バルルークそれぞれが、個性
に応じた驚きの表情を見せた。
ここまで続く局地戦で、全く綻びを露呈さ
せない相手となれば、確かにそこまでしても
おかしくはないのだ。
「バルルーク、合流した艦隊の分を含めて、
全体の行動に必要な燃料と食料を調べていた
筈だな。出せ。それと、あと何時間自由な行
動が可能かもだ。合流予定艦隊の事は数に入
れるな、入れていたら、死ぬぞ」
シャルム・バルルーク大佐は、定年退官迄
を数えた方が早い年齢ではあるが、長年、補
給計画を立てる事に一日以上とも言える才が
あった事と、同じ一兵卒上がりであるフレッ
ド・トルナーレの目に留まる事とによって、
ここまで来た老参謀である。
まさかこの期に及んで、最前線で出世街道
驀進中と言っても過言ではない艦隊に配属さ
れるなど、彼自身にとっては、青天の霹靂で
はあったが、そもそも彼も大多数の上層部と
折り合いが悪かった為、補給に偏りがちな自
分の才能を評価されるのは、不愉快な事では
なかった。
…この時も、命じられてもいない、自分達
の艦隊に必要な情報かどうかも分からない、
燃料と食料の残存の分析をとっくに行なって
いる事を知られていて、どこに目があるのか
と、驚くより先に感心してしまった。
対象が、補給と情報と言う違いはあれど、
自分達の戸惑いは同じものの筈だと、勝手に
妙な親近感を、バルルークは親子程も年齢の
違うシェルダンに対して抱いていた。
『基地が閉じている事を悟られる訳にはいき
ませんからね…。今はまだ、着艦を試みて集
中砲火を浴びた、どこかの艦の事があります
から、単に二の舞を避けていると思われてい
るでしょうが…』
第七艦隊司令官ネルソン・ホーエンガム中
将の顛末に関しては、シェルダンも多分に自
業自得だと思っていたため、完全に素の発言
なのだが、その為に今、こうなっている光輝
の方は、無言のまま、こめかみに青筋が浮か
んでいるのをバルルークは視界の片隅に捉え
た。
「シェルダン」
『……は』
「その艦はどう言う艦だ。凍結システムの解
除に関するデータがどこかにあるか、なくて
も、各マニュアルへの合法のアクセス権は最
強の筈だろう。――権限がある内に探せ」
第一艦隊司令官の持つ、各種データへのア
クセス権は、言わば軍最強だ。
前線での戦いを好むトルナーレは、あまり
活用しなさげだが…今ならその権限は、シェ
ルダンの手にある。
闘と解析の同時進行を、光輝は言外に要
求している。
だがそれは、トルナーレであれば絶対に求
めない事であり、シェルダンは自分の中で何
かが高揚していくのを、自覚していた。
――己の能力の八割で良いと言われるか、
十割を差し出せと言われるか。
光輝・グレン・カミジョウは、出来ない事
をやれとは、言わない。
出来て当たり前の事に、力を抜けとも言わ
ない。
出来る筈だと、言外にでも言われれば、無
様な姿は晒したくない。
『承知しました』
シェルダンは迷わず、十割を差し出す決断
を下した。
シェルダンとバルルークが、ここを機に光輝の両翼となっていきます。
スタフォードに「バル爺さん」と言われるようになるのは、もう少し先になります。