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 第4話

 あの頃の記憶を紐解く時、必ず一番最初に思い浮かぶのは、いつも姉上、姉上とべったりとすり寄って来ていたワイトの幼い笑顔です。次にデイジーの怒った顔か、困り顔。お父様のお髭や、お母様の物静かな横顔はさらにそのあとです。

 実のところ、お父様は兎も角、お母様との思い出は驚くほどに少ないのです。きっとお母様が身体の弱かったワイトにつきっきりだったせいでしょう。記憶の中のお母様は、そのほとんどが慈愛に満ちた表情でワイトをあやしています。私とお母様二人だけの記憶というのは、ちょっと思い当たる物がありません。それだけワイトが、いつも私かお母様にひっついていたということなのでしょう。

 ワイトばかりが可愛がられることを妬んだり、不満に思ったことは一度としてありません。むしろワイトの方がそれを気に病んでいた節があります。あの子が事ある毎に私のことを立ててくれていたのには、両親の気が少しでも私の方へ向くように、という意図があったように思えてなりません。年相応に何も考えず、無邪気に両親に甘えていたらいいのに。

 確かに、姉弟二人に完全に平等な愛が注がれていたかと問われれば、それを首肯することは出来ません。その差がどの程度のものだったのかは、人によって、或いは捉え方次第で違ってくると思いますが、少なくとも私が気にするほどのものではありませんでした。当時は単に気付かなかっただけなのかもしれませんが、今改めて思い返してみても、答えは変わりません。特に私が無視されたり、冷たくあしらわれたりしたわけでもなく、身体の弱いワイトにお母様の手が必要で、私は聞き分けの良い姉だったという、それだけの話です。

 ただ最近では、もう少しお母様に甘えておけばよかったと、度々思います。私の物分かりが良かった分だけ、お母様との絆が希薄なようで、それが少し寂しい気がするのです。もっとも、私がお母様に対して我儘を言ったり、駄々をこねたところで、それをいなしたり、諌めたりするのは結局、デイジーの役どころだったのではないかとは思うのですが。




 その日はとてもよいお天気でしたので、またあの丘に行ってみようと、デイジーと一緒にワイトを探していました。ここ最近は隠れてこそこそと何かやっているようなのです。先日は大臣のスクロワに何か相談していたみたいですし、その前は魔導師のベリアスとひそひそと内緒話をしていました。今日も自室にもお母様の所にもいないと思ったら、書庫で何やら熱心に本を読んでいました。私が訊いても恐らく素直に教えてもらえないだろうと思い、デイジーを斥候に出したのですが、そのデイジーは


「姫様には教えないと、王子と約束しましたので」


 と、偵察結果の報告を拒否しました。まぁ、この時季にワイトがする隠し事といえば目星はつきますし、本棚の陰までワイトのやけに切羽詰まった声は届いていたので、それ以上追求しません。どうせワイトの秘密は数日のうちに公になるのです。今ここで無理矢理に暴くよりも、その日が来るのを心待ちにしている方が楽しいに決まっています。何食わぬ顔で書庫の前で二人と合流すると、またあの雪割の花を見に、一本杉のそびえる丘へと繰り出すのでした。


 春の近付く城下町は忙しなく、人混みにあふれています。大通りの空気は本当はもうとっくに春が来ているのではないのかと思ってしまうくらいに温かいのですが、路肩や裏小路、建物の屋根にはまだまだたっぷりの雪が残っています。

 道をゆけばあちらからもこちらからも声をかけられます。


「こんにちは、姫様。お出掛けですか?」


「おや?今日は王子もご一緒で」


「聞きましたぞ、姫様。何でも貴重品室に忍び込んで、金塊(インゴット)をちょろまかしたそうじゃないですか」


「俺は武器庫に忍び込んで、王家秘伝の杖にイタズラしたって聞いたけど?」


 ……なんでそれもこれもバレてるんですか……?

 私が返答に困っているうちに、大通りには笑い声があふれ出します。


「いやはや、もうじき九歳になられるというのに……」


「いくつになっても、姫様は姫様ですわねぇ」


 そんな誰かの呆れ声にデイジーも相槌を打ち、その足元でワイトはあわあわとそれぞれの顔色を窺うのでした。


「本当にいつになったら、姫様もいっぱしの淑女(レディ)になられるのやら……」


「少なくとも、あと一週間足らずでは無理でしょうねぇ……」


 好き放題に言われるがままにはしておけません。


「じゃぁ、淑女(レディ)たるステラおばさんだったら、五日の間にとびっきり美味しい焼き菓子を用意できるのかしら?」


 と、敢えて挑戦的な台詞と視線を送ります。


「ふふっ、そこは抜かりありませんよ。実はちょうど今朝方、手配していた南国の珍しい果実が山ほど届いたところでして。当日は楽しみにしていて下さいよ」


 相手もなかなかのやり手ですが、とびっきり美味しい焼き菓子についての言質が取れたので、この辺りで良しとしておきましょう。

 街のみんなに手を振って、また歩き出すのでした。




 市壁を出ると青空の下には、目映いばかりの白い世界が広がっています。暦の上では春がすぐそこまで来ているとはいえ、レヴァナントの大地は未だ雪に覆われたままなのです。

 青空の上から白いお日様が光を投げ、それを雪原が力強く跳ね返す風景が、私は好きです。その輝きが白銀(しろがね)にたとえられるのも納得で、私も一人の女の子として当たり前のようにキラキラしたものに心惹かれるのです。もちろん、陽を受けた雪原にあるのは単なる光の反射だけではありません。ですからきっと、本当に私を惹き付けていたのは、にわかには目に映らない、別の輝きだったのでしょう。


「こっちも咲いたね」


 先日見た時にはまだつぼみだったものが、今はもう花開いており、大小二つの花が仲良く並んでいます。その様に思うところはあっても、敢えて口にしません。言葉にせずとも姉弟二人、考えていることは同じだったようです。ワイトが遠慮がちに前置きします。


「書庫で調べて知ったのですが――――」


 そこまで言ってワイトは不意に口をつぐみます。なかなか出てこない続きの台詞を辛抱強く待てば、ワイトはそっと目を逸らして再び話し始めます。


「”ずっと離れない”。それがこの花の花言葉だそうです」


 熱でもあるのかと思うほど、顔を真っ赤にして言葉を絞り出す弟をぎゅうっと抱き締めれば、その熱がこちらにまでうつってくるのでした。

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