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 第5話

 忘れたい出来事というものは、人間誰にでもあることでしょう。

 忘れられない出来事というのもまた、誰にでもあることでしょう。

 私にとってそれは、あの九歳の誕生日に他なりません。

 あの日、私は確かに幸せでした。私の短い人生の中で最も幸せだった瞬間は、間違いなくあの日にあります。

 そしてあの日こそが、間違いなく私の苦難の始まりだったのです。




 私の誕生日はレヴァナントの地が春を迎える時節に丁度重なることもあって、毎年国を挙げての大騒ぎになります。あの年は例年よりも多くの雪が降り積もりました。冬が長かった分、春の訪れが待ち遠しくなるのは無理もないことでしょう。お城の周囲にしぶとく残る雪も全部融かしてしまうのではないかと思うほどの熱気は、私からも落ち着きやおしとやかさをすっかり奪い取ってしまいました。

 一番忙しないのが厨房で、そこはさながら戦場だったと聞きます。ワイトが見たという特大のバースデーケーキを私も一目見たくて潜入を試みたのですが、残念無念。デイジーを出し抜くことは叶わず、直前の所で首根っこをひっつかまれて連行されてしまったのでした。

 記念すべき日ですから、お城には早くから大勢の来訪者が詰めかけました。主役たる私は大広間に特別にしつらえられた玉座に納まり、彼らの祝辞を受けるのでした。

 街のおもちゃ屋の主人からは私よりも大きなトラのぬいぐるみを頂きました。非常に愛らしい顔で、恐ろしくふかふかもふもふの抱き心地は、これはもう生涯手離すことが出来ないのではないかと思うほどでした。

 ステラおばさんは先日の宣言通り、素晴らしい仕事をしてくれました。来年もよろしくと言うと胸を張って請け負ってくれました。

 この日のために遠路はるばるやって来られた方も大勢いました。遠国の王子さまからは目を見張るような宝飾品の数々を贈られて困惑してしまいました。せめてもの返礼に今宵の晩餐に招待しては、と思ったのですが、お父様は眉を吊り上げて反対するのでした。


「毎年誕生日の晩餐は身内のみで、と決まっておる」


 と、お父様が言い放った時の王子様と言ったら、まるでこの世の終わりのような顔をして、とても申し訳なかったです。後日お礼の手紙を書いて、できれば彼の誕生日にでも何かお返しをしたいと考えたのでした。

 お誕生会は日が暮れてからがいよいよ本番です。

 いつもは厳かな食堂も、この日ばかりは賑やかに、楽し気に飾り付けられます。

 テーブルの上にはお行儀悪くチーズを垂れ流す白パンに、彩り豊かな温野菜のサラダ。香りからして甘く、身体の芯から温まりそうな南瓜のスープ。こんがりキツネ色の焼き目にキラキラと輝くソースが眩しいグリルチキン。その他にも沢山の御馳走の山がそれぞれに湯気を立てて、主賓の登場を待ちわびているのでした。


「りっちゃん、9歳のお誕生日、おめでとう!」


 やはり今年も、一番騒がしいのはお父様でした。お祝いの言葉と一緒に頂いた箱に収められていたのは、真っ白な絹のドレスでした。合せてみると少し裾が長いのですが、騒がしいフリルなどもなく、全体的にすっきりとしたデザインで、それでいて各所に施された不思議な紋様の刺繍が目を惹く、素敵な逸品でした。この控え目な感じがやけに大人びて見えて、私は一目で気に入ってしまいました。すぐにでも着替えたい所でしたが、目の前の御馳走で汚してしまっては勿体ないので、ぐっと堪えます。

 お母様からは分厚い書物を二冊、頂きました。一冊は古語で書かれた稀少な魔導書。もう一冊は、礼儀作法の本でした。


「次期レヴァナントの王として、恥ずかしくない者に成長することを期待していますよ」


 と、笑顔で言われては、ぐうの音も出ません。

 そしてワイトからは。ワイトがはにかみながら差し出したのは、白い質素な封筒でした。細心の注意を払ってその封を切ると、中から出てきたのは雪割の花を象った精巧な折り紙細工でした。私の小さな手に納まるほどの可愛らしいサイズなのに、一体どうやっているのか、折り目正しく並んだ六枚の白い花弁の中央にはちゃんと黄色いしべの部分まで作り込まれているのです。その見事な仕事ぶりは、職人技と呼ぶべき類いのものでしょう。感動のあまり、声も出ません。


「本で調べて、沢山練習しました」


 と、ワイトは謙虚な笑みを見せますが、お世辞でも何でもなく、何日かけたところで私には真似のできるものではありません。

 また、同封されていたカードに短く綴られたメッセージが彼らしくて、心をくすぐられます。この喜びと感謝の気持ちを十分に表すには、この可愛い弟をぎゅうと抱き締めるより他にないでしょう。


「姉上に喜んで頂けたのなら、嬉しいです」


 腕の中から上がる声は、どこか誇らしげです。


「こんな素敵な贈り物をもらってしまったら、次のあなたの誕生日には何をあげたらいいか分からないじゃない」


 ようやく自分の気持ちを口にできたと思ったのに、


「僕は、姉上が明るく笑っていてくれれば、他には何も要りません」


 と、またそんないじらしいことを言われては、抱き締める手にさらに力がこもるというものです。

 折角の紙細工をそのまま封筒に戻してしまうのはあまりにも無粋というもの。早速胸元に挿してみれば、ワイトの顔が輝きを増します。ディナーの間は最大の注意を払う必要がありますが、それはそれで身も心も引き締まって、姉っぷりに磨きがかかるというものでしょう。食事の前のお祈りも普段以上に真剣に唱えました。

 さぁ、いよいよ晩餐の始まりです。

 向かいの席ではワイトがどれから食べようか迷っているのか、ナイフとフォークを手にしたままそわそわと目をあっちへこっちへとやっています。隣の席のデイジーはお上品にワインを味わっているように見えて、そのくせこちらへの監視がゆるむ気配は微塵もありません。そうでなくとも、胸元の折り紙のことがありますから、お上品に、お上品に。

 南瓜のスープはとても滑らかなのど越しで、まるで極上の絹のようでした。

 グリルチキンは香辛料が効いていて、なかなか刺激的な味わいでした。

 温野菜のサラダには刻んだハーブも和えられており、口の中に広がる清々しさは真夏の草原を吹き抜ける一陣の涼風と言ったところでしょうか。こっそりと茄子を避けて口に運んだのはデイジーにもばれていなかったようです。

 誰もそれを咎めることはありませんでした。

 誰にも叱られることはありませんでした。

 未来永劫、そんなことで私を叱ってくれる人が現れることはないでしょう。

 お母様が急にむせこんで。

 慌てて席を立ったお父様が、お母様に覆い被さるように崩れ落ちて。

 私は、パンとチーズはしっかりと吹き冷ましたはずなのに、喉の奥に熱いものが広がるのを感じて、身体を支えていることが出来ずにテーブルに突っ伏してしまいます。デイジーが何か喚いていましたが、それもよく聞き取れませんでした。胸元の折り紙のことを案じながら、しかし、意識は朦朧としてきて思考がまとまりません。騒乱はどこか遠くで起こっているようで、赤く染まってゆくテーブルクロスと同様に現実味がありません。私のことを呼ぶ声が聞こえた気がしましたが、私を私として支えていた気力はことごとく流れ出てしまったようで、そのまま私はしばらくの間、眠りに落ちるのでした。本来ならば、二度と目覚めることのない、その深淵へと。

いよいよ運命の日をむかえてしまったりっちゃん、そんな第5話でしたが、いかがでしたでしょうか?

盛り上がってきたところで申し訳ないのですが、7月更新分はリアルの都合で月初に公開できるか怪しい感じです。一応下書き原稿は出来ているのでなんとか頑張っていきたい所です(フラグ乙

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