第6話
目覚めた後は混乱と驚きの連続でした。中でも一番驚いたのは、目覚めて一番初めに目にしたデイジーの取り乱し様でした。ひたすら私の名前を呼び、「良かった、本当に良かった」と繰り返し、声を上げて泣くのです。ただでさえ寝ぼけて頭がはっきりしない所に、普段見慣れた人の、見たことのない有様です。一体何が起こっているのかと、疑問に思っても頭が追い付きません。ただ、あのデイジーがあんなに取り乱す程私の身を案じていてくれていたのだということだけはよぅく分かって、申し訳ない話ですが、心配をかけた申し訳なさよりもうれしさの方が先立ってしまいました。あの時彼女が流した熱い涙は、今でも私の心の奥に焼きついています。
目覚めたばかりのふわふわした私は、デイジーに痛いほど強く抱き締められてようやく自分を取り戻しました。自分が倒れて眠り続けていたこと、それで周囲に心配をかけ続けていたことを大雑把に把握できた頃、お医者様が飛んできました。
眠り過ぎたせいでしょう、問診の間もまだ少し呆けた頭でした。しかし特に痛いだとか、辛いだとかはなく、なんだかとても気怠いだけで、もう少し寝直したらすっかり良くなるのでは?というのが私自身の見立てでした。要するにお医者様なんて必要ないと思っていたのですが、診察は非常に入念に行われました。
「これは神の慈悲か、それとも……」
お医者様が難しい顔で呟くのを私は見逃しませんでした。
「何か、問題でも?随分と念入りな診察だったみたいですが?」
訊ねてみてもお医者様は目を泳がせて、すぐには答えてくれません。
「姫様は一週間も眠り続けていたのですよ?慎重に慎重を重ねるのは当然です」
「一週間……」
いえ、これは驚くべきところなのでしょうが、自分でも妙な納得感がありました。あぁ、そのくらいなのかという確認というか、振り返りのような。まだどこかぼんやりとする頭で反芻します。
しかしお医者様は、私が驚いて言葉を失っていると思ったようで、軽く頷きながら続けました。
「長く眠り続けたせいで体力が著しく低下しているのでしょう。当面はゆっくりと休んで、消化に良いものを食べ、体力の回復に努めて下さい。くれぐれも退屈だからと言って出歩かないように」
「はい」
お医者様が一応、釘を刺して、私も一応、了承の意を示します。きっとこのやり取りはすぐに無かったことになってしまうのですが、それでも一応、です。
ゴロゴロしていられるのはいいのですが、ゴロゴロし続けているように強要されるのはいかがなものでしょうか?休養とは強要されるものではなく、自分がだらけたい時にだらけてこそ身も心も休まり、それでこそ意味のあるもの。どうせまたデイジーが監視役につけられて、私が大人しく寝ているか見張ることになるのでしょう。それでは全く気が休まらないのですが。
帰り支度を始めたお医者様に改めて疑問をぶつけます。先程お医者様が呟いた言葉がどうにも引っ掛かって仕方なかったのです。
「神様の慈悲、とは?」
私はそれほどまでに重篤な状態だったのでしょうか?私に自覚がないだけなのかもしれませんが、お医者様にしろデイジーにしろ、いささか大袈裟なように思えます。
いえ、一週間も眠り続けていたというのであれば、それは最早尋常ではありません。しかし今の自分の状態から推し量ると、助かったことを神に感謝して喜ばねばならないような、例えば生死の境をさまよう様な、そんな危険な状態だったとは思えないのです。
いいえ、そもそも私は何故、倒れて……?
「これはもう少し落ち着いてからお伝えするべきかと思ったのですが……」
おずおずと口を開いたお医者様がデイジーへと視線を投げ、それを受けてデイジーが小さく頷きました。
「先程姫様はこの一週間、眠り続けていたと言いましたが……実はその間、姫様は呼吸も心拍も止まったままで……我々医学に携わる者の見地からすれば……いえ、一般の方の認識でも同じでしょう。姫様は、その……死んでいたのです。いえ、こうして目覚めたわけですから、仮死状態だったというのが正しいのでしょう。いずれにせよ、死の眠りにあった姫様が再び目覚めた、これは人の理では説明がつかない、それこそ神の慈悲を賜ったとしか考えられず――――」
私が死んでいた。その一番重い事実を口にした後は、お医者様は堰を切ったように語り出しました。その勢いに圧倒されてしまい、彼のまくし立てる様なほとんど意味を為さない弁説を呆然と聞いていました。「死」という言葉に流石に少々、血の気が引いたというのもあります。
しかしその状態でよくもまぁ、一週間も埋葬せずにおいてくれたものです。そのあたりはべリアスが説明してくれました。
「デイジーが「姫様は死んではいない」と言い張って譲らなかったのです。そして彼女が指摘した通り、一晩経てど二晩経てど姫様のお身体からは体温が失われる事がなかったのです」
春先になり、いくらか寒さが緩んできたとは言っても、まだまだ雪の残るレヴァナントです。本当に死んでいたのなら、その骸は早々の内に氷のごとく冷めきってしまうことでしょう。この極寒の地において温もりとは、生命の存在の証左に他なりません。
「正直申しまして私も、姫様が再び目を覚ますことはないだろうと思っておりました。微かに姫様の魔力が蠢いているのを感じ取ることが出来ましたが、それもいつ潰えてもおかしくない微弱なものでした。今にして思えば、あれが血流の代わりを果たしていたのやもしれませぬな。
兎も角、見事目覚められたとはいえ、御身はまだ軽々な予断を許しませぬ。お医者様も仰っていたように、慎重に慎重を重ねて経過を見守る必要がございます。ご快復なさるまではどうか、御自愛を」
そう言ってベリアスに深々と頭を下げられては、素直に頷くより他にありません。
髭に手を当てていないベリアスというのも、その時初めて見たかもしれません。いつになく険しい表情は、有無を言わせない迫力に溢れており、鈍い光を放つその瞳は、普段より一層奥深くからこちらを見据えてくるようでした。
完全にその雰囲気に呑まれてしまった私は、大人しくベッドに戻りました。何かとても大切な事を忘れているような気がしてなりませんが、やはりどうにも頭が上手く働きません。
何やら落ち着かない気持ちを抱えたまま。
みんながそれぞれに声を掛けてくれるのをあるいは聞き流し、あるいは生返事で返して。
一人、また一人と部屋を出てゆくのを独りになるまで、ぼんやりと眺めていたのでした。
一年半ぶりの更新です。
お久しぶりです?はじめまして?
今回のお話、何回書き直したかワカンネ……
とりま、この続きについてもアナログ原稿があるにはあるのですが、修正との整合性とか見ながらの投下になるので、次回更新は早いかもしれませんし、遅くなるかもしれません。
本編「死霊王〜」では他のキャラに埋もれがちですが、その分、他所ではえこひいきしていく(予定)なので、今後ともどうぞよろしくお願いします