第一章 遥かなる宇宙《そら》の向こう(2)
戦いが収束し、取り残された基地の修復に勤しむ
金星軍の士官兵士たち。
だが、先の見えない駐留に、不安を覚え始めた者たちが出はじめて
―――。
2
基地の平穏を破ったのは、思えばスタフォ
ードの、こんな一言からだったのかも知れない。
「なぁ…今頃聞くのもアレなんだけどさぁ…
この基地、どこまで仕上げたら目処になんの、
准将?」
「………」
基地内のカフェスタンドで、コーヒーを口
にしていたシェルダンの表情から、すっ…と
常の不敵さが消えた。
あまりの無表情っぷりに、補足の必要にか
られたスタフォードが、慌てて両の手をひら
ひらと、シェルダンを落ち着かせるように振
る。
「いやいや、ほら、いくら地球軍がすぐに攻
め込む可能性が低いって言っても、もう、こ
こに何ヶ月いるよ?俺みたいな下っ端前線士
官ならともかく、一応、外宇宙担当局長なん
て肩書き持った人までこの宙域に居ずっぱり
って、何かおかしくねぇ?微に入り細に入り
この基地をメンテナンスしたいとか、これを
機に、ここを最前線の哨戒基地にするとかっ
て話でもないんだろ?」
スタフォードが、敢えて嫌味よろしく直接
名前を言わなかった「外宇宙担当局長なんて
肩書持った人」とは、言うまでもなく彼らの
上官、光輝・グレン・カミジョウの事である。
外宇宙担当局自体は、金星から一歩外へ出
た、宇宙空間の秩序をーあくまで金星が治め
る星域内においてー管理監督する部署であり、
その局長である光輝が、先の戦闘でズタズタ
になった基地の立て直しを担う事自体は、あ
ながち間違いではない。
ただしそれは、システムロックされたり、
修理点検事項が山積していた、最初の内だけ
必要とされていたと言ってもよく、少なくと
も光輝自身は、全体を俯瞰し、必要な部署に
必要な指示を出しさえすれば、ここに留まる
必要はない筈なのである。
まして、お気楽独身貴族と、自分でも公言
してはばからないスタフォードと、金星に家
族が待っている筈の光輝とでは、地位以外の
面でも、その立場は大きく異なっている。
…現幹部士官の中でも飛び抜けて若い光輝
が、逆にただ一人の妻帯者であると言う事実
が、軍の七不思議だの、世の不条理だのと言
われているのは、全くの余談ではあるが。
「仮にそうだとしても、局長サマが居残る理
由にはならないだろうし」
ともかくも、光輝が帰星をしないのであれ
ば、それは「帰らない」のではなく「帰れな
い」のだと、スタフォードは思わざるを得な
いのである。
「…下っ端前線士官とやらは、普通そう言っ
た事に気は回さないんだが?」
目を眇めたままのシェルダンに、スタフォ
ードの表情が僅かに引き攣る。
これは何か知っているな…と、短くはない
付き合いからそこまでは察するものの、だか
ら自分に何が出来ると問われても、すぐに思
い浮かぶほど、スタフォードも経験が豊富な
訳ではない。
この場合の経験とは、戦いの最前線ではな
く、上に立つ者のみが求められる、政治戦だ。
少佐の地位は、職業軍人の中では決して低
い地位にある訳ではないのだろうが、人には
得手不得手があるし、何よりスタフォード自
身は、そこを勝ち抜いて出世したい訳ではな
い。
どちらかと言えば、自分の腕一本でどこま
でいけるか試してみたいが故の、職業軍人で
ある。
そのあたりは、恐らくはシェルダンとは根
本的に立ち位置が違う。
「んー…別に今のは俺の意見って言うんじゃ
なくて、ちょいちょい『オレら、いつ帰れる
んだろうな?』的な声が聞こえてんだよ、最
近。それって、あんまり良い傾向じゃないん
じゃないかなぁ…って言うのが、しがない下
っ端前線士官代表としての、俺の本音」
あくまで「下っ端前線士官」の態を崩さな
いスタフォードに、シェルダンの表情が、苦
笑未満のものへと変わる。
恐らくは、部下に疎まれるようになるギリ
ギリまで、最前線に立ちたいであろうスタフ
ォードの心情は、シェルダンも分からない訳
ではない。
そのあたりの見極めは、本人が大佐にでも
なったあたりで判断すれば良いだけの事であ
り、シェルダンが何かを強制するものではな
い。
故に今は、スタフォードが下士官たちの間
から拾い上げてきたと言う「声」だけに、意
識を向けた。
「佐官級未満の者たちは、交代で本星を行き
来させている筈だが、それでも『声』は出る
…か」
サン・クレメンテ基地と、金星本星との間
の距離は、数度の跳躍、10日ほどの距離にあ
る。
緊急時にのみ使用可能な、艦長職以上しか
知らない特殊航路を使用すれば、距離は約半
分にまで短縮出来るのだが、それは、味方が
危機に陥った場合のみの航路として秘匿され
ており、一般的には、所要日数は約10日と認
識されている。
当初は、陥落寸前まで追い込まれた基地の
駐留部隊に、哨戒活動の最中に駆けつけた第
七艦隊、戦火の拡がりに伴って増援部隊とな
った第一艦隊の中から、基地システムに精通
する技術士官や、万一地球軍が引き返して来
たりなどした際に、艦をまとめられる者など
が宙域に残されていたのだが、長期間本星か
ら離れる場合などの心理的な消耗を考慮して、
特に下士官以下は交代で、金星本星とサン・
クレメンテを行き来するようになっていた。
「そりゃぁ、まぁ…あくまで「交代」だし?
休暇で本星戻って、またサン・クレメンテに
赴任してる気がしてても、しょうがねぇんじ
ゃね?」
緩くなったコーヒーを、ちびちびと口にす
るスタフォードの口調には、著しく上官への
敬意が欠けているが、そもそも、上司と部下
として知り合った訳ではないので、聞いている
シェルダンの方にも、怒りはない。
「あまりその『声』が主流派とならない内に、
話をまとめてしまいたいのは、私もやまやま
なんだがな…」
「…その先は、俺でも聞ける話?」
苦い表情のシェルダンに、救いの手を差し
伸べようと意図したつもりはなかったのだが、
結果的にスタフォードのそれは、会話を繋げ、
シェルダンの頭の中を整理させるのに、一役
買った形となったようだった。
「私が『個人的に』愚痴る分には、どうと言
う事もあるまい。だが今は、その私自身が、
立ち位置を掴めない状態だ。ここは何故、狙
われた?本当に哨戒中の偶然だったのか?閣
下がそれを訝しんで、宙域に居座っているの
だろう点には疑いを持っていないが…。何故、
そう思った?その取っ掛かりが、どこにもな
い」
「おおぅ、結構、重い話。哨戒中の偶然と言
われたら、俺なんか間違いなく納得するわ」
「おまえが将官になったら間違いなく手伝わ
せるから、今はそれで良い」
「うわ、このヒト本気だよ」
顔を盛大に引き攣らせてはいるが、自分が
将官になる可能性を否定しない時点で、大概
である。
「んで、この後どうする?この基地のシステ
ム稼働率が、八割方戻ってきている事は、間
違いないぜ?俺らが『手出し口出し』するの
にも、そろそろ無理がある気がするけど」
「…なるほど。だからこその『声』か」
形を変えて、振り出しに戻る話に、今度は
シェルダンも、訝しむような事はしなかった。
基地が元に戻り始めている事を、専門職以
外の士官も実感しはじめているからこそ「い
つ帰れるのか」と言う声が出るのだ。
基地の修復に紛れて「何か」を調べるには、
もはやあまり時間が残されていないと、シェ
ルダンも光輝も知っておかなくてはならない
ようであった。
「閣下には、時間がないと、それとなく告げ
てみるか。その反応次第で、私も動けるかも
知れないしな」
「………」
「何だ、スタフォード?」
「いや、絶対に、そろそろ本星で奥方が寂し
く思っていらっしゃるのでは?とか、斜め
45度上からケンカ売りそうな気がして…」
「分かった。スタフォードがそう言って、と
ても閣下を気遣っていたと、進言しておく」
「なんでもないです。気のせいです。忘れて
下さい」
光輝・グレン・カミジョウは、戦争の天
才と、一部で揶揄されている。
天才の側面として、周囲に溶け込みにくい
面があると、一般的には認識されており、恐
らくは、使えないと判断した部下の馘を飛ば
し過ぎたが故の都市伝説だろうが、かつての
上官に「馬鹿は滅べ。今すぐに。速やかに」
などと、言ったとか、言わないとか…と、言
う話まであるのが、光輝である。
要は「話しかけにくい」のだ。
かつて光輝の麾下にいて、位を上げてまた
その麾下に戻って来たシェルダンなど、究極
の規格外である。
意見も嫌味も諫言も、全て交えて会話が出
来るなど、もはや常人のなせる技ではないと、
スタフォードは思う。
それでいて、私的なところで妙に自分とウ
マが合うのは、本来のアーレス・シェルダン
と言う人物が、少なからず過激な方向にある
からなのではと思うのだが、戦場以外では小
市民を信じるスタフォードは、もちろんそん
な事は口にしない。
ただ表情で、ある程度は察しているのだろ
う。シェルダンは微苦笑を浮かべたまま、空
になった手元の紙コップを握り潰した。
「スタフォード」
「…ナンデショウカ」
本当に「進言」しかねないシェルダンに、
スタフォードは未だに顔を引き攣らせていた
のだが、「いや、進言の話じゃない」と、シ
ェルダンは空いている方の片手を軽く上げた。
「今、お前の下にいて、地に足が着いた戦い
も得意な連中は、どのくらい見込める?」
「ん?」
「お前は空戦隊長の肩書きは持つが、それが
白兵戦になったところで、いきなり腰が引け
る訳でもないだろう。お前と同じとは言わな
いが、基地内でも戦える数として、把握をし
ておきたい」
「…今、それを俺に聞くって事は、この先結
構物騒になる可能性があるって事でいいか?
それも外からじゃなく、基地の内側で」
表情から軽さの消えたスタフォードに、
「そこは、想像に任せるとだけ言っておこう」
とだけ、シェルダンは答えた。
「今、ここで話している事は、あくまで私
の『愚痴』だ」
「あー…はいはい。じゃあ、しがない下っ端
前線士官はとりあえずこの後、何人か訓練場
へ連れて行くとするよ」
シェルダンが、本当に「戦える正確な人数」
を求めているのではなく「戦える人員を一定
数確保しておけ」と言っているのだと察した
スタフォードは、明後日の方を向いたまま、
片手でがしがしと自らの髪を掻き回した。
満足気に微笑ったシェルダンは、掌の中の
潰れた紙コップを、カフェスタンドの隅にあ
ったゴミ箱に放り投げた。
紙コップは綺麗な放物線を描き、一度ゴミ
箱の縁に当たって小さな音を立てたものの、
れは方向を変えつつも、結局はゴミ箱の中
に収まった。
「………っと」
シェルダンの手元の時計が、派手な音をカ
フェスタンド内に響き渡らせたのは、まさに
の瞬間であった。
『アレス!てめぇ、どこをほっつき歩いてい
やがる‼︎』
「ほっ……?」
佐官級以上に支給される、通信用腕時計か
ら響いた、着信音よりも大きな怒鳴り声に驚
いたのはスタフォードの方で、空だった事が
幸いしたが、紙コップを掌から滑り落として
いた。
そんなスタフォードを横目に、沈着剛毅を
謳われる男は、腕時計の向こうに聞こえるよ
うなため息を吐き出した。
「ほっつき歩くとか、若者に馴染みのない単
語を吐き出すのはやめた方が良い、カオル。
スタフォードが驚いているし、実は30歳を過
ぎているんじゃないかとか、私まであらぬ疑
惑をかけられる」
『てめぇのその澄まし顔は、30過ぎてて充分
だ!何気に俺まで年齢詐称疑惑に巻き込むなっ!』
くどいようだが、薫・ルドヴィート・浅霧
は、医務士官であり、大尉だ。
医療過程に限っては、その権限は軍の身分
制度に従わないとされる医務士官ではあるが、
大尉なのである。
文句があるなら事務仕事を押し付けるな、
と言うのが浅霧の言い分で、彼としては、シ
ェルダンが怒って自分を蟄居にでもなんでも
してしまえば良いとさえ思っての、憎まれ口
ではあったが、士官学校の同期であり、少な
くともこの基地内での事務仕事は任せてしま
いたいシェルダンは、そこで身分を振りかざ
すような事をしていなかった。
「……自由人が多すぎるな、ウチの艦は……」
と、呟くに留めただけである。
お互い様だよな、と内心でスタフォードは
思っていたが、そこは我が身可愛さに、敢え
て口を挟まなかった。
「それでカオル、どうした?今更おまえが、
分からない書類がある、などとは言うまい?
急患か?それならば当然、医療行為が優先さ
れる。私への報告は後でもー」
シェルダンの口調は、深刻な会話でも、そ
うでない会話でも、基本的には変わらず、淡
々としている。
だがその境界をきちんと読み取れるのは、
スタフォードと同様に、短くはない付き合い
がそこにあるからなのだろう。
『…急患は、急患だな』
浅霧の声のトーンが、あっという間に下が
っている。
(…っつーか、分からない書類があるとは、
マジで言わないんだよな……大尉なのに。…
…医務士官なのに)
浅霧は、その気になれば、作戦参謀程度は
ゆうにこなせる筈だと、シェルダンからは聞
いた事がある。
本人に、望むところがあるからこその、医
務士官だと。
勿体ないと思うのは、浅霧本人にとっては、
大きなお世話らしい。
医療側ではなく、前線側へ引っ張り込もう
として、返り討ちにあった高官が…いるとも、
いないとも。
真実は、本人と…恐らくはシェルダンのみ
が知ると言ったところか。
前線軍人に手を出させない代わりに、勝手
に権限を拡大解釈させて、自分の下で有事の
際の事務仕事を任せているシェルダンもどう
かと思うが、周囲がそれで静かになった側面
も否定出来ないため、文句は言えど、事務仕
事そのものを、浅霧が拒否する事もない。
いざと言う時には、シェルダンはキチンと
浅霧の本分を優先させている。だからこそ、
浅霧は同期でありながらも、シェルダンの指
示を仰ぐ立場にある事まで、放棄はしないの
だ。
『心配せずとも、お前の部屋も、データも、
ちゃんとロックした。とりあえず、黙って医
務室へ来い、アレス』
「……医務室?」
『元はと言えば、カルノー少佐が血相を変え
て、お前がいる筈の執務室に飛び込んで来た
ところから、話は始まる。その先は、機密保
持機能の緩すぎる、通信時計でなんぞ話せん。
だから、来いと言っている』
「……なるほど。ちなみに今、隣にスタフォ
ードもいるんだが、同席する事に問題は?」
「いやいや。俺の事は、お気遣いなく」
明らかな厄介ごとの匂いを感じて、ほとん
ど反射的に手を振ったスタフォードだったが、
シェルダンも、浅霧も、誰もその内心を忖度
してくれなかった。
『あるような気もするが、お前がどうしたい
かだな、アレス。後々、攻めて暴れる「駒」
が必要だと思うなら、巻き込んでおくのは早
いうちに限る』
「いや、勝手に俺が斥候で暴れる前提にしな
いでくれる⁉︎」
「確かに…そう言われれば、戦える手は、欲
しい」
「なぁ、俺の話聞いてる?」
『連れて来るなら、責任はお前が持てよ。カ
ミジョウ少将への報告も、だ。流石に俺が、
お前まで飛び越えて司令官室へ駆け込んだら、
目立ってしようがない』
「おーい、そこの二人ー」
「確かにな。わざわざ、何かありましたと、
衆目に晒すも同じだな」
「……俺に拒否権ないんだな、分かった……」
何が起きたのかを、まだ聞いてもいないの
に、既にスタフォードが巻き込まれる事は、
決定事項になっていた。
大尉と准将が、少佐を挟んで会話していた
筈なのに、どうしてこうなったのか。
「スタフォード」
「はいはい、お供します…っと」
落としていた紙コップを再度拾いあげ、半
ば八つ当たり気味に投げた、その空の紙コッ
プは、持ち主のやさぐれた気分を表すかのよ
うに、ほぼ一直線に、音を立ててゴミ箱に吸
い込まれた。
「すぐ行く、カオル」
腕時計越しの通信は、了解の意を示すよう
に、そのまま切られる。
シェルダンとスタフォードはあくまで、通常
業務の一環と言った態で、浅霧の待つ医務室
へと向かったのだった。
ずいぶんと開いてしまいましたが、ようやくプロットがまとまりましたので、これからもう少しコンスタントに掲載します!